ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

全国高校野球大会

2008年08月03日 | 季節の話題
 昨日、第90回全国高校野球大会が、阪神甲子園球場で開幕した。

 我が阪神タイガースにとっては、例年ホームグランドである甲子園を高校球児たちの憧れの舞台として提供しているために、その間は「死のロード」と呼ばれる、相手チームの球場を中心にアウェイノ戦いを強いられる季節であり、ペナンとレースに暗い影を落とすことが多いのだが、今年のシーズンは余裕のぶっちぎりでセリーグの首位を行くため、心晴れて「高校野球のため」にと観ていられる。

 昨日の開会式では、地元京都の代表校である、福知山成美高校の椎葉一勲主将が抽選で選ばれて、選手宣誓をしたのだが、彼の出身が私たちの隣町である、宇治であることから、京都の決勝戦に纏わる秘話も聞くことができた。

 地元立命館宇治高校との教徒大会の決勝戦で、立命館宇治高校のピッチャーは、なんと予選前のエースではなく、それまでセカンドを守っていた選手だったが、急造投手としては頑張って決勝戦まで駒を進め、地元出身の椎葉君が守るライトへ、最後の打者としてフライを打ち上げゲームセットとなったのである。

 同じ宇治を舞台に野球に明け暮れていた少年同士の運命の分かれ道なのかどうかは定かではないが、間違いなく椎葉君は甲子園の土を踏み、記念大会の開会式での選手宣誓という全国放映された晴れ舞台に立ったのである。

 今から23年前の第67回大会に、エースと四番としてそろって甲子園に出場した「桑田.清原」のKKコンビが、第90回の記念大会の甲子園の開幕日と翌日、奇しくもクローズアップされた。

 PL学園高校の選手として全国制覇を果たした両選手は、ドラフト会議での明暗が分かれ、桑田投手は早稲田大学への進学と表明していたのに、読売ジャイアンツに指名され、清原は涙の西武ライオンズ指名だったのである。

 それ以来、PL学園のチームメイトから、プロ野球で雌雄を決する他チームの中心選手として、敵、味方と分かれて戦った後、清原がジャイアンツに移籍して、再びチームメイトとして「巨人」で戦ったのである。

 しかし、清原は一昨年巨人から戦力外通告を受け、仰木監督の誘いでオリックスに移籍したが、仰木監督が死去し、一昨年は少し出て活躍したが、膝の故障と手術などでほぼ二年間、まともに野球が出来なかったのである。

 一方の桑田真澄投手もメジャーリーグへの挑戦をして、一軍での試合出場は果たしたが、今期はパイレーツで、開幕間際までメジャー昇格を夢見たが、叶わず3月に「引退表明」をして帰国していた。
  
 この二人が、清原のリハビリ後の復活練習で、再び桑田がバッティング投手を勝手出て、高校時代からの友情とライバルの証を見せたのである。

 今夕、清原和博選手は代打で出場し三振した。桑田真澄元投手は何処で、この光景を観ていただろうか。

 今日の高校野球第三戦の奈良智弁学園と滋賀近江高校戦でも、最終回ツーアウト満塁、一打同点もしくは逆転サヨナラの舞台があったが、智弁が辛うじて逃げ切った。

 高校野球で汗する多くの高校野球球児のドラマは、表舞台だけでなく、永遠に続いている。
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