ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

インドの旅の始まり。

2008年08月30日 | ガリバー旅行記
 ネパールの長閑で自然に包まれた村々を散策して、すっかり自然志向に浸っていたのだが、四日目の夜、カトマンドゥーから夜行バスでインド国境の町、ビルガンジィーへと向かうことになった。

 雨が降りしきる八時過ぎに、カドマンドゥー市内のバス発着場から、インド人ばっかりの乗客約40人程の夜行バスに乗ったのだけれど、全く周囲の人たちとのコミュニケーションもないまま、ほとんどがすぐに眠りにつくと言った感じのバス車内であつた。

 なぜかサービスで袋入りの豆菓子のようなものが配られたが、車内の電気はすぐに消され、日本の深夜バスのようにトイレが後部についているわけではないので、いつトイレタイムでバスが停車するやらも分からぬまま、少しでも眠ろうと必死だった。

 どれほど走ったのか、何処を走っているのか全くわからないまま、2時間半ほどが経過した時、バスは停まり、みんなトイレタイムだろうと一旦バスを降りた。

 私も気がつけばバスが停車していたので、いまだと言った感じでバスを降りると、バスの停車したところは日本で言えばサービスエリアのようなところで、トイレ設備はないのだが、薄暗いレストランがあって、乗客のほとんどが、ここで夕食のカレーを当たり前の如く右手で器用に食していたのである。

 私がバスを降りた時には、すでに大半が定食風のカレーセットを食べている途中で、いつバスが出発するのかも不明な中、彼らのように上手くカレーセットの食事を手早く食べる自信もなかったので、追加で注文することなく見守っていただけであった。

 それから、バスは深夜のネパール南部を国境の町へとひた走ったのだが、ようやく早朝の薄暗い田舎町、ビルガンジィーに到着するまで、三度ほどトイレ休憩の停車ほを体験した。

 やはり一人全く前後が分からぬネパール、インド人ばっかりのバスに乗っているので、緊張感があったので、途切れ途切れに目覚めながら目的の町の路上に荷物と共に降り立った。

 国境の町だが、何処に出入国の事務所があるのかも分からぬまま、リキ車と呼ばれる自転車タクシーに乗った。

 英語もろくに通じない感じの運転者だったが、雰囲気を察知して間違いなく、国境ポリスのいる場所へと運んでくれた。

 イミグレーション事務所の係官が6時過ぎにやってくるというので、時間待ちをしている間、若いネパール警官たちは、いろいろと話かけてきて、一杯のチャイも振舞ってくれた。

 しかし、結局彼らも人の子であり、最後は携帯や時計に興味を示した上で、給料が少ないから何とか少し恵んでくれと警官が所望する始末であった。

 無事入国審査を済ませて、また一日かけてインド北部の釈迦が悟りを開き、最初の修行の地となった、ブッダガヤを目指してバスの乗客となった。

 最初の見学地となったのが、あの仏陀が悟りを開く前に、七年間の苦行の後に、下りてきた里でスジャータと称する若い女性からご飯とミルクと砂糖を振舞われたといわれる、聖地「スジャータ村」に足を入れた。
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