ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

父と暮らせば

2005年07月24日 | 感じたこと
 太平洋戦争末期、昭和20年の3,4月に東京、大阪に大空襲があって、4月から6月にかけての沖縄での地上戦が終結し、8月に忌まわしい広島、長崎への原爆投下がなされて、ついに8月15日に天皇の言葉で敗戦を「無条件降伏」という形で認めて以来、もうすぐ満60年の日を迎えようとしている。

 今、改めて戦後に生まれた者のひとりとして、あの大東亜戦争、第二次世界大戦とは何だったんだろうと、歴史に学びつつ多くの戦争被害者や戦争に関わった人たちの証言や書物、映像、記録から、素直に「再び二度と、あの様な戦争」を招いてはいけないと心に誓い、平和憲法を守り、日本とアジア、世界の平和に貢献しなければならないと思う今日である。

 先日、宮沢りえ演ずる娘、美津江と原田芳雄演ずる、おとったん竹造親子の会話を中心とする、広島の被爆をベースにした「父と暮らせば」という、映画を観た。

 井上ひさし氏の脚本で、黒木和雄監督作品で、戦争レクイエム三部作の完結編とされている作品で、宮沢と原田の二人の役者の好演で綴られたストーリーなのだが、一見暗いテーマの様に思えるが、結構笑わせてくれる場面もあり、最後には涙を隠しえない光景もある秀作であった。

 愛する父を一瞬の閃光、広島のピカドンで奪われてしまった娘が、生き残ったことの後ろめたさから、図書館に通ってくる青年の好意に接しても、「自分は幸せになる資格がない」とその恋のときめきを封印して、生きようとする姿が痛々しい限りであった。

 実は、被曝し亡くなった「おとったん」が、この世に舞い戻ってきて、娘との対話を通して、娘の心をひひたむきな魂で、再生させようとして「恋の応援団」を自称して語りかける物語なのである。

 いつも遠慮がちで、忍耐と共に自己犠牲的な生き方を選ぼうとする娘を、父は、あのピカの時も「じゃんけん」をして娘に勝たしてでも、その場から逃げろと指示したと言うくだりで、「最初はグー」から、父はずっとグーを出し続け、娘にパーを出せば勝てるからと示唆し、その場を立ち去り難き娘を、逃がしたのである。

 しかし、その時の自分の行動、つまり父を「ほっといて」、その場を立ち去った娘の脳裏に残る罪悪感は相当なもので、容易には捨て去ることの出来ない重たいプレッシャーとして、「生きている」自分の生き方を大きく制約することとなっていたのである。

 人間の尊厳とも言うべき生と死の葛藤の中で、偶然生き延びた者が背負った重荷は、想像以上に重たく強いものであり、その自縛から抜け出せないでいる娘に、「おとったん」は幽霊として、その生活の場に暫し登場して、娘の心を紐解いて行くのであった。

 「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と語る、宮沢りえ演ずる美津江の、その時代の日本女性としての美しき姿には、見る者全てが感動してしまうほどの「女性美」を感じざるを得ないのではないだろうか。

 実は、登場人物としては、この二人だけではなく、図書館に原爆資料を集めにやってくる、美津江に好意を抱く青年、木下正役として、浅野忠信も出演しているのだが、最初に図書館を訪れる時と後2シーンに登場するだけで、台詞も少なく、宮沢と原田の二人芝居の様にも感じる映画だが、全くユニークな俳優の印象が強い浅野が、真面目な好青年を演じていて、刺身のつまの様な存在感であった。

 深い心の傷は、簡単には除去できるものではない。JR福知山線の電車脱線事故や20年前になってしまった御巣鷹山のJAL機の墜落事故、多くの事故や戦争の犠牲者達の鎮魂と残された遺族の苦しみと重荷は、何年経っても消えることは無いのである。

 絶対に、地獄の戦争を繰り返してはいけないのだ。戦争から60年も経つと、その事実や歴史が風化して、何か別世界の出来事の様になっているが、肉親を亡くした遺族の苦しみと寂しさは、永遠に無くならないのである。

 ぜひ、「父と暮らせば」を観てほしいものである。

 
コメント
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