ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

海の日って、きな臭いな!

2005年07月18日 | 季節の話題
 「海の日」と言われても、我々には、どうも夏到来で、海にでも海水浴や遊びに行くのに絶好の季節の開幕と言った感じなのだが、どうも何故、この日が「海の日」なのか、少し紐解いてみようと思ったのである。

 どうも私の第六感では、きな臭い匂いが漂ってくるのであるが、「海の日」自体は、日本の祝日として一番歴史が浅く、1996年から国民の祝日となったのだが、7月に祝祭日が一日も無かったので、無理やりつくった感じの祝日と感じている。

 そもそもは、7月20日が「海の記念日」としてあったそうなのだが、2003年から
、7月の第3月曜日となり、少しでも土日に続いての三連休を増やす目的で、成人の日や建国記念日、敬老の日などと共に、全くその日と関係ないのに、祝祭日とされてしまっているのである。

 海の記念日は、1876年に、明治天皇が東北地方の巡幸をし、それまで軍艦で渡航されていたのを、灯台巡視の汽船「明治丸」で初めて航海し、横浜港に帰港した日が7月20日だったということから、1941年に逓信大臣、村田省蔵の提唱で制定された日に拠るらしい。

 たいした根拠たる理由では無いが、海運や船舶に関するお仕事の方々には、「海の記念日」として記憶されていたらしい、ただの記念日であり、国民の祭日にするほどの理由だとは思えない、やはり7月に1日くらい祝祭日を、とした経済や消費を高めるための、政府の思いつきの祝日に過ぎないのである。

 しかし、本日7月18日は、7月第3月曜日ということだけで、「海の日」として休日化したたけの日なのだが、実は61年前の今日、7月18日は、あの大東亜戦争をしかけ、多くの国民、アジアの人民の悲惨な戦場を演出した,東条英機内閣が総辞職した日だったのである。

 第二次世界大戦の末期として名高き、サイパン陥落の責任を取って、東条英機内閣が総辞職し、小磯,米内協力内閣が成立し、対策に苦慮したが、ビルマや、太平洋沿いのアジア諸国での抵抗にもあって、戦況は益々不利となり、レイテ島沖海戦、が日本海軍の最後となり、1945年になると東京、大阪大空襲として本土が焦土と化し、4月には沖縄での地上戦が6月まで続いて、8月の広島、長崎への原始爆弾の投下で、連合国に対して無条件降伏で8月15日に敗戦となったのである。

 まさに地獄の本土決戦を前に、今A級戦犯として問題の靖国神社に合祀されている、歴史上の人物と化している東条英機内閣総理大臣の総辞職と言う、やはりきな臭い日々との関連が浮かびあがってきたのである。

 明治天皇の巡幸などと言う、日本国民にとっては触れることの出来ない、宮内庁行事に端を発していると言うことは、庶民の生活とは全く関係のない日であることが、明白な事実だと確認できるのである。

 「海の日」は、海の安全を祈願する、海開きの日である。
コメント (1)
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