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ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

『抱きしめて笑湖』

2010年01月11日 | ガリバー旅行記
 私ガリバーが今までに会った何千、何万の人たちの中で、今でも年賀状を含め時折いろんなお知らせや便りが舞い込む人が何百人もいて、その中でも飛び切り元気と言うか、いつも新たな挑戦をしている人が何十人もいる。

 今年も全国各地からいろんな年賀状が届いたが、ここでは二人の男性の活動というか呼びかけ、イベント、仕事を紹介したいと思います。

 まずタイトルにした「抱きしめて笑湖」とは、何十年も前に出会った元気なユニークな親父の和田さんが当時提唱していた「過疎を逆手に考える会」が発展的に大きくなって、今や過疎の町であった広島県総領町も、平成の大合併で市になってしまったが、相変わらずの過疎には変わりがないはずであった。

 しかし、この地で多種多様な元気の出るイベントを中心に仕掛けるグループが、今年五月四日の休日「緑の日」に、中国山地の中で限界集落が目立つ地域にある「灰塚ダム」建設で作られた「ハイヅカ湖」を人と自然が元気な湖域とするために「笑顔」が必要と、「笑湖ハイヅカ」と名づけて、笑顔とエコも内包した一大イベントを企画しているのです。

 その名が「抱きしめて笑湖ハイヅカ」で、元気のない日本、元気のない地方を何とか勇気付けるために、ハイヅカ湖を笑顔あふれる三万人の人たちで取り囲もうという企画なのです。

 周囲30キロを3万人の人の手と笑顔で繋いで抱きしめる計画で、「お金が一番」のものさしでは馬鹿げた営みですが、こんなことを面白がる人間が集まれば、人も自然も元気を取り戻せるかもしれません。

 参加費は1人1000円で、2010年5月4日正午に、庄原市総領町、三次市三良坂町、吉舎町にまたがる周囲15箇所に2000人規模の拠点「夢舞台」が設置され、フリーマーケットや出店、パフォーマンスが展開されます。

 3万人が正午より三分間手を繋ぐ感動の共有、五分以上続けば最高だと主催者は計画、準備されています。

 お問い合わせ、連絡先は、実行委員会0824-44-4109、事務局長が私の友人、和田芳治氏 0924-88-2618です。

 もう1人は、78歳の新人社員として、生涯現役をモットーに、「安心いきいきセミナー」などの主催、講師、司会などで活躍するコピーライター、エッセイストの岡田厚美氏で、彼の積極的好奇心は、いまだ衰えを知らず、演劇、物書き、パフォーマンス、何でもこなす高齢元気人なのです。

 彼は挑戦し続ける夢を追い続けており、自分史を語りながら、東京、仙台、京都、そして現在大東京の空の下で、活躍されていますが、昭和20年3月10日の東京大空襲が人生を大きく変え、宮城県石巻市に疎開され25年、郵便局に就職後、広告代理店を中心にコピーライターになられ、小説を書いたり、遠藤周作氏の主宰された素人劇団の樹座に入団されたり、38年ふりに帰った東京で78歳の今日も意欲的に活動されている方です。

 おふたりの元気と勇気にエールを送り、見習いたいと思っています。
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「幸せって何だろう?」

2010年01月10日 | ガリバー旅行記
 今日は久々に京都に出る用事があって、最寄の近鉄の駅まで妻に送ってもらって、新春初の電車のプラットフォームに立った。

 京都行き急行が来るまで少しだけ時間があったので、駅中央にある待合室風のブースに入ると、数年前にご主人が亡くなられて以来、ほとんどお会いしなかった70代後半の女性に会ったので、ベンチに座ったまま亡くなられたご主人が著名な方だったので、故人や息子さん、娘さんの話を聞いた。

 そこへ、同じ住宅地にお住まいの私と同年輩の知人のご主人が大きな旅支度をキャリーで引きながら入って来られたので、軽く会釈をして新年の挨拶をしつつ話し出し、京都駅への途中駅までいろいろと息子さんのお話や「幸せ」について話をしたのであった。

 ちょうど、駅の売店で買った週刊誌「AERA」を後で覗いてみると、特集記事として「幸せ」にすがらない。というタイトルの記事が掲載されていて、30代、40代男女の自分が「幸せ」に出会うまでが語られていて、アンケート調査としての1200人もの「幸福感」調査も掲載されていた。

 冒頭の「明石家さんま」が唄う、キッコーマンのCMソングではないが、「幸せって何だろう?」と考えさせられる半日となったのであった。

 京都へ久しぶりに今年初めて出かけたのは、二つの目的があったからなのだが、ひとつは毎週八百屋として訪問する宇治の小さな障害者作業所の仲間たちが月に一度練習して教わっている「書道」の先生たちとの新春書道展が三条近くの会場で催されていて、昨年も鑑賞させていただいたのだが、少しだけ「書道」に興味を持つ者としても時間が許せば観たいとのことで出かけたのであった。

 とても動きのある大小、濃淡など変化のある書に、絵まで描かれている作品もあって、ただ「書の極意」と言った作品や完成された作品と言った感じのものだけでなく、いたずら心や幼くても素直に描かれた「字や絵」がとても語るように、また踊るようにも描かれていた作品に感動すら覚えたのであった。

 心の鼓動、息遣いをそのままに筆に乗せて無心で書く「書」の心根が観る者にも素直に伝わってくる「書」の数々は、決して上手、下手と言った評価だけでなく、素晴らしい人の業を感じることが出来たのであった。

 お昼前には京都駅で中国、内モンゴルからやって来た留学生の女性のナラと弟のオラに久しぶりに会って、一緒に楽しい食事をした後、彼の京都での下宿先のアパートの契約に立ち会った。

 いずれも偶然の出会いや予定していた行動もあったが、人との出会いを通して、やはり「幸せ」を自ら感じつつ、お互いの健康と「幸せ」を確認した出会いでもあったように強く感じている。

 「幸せって」、自分が自分らしく行動できて、自分らしさを発揮できた時に、一番強く感じるもので、決して大きな出来事や経済的豊かさだけではない、普通の日常の中にいっぱいあるものだと改めて感じることが出来た半日であった。

 ありがとう。今日出会った友達、知人、初めて会った関係者たち。感謝です。
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八百屋の面白さ。

2009年12月19日 | ガリバー旅行記
 私が有機、無農薬八百屋を始めて、何と15年がいつのまにか過ぎ、週末だけの移動販売という、とってもけったいな八百屋としてやってこれたのは、ひとえにお客様のお陰なのだが、年の暮れも近づいた昨日の夜と、今日一日、約50軒のお宅を訪問して、おしゃべりのしどうしだった。

 もともと他人様とお話するのが大好きな私なので、ついつい八百屋の商売?を忘れて話込むこともしばしばで、たくさんの楽しい話や知恵や情報もいただくことになるのである。

 先日も、あるお家に伺ってご年配の奥さんと話していたら、お嫁さんが車で帰ってこられて、「ういろは売り切れやった」と告げられた。

 まだ朝の11時過ぎなのに、「もう売り切れてしまう外郎とは?」と思ったので、尋ねてみれば、とんでもなく美味しい外郎で、名古屋の○○ういろなんかより、とっても美味しく、ここのを食べれば他のウイロは食べられないと言うのであった。

 そこで、早速インターネットで調べて予約して買いに走ったのだが、白と黒の二色の外郎のコクのアル美味しさに納得といった感じであった。

 しかし、進物にその美味しい外郎を贈ろうと箱詰めで白黒十個づつ買ったのだが、なにせ「生菓子」なので、賞味期限が三日しかないと表示されていたため、遠方へ宅急便で送っても、着いた日しか食せないのでは、先様には失礼かもしれないと思い、贈り物とはせず、八百屋のお客様に食べてもらおうと箱ごと持参し、数箇所でプレゼントし喜んでいただいた。

 
そんなこんなで、八百屋の商売から端を発したとは言え、いろんなお客さんの家でお菓子をいただいたり、中には「ちょっと小腹が空いたでしょう」と「お茶漬け」や「お握り」「お寿司」「デザート」を頂戴し、珈琲やお茶を共にして駄弁ってしまうこととなるのである。

 今日のお話のヒットは、やはり若いおばぁちゃんのお話で、ひ孫の男の子が家にやってきて、あまりバタバタと歩き回るので、「この子は何で忙しいのかいの?」と言ったというエピソードであった。

 私にも三歳手前の孫がいて、彼は我が家に来るとすぐさまに台所に出向き、テーブルの上の果物や菓子、時には食べ物を見つけては「○○たえる!」と言うのであるが、ちっともジッとしていることなく、小さいなりにトコトコと歩き回っているので、90歳を過ぎた大ばぁちゃんの「独り言」の様なクレームがよく分かる気がした。

 それにしても、新型インフルエンザが相変わらず流行っていて、お客さんのお子さんたちも次から次へと高熱に魘される一夜を送られたケースも聞いた。

 熱が出たが医者には連れて行かなかった晩に、40度を超える熱になり白目をむいて焦点の定まらない眼差しでふらふらになった我が子を見て、医者に行かなかったことを後悔している時、夫が近くのドラッグストアに飛んでいって、風邪薬のシロップを買ってきたが、我が子は飲まず、夫がやむを得ず飲んでいたという笑えぬ話もあった。

 とにかく、日常生活の中にある多種多様な悲喜こもごもの現実は、八百屋でなくても面白い、とにかく楽しい話が盛りだくさん聞けるのである。

 
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「野菜の生の美味しさ」

2009年11月15日 | ガリバー旅行記
 東京への弾丸ツアーを終えて京都に帰ってきて、すぐにいつもの週末の有機移動八百屋で一日半走った距離は、約150キロであった。

 一応、八百屋ガリバーと称しての無農薬、有機農産物と無添加食品の移動販売を始めて今年の秋で15周年を迎えたのだが、お客さんの要望や感想は千差万別であり、牛乳、豆腐、卵だけのお客さんもいるが、野菜を買っていただくお客さんは少ない。

 そんな中、やはり「日本の農業」を考えると、少なくとも無農薬、有機栽培か減農薬の野菜づくりをしている農業者や農家がもう少し増えなければ、安全、安心な農業とは言えないのではないかと思っていたのだが、今回の大江戸訪問の旅で偶然見つけた「生の無農薬野菜を食べさせる店」に感激と共に将来の日本農業の少しは光を見た感じであった。

 たまたま久しぶりの東京に興奮気味に、あっちこっちとお上りさん感覚で出かけようと早朝から乗った地下鉄の駅で無料配布されていた「東京メトロニュース」と題する小冊子に、東京でいただく、新鮮・安全な野菜たち。「畑のあじわい」特集があったのだ。

 「おいしい野菜をぜひ!」と薦める表紙のお姉さんの誘いで中を覗くと、野菜のおいしさ新発見!とした見出しで、数店の自然食品店や園芸センターと共に八百屋カフェとレストランが紹介されていたのである。

 これもひとつの出会いだと感じた私は、どうせ昼食を食べるなら、ここで紹介された店を訪ねてみようと思って、都心のど真ん中の新宿三丁目にあるという「農家の台所」という屋号の店を訪ねたのである。   

 東京の地代では一等地の新宿三丁目の地下鉄駅を降りてすぐのビルの四階に目指すレストランはあった。

 狭いエレベーターを降りると若いお姉さんが店に案内してくれて、珍しい野菜やブランド野菜の個性わ豊かな生のままのサラダを自由に取って食べる「サラダバーつきの野菜四倍日替わりランチを注文して、ゆっくりと楽しんで食した。

 地域の風土や野菜の特性、生産者のこだわりなど、無農薬、減農薬、有機栽培の野菜たちが盛りだくさんに並んでいて、その生産者である若い青年たちが写真入りの選挙ポスターの様な形で紹介されていて、全国200ほとせの契約農家からの朝取り出荷で仕入られているそうなのであった。

 店のコンセプトからレイアウト、そして古い木調の佇まいを感じる落ち着いた店の雰囲気の中、平日のランチ時なのに、若い女性たちを中心に満員の盛況であった。

 シンプルで生の野菜たちをステック状や切っただけのいでたちで並んでいる「サラダバー」には、珍しい野菜や、生で食べるの?と思ってしまう野菜もあるのだが、塩、ゴマダレ、醤油などのタレや味をつけて食べると、何とも素朴な野菜の味がして新鮮かつ嬉しくなる美味しさであった。

 こんなコンセプトの店が、イマドキの若者たちや健康、ダイエット、美指向の女性たちには支持されるのだと驚きつつ、これらをコーディネイトしプロデュースしている人たちのセンスとネットワークに拍手を送りたい心境であった。

 日本の農業の未来も決して悲観することはない、新しい光の一部が見えた気がした。
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「白いウンチ」、胃透視検査。

2009年11月14日 | ガリバー旅行記
写真の「黄色いウンチ」は、ご存知の方も多いだろうが、あの「アサヒビール」の東京都墨田区の本社ビルの上に座している巨大モニュメントと言うべき広告塔でもある。

 巷ではたぶん「黄色い巨大なウンチ」と言われているであろうが、本当のところは何をイメージして製作された物か不確かだが、間違いなく近くを通った者にとってはインパクトのある造形物である。

 今回のテーマは、決して「黄色いウンチ」ではなく、皆さんもご経験のある方も多いと思われる、胃透視検査での手法のひとつ、「バリウムを飲む」ことで胃透視カメラで撮影する「胃がん」などの検査をしたからであり、当日の夜から翌日にかけて「白いウンチ」が出るということである。

 昨年は、検査技師の薦めもあって、初めて胃カメラを口からではなく、鼻から入れる手法を初体験したのだが、決して「楽に入りますから」と言われたのにも関わらず、ずいぶん痛さがあり、もう二度と「鼻からのファイバースコープ」は入れまいと思っていたので、今回は通常の「バリウムを飲んでの」胃カメラ撮影を受診したのであった。

 しかし、今回「胃透視検査」の前に看護婦さんか検査技師か分からないが、白衣の女性から「筋肉注射をします」と言われて説明を受けたのだが、これも結構痛そうだったので、受診者が選択できるというので、痛い注射はお断りして「バリウム胃透視」をしていただいた。

 一年に一度の「健康のための定期健診」だったのだが、実は個人的健康条件は最悪と言っていい状態のままでの受診となった。

 というのは、東京への弾丸ツアーよろしく昨晩は疲れたまま新宿からの深夜高速バスで早朝に帰洛したばかりであり、しかも昨晩からの飲食制限をすっかり忘れていて、昨晩はコンサートを観たあと夜9時頃に台湾ラーメンと餃子を食し、深夜バスでのトイレ休憩ごとにのどを潤すコーヒーなどを飲んでしまっていたのである。

 朝方気づいたのだが、時既に遅しで止む無く検査に赴き、尿検査に始まり、血液検査、血圧、聴力、視力、身長、体重、胴囲なども計った上で、問診があった。

 特に既往症や現在飲んでいる薬などはなかったので、医者には健康そのものに見えたと思うのだが、本人は深夜バスゆえの寝不足や体の節々の軽い痛さなどもあり、ナントも癒えぬ「健康診断」となったのであった。

 体調は万全ではなかったのだが、東京へ行く前日と東京滞在中の検便用の少量の便とは全く違った、胃透視バリウム検査後の「白いウンチ」が何故か楽しみとなった。

 昨日の昼過ぎには「大きな黄色いウンチ」としか見えない巨大モニュメントを観て、デジタルカメラに収めていたのだが、昨晩から今朝にかけては自分の「白いウンチ」を見ることとなったのであった。

 すみません、アサヒビールさんの私には巨大な「黄色いウンチ」にしか見えないモニュメントの本当のイメージは何なんでしょうか、ご存知の方は正しいモティーフをお教えいただけないでしょうか。
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「未来への手紙」

2009年09月10日 | ガリバー旅行記
 アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓十五の君へ~」という曲が支持されていますが、「拝啓、この手紙を読んでいるあなたは どこで何をしているだろう」という歌詞で歌は始まっていますが、この曲は彼女が十五歳の時に「三十歳の自分に」宛てた手紙をモチーフにしたものだそうです。

 私は二十数年前のある時に、沖縄から京都にやって来た青年と車に同乗している時に、突然聞かれました。

 「ガリバーは、いつごろが一番良かったと思いますか?」と。

 つまり、彼は「自分の人生で、いつが一番楽しかったか充実していたか、ともかく一番良かった時はいつごろで、出来ればいつごろに帰ってみたいですか?」と尋ねたのである。

 私は少し間があったが、「うーん、今が一番いいかな」と答えたのでした。

 すると、彼は不思議そうに「ほとんどの大人は、小学生時代とか、高校時代とか、中には幼稚園の頃が良かった」などと言うのに、何故「今なのですか?」とも一度問うたのであった。

 深い意味などなかったが、私には当然いろいろな思い出や経験があり、おもしろかったり、楽しかったりのいい思い出だけではなくて、辛い思い出や思い出したくもない時期もなくはなかった。

 しかし、やっぱり健康で家族、友人、仲間、知人たちの交流を自然にしながら「今に至った」自分の人生に悔いはなく、「今という現在」を生きていることが一番なのだと改めて自問自答する機会となったのであった。

 自分自身は、「未来の自分に手紙を書こう」と思ったことは一度もないのだが、よく考えてみれば、小学時代に宿題か親に言われて書いていた「日記」に始まり、特に青春時代から、何かにつけて「書き綴っていたノート」は、今になって思えば、やはり「未来の自分対する手紙」だったのかもしれない。

 その当時は、日々の悩み、葛藤、問題などを赤裸々に綴っていたり、詩的な表現で書いてみたりと、多種多様な青春や人生の葛藤と生活の小さな出来事を、克明に記していたりしていて、今当時に書いたノートを読み返す機会があったら、ちょっぴり自分の書いたものだが、恥ずかしかったりなかなか大したものだと思ったり、不思議な心境にされるものもある。

 そういえば、自分自身が書く「日記」や「落書きノート」は、その時は自覚していないが、誰か他人に読んでもらう目的ではなく、やはり「自分自身のため」に記していたのだろうと、今になって思うのである。

 青春時代に始まった「ノート」が、いつのまにかワープロでの記録になり、今は「ブログ」という形で、「多様な日常に感じた問題や気づき」を、こうして記していることは、他人のためではなく自分自身の心と体を通じて「今を生きている証」として日々の生活の一部と化しているみたいである。

 私にも娘と息子がいて、それぞれ結婚をして幸せに暮らしているが、子どもたちの成長期に、父として「娘に」また「息子」にと「手紙」のような形で、素直で短い願いと祈りを記したことがあった。

 今、その娘も息子も、私が彼女や彼に父として記そうとした年齢を越えているみことを思えば、娘や息子も同じように「子どもたちや両親」に手紙を書きたいと思う年齢になっているのかも知れない。

 
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黒部ダム!!

2009年08月21日 | ガリバー旅行記
 雨と風が激しく降り注ぐ中、長野県大町市側の扇沢から、関西電力のトロリーバスに乗って、黒部第四発電所に向かった。

十数年前からチャンスがあれば一度は実際に見てみたいと思ってた、関西電力最大の黒部峡谷の黒四ダムに今朝初めて行くことが出来たのである。

何故行きたかったかというと、ひとつは我々の関西地方の電力を全て担っている関西電力最大の水力発電所であり、あの「黒部の太陽」など映画作品としても紹介された「世紀の大工事」の末、多くの犠牲者を出した現場だったからである。

 その上に、全く私的なことなのだが、私の40年前に亡くなった父が、若き時代に登ったという、この「黒部峡谷」から見上げると凛々しく男らしく聳え立っている「立山」の姿を見上げてみたかったからである。

 父が私が幼い頃も山が好きで、いろんな登山した話を聞かせてくれたのだが、ある年の冬に「立山」に職場の仲間と共に登山したらしいのだが、北側の傾斜面で滑落し、なんと200m以上滑り落ち、転落死していたかもしれないところが、先を行っていた先輩の「三浦さん」という方が、持参していた「ステッキ」、つまり木製の杖を雪上に突き刺してくれて、滑落がとまって、膝の傷だけで命に別状なく生還できたのだと言うことであった。

 それ以来、私の大阪の実家にあった大きな「雪の立山」の雪渓の写真がいやに気になっていたのだが、親父の死後、心の中では「いつか行ってみたい」と思っていただけで、富山、長野両県に行くことがあっても、黒部峡谷や立山に足を向けるチャンスはなかった。

 今夏の思いつきで、見つけた「バス旅行」に、黒部ダムへ行く信州の旅があったので、妻を誘って行くことにしたのであった。

 あいにくの風雨激しい中、扇沢を出たトロリーバスは順調に黒四ダムの停留所まで運んでくれたが、展望台やアーチ型のダム上の観光道路を歩く頃には、激しさを増していて、帽子も飛びそうだし傘も差してはおれない状態の中、辛うじて「観光放水」を続ける巨大な「黒四ダム」を見学し、頂上は雲に隠れた「奥立山」を見ることができたのである。

 いたるところに、「黒四ダム」の出来るまでの関西電力関係者の努力と、延べ1000万人もの労働者、作業員の必死の努力の甲斐あって、七年余の難工事が完成し、昭和38年に初めての発電を開始したという「黒四の歴史」を学び、200人近い作業員が殉職したという、恐ろしく危険な工事の過程も紹介されていた。

 あの有名な『黒部の太陽』として完成した石原裕次郎主演の「黒四ダム建設」のドラマは、実際の工事から50年近く経った今も、綿々と歴史と男たちの戦いを物語っていて、リニューアルされたドラマも放映されて、再び注目を集めたみたいであった。

 こんな険しい黒部の渓谷に巨大なダム建設を計画した「夢とロマン」は、現実的には死闘の難工事となったのだが、現在の我々の生活を支える大きな基礎ともなっていることを改めて知った。
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上高地で偶然知人と出会う。

2009年08月20日 | ガリバー旅行記
 朝早く自宅を出て、ちょっぴり夏休みを満喫しようと、信州、黒部への一泊二日のバスツアーに参加した。

 高速道路を乗り継いで走り抜けて、岐阜県の高山から長野県の上高地の名高い大正池へと向かった。

 夏の暑さを少しでも回避して、涼しくて快適な信州の名所のひとつである、上高地の大正池湖畔を河童橋を目指して家人と歩いていると、反対方向からやって来た知人夫妻に全く偶然に出会ったのだった。

 京都の自宅から500キロ近く離れた見知らぬ土地で、いくら大勢の人が来る観光地とはいえ、同じ地域の市役所で働いている職員のひとりで、懇意にしていた課長さんに、こんな場所で偶然会うなんて驚きであった。

 まだ京都は日中は30℃を超す暑さの真夏なのに、上高地は涼しくて、23、24℃の快適な気温の中を歩き、大正池や梓川の流氷は、さらに冷たく10℃位の水温で、途中の岸辺で手を入れると、とても気持ちよい憩いとなった。

信州で偶然に出会った市職員の彼には、実は三日前に私が広島の旅から自宅に帰る途中のJR電車の車中でも会っていたので、さらに驚いたのであった。この時は私は声もかけずに確認しただけで降車したので、彼は気づいてはいなかったかもしれない。

この「偶然と思う」出会いについて、実は私が敬愛する歴史地理学の名誉教授の先生の名言だが、「それは偶然ではなく、歴史的必然性の出会い」ということになるのだろうか?

ともかく驚きの出会いもあったが、清清しい信州の涼しい風に包まれて、のんびりと散策できた半日に感謝しながら、明日は黒部ダムを見に行く予定なので、ぼちぼち休むことにする。

いろんな「出会い」や「出来事」に私たちは遭遇するのだが、先生の言われる「歴史的必然性」を信じながら、楽しい旅を続けたいものである。

 皆さんも、決して「偶然ではない」出会いや出来事に端を発しての「縁」や「きっかけ」が実を結んで、今良き伴侶を得て幸せな生活をされていたり、友人、知人、恋人との出会いを楽しんでおられることも多いのではないだろうか。

 私たちの勝手な思い込みだけで「偶然」なんて思っている「出会い」や「出来事」が、大きな力や意思で結実した「歴史的必然性」に富んだことであったとすれば、より感謝と共に大切に「その方」や「その出来事」と共に歩まねばならないと思うのである。

 私にとって、将来の「何か」を連想させてくれる「出来事」だったかもしれない「出会い」を決して「偶然」と思うのではなく「大切な出会い」として記憶しておこうと思ったのである。
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明日は広島。

2009年08月14日 | ガリバー旅行記
 お盆休みも早やUターンラッシュが始まったとテレビは伝えている。

 甲子園球児たちの熱戦もたけなわで、今日は近畿勢同士の和歌山智弁学園が初出場の滋賀学園を破った。

 暑さはちょつと油断していると熱中症になってしまうほどの気温は35度前後を行ったりきたりである。

 私もご他聞に漏れず、『夏休み』をとった。

 しかし、今夏に計画していた「モンゴル縦断の旅」は、バイカル湖周辺のブリヤートモンゴルへ行くためには、ロシアのビザが必要ということで、田舎町のホテルの予約と共に、個人旅行の手配は難しく、今回は延期することとなった。

 そこで予定より一週間遅れての「盆休み」をとって、広島、福山方面に一人旅をすることとなった。

 戦後64年経った今夏の終戦記念日、つまり明日8月15日を広島で過ごそうと想いたったのである。

 深い意味はないが、私たち戦後生まれの団塊の世代にとって、還暦を過ぎて健康にいきいきと暮らせることの感謝と共に、日本の昭和史に大きな汚点と反省点を残すこととなった「大東亜戦争」と位置づけた『日中戦争」から始まり、太平洋戦争とした敗北した「第二次世界大戦」の国内では最大の焼土と化した、世界初の原爆に見舞われた「広島」を思うことで、いろいろな「いのち」と「戦争」の現実を考えたいと思ったのである。

 しかし、いざ出発となると、「広島」の魅力は、決して「原爆ドーム」を象徴とする平和記念公園だけでなく、牡蠣や広島焼きなどの食べ物や県立美術館やアートな美術館めぐりも魅力だし、世界遺産に指定された「安芸の宮島」も観光地として有名である。

 特別な目的はないのだが、ふらっと「広島」を訪れてみて、風の吹くまま、気の向くまま一人で歩いてみようと考えている。

 夜行バスで早朝に広島に着いてから丸一日とちょっと、どんな広島を体験できるだろうかと、わくわくしているのだが、京都への帰路には小学時代からの友人を福山に訪ねて、出会ってからのお互いの50年をゆっくり語り明かそうと願っている。

 一昨年の冬に亡くなってしまった親友の愛妻の追悼の気持ちもゆっくりと示しつつ、お互いのこれからの「余生」いや、これからの「活躍」を期したいと思うのである。

 小学生時代から中学校に至る数年間は、お互いに性格は異なっていても、何かとライバル視した面もあったり、全く違った考え方で議論したこともあったが、もうこの歳になったら、遠慮なくお互いの胸のうちを語りながら、あまり飲めないのだが、ちょっと一杯できるのではないだろうか。

 広島の旅は、私にとっての「お盆」、父や友人、先輩、知人たちの先に逝った人たちを想う時でもあるが、残されし元気で生き続けている私たちの「成すべきこと」、または「なせること」を確認する機会となるように想うのである。

 明日は「広島」、さて今から出発しよう。何が待っているか、とっても楽しみである。

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格安航空券

2009年07月31日 | ガリバー旅行記
 皆さん、子どもたちは夏休みですが、大人の夏休みの予定、計画はいかがでしょうか。

 私も毎年の様に「夏休み」をいただいて、海外へと旅立つ習慣になっているのですが、今年はちょつと事情が違って、このブログでも告知した様に「モンゴル族を訪ねる旅」を計画していたのですが、生憎ロシアのブリヤート族を訪ねるためのビザ取得がうまく行かず、今夏の海外の旅を断念しました。

 それにしても、国内、海外を問わず、航空チケットの価格がとんでもなく違うとでも言うべきか、格安チケットと正規のチケットとの差が著しく違っていて、旅の費用が倍以上違うことも結構あるのです。

 今年の夏の旅の予定が決まらないので、いろいろとネットで調べてみると、たとえばベトナムのホーチミンへと飛ぶとしても、一番安いチケットは32000円ほどですが、それを逃すと旅行客が多い、お盆周辺になると何と12万円強と4倍近くになってしまうのです。

 どうしても、この日、この期間しか旅行や所用の旅ができない場合はやむ得ませんが、スケジュールに余裕があったり、いつでも良かったならば、とんでもなく安い航空チケットを利用しない手はないと思います。

 先日沖縄に家族で旅行された私の友人の話だと、三泊四日で航空運賃と宿泊代で、一人10万円以上かかったと言うのですが、今日の新聞の広告によれば、ラストサマー沖縄スペシャルと題した2泊3日の宿泊付往復航空券が、なんと23800円から、39800円ですから、絶対お得ですよね。

 私の息子夫婦が沖縄に住んでいますので、家人も時々行きたいと言うので、秋にでも行こうかと思っていたので、ちょうど安い航空チケットで夫婦そろって沖縄に3泊4日の旅をしても豪華ホテルに泊まって、一人3万円と格安なのです。

 海外に旅立たれる皆さんも、既に利用されたり、検討されていると思いますが、庶民が旅行するには、こうした格安チケットを利用して、楽しく割安に旅をするのがコツではないでしょうか。

 急がば回れではありませんが、緊急の用件や仕事の旅はやむ得ませんが、じっくり研究したり調べた上で、安く上手に旅することが肝心ではないでしょうか。

 職場の同僚で若い奥さんは、夏休みに「台湾」にご主人と共に旅行をされるそうですが、何と大阪関空と台湾台北間の往復チケットが、一人9000円だそうで、東京へ新幹線で片道行くより安いとご満悦でした。

 夏休みの国内旅行も海外旅行も、ゆっくりと検討したり調べた上で計画すると、とんでもなく経済的に旅することが出来るわけです。

 とりわけ、現在の経済状況下での旅行は、我々庶民にとってのささやかな楽しみなのですが、家計に打撃を与える様な無理をせず、たとえ近場でも意外とお金がかかる旅行よりも、じっくり考慮した旅で、ばっちり、がっちり行きましょう。

 いつの間にか、モンゴル縦断の旅が、沖縄の息子夫婦に会いに行く旅にチェンジしそうな、今年の夏休みとなりそうです。

 暑中お見舞い申し上げます。
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