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ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「汚職・贈収賄」

2009年02月24日 | ちょっと可笑しいよ
 一年に何度となく新聞の一面トップを飾っているのが、なんと「汚職」「贈収賄」である。

 特に多いのが、公共事業に関しての入札に絡む情報の漏洩に対する謝礼としての「贈収賄」事件なのだが、先だっても兵庫県宝塚市の現市長が逮捕され、前市長の贈収賄事件の発覚で辞職した市長職を選挙で当選した新市長がまたもや贈収賄事件で逮捕されるという前代未聞の実態が暴露された。

 私が16年間にわたって市民派とでも言うべき無党派、無所属での町議、市議をしていた間でも、何件かの汚職、贈収賄事件が起きていた。

 今から十数年前の事件であるが、当時の役場の課長、係長職の人間が、ある議員の口車に乗って、一般市民の死後の遺産をめぐる相続税を少なくしてあげるとの誘いで、その謝礼に多額の現金の授受を行い、公務員としてあるまじき行為として、職員二人は懲戒免職となった。

 しかし、その事件の背後で多額の現金の授受に関与したと思われる当時の現職議員はなぜかうまく逃げたらしく逮捕も摘発も受けなかった。

 その当時の内情を知る、ある他の職員は自分の立場があるのでと口を閉ざしてはいたが、暗に口封じや警察の調査もあったが言わなかったと供述している。

 つまり、役所内外での自分の立場を保全し、事実よりも将来への計算も含めて、「損か得か」の判断基準で真実よりも「うそ」もしくは「黙る」という姿勢を貫いたと言っていいだろう。

 また数年前に発覚した事件では、市役所に出入りする業者から、随意契約の美味しい仕事を約束し、その見返りに現金数十万円や飲食などの接待を業者から受けたとされる元教師の現職の職員が逮捕され、贈賄側の業者の元社長も逮捕、起訴された。

 つい先日、その逮捕され起訴された元市職員の姿を、ある町で目撃したが、たぶん人目をしのんで新たな仕事に出向いていると思われる姿を見たが、ちょっとした出来心からの誘惑に負けたのかもしれないが、公務員という安定した収入と地位を失った代償はとんでもなく大きかったはずである。

 新聞やテレビで報道される、子うした贈収賄、汚職事件の度に感じることなのだが、公職についている人だけではないが、何故に「口利き」や「斡旋」などで、密室化した約束や漏洩を伴った金銭や利害の授受に至ってしまうのだろうか。

 確かに誰もが、この経済社会で生活している身なのだから、少しでも良い収入を得て、いい暮らしをしたいと思うことはあると思われるが、どう考えても違法であったり、自分だけの利害を考えた「ずるいやり方」で得を得ようとしてしまうのだろうか。

 多くの場合、年収や生活面で、どう見ても庶民の生活感覚から考えると十分な金持ちであったり、エリートと称される立場の人たちが、こうした事件の犯人、容疑者であることが多い。

 人間の欲、特に金銭欲はとどまるところをしらないのだろうが、「足るを知る」こと、身の丈の経済の中で、楽しく幸せに生きる「生き方」がたくさんあるのにと思うものである。

 なくならない汚職、贈収賄を不思議に感じると共に、「足るを知る」精神を大切にしたいと思うのである。
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「下駄を預ける」

2008年09月21日 | ちょっと可笑しいよ
 昔は自分の家にお風呂のない頃、近くのお風呂屋さん、銭湯に行くのが当たり前で、風呂屋に行くにはすぐに預けられて帰りは風呂上りの足に下駄が気持ちよかったので、よく「下駄を預けた」ものである。

 最近は、下駄なぞ履く機会がめっきり減ったのだが、ファミリーレストラン的な「かごの屋」さん等では、玄関で靴や履物を脱いで、下足札のついた靴箱に「下駄を預ける」方式のお店もあって、昔懐かしさを感じることがある。

 今回の「下駄を預ける」は、そんな下駄ではなく、私の地方議員生活での最初の当選後のいわゆる「会派」と呼ばれる、議会内的なグループづくりへのお誘いの時のお話である。

 1991年に私自身の人生の新たな転機として、突如その当時の町議選への立候補を決め、準備に入った頃、私のことを唯一「ガリバー」と呼ぶ顔見知りの先輩議員がいた。

 彼は、当時は議会のボス的に言われていた御仁で、私の立候補を知った後、初めて出会ったときには、「ガリバー、選挙はそんなに甘いもんやないで、でも票が足らんかったら、分けたるさかい」と言う迷言を吐いた人でもある。

 4月の下旬に選挙が終わって、幸い多くの得票を初めてなのに頂いて、晴れて当選が決まった後の臨時議会開催前だったと思うが、そのボス的先輩議員から、名指しで彼の部屋に呼ばれたのである。

 何を勘違いされたのか、彼は私に向かって「ガリバーも俺と同じような考えだと思うので、自分に下駄を預けてくれ!」と言うのである。

 これは、全く予期せぬことだったのだが、彼は私を彼が中心の議会内会派で、与党的保守系グループの一員に誘ったのである。

 私は、すかさず返答ができなかったのだが、しばらくして「すみません、最近は下駄を履く機会もなく、スニーカーばっかりなので、預けられません」などと訳のわからぬ対応をしたのである。

 つまり、彼らは自分たちの会派の人数を一人でも多く獲得し、議会内での勢力を強くし、議長選挙をはじめとする役員ポストや委員会構成での都合のいい役割を独占するために、私にも仲間になれと要請したに過ぎないのであった。

 私は、全く彼らと考え方も政治的スタンスも異なっているし、ましてや私をガリバーと呼ぶ唯一の知り合いであったとしても、これはその当時の仕事場であった子供の遊び場活動に、彼の幼い息子が来ていた縁で知っていただけのことなのである。

 今、その時を思い出して見ると、彼は「片方だけでも下駄を預けろ」とまで言っていたが、いずれにせよ「下駄」や履物を預けてしまえば、身動きが取れない状態になり、自分の主張や考え方で活動できなくなることは間違いないのである。

 明日投開票されるという自民党の総裁選挙も、こうした議員や党員、支部、派閥の中で、「下駄を預けた」票や意思がどんなにか多いことかと思うのである。

 政治的な態度表明だけでなく、誰もが自分らしく考え、決断した意見が表せる様に、決して他人に「下駄を預ける」様な対応はしてほしくないものである。
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「大人になりぃな!」

2008年09月18日 | ちょっと可笑しいよ
 今日、久しぶりに昨春の市長選挙に立候補し、選挙戦を戦った友人でもあるO氏を訪ねた。

 一年半という歳月が経ったが、何の蟠りも無く約一時間いろんな話をした。

 彼は私より少し年上だが、同じ選挙戦を戦った同志と言った感じで話は弾み、現在の市長や市役所の体質、議会、職員資質などに話は及んだ。

 そんな中で、私が16年間議員として無所属、市民派として活動した経験と、いろんな職員、他の議員たちとの議論、相克、対立なども思い出しながら歓談し、ひとつ思い出したのが、この「大人になりぃな!」という言葉だった。

 たぶん私が三期目の当選を決めて議会に足を運んだ時のことだったと思うが、その当時の与党と言うべき会派の先輩議員が親しげに私に寄ってきて、肩を組むようにして言ったのである。

 「貴方もなかなかいいこと言っているんだから、そろそろ大人になりぃな!」と。

 つまり、私が直感したこの言葉の意味は、2期8年、私の議会活動や言動を見てこられた先輩議員は、私たちと一緒に行動すれば、きっと私の意見や提案も、上手に市長に届けて、実現できるようにしてあげるから、という真意だったのである。

 私は、この言葉を聴いて、即座に心の中で「貴方の言うところの大人になったら僕でなくなるし、そんな私を有権者の方々が期待して選んで下さったのではないはずだ」と思ったのである。

 その場は、先輩議員の言葉を耳にしながら、会釈をして何も言葉では返答出来なかったのだが、時間が経つにつれて、徐々に自分が侮られたと言った感情が沸いてきて、いい気がしなかったことを覚えている。

 結局、その「大人になりぃな!」という誘いには全く動じなかった私は、その後も少数野党の一員、いや「一匹羊」の如く、自分らしく自分の目線で、市民の思いを出来るだけ代弁する議員として、地味だったかもしれないが一生懸命に議会活動を行ったつもりである。

 社会的には立派な?大人の一員のつもりなのだが、議会の中の議員先生たちの中では、「勝手気ままな子供の如き議員」だったのかも知れないが、私自身は、「ずっと子供の様な純真さと正義感で活動したい」と今でも思っているのである。

 要するに、彼らの言うところの「大人」とは、適当に同調したり、長いものには巻かれたり、朱に交われば赤くなるのが、立派な常識的な大人なのだろうと推察しながら、私は子供で結構、ずっと子供の心と感性を持ち続けたいと思ったのである。

 あれから10年が経ち、議員でもなくなり一市民として、一平凡な生活者として日々を送っている昨今なのだが、やはり自分らしさの中には、間違いなく彼らの言う「大人になる」資質はほとんど見受けられないのではないかと自ら笑っている自分がいる。

 早く大人になりたいとか大人に見られたいと若い頃、一度や二度は思った人が多いと思われるが、決して「大人になってしまう」ことが正しかったり、偉かったりはしないのである。

 いつまでも「子供心」を失わない「大人」でありたいと思うのだ。

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水道の大きな無駄

2008年07月24日 | ちょっと可笑しいよ
 今日、大阪府と大阪市が「水道事業の統合」に向けて、橋下知事と平松市長が合意して握手を交わしたという記事が報道された。

 学識経験者や企業経営者が参加する第三者機関を設置して、府と市の双方の統合案を検証すると発表したのである。

 私が地方都市の議員として4期、16年間務めてきた中でも、何度も水道事業についての提案や質問をしてきたのだが、普通の議員はほとんど全くと言っていいほど、特別会計でもある「水道事業」に関しては質問も無ければ、疑問も感じていなかったようである。

 私の町の場合は、三重県の高見山に源流を発する母なる大河、万葉の時代には「いづみ川」と呼ばれた「木津川」が流れているし、京都府南部の山城地方には「京都水盆」と呼ばれる巨大な地下水脈があるという。

 そこで、私は、この地下水の有効利用を原則とした「公共水道」の安全性と需要量を満たす「水道事業」の安価で安心な事業発展を基本とした提案や問題提起を繰り返してきた。

 しかし、市は木津川から供給される「京都府の府営水」なるものを大量に購入し、「これらの「原水価格」が高くつくので「水道料金」は安く出来ないと説明を繰り返している。

 なぜに高くつくのが分かっている「府営水」なるものを大量に購入しなければならないのかというと、府からのお仕着せに近い市への割り当て、つまり強制的な買取を契約、約束されているからである。

 何ゆえ、大きな水瓶と呼ばれている「京都水盆」なる自然の水タンクを持ちながら、これらの水は民間企業などにほとんど限度無く使用させておいて、公共水道への給水原水は、木津川からの決して質のよくない表流水を使用しなければならないのか。

 それは、昭和年代に計画された「水需要と供給計画」に基づいた上流の「高山ダム」をはじめとする「水源開発」などに巨額の税金が借金としてつぎ込まれているために、その借金の返済のために、わざわざ良質の「地下水」の利用は制限してまでも、木津川の表流水を同じ自治体同士で取引して「高い水」を購入させられているのである。

 こうした現状は、どの地方にも現存している目と思われ、京都府下の長岡京市や向日市でも同様の問題提起があったと聞いている。

 今回の大阪府と大阪市の水道事業の統合がうまくいけば、なんと2500億円もの経費が節約される可能性があると言われていて、今後こうした自治体の無駄をなくす統合政策や民間委託も視野にいれた「水道事業の見直し」が大いに活発に議論されるべきだと痛感している。

 近畿圏では無駄なダムの建設などをなくそうと民間の諮問機関が答申しているのに、いまだ国土交通省と政府は「ダム建設」の推進に躍起になっていると聞く。

 無駄な大型公共事業をやめて、税金の有効活用と共に、民間経営感覚を取り入れた事業の縮小、民営化、公的事業からの脱却の検討が先決である。
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市長選挙の選挙活動終わりました。

2007年04月22日 | ちょっと可笑しいよ
 一週間の京田辺市長選挙の選挙活動、おかげさまで元気に終えることができました。

 皆様のご声援、ご支援を心から感謝申し上げます。

 結果は、神のみぞ知る。

 投票に行ってくださいね。
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「選挙に行ってひとやすみ」

2007年04月05日 | ちょっと可笑しいよ
 只今全国で、統一地方選挙の真っ只中です。

 我が京田辺市でも「府会議員選挙」の終盤戦に入っていますが、我が京田辺市のシンボル的な「一休さん」の銅像も、選挙管理委員会のお手伝いをしています。

 近鉄新田辺駅西口、JR松井山手駅、そして京田辺駅西口に立っている「一休さん」の銅像は、「選挙に行ってひとやすみ」という襷をかけて、お掃除姿で呼びかけているのです。

 私は統一地方選挙の後半戦の「京田辺市長選、市議選」の告示日4月15日を前に、土日を除く毎朝、市内の近鉄、JRの駅頭に立って、「おはようございます。市民派、無所属、たちばな雄介デス。お仕事、学校ご苦労様。行ってらっしゃい! 市政を変えましょう!」と挨拶を繰り返し行っている。

 今朝は写真の「選挙用一休さん」に見守られて、JR京田辺駅西口の駅頭に、手伝ってくれている同大生と共に、きれいなシンボルカラーの水色のジャンバーを着て、声を張り上げて「ガリバー通信臨時号」としてのビラを配布していたのである。

 気持ちよく「行ってきます!」「ご苦労様」と返答を返しつつ受け取って下さる方、目で拒否される方、走りすぎて全く関心を示さない方など、多様な反応がある中で、嬉しいエピソードや愉しい会話もある。

 そんな中、今朝はとある地元企業の新人社員の送迎用バスが駅ターミナルで停車し待機していて、人通りが少ない時に話していたのだが、突然駅へ向かう人たちに気づいて、私は「おはようございます。市民派、たちばなです」「気をつけて行ってらっしゃい」と言うべきところを、「気をつけて読んでください!!」と言ってしまったのである。

 「気をつけて行ってらっしゃい」と「良ければ読んで下さい」がタブってしまって、「気をつけて読んで下さい!」という新しいフレーズができてしまった。

 ともかく早起きして、いろんな励ましも受けながら、時々失礼をしながらの選挙前哨戦を愉しく活動しているのである。
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4月。市長選まで2週間です。

2007年04月01日 | ちょっと可笑しいよ
 先月30日に、京都府一斉に府会議員選挙が告示され、我が京田辺市でも民主、自民、共産の三党がそれぞれの候補者を立てて、定数2を巡って激しい選挙戦の火蓋が切られています。

 その投票が4月8日に行われた後、統一地方選挙の後半戦として、私達の町、京田辺市では、市長、市議会議員21名を選ぶ選挙が行われるのですが、一般市民の「選挙」に対する関心がもうひとつ伝わってこなくて、「選挙がもう一回ある」ことを、是非知らせたくて、私の活動団体名で「選挙に行こう!」とビラに書いたら、特定の立候補予定者を連想するビラに「選挙」の文字が入ると、選挙違反となる可能性があると、選挙管理委員会からストップがかかりました。

 大量の立候補予定者としての「市議会議員」個人のリーフレットも、府議会議員選挙期間中は、配布できないとの見解を聞いたので、準備している大量のリーフレットと「ガリバー通信臨時号」のビラは、なかなか手渡し以外に配れないという、不自由さの中で、選挙準備を展開してい。

 全国各地で、いろんな選挙が一斉に行われる中、ほんとうに「公職選挙法」という、法律が選挙に出で、行政の監視と政治を変えようとする勢力、個人に対して、後世かつ正々堂々とした「選挙の事前準備」を妨げているのではないかと思うような実態が感じられます。

 京田辺市市長選挙と市議会議員選挙で、新しい「市政が変わる」きっかけとしたいと思う私たちの願いが、春風と共に、多くの市民、有権者に届くかどうかは、四月十五日から始まる選挙戦の前の、事前活動とも言える、市議会議員としての議会報告や、「京田辺いきいきネットワーク」の宣伝活動の波及効果が大事だと感じているので、なかなか思うような事前の選挙活動が、多くの制約、法の規制でできないことは、非常に歯がゆい思いでいっぱいである。

 他にも、所謂「個別訪問」の禁止というような選挙での制約は、撤廃すべきであり、候補者もしくは予定者が、個人的にでも「立候補の思い」を個別に語っていくことは当然必要なことなのに、法的には禁止しているのである。

 多くの候補者もしくは、予定者は、連続して住宅街で戸別訪問はしてはならないが、アトランダムに、あっちへ行って、こっちの家へ行く、と言ったスタイルなら許されると解釈して、日夜有権者の家庭への「お願い訪問」を繰り返しているらしいのである。

 私の選挙スタイルにも、決して家庭訪問や個別訪問がないのではないが、出来るだけ多くの人、市民、有権者に本人の考え方、政策、人間性を訴えて、知っていただくために、街頭に立っての「個人演説」を繰り返し行っているのだが、近い友人からは、「もっと個別にお願いして回らないと」と忠告を受けている。

 いずれにせよ、選挙は既に始まっており、正式に告示を迎える二週間後の4月15日の選挙戦突入前に、大勢は決まりつつあるというのが、多くの選挙慣れした評論家市民の言い分となるほど、選挙は事前の取り組みが大事だと言われる。

 さて、後二週間、思いっきり語り、会い、走り、訴えて行きたい「ガリバー」です。
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ついに、選挙告示まで1ヶ月!

2007年03月15日 | ちょっと可笑しいよ
いよいよ選挙の告示まで一月となった。三人目の候補者が本日出馬表明を正式に行ったみたいである。

 私のチャレンジの決断は、先月2月中旬であり水面下で動き出したが、現職議員としての定例議会の一般質問、委員会審議、予算委員会の議論などをしながら、選挙準備に大わらわになり、今月5日に正式に表明し、翌日の新聞各紙で報じられてからは、準備に多忙極まりない生活となった。

 夜は24時過ぎまで多種多様な作業が続き、朝は5時前に眼が覚めてしまう、一種の興奮状態かもしれないが、ともかく考えて、行動して、人と話して、議会での質疑をして、政治団体用の自家用軽四輪の、スピーカー装置や看板取り付け、キャッチフレーズの文字貼り付けなどと、ネットワークのスタートの集会の準備、それを知らせるチラシや選挙へのリーフレットなどを同封した封筒の、別納郵便の準備と、市内りの知人、友人、理解者へのポスティングと休む暇はない。

 季節は春、学校、幼稚園の卒業シーズン、そして入学式に来賓として出席するので、昨日は中学校の卒業式、明日は早朝の八百屋の仕入れの後、幼稚園の卒園式と、式典はスーツにネクタイなので、八百屋の気楽な服装を時には車内で着替えて、ギリギリ間に合う様に車を走らせている。

 選挙用事務所がようやく決まり、明日より事務所準備と併行して市内の知人宅へ
のポスティングを行う予定だが、時間の余裕が無い中でサポートしていただく方々には、お礼を言いたい。

 ネットワークとは名ばかりの体制ではあるが、来週月曜日から正式に事務所が使えるようになる予定で、☏、ガス、電気、水道なども再開させて、自宅の書斎兼、事務所から歩いて三分程の、事務所としての一軒家で告示前の選挙準備に突入する。

 来週からは私の街頭宣伝演説と車載スピーカーからのテーマ曲も流れるようになり、大いに現職議員としての強みを生かした事前活動を開始する予定である。

 3月25日には「京田辺いきいきネットワーク」主催の「市長選への集い」を地元の住民センターのホールで行うので、いろいろ準備も始まっている。

 政治集会や選挙の決起集会というと、応援の政治家やゲストが次から次へと演説するだけで、聴衆にとっては「聴くだけ」のつまらない?集会になりがちなので、私はひと工夫して、ちょっと変わった企画を織り交ぜた集いにしようと思っている。

 会場の立派な花は市役所の課長で友人とも言ってもいい方が、いけばなのグループの達者でセンスのいい方なので、花の依頼を二つ返事で引き受けてくれ、華道としての素晴らしい花が楽しみである。

 また、私が敬愛するが画家の素晴らしい作品の展示と友人のモンゴルからの留学生の女性のモンゴル舞踊と馬頭琴演奏、近くに住む米国人の友人の音楽家のピアノ演奏など、聴衆、観衆としても楽しんでもらえる集いとしたいのである。

 さて、体力勝負の告示までの一ヶ月と、本番の一週間を戦い抜く気力と熱い思いを再確認して、元気に明るく訴えたいものである。
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供託金1200万円消える!

2007年03月10日 | ちょっと可笑しいよ
昨年12月の市議会、建設経済常任委員会での事務調査の中で明るみにでた事件である。

 市内で行われていた、いわゆるミニ開発に関連して、住宅造成工事およぴ分譲販売した業者が、開発申請の過程で、袋小路になってしまうミニ開発住宅地の状況の中で、奥まったところに消防車や救急時の車両などの回転広場を設けることと、出入り口が一箇所しかないので、避難通路を設けることが事前協議で指導されていた。

 都市計画法で設置が義務付けられている災害時用避難通路を整備するため、住宅販売業者と市が覚書を約8年前に締結し、業者は小切手で1200万円を供託金として納入していたのである。

 覚書では、業者は翌年二月までに避難通路を完成させ、市に引き渡すことと、業者が出来ず通路が引き渡せない場合、市が供託金を使って整備するというものであった。

 ところが業者は通路用土地の確保と整備をせず、何と市と土地地権者が土地の賃借契約を結んで、業者が賃料を払うという形で急場をしのいでいたが、五年後に賃料の支払いが止まり、仮の避難通路は閉鎖されてしまい、住民からの苦情が出て、市は金庫に保管されていた小切手を現金化して対応しようとしたが、既に業者は倒産していて現金化できなかったのである。

 とんでもないことである。1200万円もの多額のお金を、小切手という形で預託金として当時の収入役名義で「納入済通知書」まで発行して受け取っていながら、まったく現金化せず、五年間も市役所の収入役室にある金庫に封筒にいれたまま保管されていたという珍事というか、考えられないずさんかつ怠慢な事件が発覚したのである。

 供託金、もしくは預託金といわれるが、業者からの避難通路整備のための担保としての財産であり、公金としての管理、チェックが全く見過ごされていたとしか言いようのない醜態である。

 市民のための住環境整備ならびに安心、安全のまちづくりに従事すべき、市職員並びに理事者が、この事象については、全く無責任な対応で放置していたために、
結局、不便かつ緊急時の避難ルート確保への通路整備に、新たに税金を使って整備をしなければならせなくなったのである。

 商業活動として宅地造成及び、住宅分譲を生業としている業者の、やり得となってしまった対応に、まんまと乗せられてしまったかの様な市の対応は、住民に説明のつかない無駄な税金の出費を余儀なくされることになり、その責任は誰がどういう形で補うのだろうか。

 市は当面、地権者と新たに賃借契約を結んで避難通路の再整備を急ぎ行うそうだが、倒産してしまった業者へり費用請求をするというが、も実質的には無理な状況だと推察される。

 今朝の地元、京都新聞に昨日の議会建設経済委員会での質疑を通じての再確認された事実を下に、大きく「京田辺市、供託金1200万円回収不能、小切手5年放置→業者倒産」と報じられている。
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開発許可って誰のため。

2007年03月08日 | ちょっと可笑しいよ
 写真の緑の人工芝で美しいのは、わが市のほぼ中央部に位置する、新しくできる「防賀川公園」のフットサル専用コートであり、今年の4月8日にオープン式典が予定されていて、5月より一般市民、学生など使用が可能になるという、とっても素晴らしいコートなのだ。

 今朝、議会の建設経済常任委員会の議案審査を前に、現地確認のひとつとして見てきたのだが、二面のテニスコートと共に、駐車場も含めて、このフットサルコートなどが一部使用可能となって、防賀川公園として市民にお目見えするのである。

 私は、この防賀川流域全体としての問題提起を行う中で、防賀川公園の存在並びに意義を問うた。

 というのは、今から20年ほど前になるが、ご記憶の方もおられると思うが、当時の竹下内閣の時代に「ふるさと創生基金」として、全国の自治体に何と一億円づつが政府から提供されて、使用用途は自由に各地方自治体で決めればいいという、自治体にとっては夢の様な資金が届いたのである。

 ある自治体は一億円の金の延べ棒を買って展示したりもして、一時は話題をさらったが、さて本当に「ふるさと創生」に繋がったかは甚だ疑問であるが、我が当時の田辺町は、前述の「防賀川」を水辺空間を整備した「ふるさとの川もでる事業」として約7500万円を使って整備し、残りの2500万円は、国際交流基金として積み立てて、後に交流目的で海外に行く人や海外からの人をホームステイさせる人などの申請によるサポートに支出しているのである。

ともかく防賀川という内水河川で、一部まだ天井川のままの河川の下流域を三面張りの味気ない整備から、自然回帰とでも言える「近自然工法」による整備をして、ふるさとの川として市民に親しまれる川としようとしたのである。

 しかし、実際は見た目は一時きれいに整備されたのだが、人工河川特有の「水の流れない川」の状態が普通で、イベントや必要な時は周辺の地下水や農業用水をポンプアップして、川へ水を流すという、不自然な形で「川」の面目を保っていたのである。

 いずれにせよ、内水河川として存在している限りは、一番危険なのは集中豪雨などの異常気象や天才の様な「雨」が降った場合は、狭くて流域水量に限りのある河川は、溢れる危険性があるのでって、周辺の田畑や住宅地に多大な影響を与えることもあるのである。

 しかし、この防賀川流域の中流部の右岸地域の市街化区域が、隣接する幹線道路の利便性の拡大が予想される開通時期が迫る今、開発業者による造成、住宅分譲を目指した著しい開発行為が急増しているのである。

 どうみても治水や調整池の必要性を法的には不要とする規模に開発を限定して、行政への開発事前申請を出していて、権限者の府も当事者自治体である市も、しっかりとした指導並びに治水面での厳しい注文をせずに、開発業者の違法すれすれの行為を許していて、危惧が募るばかりなのである。

 住民、市民生活の安全、安心をどれ程、地元自治体が担保できるかが重要なのに、民間デベロッパーの開発手法をサポートするかの様な、甘い行政指導が目立っていて、自由民のためのしっかりとした開発抑制の指針や指導も厳しくしてほしいと願うものである。
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