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ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

中村さん解放。

2008年06月18日 | 世界の問題
 約一年一ヶ月ぶりに横浜国立大学学生の「中村聡志さん(23歳)」が大阪府豊中市の自宅に帰った。

 昨秋イランで武装集団に誘拐され約八ヶ月ぶりに解放されたもので、とんでもない恐怖の連続を乗り越えての無事帰国に、直接は知らない若者の心身の疲労を思うと、感慨ぶかいものがある。

 今年四月に同じ武装麻薬密輸団に誘拐されて約一ヶ月間の拘束生活を中村さんと共にしたという、イランの聖職者、ジャワド・タヘリ氏(30歳)によれば、彼は「自分は殺される」という恐怖をずっと感じていたといい、互いに「大丈夫だ」と励まし合っていたそうである。

 昨年10月に突然誘拐された中村さんは、イラン南東部の山岳地帯から歩いて移動し、パキスタン領内に逃げ込んで、さらにアフガニスタンにも滞在していたらしい。

 滞在していたといっても、眠るのは宿舎やテントすらない山岳部での野宿だったらしく、周囲に常に五、六人の武装した密輸団メンバーが監視する中で、毛布を巻いて眠ったらしい。

 武装集団は、機関銃や携帯用対戦車ロケット砲といわれる重装備を携行しており、各自が持つ自動小銃のカラシニコフがおもちゃに見えるほどだったと言う。

 関西国際空港に無事帰国した中村さんは、「日本やイランの皆様にご迷惑をかけたと痛感している。申し訳ありませんでした」と語り、拘束誘拐時の詳細や状況については「控えたい」と言及を避けたそうだか、「僕の人生にとって、この八ヶ月を意味のあるものにしたい」と振り返ったという。

 彼の経験は想像をはるかに超える恐怖との戦いだったと思うが、今回は「自己責任」論議は巻き起こらなかっただけでも救われた感じである。

 数年前にイランでやはり武装集団に誘拐拘束された「高遠菜穂子さんら三人の日本人」の拉致事件の際は、まるで本人たちが犯罪者かの様な世論、マスコミ、政府の言及があり、とんでもないプレッシャーを当人たちは浴びせられた。

 今回の事件の真相と裏側に何が隠されているのかは私たちにはほとんどわからないのだが、この八ヶ月間、日本政府とイラン、アフガン、パキスタンとまたがる外交ルートと共に、宗教者や民間人の取引なども絡んだ裏の折衝が続いていたのだろう。

 イスラム社会とイデオロギー、そして経済と民族、部族抗争など複雑な中近東の山岳地帯で暗脈する武装集団の数々の中に、自分たちの利害と仲間を守るための戦いが日夜繰り返されているのだろう。

 そんな渦中に飛び込んでしまった中村さんは、とんでもない犠牲者となったわけだが、自分の身と健康を守るということがどんなに困難なことか、また大勢の人たちの協力とサポートがなければできなかったことなど重たく知ったことだろう。

 私たち一見平和な日々を暮らす者にとっても、自分の心身の健康といのちを守るには、多くの手助けと支援がいることを改めて痛感する機会となった。
 
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アメリカは変われるのか?

2008年06月04日 | 世界の問題
 アメリカ合衆国の大統領選挙の予備選で、民主党候補としてしのぎを削る戦いを繰り返していた、バラク・オバマ上院議員とヒラリー・クリントン上院議員の、初の黒人vs女性という予備選史上初の注目の約五ヶ月の戦いがようやく、最終予備選の開票で決着したのだ。

 民主党候補として、初の黒人オバマ氏が指名されることが確実な獲得代議員数を過半数にして、ヒラリー・クリントン氏の「敗北」が決定した。

 しかし、「ヒラリー」は、まだ撤退準備に入ったと言われているだけで、「敗北宣言」も撤退宣言もしていないままで、まれに見る接戦だったことから、オバマが民主党候補として大統領になった場合の、副大統領候補として名乗りを上げることも視野に入れて検討しているという。

 いずれにせよ、負けてもしたたかなヒラリー・クリントンであるのだが、不人気の共和党の大統領候補として、早々に名乗りを上げて準備の段階に入っている、71歳の白人、ジョン・マケイン上院議員に黒人の46歳、バラク・オバマ氏が確実に勝てるというのだろうか。

 確かに、現在のアメリカ合衆国は、70年代のベトナム戦争末期の米国の様相に経済面も政治面も似通っていると言われている状況下で、若き黒人民主党大統領候補が年老いた共和党白人候補者を凌駕するカリスマ性で勝つことを確信はしている。

 バラク・オバマ氏は、民主党大統領指名予備選では、ヒラリー・クリントンに勝つために、「チェンジ」を掲げてはいたが、ヒラリー・クリントンの現状維持や元大統領のクリントン氏のような政治手法や、上流階級や白人中心の優遇政策では困るわけだが、果たして共和党、民主党という枠内ではない、世界の盟主としてのアメリカを変えることができるのだろうか。

 いつの時代にも、世界の警察を自負するアメリカ合衆国が、全世界の紛争地域に関わっていて、自分たちの利益と権力をほしいままにしているという、現代の世界の政治状況にあって、EU諸国やロシア、中国などの反発は否めない。

 私たちは、世界の平和と発展途上国と言われる国々おいても、貧困や戦乱が続く現状を乗り越えて行くためにも、アメリカが変わらなければならいないと思うのである。

 アメリカ合衆国の経済も政治も一人勝ちの時代は、もう終わりを告げ、世界の国々が少しでも環境保全と人類の継続的な生活の維持のために、平等かつ平和な「地球」を創り出す、リーダーシップを期待しているのである。

 さて、バラク・オバマが大統領となって、アメリカ合衆国のための大統領に留まらず、地球の将来の環境、いのち、平和に真に貢献する大統領として「チェンジ」することを望むものである。
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ロシアの奇怪な首脳人事。

2008年06月03日 | 世界の問題
 先月になったが、ロシア連邦の第三代の大統領に、ドミトリー・メドヴェージェフ氏が就任し、前大統領であった、ウラジーミル・プーチン氏が何と首相に就任したのである。

 20世紀後半の半世紀は、アメリカとソ連が東西冷戦と称される世界の二大勢力の領主としてなにかにつけて衝突し、張り合っていたのだが、ソビエト連邦の崩壊後、ロシア連邦となってからは、世界のリーダーシップはアメリカ合衆国の単独へと移り変わり、現在はEU、ヨーロッパ連合が台頭していると言っていいだろうが、ロシアも独特のスタンスで今もなお、中国、北朝鮮などの共産国の一角として大きな発言力を保っている。

 そんな中で、ロシア憲法による大統領の任期が二期、8年ということで、エリツィンの後、大統領に指名されたのが、元KGBの肩書きを持つ、胡散臭い政治家、プーチンだったわけである。

 プーチンは1952年に現在のサンクトペテルブルグであるレニングラードに生まれ、家庭環境にはあまり恵まれなかったらしいが、少年時代は共同アパートで過ごし、スパイ映画や小説に憧れを抱いていたらしい。

 中学三年生の時に、ロシアの諜報活動の中心であるKGBで働きたいと思い始めて、レニングラード大学の法学部に入学し、大学卒業後、KGBに就職しているのである。

 約15年間をソビエト連邦の諜報部員として働き、東ドイツが崩壊するまでの5年間は東ドイツで活動した後、レニングラード大学の学長補佐官として、後のサンクトペテルブルグの市長になるアナトリー・サプチャークと懇意となり、1991年にサンクトペテルブルグの対外関係委員会議長に就任し、1994年にはサプチャーク市長に、第一副市長に任命され、政治家の道に入っている。

 その後サプチャークが市長選挙で敗れると、モスクワに異動し、ロシア大統領府総務局次長を経て、再び1998年にはKGB
の後身であるロシア連邦保安庁の長官に就任し、エリツィン大統領の信任を得る活躍をして、1999年に第一副首相に、その一週間後には首相に任命された。

 首相に就任するや、あのチェチェン紛争の制圧で辣腕をふるって、国民の支持を集めて、健康上の理由で引退したエリツィンの後、大統領となったのである。

 「強いロシア」の再建のため、法の独裁による法治国家を目指して、強行路線で反対派を牛耳って、国民の絶大なる支持を得るのである。

 反プーチンの女性ジャーナリストの暗殺や、リトビネンコ氏のイギリスでの死亡などのプーチン陰謀説をもろともせず、三選禁止の大統領を退くと同時に、メドヴェージェフを大統領にして、自分は首相に選任させて、権力を温存し、実質的な三期目とも言える、ロシアの政治権力のボスに君臨したのである。

 事実上のロシアの最高権力者、プーチンへの世界的批判は聞こえてこないし、無表情で腹で奇怪なる権力者を支持し続けるのがロシア国民の大半なのだろうか。

 

 
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「茶色の朝」

2008年05月19日 | 世界の問題
 短編の寓話「茶色の朝」という本をご存知だろうか。

 フランスでは1980年代以降、国内で勢力を伸ばしていた極右政党の国民戦線が1998年の統一選挙で大躍進し、2002年の大統領選挙ではルペン国民戦線党首が第二位になり決選投票に臨むこととなった直後から、この本が爆発的に読まれ、ベストセラーとなったという。

 かつてナチスドイツに侵攻された歴史を持つヨーロッパの人々にとって、初期のナチス党が制服として使用していた「茶色い色」は、「ナチズム」そのものであり、全体主義的ファシズムの象徴であり、この「茶色の朝」というたった十一ページの寓話は、全欧州で台頭する極右運動への人々の危機感をめざめさせたと言うのである。

 今の日本も、敢えて言えば間違いなく「茶色の朝」を迎える前兆を感じる傾向が迫りつつあり、小泉純一郎首相から安倍晋三首相、そして福田康夫と続く自民党政府は、教育基本法を改悪し、憲法改定を目指しているのだが、参議院選挙における与野党逆転の「ねじれ国会」のお陰で、ようやく少しテンポとリズムが狂ってきているに過ぎないのではないだろうか。

 すなわち、我が国ニッポンも間違いなく、ある首相がもはや戦後ではないと言った時代から、徐々に世の中の風潮は右傾化、回顧趣味的傾向が始まり、今や明らかに憲法違反の自衛隊の海外派兵をも正当化し、あらゆる政治的権力の影響を受けてはならない「教育」そのものの「教育基本法」が、政治的圧力で改悪され、共謀罪や国民投票法などの施行を目論んでの、国民への監視、チェック、全体主義的抑圧、言論統制が進もうとしていると言っても過言ではない。

 「茶色の朝」は、政府が作った「毛が茶色以外の犬猫を飼ってはならない」という法律を、街中には「自警団」がつくられ、監視、密告されるために、誰もが可笑しいと感じつつも、いつの間にか「ルールを守る」ことが尊ばれ、ふつうになり、「茶色に染まる」ことが違和感を感じなくなっていくという寓話である。

 主人公たちは、かつて黒毛の犬を飼っていたり、白黒のぶちの猫を飼っていたという理由で、さかのぼって自警団に告発され、「毛色規正法」を当初批判していた出版社は、次々と廃刊、起訴、図書館からの強制撤去処分に遭うというフィクションではあるが、時既に遅く、主人公たちの家のドアが強く叩かれる所で物語りは終わっています。

 なぜ、最初にペットの毛の色を茶色以外は認めないという法律が出来たときに「妙な感じ」を感じた者が何も言えなかったのか、馬鹿げた法律やルールが、さも正しいように、当たり前に受け入れだしたのか。

 世の中の流れ、常識という名の非常識にも、人々は従い、自分とは関係ないと思っていたのだろうか、とんでもない社会になってからでは遅すぎるのである。

 私たちも「茶色の朝」を迎えないために、可笑しなこと、間違ったことには「NO!」と言いつづける人間でありたいと思うのである。
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ビルマの出来事。

2008年05月07日 | 世界の問題
 去る5月2日から3日にかけて、大型の台風、サイクロンがミャンマーの中南部を襲い、現在わかっているだけでも2万人以上の死者と4万人以上の行方不明者が出る大惨事となっている。

 ミャンマーの軍事政権の監督下にある、国営放送や新聞などのマスコミも、この実態を自然災害として大々的に報じているらしいが、決して「自然災害」だけでなく、軍事政権の人命と人権を無視した「人為的災害」の色が濃いと言わざるを得ない。

 ご存知のように、もともと日本人には第二次世界大戦中の出来事から「ビルマの竪琴」と呼ばれる「水島上等兵」の悲哀の物語の舞台としても親しまれる、親日的で温和なビルマ人の住むタイの西どなりの米作地帯の美しい国である。

 しかし、日本人にも有名な民主化運動のシンボル的存在となった、フウン・サン・スー・チンさんの自宅軟禁が2003年5月から軍事政権下で続いていて、非民主的軍事政権が「ミャンマー」と称する国名を名乗っているのである。

 多くのビルマ人が、民主化運動やその他で拘束されたり、殺されたりしていて、日本にも滞在するビルマ人たちも、祖国ビルマが民主的な平和な国に戻ることを願っておられる。

 今回のサイクロンによる大惨事は、ミャンマーの軍事政権は、前もって大型台風の接近によって、中南部に大きな被害が出ることを予測できたにも関わらず、国民の多くに避難勧告や情報を事前に提供することを怠り、結局人命と人権を無視した大惨事となったのである。

 しかも、五月十日に軍事政権にとって、一方的に都合の良い「新憲法提案」の是非を巡っての「国民投票」を実施する予定であったのだが、この大惨事ののために、首都ヤンゴンをはじめとした被災地を中心に延期せざるを得ない事態も招いている。

 しかも民主化運動の中心的存在である、アウン・サン・スー・チンさんを国家元首とさせないためのルールである、「国家元首は親族、配偶者、子供が外国に市民権を持つ者は除外する」という項目を新憲法の規定に明記していると言うのである。

 とんでもない軍事政権の非民主的な強権政治に対して、米国も制裁強化を訴えているし、英国、フランスも国連安保理事会議長声明原案も提案しているのだが。わが国日本の某首相も歴代の首相たちも、ちっとも人権問題に対しての発言もなく、今回の中国胡錦濤国家主席の来日に際しても、チベット問題と共にミャンマー問題も、はっきりとは発言しないのである。

 大国、中国の思惑や政治的バックが見え隠れするミャンマーの軍事政権なのだが、チベット問題と共に日本は、はっきりと「人権尊重」の立場からのミャンマーの民主化、すなわち軍事政権から国民主体の民主政府樹立への道へ導くアジアの大国としての責任があるはずである。

 ビルマの出来事は、決して自然災害ではなく、軍事政権による国民無視の人為的殺戮に近い惨事である。
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イラク戦争から5年。

2008年03月20日 | 世界の問題
 2003年3月20日に、米軍がイラクへの爆撃を始め、「イラク戦争」が
開戦してから満5年が経った。

 この間に、フセイン大統領率いるイラクの独裁政府は崩壊し、フセイン元大統領は生け捕りにされて、裁判後処刑された。

 この「イラク戦争」を仕掛けたアメリカ合衆国のブッシュ大統領は、任期をあと一年足らずにして、国民の圧倒的な支持は低下しているが、いまだに「イラク戦争」を正当化しつつ、イラクに駐留させている「米軍16万人」についても、続けて「イラクの民主化と治安維持」のために「撤退」は考えないと大見得をきっている。

 果たして、この「イラク戦争」とやらは、ほんとうに必要だったのだろうか。

 この五年間にイラクの兵士は10万人以上、またテロも含めたイラクの非戦闘員である国民が8万人以上犠牲となっているほか、国内外を通じて「難民」しとなっているイラク国民があわせて400万人以上いるという現実をみても、決して「イラク」が平和な生活を送れる国となっていないことがわかる。

 アメリカ兵にも多大な犠牲者としての死者、負傷者が出ているが、アメリカ国内では、ただ今次期大統領候補の予備選挙の真っ只中で、ブッシュを継承する共和党のマケイン候補は、イラク戦争の正当性を主張しているが、民主党のオバマ、クリントン両候補は、イラクからの米軍の即時撤退、イラク戦争の誤りを指摘している。

 米国内では今日、多くの市民、学生による「米軍のイラクからの撤退」を主張するデモや論調が高まっているが、ブッシュ大統領は記者会見で「間違っていない」と強調している。

 このイラク戦争に協力、強調した西側諸国の中では、イギリスでさえ前首相が「過ちを認めた」格好になっているし、フランスやカナダも早々とイラクからの兵隊を撤退させて、イラク戦争からは手を引いている。

 しかし、わが国「ニッポン」は、未だに全く「イラク戦争」への加担、すなわち米国への追従姿勢およびイラク戦争の是非に対する見解の誤りについての謝罪や責任論は棚上げにして、昨年11月に一旦は期限切れした「テロ特措法」の参議院での秘訣後、新たな法律を可決させて「インド洋上」での米軍などへの「燃料と水」の補給を目的に、海上自衛隊補給艦が再び2月から、米軍に協力している。

 多額の税金を負担して、アルカイダをはじめとする国際的な反米テロ集団の撲滅のためとの「錦の御旗」で、米国への盲目的追従を続ける「日本」は、国際社会の中では、全くアメリカ合衆国の一部と化してしまうほどの「影の薄い国となっているのではないだろうか。

 確かにイラク国内での「シーア派」と「スンニ派」を中心とする部族や宗教対立と言う内戦的要素は否めない「イラク」ではあるが、果たして「世界の警察」を自認するアメリカの軍事的介入と日本の追従が、イラクの国民の本当の民主化と平和のためになっているとは信じがたいのである。

 今後も「泥沼化」することが必至の「イラク情勢」は、第二のベトナム戦争と同様のアメリカの完全敗退、ならびに撤退の時期を待つのみだろうと予測するのである。

 真のイラク国民の自立、民主化へ、石油資本や経済を狙うアメリカを中心とする資本が介入した「イラク戦争」の早期解決を望むものである。
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チベットと胡錦涛

2008年03月18日 | 世界の問題
 さる14日に勃発したと言われている「中国西蔵地域」のいわゆる「チベット自治区」で起きた事件について、新聞、マスコミ各社は「チベット暴動」と題して、それぞれに報道しているが、事の真相は十分にわかっていない。

 北京オリンピックを8月に控えた「中華人民共和国」は、中国製ギョーザ中毒事件に次ぐ「大きな信用問題」に皹が入りそうな事件に関して、「国内外の分裂勢力の策謀」との政府見解を強調している。

 この事件がなんと、中国の国会にあたる「全国人民代表者会議」すなわち「全人代」の会期中に起き、しかも胡錦涛現国家主席が日本の国会では「所信表明演説」のような政府見解を述べている時期に起きたのである。

 しかも、日本にとっては5月に予定されている「胡錦涛国家主席」の初訪日に向けて、中国と日本の関係修復を目指している時期に、中国産冷凍餃子事件についで起きた「人権問題」と「少数民族問題」という大きな課題に影を落とす事件となった。

 現在インド北部に拠点を置く、ダライラマ14世の「チベット亡命政府」は、中国チベット自治区の州都ラサでの武力鎮圧で少なくとも80人以上のチベット人が死亡したと指摘しているが、中国政府は13名の死者しか発表していない。

 このように現在の真相すら定かでない状況の中、多くのジャーナリストが滞在したり、取材しているだろうと思うのだが、なかなか事の真相が明らかにならないのは、やはり大きな権力基盤を持つ、漢民族の中国政府の「報道規制」や「鎮圧実態の隠蔽化」が行われているとしか考えられない。

 こうしたチベット支配を続ける「中国政府」の胡錦涛国家主席は、1987年からラサを中心にチベット民衆の蜂起が起き、1889年には戒厳令が引かれたのだが、その際の弾圧の責任者だったのである。

 もともとチベットは、独立した地域だったのにもかかわらず、1951年に新生中国政府が軍事侵略し、多くの仏教徒を虐殺し、ラマ教寺院の由緒ある寺院を破壊し尽くしたため、1959年にダライラマはインドに亡命し、臨時政府を樹立した経緯がある。

 その後、ダライラマ14世は、ノーベル平和賞を受賞したり、日本やアメリカでも講演活動をしているが、中国政府は神経を尖らしていた。

 写真のラサに聳え立つ「ポタラ宮」は、多くのチベット民族の象徴的な建物であるが、ここ10数年は宮殿内外には、ダライラマの写真、肖像は一切禁止されていて、全く飾ってない。

 壮麗で神々しい「ポタラ宮」が観光地点としても有名なのだが、チベットの聖都ともいえる「ラサ」とは、チベット語で「神の地」という意味であり、この神聖なるチベット族の神の地が、血なまぐさい惨事に見舞われたことは、結局は胡錦涛率いる中国政府の殺戮、弾圧、宗教、民族、人権破壊そのものではないだろうか。

 国連だけでなく、日本政府も大いに発言し、中国政府にも抗議すべき由々しき国際問題である。

 
 
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円高、原油高、景気は?

2008年03月13日 | 世界の問題
なんと12年4ヶ月ぶりに、ドルと円の換算ルートを決める外為市場で、1ドル
が100円を割るという事態になり、原油の方は1バレルあたり110ドルを超すという高値になる悪材料も加わって、にわかに日本経済の景気が危ぶまれる懸念が急速に台頭している。

 アメリカのサブプライムローンの問題に端を発した、金融不安がアメリカの経済を減速させて、ドルに対する世界的信頼が急速に低下し、ヨーロッパ「ユーロ」が強みを増してきているという状況下で、円高が増して、外需依存体質の日本経済の先行き不安が経済界に広がりつつあるという。

 つまり、円高になることで、日本の輸出が減少し、輸入が増加するという状況が起きて、日本の実質GDP(国内総生産)は、当初の想定の2パーセント程度のプラス予想が崩れていくであろうし、日本の輸出企業の採算円レートといわれる106円前後を大幅に割る水準では採算が取れなくなるのである。

 最も国際競争力が強いといわれる「世界のトヨタ」でさえ、1円の円高で,約350億円の損出となるそうなので、1ドル100円が続けば、見込みの想定為替レートより5円も高いので、利益が一挙に1750億円も減少することになるのである。

 この円高と原油高のダブルパンチが日本経済に与える影響は過大であり、今年度のGNPは、約0.8ポイントも押し下げられることになるというのである。

 さて、我々の日常庶民生活においては、どういう影響が出てくるのだろうか。

 原油高の影響を最も顕著に受ける「ガソリン価格」は、いったん定着したかに思ったが、再び高騰の気配を持ち返していて、一リットル150円の相場を行き来しているので、当分は全ての商品の「輸送費コスト」に反映されて、物価高を助長することは間違いない。

 また一方で、地球環境問題への影響の懸念からの「バイオエタノール」燃料の開発および拡大で、世界の食糧市場のとうもろこし、大豆、サトウキビなどが食糧としての原料ではなく、エネルギー源としての作物とて高価に買い取られる動きが進んでは、益々「食糧」原価コストの高騰に抑止力がなくなることがせ必至である。

 一方で、日本から海外に「海外旅行」や「買い物」に出かける裕福な人々にとっては、しばらくの間は、「少し安い」感を感じて満喫できるかもしれない。

 国内的には、春闘の賃上げ交渉及び妥結額も大手企業ですら月1000円くらいであり、中小企業や非正規雇用の多くの労働者にとっては、厳しい収入が続くだろう。

 年金不安、医療、福祉の不安も拭い去ることのできない、日本の現状下で、特に高齢者や若年非正規雇用者の生活不安と消費控えが進むことで、益々日本経済にかげりが生まれてくるのではないだろうか。

 こういう時代こそ、一発当てようの「宝くじ」や「ギャンブル」に走るのではなく、堅実に人としての暖かさと真面目さで勝負する「日本人」の楚々とした姿と働きが「希望の光」を見出すことになるのではないかと、密かに楽しみにしている。

 
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民族、宗教対立からの独立。

2008年03月03日 | 世界の問題
 コソボが独立を宣言した。

 日本の様な島国的自治権のある地域、国は非常に珍しいといっていいほどである。

 だから、我々日本人には、この「独立」とか民族や宗教対立が分かりにくい。、

しかし、世界中にコソボだけでなく、大国の統治や支配権からの独立を目指す地域、州、都市などがたくさんあるのである。

 私が縁あって、毎年の様に出かけている中国内蒙古自治区やチベット、ウイグルなどの中華人民共和国内に現在は属する地域、自治区も、潜在的な自主独立を願っている民族が多くいる地域である。

 覇権主義とでも言うべき大国は、こうした地域、地方の領有権を離さないために、あらゆる手段で「まさに飴と鞭」の政策を現在も行っているのである。

 確かにイギリス、キューバ、台湾、いろんな島国はあるが、日本は古い政治家先生たちに言わせれば「単一民族国家」などとおっしゃる様に、表だっての民族、宗教対立は見られない、珍しい国なのである。

 コソボがやっとセルビアから独立することらになったのだが、コソボはイスラム教徒のアルバニア人が90%とセルビア正教のセルビア人が10%の地域があって、文化の違いから紛争が激化していたのである。

 セルビアとロシアはキリスト正教会で、キリル文字を使用する文化的にも同じ同盟国なのだが、EUはコソボが距離的にも近いため、平和的な紛争解決を願っていた。

 しかし、1999年に大多数のアルバニア人を弾圧するセルビア軍を排除するためにNATOが介入し、セルビア軍を追い出して国連の暫定統治としたのである。

 コソボの独立については、2005年以降国連安保理で協議されたが、ロシアがセルビアノ意向を受けて拒否していたのである。

 国連では解決されない対立は、歴史的にオスマントルコの時代から続いており、今回欧米諸国の支持を受けて、コソボ住民の意思に基づいて「独立を宣言」したのである。

 結局、ロシア対EU経済圏の対立構造であり、昔の東西社会のソビエトとUSA、すなわち米ソ対立の時代から、脱石油時代の経済とアジアを含む資源獲得など、新たな東西対立競争の覇権争いの具にされているのである。

 いずれにせよ、この「コソボ独立」は、世界の民族、宗教、経済対立の縮図でもあり、私たち日本人にとっては、パレスチナとイスラエルの終わりなき抗争と同様に、頭で理解できても、なかなか実感としては分かりにくい対立なのだが、世界中に波及するエネルギーとなる要素が強いと思われる。

 なにはともあれ、自らの自立と独立へと歩みだした「コソボの住民」にエールを送りたいと思う。
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エコ贔屓が必要な環境と経済。

2008年02月24日 | 世界の問題
 朝方に積もった雪がまぶしい中、今日は「きょうたなべ環境市民フォーラム」の会場である、近鉄新田辺駅前の商工会館のきららホールへと出かけた。

 そろそろ花粉症がひどくなる季節を前に、家人が花粉症対策?と銘打ったセールの「鼻に優しいテッシュ」を買ってきてとの注文だったので、アルプラザ平和堂の駐車場をお借りした手前、忘れてはならぬと先に、希望のテッシュ3箱498円を購入してから会場に向かった。

 「環境市民パートナーシップ」は京田辺市の「環境基本計画」の策定を契機に発足した「環境問題に取り組む市民グループ」であり、市行政の支援を受けて多様な取り組みを始めている。

 2008年は気候変動に関する国際会議でのCO2削減目標を明記した京都議定書の達成目標の初年度であり、日本は2012年迄に1990年を100とした二酸化炭素排出量をマイナス6パーセントにする約束である。

 地球温暖化の主原因が、20世紀に入ってからの急速な経済発展に伴うエネルギー消費拡大であるとの見解が1980年代に明らかになり、地球上の人類の活動に伴うリスクである二酸化炭素排出量の削減が大きな課題と指摘されている。

 我々の日常生活も、昭和40年代以降の高度経済成長に伴って、飛躍的に豊かになり、自動車所有と使用が飛躍的に増大し、ガソリン消費量が増大し、各種冷房、暖房を含む電気、ガス、石油などのエネルギー消費がうなぎのぼりになった。

 昭和30年代は、まだ車もまばらで、エアコンなどなく、火鉢に七輪、薪で風呂を沸かす生活が当たり前だったのに、経済成長、所得倍増に伴って、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が電化製品の三種の神器となり、1964年の東京オリンピックを契機に70年の大阪万博を経て、自家用車、カラーテレビ、クーラーが三種の神器となった。

 現在に至る、たった数十年の経済発展がもたらした大きな地球環境への負荷は、いまや取り返しのつかないほどの危機状態に入っており、2050年にはー平均気温が6度以上上昇し、海面が2メートル以上上昇するとの予測である。

 あらゆる動植物の生態系に大きな危機が訪れるだけではなく、ツバルをはじめとする小さな島国や海抜ゼロメートル地帯を多く有するバングラデシュや様々な国々で陸地が住めなくなるという状態を招くと言われている。

 日本人の経済的豊かさは世界の中でもトップクラスであり、アメリカ、EU諸国、石油産油国などに続いて、中国、インドなどの急速な発展が市場原理に伴って膨張して行くと、自らの地球を「住みにくい星」、つまりとんでもない生存権を危やぶむ時代に突入せざるを得ない。

 誰もが「自分だけは・・・」という「エコひいき?」を止めて、止められること、我慢でせきること、あきらめること、そして昔の良かった時代を取り戻す工夫をしなくてはならない。

 「衣食住」と全ての行動について、人類の本当の英知が試される時代である。

 環境問題には「エコ贔屓」が必要で、環境保全あっての経済論理だと思うのである。
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