GRASSの日々折々

馬好きフォトグラファーが綴る日々の1ショット。

トリックホース

2008年01月30日 | 遠野の馬
遠野生れのホワイトワンボーイは、JRA馬事公苑所属のトリックホースとして活躍している。

ボーイは2002年5月23日生まれ、母は馬事公苑で軽乗馬を務めたホワイトボールド(半血)、父は元競走馬のヤングメドウ(ア・ア)である。
母がパロミノの美しい馬だったので、ボーイは子馬のときから真っ白な品のある馬だった。そんな彼は、1歳のセリでJRAに引き取られ、馬事公苑で演技馬調教師を目指す瀬口和也さんとコンビを組むことになる。当初は練習馬として過ごしていたボーイだったが、性格が素直なことや演技の覚えが良いため、今ではトリックホースの一番手として、馬事公苑や競馬場のホースショーにお目見えする。

ボーイは、遠野における「当歳馬越冬放牧場・若駒園」の第1期生だ。彼の同期には、同じくJRA所属のハリー・ベイ(幼名ヴィクトワール)がいる。父はフロドラ・ジェルベーズ(セ・フ)、母は輸入馬ダム・デ・ゾネ(セ・フ)で、こちらは障害競技で活躍中、内国産では珍しく大障害を飛べる大器だとおおいに期待されている。

2月2日(土)、東京開催初日の昼休み11時40分頃から、パドックにてボーイが瀬口さんと一緒に演技する。競馬場での演技は初めてではないのに、やっぱり嬉しい。写真は、2002年12月、遠野駒木の当歳馬越冬放牧地で仲間と走り回るボーイ。
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明治時代の盛岡八幡宮

2008年01月28日 | 馬徒然
絵画館に展示されていた絵に、印象深いものが一点。

「奥羽巡幸乗馬匹御覧」(東北ご旅行中同地の産馬を御覧)と題された絵は、明治9年(1876年)7月7日、盛岡八幡宮における馬の供覧会の模様を天皇が御覧になる、というものだ。
月毛、鹿毛、青毛、芦毛など、様々な毛色の馬たちが馬方に引かれて歩く様が描かれている。どの馬も大きくて立派な体格。当時、盛岡八幡宮には4~500頭の馬がそろったと記されていた。さぞかし壮観だったことだろう。見てみたかった。
この絵の奉納者は、日本勧業銀行。日本画家、根上富治によって描かれたもの。

それにしても、明治天皇は乗馬の達人だったようである。絵画の中ではいつも馬上にいらっしゃる。
そんな天皇に愛された金華山号は27歳老衰で亡くなったそうだが、天皇の希望で剥製となり、ずっとお側にあったそうである。


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金華山号

2008年01月27日 | 日本の馬
南部駒の剥製が明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館に飾られている、という情報を耳にしたので行ってみる。ご近所ながら絵画館に入るのは小学生の時以来で、「明治天皇の絵」が飾ってあったことぐらいしか覚えていない。

改めて。
聖徳記念絵画館には、明治天皇と昭憲皇太后のご公務の様子を描いた絵画が展示されている。江戸から明治へと文明開化していく当時の日本の姿が皇室の行事を通して見ることができ、なかなかおもしろかった。日本画と西洋画両方の画家たちによる表現も興味深かった。

さて、お目当ての「南部駒の剥製」は、建物入口を入って正面のスペースに、骨格標本と並んで展示されている。
それは、明治天皇の愛馬(御料馬)「金華山号」で、「日本種」と表記されていた。

明治2年(1869年)4月、宮城県玉造郡鬼首村で生まれた栗毛の牡馬。幼名「起漲(きちょう)」
明治9年(1876年)、天皇が奥羽地方巡視の際に岩手県水沢でお買い上げになった。体高は148cmで小柄、毛色にツヤもなく見栄えは決してよくなかったが、何事にもひるまず沈着鋭敏で、天皇にことのほか愛され、ご公務を130回務めた、という説明があった。

その昔、伊達政宗は支倉常長をローマに遣わして、良馬改良のため数頭の種馬を購入した。当時は天草・島原の乱などで幕府の目が厳しかったため、馬を秘境の地鬼首村(現・鳴子町)に移牧して馬産を行なったという。これが軽種馬生産の創始といわれていて、その子孫にあたるのが「金華山号」だそうである。
政宗が生産した馬は「仙台馬」と呼ばれているようであるが、おそらく「南部馬」と同系列の馬たちだったのだろう。

目の前の金華山号は、すらりとして栗毛というよりは月毛に近く、星も流星もない。見栄えがよくない、と説明されてはいるが、私が今まで見た中で、もっとも美しい「日本馬」だと思う。

展示品の撮影はできないので、「絵画館」の外観の写真だけ。

コメント (4)
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旅番組で遠野を特集

2008年01月26日 | 馬徒然
土曜朝の「旅サラダ」という番組で、遠野の特集30分。

いきなり、駒木の当歳馬越冬放牧地の映像が流れ、Jさんちの子馬がカメラに向かってじっと見ている顔のアップ!
続いて、菊池盛治さんの地駄引きが紹介された。盛治さんは、テレビや雑誌の取材には必ずひっばりだされるベテラン馬方。長年のパートナーだった花盛亡き後、新しい相棒の盛(さかり)と活躍している。

その後は、カッパ、早池峰神社の神楽、干し大根、小正月の行事など、レポーター役の下条アトム氏が訪ね歩いていた。
遠野の名産という干し大根のことは、実は初めて知った。大根を干している風景は、見たことがなかった。
ひとつ勉強になりました。

それにしても、盛治さんのおかげで馬の山仕事「地駄引き」を知ってもらえるのは、おおいに結構なことだ。大型の馬(農用馬)がばんえい競馬以外で仕事できる数少ない場である。盛も、生れは北海道、ばんえいの競走馬になる代わりに、遠野で仕事をしている。
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野間馬セツ

2008年01月24日 | 日本の馬
愛媛県今治市の野間馬ハイランドを訪れたときに会った、芦毛の牝馬セツ。ハイランドで最年長の功労馬だという。
野間馬ハイランドでは毎年子馬が生まれる。野間馬に芦毛が少なくないのは、セツの血を引いているせいだろうか。

東京上野動物園では、在来馬の飼育が始まっている。
最初は鹿児島のトカラ馬、次は長野の木曽馬、そして今度は愛媛の野間馬だという。TVで報道されたとき、上野動物園にくる予定の野間馬は芦毛だった。セツに関係がある馬だったら嬉しいなあ。
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タオルと野間馬

2008年01月23日 | 日本の馬
今日のNHK「クローズアップ現代」は、地場産業の復活についての話題。
タオル産業が息を吹き返した愛媛県今治市がトップに特集されていた。

数年前、ある雑誌のグラビア撮影のため愛媛を訪れる機会を得たとき、これはチャンスとばかり今治市にある「野間馬ハイランド」に足をのばした。
日本在来馬の一つ野間馬は、日本で一番小さい馬。かつてはみかん農家の支えとなって働いた馬である。現在はほとんどが「野間馬ハイランド」というホースパークで飼養されている。

今治駅に着いて最初に目に付いたのは、豊富なタオルの土産物だった。
今治は、明治時代から続くタオルの生産地だったことを始めて知った。
またここは、世界的建築家丹下健三の故郷だということもわかった。町の中には、丹下健三の建築物が多く、街並みがモダンだった。瀬戸内海の島々との交通拠点ともなっている今治。
野間馬に会いたくて訪れた町との、新鮮な出会いだった。

写真は、2004年11月、野間馬ハイランドにて撮影。
今治のタオルに、野間馬の刺繍などが施された商品があったら、それこそ土産物としてしこたま買い込んでしまうのに・・・。


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ファルコと太郎のツーショット

2008年01月22日 | 馬徒然
写真は2002年8月25日、根岸「馬の博物館」に隣接するポニーセンターで撮影した在りし日のトウショウファルコと昨年末根岸を去ったドサンコの宝海太郎。

彼らは当時、隣同士の洗い場にいた。太郎は何を思ったか、突然お尻をファルコの陣地に向けて、ボロボロっ。ファルコもびっくりである。
お世話係りの人によると、太郎はいつもファルコの居場所にボロをするのだとか。
ファルコはもちろん文句も言わず、一歩さがって黙って耐えていた。
狭い厩舎の世界でも、陣地争いがあるのだろうか。それとも、ほかに意味があるのだろうか。

そんなファルコも亡くなり、太郎もいなくなって、今ここで暮しているのは、ハフリンガーのマーカス、クオーターホースのロッキー、少々「メタボ」のミニチュアホースのマロン、そして咽喉に穴があいたサラブレッドのブラックジョーカーと、新入りの、でも一番年長のサラブレッド、ウメノマッキーである。
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馬車

2008年01月21日 | 馬徒然
根岸の馬の博物館には、一台の馬車が展示されている。
それが、先日撮影した「信任状奉呈式」に使用されている馬車と同じ型のものだと初めて知った。
シンプルな馬車である。

丸の内界隈も、高層ビルが増えた。
馬車とビル、なんとも不思議な光景だった。
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ウィングアローの娘

2008年01月20日 | 競馬場
本日中山の6Rは牝馬限定の新馬戦、好きだった馬シンボリクリスエス、ウィングアロー、そして岩手の雄トーホウエンペラーの子供たちが出走した。

シンボリクリスエスの娘は2頭、注目していたクロカミの娘ではなく、父馬にそっくりな面差しのフサイチユニコーンがデビュー戦を飾った。
ウィングアローの娘、グランドスカイハイは14番人気ながら6着と健闘。
遠野には、栗東の橋田厩舎の馬を預かるMS遠野と、グランド牧場さんの育成舎がある。グランドスカイハイは、遠野で訓練をつんだに違いない。ウィングアローのためにも、彼女にがんばってほしい。
トーホウエンペラーの娘、トーホウロサードは12番人気だったが、3着につっこんだ。
岩手に縁のある馬が健闘してくれて、よかったよかった。

最終レースには、マリリンことヨーコちゃんが取材したオカノブルーの孫が出走。今日の成績は・・・残念でした。

写真は、遠野育成馬(だと思う)グランドスカイハイ。
父ウィングアロー、母レーシングハート(母父ロドリゴデトリアーノ)
北海道静内グランド牧場生れ
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根岸の馬たち

2008年01月19日 | 馬徒然
横浜根岸の「馬の博物館」にて。
園内を散歩する人馬を発見。馬はミニチュアポニーのマロンである。ロングレーンという手綱方式で歩いていたので、思わず「調教ですか?」と訪ねたら、「太りすぎてしまって、ダイエットのための運動なんです」。

あらら、そうでしたか。
そういえば、前回会ったときよりもお腹がふっくらとしている。馬も、舎飼いだと運動不足、栄養過多になるのだろう。
園内散歩ぐらいでは、解決しないかもしれないけれど・・・。馬にも「メタボ」があるのね。

長い間ここで活躍していたドサンコの宝海太郎が、加齢による病気のため昨年12月いっぱいで引退し、根岸を去っていた。彼がいつもいた洗い場には、「ご挨拶」と題して彼が根岸を去った経緯が書かれていた。17歳だった。
広い草地に戻って、たくさんの仲間と一緒に過ごせたらいいね、太郎。本当にお疲れ様でした。
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