スポーツ流鏑馬を撮影していたのは、地元・遠野の方ばかりではなかった。
あるご夫婦は、気仙沼から。
家族は全員無事だったものの、津波で家も軽トラも流され、残ったのは大型のバン1台とたずさえていたカメラ2機。
避難所生活の気晴らしにと、ご夫婦でバンで旅行をされているのだという。
「空元気」と言いながらも、楽しそうに流鏑馬を撮影されていた姿が印象的だった。
ある男性カメラマンは、釜石から。
津波が自宅すぐ近くまで押し寄せてきた瞬間をカメラでとらえた写真を見せていただいた。かろうじて家は無事だったそうだ。
昨年、このスポーツ流鏑馬の撮影に来て、八戸から参加した選手K氏と知り合い、災害にあった直後、支援物資を送ってもらったという。
「その方のためにも、今回はどうしても撮影に来たかった」とのことだった。
流鏑馬に参加していた方の中にも、ご家族を亡くされた方がおられた。
流鏑馬の開会式は、黙祷から始まった。
未曾有の災害は、4ヶ月やそこらで立ち直れるものではない。
けれど、少しでも前向きに、できることに取り組むことの大切さ。
今回の流鏑馬大会開催は、大きな意義をもっていることを実感した。
流鏑馬の翌日、
災害発生直後から遠野に駐在していた自衛隊が撤退するという放送があった。
復興支援が、新たな形に変っていくのを感じた。
あるご夫婦は、気仙沼から。
家族は全員無事だったものの、津波で家も軽トラも流され、残ったのは大型のバン1台とたずさえていたカメラ2機。
避難所生活の気晴らしにと、ご夫婦でバンで旅行をされているのだという。
「空元気」と言いながらも、楽しそうに流鏑馬を撮影されていた姿が印象的だった。
ある男性カメラマンは、釜石から。
津波が自宅すぐ近くまで押し寄せてきた瞬間をカメラでとらえた写真を見せていただいた。かろうじて家は無事だったそうだ。
昨年、このスポーツ流鏑馬の撮影に来て、八戸から参加した選手K氏と知り合い、災害にあった直後、支援物資を送ってもらったという。
「その方のためにも、今回はどうしても撮影に来たかった」とのことだった。
流鏑馬に参加していた方の中にも、ご家族を亡くされた方がおられた。
流鏑馬の開会式は、黙祷から始まった。
未曾有の災害は、4ヶ月やそこらで立ち直れるものではない。
けれど、少しでも前向きに、できることに取り組むことの大切さ。
今回の流鏑馬大会開催は、大きな意義をもっていることを実感した。
流鏑馬の翌日、
災害発生直後から遠野に駐在していた自衛隊が撤退するという放送があった。
復興支援が、新たな形に変っていくのを感じた。