昨日に続き、粟島の話題。
昭和7年に最後の馬が亡くなり、粟島には馬がいなくなった。
けれども今、馬を主体にしたプロジェクトが、行政とNPO法人によってスタートしている。
写真は、北海道からやってきたドサンコの親子。
母馬は子を宿して、今年5月、粟島で出産した。
子馬の名は、粟島で生まれたので「アワ」、男の子である。
親子のほかにもお父さん馬と若い牝馬が同じ放牧地にいる。
馬の運動や飼いつけはプロジェクトのスタッフがしているが、島の奥さんたちが、畑でつくるニンジンやダイコンの葉を、毎日馬たちにもってきてくれるそうだ。
島には、かつて馬が駆け回っていた牧が残る。
80年の時を経て、漁業と畑の島に再び馬の姿が見られるようになった。
週末は遠野馬のセリ。
いざ、晩秋の遠野へ。
昭和7年に最後の馬が亡くなり、粟島には馬がいなくなった。
けれども今、馬を主体にしたプロジェクトが、行政とNPO法人によってスタートしている。
写真は、北海道からやってきたドサンコの親子。
母馬は子を宿して、今年5月、粟島で出産した。
子馬の名は、粟島で生まれたので「アワ」、男の子である。
親子のほかにもお父さん馬と若い牝馬が同じ放牧地にいる。
馬の運動や飼いつけはプロジェクトのスタッフがしているが、島の奥さんたちが、畑でつくるニンジンやダイコンの葉を、毎日馬たちにもってきてくれるそうだ。
島には、かつて馬が駆け回っていた牧が残る。
80年の時を経て、漁業と畑の島に再び馬の姿が見られるようになった。
週末は遠野馬のセリ。
いざ、晩秋の遠野へ。