GRASSの日々折々

馬好きフォトグラファーが綴る日々の1ショット。

桜サクラ

2009年02月28日 | 競馬場
中山開催初日。
寒くても、春競馬の始まりである。
そのことを象徴するかのように、正門近くの河津桜はもうたくさんの花を咲かせていた。

パドックでは、黄色地に桜の花をあしらったメンコをつけた愛らしい栗毛の牝馬が・・・。
ふと見れば引き綱もピンク色。菜の花と桜の色、春のお嬢さんだ、と感激して騎手が乗るのを見守れば、勝負服が黄色とピンクなのだった。
彼女にとっての春は、もう少し先みたい。がんばって!

彼女の名も春そのもの、「サクラサクラサクラ」でした。


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ウィナーズサークルに思う

2009年02月25日 | 競馬場
先日のフェブラリーSの表彰式。
GIだから、カメラマンの数が多いのは当然のこと。でも、優勝馬の関係者がとても少なくて、多分正面で撮影していたら愛馬を囲んだ「家族写真」のようではなかったのだろうか。

巨大牧場の生産馬、あるいはクラブ所有の馬が優勝したときは、勝馬の両脇に並ぶ関係者もそれはそれは多い。きっとパノラマ写真でないと全員が写らないのでは、と思う。
でも、今回のこじんまりした表彰式は、どこか暖かみがあり、関係者一人一人の思いが伝わってくるように思えた。

聞けば、サクセスブロッケンは、競走馬として脚にハンディキャップをもち、受け入れ厩舎がなかなかみつからなかったのだという。そんな馬が、ダートの頂点に立った。
表彰式で彼の周りにいた人たちは、本当に家族のようだったのかもしれない。
彼はまだ4歳、これからも大切に育てられ、さらに成長していくことだろう。


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黒馬に憧れる

2009年02月23日 | 馬徒然
私を馬世界に誘ったライスシャワーが「黒鹿毛」だったためか、私は「黒馬」に魅かれる。
馬の資質を見かけで判断するのはナンセンス。でもフォトジェニックでありながら美しく撮るのが難しい「黒馬」は、私にとって永遠の憧れなのである。

シンボリクリスエスは、そんな理想をすべて兼ね備えた馬だった。漆黒で、美しく、気品に満ち、そして「競走馬」として強かった。でも満足な写真は一枚も撮れなかった。
今、その子供たちがターフを走るようになって、私は再び「黒馬」への思いをいだくようになった。
出走馬の父馬蘭に「シンボリクリスエス」の名と、毛色の表示に「黒鹿毛」「青鹿毛」「青毛」とあったら、どうしても撮影したくなる。

今、何頭かシンボリクリスエスの子供たちを追いかけている。皆、父親譲りで額に星のない見事な「黒馬」ばかりである。
そこに先日のGIフェブラリーSで優勝したサクセスブロッケンが加わった。
レース後に厩舎を訪ね、初めて素顔を撮影した。涼しい顔をした不思議な雰囲気のある美しい馬だった。

その後、他のカメラマンの人たちと一緒に今井先生の御通夜にうかがった。何事もないかのようにレースを撮影していたカメラマンのほとんどが、黒装束に身を包んで参列していた。見知ったメディア関係者も大勢参列していた。
今井先生の功績の偉大さを、改めて思った。
今井先生が撮影したかったであろうカジノドライヴは、サクセスブロッケンとの僅差で2着だった。この後、ドバイへ向かう予定だ。

サクセスブロッケン(牡4歳・青鹿毛 藤原英昭厩舎 浦河・谷川牧場生産)
父 シンボリクリスエス
母 サクセスビューティ(父サンデーサイレンス)
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今井壽恵先生の訃報

2009年02月19日 | 馬徒然
競馬写真家として長年一線で活躍されていた今井壽恵先生が亡くなった。急性心不全だったそうである。

つい先日、カジノドライヴが出走した「アレキサンドライトS」の日に、中山競馬場にいらしていた。カジノドライヴが出走したレースを撮影するために、4回も渡米されたとおっしゃっていた。その情熱に頭が下がった。競馬界だけでなく写真界でもトップクラスの方なのに、競馬場のカメラマン席ではいつもにこやかに挨拶してくださった。
まさか、あれからひと月もたたないうちに、このようなことがあるなんて・・・!

今井先生は、競馬が「ギャンブル」として認知されていた時代に、「競馬写真」を「作品」として明確に位置づけ、競走馬をこの上なく美しい生き物だと世に知らしめたた方だと思う。
写真集「通り過ぎるときー馬の世界を詩う」(駸々堂出版・昭和52年)は、斬新で迫力があり、「競馬」という枠を完全に超えていた。
競馬写真の先駆者であり、一時代を築かれた方だった。

謹んで、心からご冥福をお祈りします。

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「北を守る馬」

2009年02月18日 | 馬徒然
須知徳平氏の短編小説「北を守る馬」。それは北海道勇払に打ち棄てられた南部馬の極限の生を描いている(青磁社「北を守る馬」帯の文より)。

ドサンコ(北海道和種馬)のルーツは、南部馬だといわれている。
その昔、東北から北海道に渡って働いた季節漁師や農民が、働き手として同道した馬たちを極寒の地におきざりにして戻っていった。厳しい冬をかろうじて生き延びた馬たちは、次の季節に再び本土からやってくる人々に集められ、労働に従事し、再びおきざりにされる。そうやって次々と連れてこられる南部馬たちの生き残りが、現在のドサンコのルーツだ。

極寒と粗食に耐える、と謳われるドサンコだが、それは極限の厳しさを乗り越えて育まれた命。ある日突然、ともに働き、信頼していた飼い主から置き去りにされた一頭の「南部馬」の生き様が、馬の目線で描かれている。
短編ながら、迫力ある小説だった。

ほかに、岩手山、早池峰山の姫神山をめぐる恋の行方を描いた「山の伝説」などが収められた短編集は、興味深い1冊。

「北を守る馬」青磁社 須知徳平・著
1989年発行
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プリンセス、3戦目

2009年02月14日 | 馬徒然
ポカポカ陽気どころか、「暑い」という言葉まで飛び出すほどの日。
プリンセスは、デビュー3戦目を迎えた。
初めての東京コース、牡馬混合戦、1番人気を背負ったが5着での入線だった。

生まれたばかりのときにプリンセスに会っている瀧澤陽子ちゃんは、「あの小さかった子が・・・。本当に馬って変るんだわねえ」と毎回感動している。
プリンセスの母、マイネカトリーヌは目が見えず、子馬につけた鈴の音をたよりに子育てをしたのだという。(瀧澤陽子著『三角のマリリン』より)

カトリーヌは優秀なお母さんで、重賞勝ちをおさめたマイネルデュプレを送り出し、現在はプリンセスの兄たち(マイネルファヴール、マイネルアベニール)がバリバリの現役だ。プリンセスはカトリーヌ最後の産駒にあたる。

初勝利はお預けになってしまったけれど、その日はきっとくる。
楽しみにしている。

マイネプリンセス(牝3・鹿毛)
父 アグネスデジタル
母 マイネカトリーヌ(父トニービン)


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遠野の冬野菜

2009年02月11日 | 馬徒然
遠野のマリコさんから、遠野の冬野菜が届いた。

ダンボールの中には、「ちぢみほうれん草」「切干大根」「ミニ大根」「なんばん(とうがらし)」「粉なんばん(粉とうがらし)」、そして天然酵母でつくったパンが入っていた。

冬野菜といえば、落ち着いた色の根菜しか思い浮かばない。ところが、ちぢみほうれん草の深い緑色、なんばんのつややかな赤色、なんて鮮やか!
今日、近所のスーパーでもちぢみほうれん草が並んでいたが、色の鮮やかさが全然違う。写真を撮ったすぐ後に、ちぢみほうれん草を食べた。それはそれは甘く、旨いのだー!!

さっさか封を切ってしまった「粉なんばん」「パン」「ミニ大根」の写真も撮ればよかったー!

これはすべて、遠野小友町の「産直ともちゃん」から。
地元の人たちが独自で運営しているので、「産地偽装」などありえず、驚くほど良質の野菜ばかり。
東京に住む身としては、羨ましい限りである。
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走馬灯

2009年02月10日 | 馬徒然
馬をこよなく愛する友人は、この数年陶芸に挑んでいる。毎年グループ展に出展、もちろん、作品はすべて「馬」がテーマ。
「陶芸」というと、単純に「壷」とか「皿」を想像していたのだが、多々の芸術品を生み出す奥が深いものだということを、彼女の作品を通じて知った。

今年の作品は、スタンド。
展示会が終ったあと、彼女がそれをプレゼントしてくれた。
時間と手間隙かけた作品だろうに・・・。
部屋を暗くして、スタンドの電気をつけてみる。会場ではわからなかった幻想的な光が部屋いっぱいに広がった。
「走馬灯」とは、よく言ったもんだなあと思った。

馬を愛する人の想いは十人十色。
暮らし、生産、厩務員、育成という「現場」に携わる仕事もあれば、アートの世界もある。
絵画、写真、陶芸、彫刻、染色、ガラス細工、それから今回遠野で見つけた千代紙細工・・・。
もちろん、それ以外でも、馬に関わる仕事をしている人が多々いる。

いろいろな形で、皆が馬を愛している。
そんなことを感じながら、友人がプレゼントしてくれた「走馬灯」を眺めている。


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新しい風景

2009年02月08日 | 馬徒然
遠野へ行ってきた。
乗用馬生産組合のセイユウさん、そして事務局のスガタさんの協力を得て、遠野の馬生産者のお宅を一軒一軒訪ね、『遠野馬物語』を献本した。
遠野は広い。東京23区くらいの面積がある。馬生産者の家は附馬牛、土淵、松崎、小友、青笹、宮守・・・と点在する。朝9時から夕方6時まで、車でまわってもらったおかげで、ほとんどの方に手渡しすることができた。
本当に感謝です!

出版祝いの昼食会を催してくださった市長さんはじめ、市役所の方。
遠野テレビのインタビュー。
楽しい夜の飲み会につきあってくれたマリコさん。
皆さん、ありがとうございました。

そんなスケジュールの中、「放牧」の日があった。
ジンガ郎とそのご家族の新しい住まいを訪ねた。
ジンガ郎は、乗馬の楽しさを教えてくれた馬である。
場所は上郷町。馬生産者がいなかったので、今まで訪ねる機会はなかった。
早池峰山、六角牛山、石上山という遠野三山を望むことができる町。

古い民家と厩舎。薪ストーブで暖かな土間。umakoさんが作ってくれた卵とじ丼。
かたわらに座っている猫のマツ。厩舎の前でひなたぼっこしている犬のユキ。土間の戸の向うで、放牧地にいるジンガ郎がこちらを見つめている。
挨拶と取材で続く緊張が、一気にほぐれた。

写真は、早池峰山を背景に放牧地で時を過ごすジンガ郎。
釜石線(別名・銀河鉄道)の車窓から栗毛の馬が遊ぶ姿を見ることができたら、それはジンガ郎である。





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遠野産馬ハリーベイ、海外速報

2009年02月01日 | 馬徒然
遠野乗用馬生産組合顧問をされているY氏より電話をいただく。
JRA馬事公苑所属の遠野産馬ハリーベイ(幼名ヴィクトワール)が、ケルンの馬術大会で上位入賞を果したとのこと。

遠野で生まれたハリーベイは6歳。1歳のセリでJRA馬事公苑へ。
当歳のときからずばぬけて大きく、馬事公苑の訓練では並外れたジャンプを見せて関係者をうならせていた。その才能を伸ばすべく、昨年12月から福嶋大輔さんとともにベルギーへ留学した。
そのハリーベイが、ケルンの140頭前後の馬が出場する馬術大会で1桁の成績を収めたというのである。
ヨーロッパでは、競技に出場できるのは通常7歳以上だというが、その中にあって6歳のハリーベイがすばらしい成績をおさめたのである。現地のライダーからハリーベイを譲って欲しいと多数の希望が寄せられたとのことだった。

遠野の生産現場は、数々の困難と向き合いながら日々を過ごしている。それは地道な努力と、やむなく流す涙と、偽りのない誠意の積み重ね。
その結果が、このような形になって現れている。

今日の写真は、当歳時のハリーベイ(鹿毛)。
同じ家で生まれた東宝(トーホー・芦毛)と一緒のショット。
『遠野馬物語』カラーページのトップを飾っています。



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