南部駒の剥製が明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館に飾られている、という情報を耳にしたので行ってみる。ご近所ながら絵画館に入るのは小学生の時以来で、「明治天皇の絵」が飾ってあったことぐらいしか覚えていない。
改めて。
聖徳記念絵画館には、明治天皇と昭憲皇太后のご公務の様子を描いた絵画が展示されている。江戸から明治へと文明開化していく当時の日本の姿が皇室の行事を通して見ることができ、なかなかおもしろかった。日本画と西洋画両方の画家たちによる表現も興味深かった。
さて、お目当ての「南部駒の剥製」は、建物入口を入って正面のスペースに、骨格標本と並んで展示されている。
それは、明治天皇の愛馬(御料馬)「金華山号」で、「日本種」と表記されていた。
明治2年(1869年)4月、宮城県玉造郡鬼首村で生まれた栗毛の牡馬。幼名「起漲(きちょう)」
明治9年(1876年)、天皇が奥羽地方巡視の際に岩手県水沢でお買い上げになった。体高は148cmで小柄、毛色にツヤもなく見栄えは決してよくなかったが、何事にもひるまず沈着鋭敏で、天皇にことのほか愛され、ご公務を130回務めた、という説明があった。
その昔、伊達政宗は支倉常長をローマに遣わして、良馬改良のため数頭の種馬を購入した。当時は天草・島原の乱などで幕府の目が厳しかったため、馬を秘境の地鬼首村(現・鳴子町)に移牧して馬産を行なったという。これが軽種馬生産の創始といわれていて、その子孫にあたるのが「金華山号」だそうである。
政宗が生産した馬は「仙台馬」と呼ばれているようであるが、おそらく「南部馬」と同系列の馬たちだったのだろう。
目の前の金華山号は、すらりとして栗毛というよりは月毛に近く、星も流星もない。見栄えがよくない、と説明されてはいるが、私が今まで見た中で、もっとも美しい「日本馬」だと思う。
展示品の撮影はできないので、「絵画館」の外観の写真だけ。
改めて。
聖徳記念絵画館には、明治天皇と昭憲皇太后のご公務の様子を描いた絵画が展示されている。江戸から明治へと文明開化していく当時の日本の姿が皇室の行事を通して見ることができ、なかなかおもしろかった。日本画と西洋画両方の画家たちによる表現も興味深かった。
さて、お目当ての「南部駒の剥製」は、建物入口を入って正面のスペースに、骨格標本と並んで展示されている。
それは、明治天皇の愛馬(御料馬)「金華山号」で、「日本種」と表記されていた。
明治2年(1869年)4月、宮城県玉造郡鬼首村で生まれた栗毛の牡馬。幼名「起漲(きちょう)」
明治9年(1876年)、天皇が奥羽地方巡視の際に岩手県水沢でお買い上げになった。体高は148cmで小柄、毛色にツヤもなく見栄えは決してよくなかったが、何事にもひるまず沈着鋭敏で、天皇にことのほか愛され、ご公務を130回務めた、という説明があった。
その昔、伊達政宗は支倉常長をローマに遣わして、良馬改良のため数頭の種馬を購入した。当時は天草・島原の乱などで幕府の目が厳しかったため、馬を秘境の地鬼首村(現・鳴子町)に移牧して馬産を行なったという。これが軽種馬生産の創始といわれていて、その子孫にあたるのが「金華山号」だそうである。
政宗が生産した馬は「仙台馬」と呼ばれているようであるが、おそらく「南部馬」と同系列の馬たちだったのだろう。
目の前の金華山号は、すらりとして栗毛というよりは月毛に近く、星も流星もない。見栄えがよくない、と説明されてはいるが、私が今まで見た中で、もっとも美しい「日本馬」だと思う。
展示品の撮影はできないので、「絵画館」の外観の写真だけ。