小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

猪熊さんの愛したアーリーアメリカンのガラス(5)

2010-08-04 11:45:32 | 

    ガラスは可愛い生き物・質素で不安な美

 「一つ一つ手にとって眺めてみると、この固形の生物のような気持
が感ぜられる。不思議な不安の美とでもいおうか、特に可愛がってや
らねばならないような気持ちになる。
ゴージャスでないこの質素な美は私たちにはいつでも必要なこと。
そして何時までもいやにならない永遠の美である。」ー猪熊弦一郎著
「画家のおもちゃ箱より」 p.64 写真:大倉舜二 文化出版局1984年
           

 昔はフリーマーケットにはこの種の瓶がたくさんあって私もいろいろ
と持っていた。太陽に当たると色が変わり、電気の光には鈍く反応し
て美しい。猪熊さんがガラスは生きているとおっしゃるのがよく分かる。
 
或る日変心して好きで集めたのに部屋が狭くなり、何が入っ
いたか分からない小瓶類はバサリと捨ててしまった。
 最近は探したくてもなく、ラッキーでなければ手には入らない。
考古学者の発掘の手伝いをしているおじさんが、日曜マーケットに時
々いて、何メートルも掘ったあとででてきたという古いガラス瓶を並べ
て売っている。手のひらに入る小さな瓶が80ドルもしていた。

左:ニューヨークのフリーマーケットで   右:私の愛用しているピッチャーと瓶たち。

 並べてみた私のオイルランプたち。リンカーンのドレープとか、雄牛の眼とか名前が
ついているものもあり面白い。ランプをこうしてたくさん並べるとあまり美しくないと思う。
明りを照らしてもらうために作られたものは、一つだけ、一人ぽっちが一番美しい。

 
 
私は特にオイルランプが好きでたくさん持っている。それぞれに味が
あり、姿のバランスがよく、シンプルなデザインは本当に美しい。
 
ローソクからラード、クジラ油、ケロシン、ガス灯、電気えと明かりの歴
史はアメリカの暮らしの歴史でもあり、特にケロシンランプは実用性ば
かりでなくデザインも登録されていて限りなく種類がある。装飾過剰なヴィ
クトリアン趣味のものはガラスの場合、むしろ醜いと思う。
 デザイン性があり、どこかに一つあるとシンプルなランプはどんなインテ
リアにもマッチして人々に語りかけてくれる。
 お店に3個あると、どれにしようかと迷い、どれもいいなと思うと多分私
とあって嬉しいのだろうと、いつもまとめて買ってしまい、150年も前のラ
ンプが同居人となり、いつしかたくさん集まってしまった。
 若いころは薄暗いランプの明りで食時をするのも楽しかったが、今は年
齢のせ
いか暗い所で食べるんは美味しくないのでやめている。
 キッチンの棚の上であまり見られることもなく、褒められもせず、明りを
ともされることなく皆で眠っている可哀想なランプたちだ。
 ある日ふとお店であったコレクターの家に行って驚いた!
ロフトの周りが全部何段もの棚、何千個ものコレクションだ。殆ど見たこ
ともないものが多く、説明は美的センスよりも歴史的で大変に興味深い
ものだった。私はランプの姿が好きで増えていっただけの理由だったが、
その後購入はやめた。まとめてランプたちをみると美しくないからだ。
 暗い部屋をポット明るくしたランプは、明りをともすことがなくても部屋に
一個だけが美しい。

 

 


 


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