小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

「二つのハート」

2006-03-29 22:54:38 | ニューヨーク暮らしの日々

ー双子の母親の詩ー

20本の手の指、20本の足の指、
薔薇色ほっぺの可愛い赤ちゃん、同じ日に生まれた天から
の贈りもの、双子の命、愛する二人の赤ちゃん。




口が過密になりだしたニューヨークの街角を歩くと赤
ちゃんが多く特に双子が目立つほど多い。排卵誘発剤の影
響といわれている。1994年から双子出生は33%増加、
50人に一人が双子を生んでいる。

誌サイコロジイによると,双子リサーチセンターでの研
究結果は同じ環境で育っても完全に違う性格であったり、
違う環境で育っても同じものを選択使用していたり、お互
いのテレパシーを感じたり行動がそっくりの場合もある。
遺伝子の影響ばかりでなく人間の行動は生物学的、文化的
環境で左右され双子のリサーチは、複雑でいいようのない
不可解なことが多く、神、運命、遺伝、ラックなど証明で
きないミステリアスなことが多いといわれる。

子の赤ちゃんに「かわいいわねー」と声をかけても二
人一緒に笑ったりはしない。母親たちに聞いてみると「反
応は同じ時もあり、違うこともあり、分からないことばか
りで休む暇がありません!」と神経質気味。ツインマガジ
ン、ツインクラブ、ツインアイテム専門のギフトアイテム
のサイトもあり、仕事が倍になる母親は忙しい。しかし、
ナースを雇う人の方が多い。


「フォークアート美術館主催:ラグの日」

2006-03-23 20:07:36 | ニューヨーク暮らしの日々

誰でも持っている隠された才能

写真は
3月11日、ニューヨークフォークアート美術館のラグ・デイ、
ニューヨーク市代表「Central Park Raggers」のデスク 。

 私は誰でも何か優れたものを持っていると信じています。顔が違う
ように、それぞれが違うアイデアを持っています。其の才能を伸ばす
か、自覚することなく眠っているか、芽をだすか、志を持ってやるか
は紙一重のチャンスといえそうです。  
 開拓時代生きることを目的にした人達が自分の環境に嘆くことなく
限られた材料で手を動かして楽しみ、キルトやラグを作った事を考え
れば作られた価値観の評価が違ってきます。

 アメリカンフォークアートの素晴らしさは、天真爛漫で皆が好きなよ
うに作ったことのオリジナリティの価値にあります。
其のオリジナリティに高価な価値がつくのもアメリカならではです。

 ラグデイは近郊の各州から代表がデスクを持ち、新しいアイデアを
披露します。今年はチャーターバスでランカスターから来たラグ愛好
家たちも参加、一日中賑やかなことでした。
4度目のラグデイですが、年ごとに皆の作品が巧くなり、アイデアもさ
まざま、やっとアメリカでも一般に評価され出し、長い道のりを経て市
民権を得て来ました。近い将来ラグ作りは必ず流行ってくることでし
ょう。

 なぜって、やった人は分かりますが、完成した時の嬉しさは格別で
”又もっといいものを作るゾ!”と思うのです。キルトよりも個人的思い
込みを表現できます。
「長い間会社のことばかり考え、自分で何かを作れるなどとは想像
もしませんでした。孫たちに残せる物を作ったことは望外な喜びです」
というラグ作りに参加した(男性)日本企業のCEOの方のコメントは
手造りを賛歌するアメリカ人たちを感涙させました。

 作り上げた人達の満足そうないい顔は、作る人見る人ともに最高
のセラピーになります。

 *2005年11月20日から12月9日まで新宿のプロムナードギャラリ
ーで開催されました「日米フックドラグ展覧会」のラグは次のサイトで
見ることが出来ます。このサイトは  ただ今工事中ですのでサイト
の中の検索でアメリカンラグまたはフックド・ラグを書き入れて検索
ボタンを押してください。  
http://www.happykurashi.net

 *ラグクラス・材料のお問い合わせは
 「ホームスパン03-5738-3310

 

 


「エメラルドグリーンで埋まる酒場」

2006-03-19 15:43:37 | ニューヨーク暮らしの日々

セント・パトリックス デイ


3月17日といえば恒例のセント・パトリックスデイ
のパレードがあるアイリシュのお祭りです。
 セントラルパークではウイキョウが黄色にかすみだし、
水仙やクロッカスが咲き始め、この日がやって来ると春始
まりのお知らせです。
 
 1846年~50年までアイルランドは飢饉に陥り、イ
ギリスの圧政下疫病が蔓延し、貧民が増えました。新世界、
アメリカへの移住が夢になり移民した数はアメリカ最大と
いわれます。

 貧困による大量移住者のため渡航状況は最悪、多くの人
が船の中で死亡、「棺船」とも言われました。其の上ニュ
ーヨークで待受けていたものはピンはね、だまし、こき使
い、重労働など「ホワイトニガー」とも呼ばれた最低の労
働条件でした。利益をむさぼるため雇用広告には「アイリ
ッシュ採用せず」「アイリッシュ、国に帰れ!」など過酷
な生活条件で、移民した80%の子供たちは死亡しました。
 産業革命が始まり実際にアメリカが最も必要だったのは
労働力でしたが彼らを利用する犯罪の方が大きく労働法が
出来るまで涙のアメリカ歴史です。

 移民2世たちは両親の苦労を体験し、成功すること、ア
メリカンドリームが彼らの支えでもありました。ケネディ
大統領
の登場はさながらアメリカンエスタブリッシュメン
トの歴史です。

 この日は飲み放題、アイリッシュパブはどこも満員です。
ギネスを飲み、伝統のアイリッシュシチュウ、ハムまたは
ベーコン入りのマッシュポテト、或いはアイリッシュコー
ヒーを飲みアイリッシュでない人も一緒に楽しみます。
ニューヨークのポリスは殆どアイリッシュなので最も安全
な日かも知れません。
 


「砂浜美術館、館長はニタリ鯨さん」

2006-03-10 10:32:50 | ニューヨーク暮らしの日々

自然と共存
 砂浜美術館の館長はニタリ鯨です。
(館長がニタリ笑っているのではなく鯨の種類です。)
美術館はありません。美しい砂浜が美術館です。
波と風がデザインする「模様」が作品です。
 砂浜美術館の趣旨は、高知県大方町の町役場
の人達やそ
こに住んでいる人達で考えたユニークなアイデアで大傑作
す。
ご縁があって砂浜美術館のキルトコンテストの審査員をさ
ていただいています。美術館に行くには汽車で東京から
8時間もかかるところです。飛行機で行くよりも「竜馬さん、
あなたは偉い!」と竜馬が歩いて越えた山々を、車窓から
眺めていると8時間などどうということありません。
数日
の滞在ですがもう4年間も続きました。
 
 
美術館の趣旨がユニークなばかりでなく、砂浜で発見す
る宝物があるのです。180度広がる視界はアメリカでは
いたるところにありますが日本では少ないことでしょう。
ただの180度でなく、眼の前に太平洋の海が広がってい
ます。世界に続ながる海です。この環境があったからこそ
竜馬は大きなヴィジョンをもてたのでしょう。この自然の
スペースはキルトのデザインにも影響されていてデザイン
がおおらかなのです。巧く作ろうと努力していない。楽し
んで好きな様に作った自由さがあります。

 有名なキルトの先生たちは誰も知らないような所や初心
者が応募するコンテストなど見向きもしないのは当然かも
しれません。
長い間ミセスのキルトコンテストの審査もし
ましたが、有名なキルトの先生たちは誰も応募しません。
 この辺が日本のキルトがたらい回しになる理由でしょう。
どこかがおかしいのです。何処がおかしいのかはキルター
自ら考えていくべきでしょう。
 
キルトは経験年数で勝負するものではないのです。
初めて作った人でも何十年のベテランより巧い人もいます。
技術の巧さには敬意を払いますが、コンテストは技術が巧
ければ良いということでもないのです。創造力の素晴らし
さを評価するのが審査員の眼だと思っています。何が其の
巧さなのか。それはあなたらしいことです。
子供たちが作ったキルトを見てください。
初めて作った障害者たちのキルトを見てください。キルト
から作者の気持ちが伝達できるものであって欲しいと思
います。それが創作の真髄でないでしょうか。

保育園児の作品  右は身体障害者たちの作ったキルト
(クレヨン:社提供)

 キルトもそうですが砂浜美術館の趣旨も素晴らしいので
す。誰かが作り、皆で協力し暮らしの文化が育っていきま
す。生きている喜びは小さくてもいい、出来ることを社会
私たちの手で参加し、伝えていきましょう。
それが砂浜美術館の「手にハートの世界」なのです。
砂浜美術館: http://sunabi.com/
砂浜便り(blog): http://sunabi.exblog.jp/

高知県サイト:http://www.pref.kochi.jp/ 

 


「プロパガンダ着物展」

2006-03-03 22:12:44 | ニューヨーク暮らしの日々

反抗の着物を着る  
 1931年~1945年までに日本、アメリカ、イギリスの大衆が身に
つけていた戦争中のテキスタイル展がニューヨーク市、バード大学
院(8 W 86 St)で11月18日から2月12日まで戦後60年を記念し
て開催されました。 装飾アートデザイン・文化を専門に展示し、カ
タログも秀逸なものを提供しています。 私は日本が世界的に誇れ
るものは陶器とテキスタイルだと思っています。勿論ロイヤルファミ
リーや一部の富豪たちが特注した豪華なテキスタイルや陶器は何
処の国にもありますが、ナポレオンでも秀吉でもない日本の庶民が
肌に触れて着る着物や陶器の美に対する大衆感覚は格別なもの
だと思います。


 2005年、私は戦後60年の節目にニューヨーカー、レスターグラス
ナーのコレクションを1年がかりで資料の考証と調査、準備にあたり
第2次世界大戦中の「プロパガンダポスター展」大阪展示を企画しま
した。 プロパガンダポスターで日本とアメリカの違いは、アメリカで
は戦争が終わった暁には・・・という楽観と国と企業のヴィジョン宣伝
があったこと、軍国日本では服従と忍耐と貧困で国民を苦しめました。
 ポスターの場合、個人的な表明ではなく戦時下の宣伝、または軍
国主義・服従の宣伝です。プロパガンダテキスタイルとの違いは戦争
モチーフの着物を大衆が着ていたことです。肌に触れることは紙に書
かれたものより個人的でかつセンチメンタル、しかも自ら選択した違い
があります。 なんといっても優れていたのは戦争中でさえ秀逸であっ
た日本のテキスタイルザインです。日本のテキスタイル伝統が大衆文
化であること、選択、着る自由があったことを再認識させられた素晴ら
しい
展覧会でした。
 (この展覧会の着物は武蔵野大学・Hirosi Kashiwagi教授と川村学園
のMidori Wakakura教授の提供によるものです。)
写真はカタログより。