小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

道行く人の慰め・谷中とニューヨーク

2011-05-27 20:57:23 | 暮らしのジャーナル

                               

  家の前を花で飾る

 今年のお正月、ニューヨークから谷中に住み始めた。1月でもすみれの花々が咲いていて心が和む。東京はニューヨークよりずっと暖かく、葉の落とさない木々も沢山あって街をやさしく守っている。
 
 谷中には路地が多く、狭いスペースに鉢を並べていろいろの花が咲く。立派な家屋でなくても花々に彩られれば、幸福な人々の暮らしがのぞけけて楽しい。

 ニューヨークも同じように花壇を作るスペースがないのでコミュニティで街路樹の下に花を植え、各自で出来れば窓を花々や緑で飾る。 ヨーロッパのようにストリート全体、街全体が色をそろえて花を植えるようなことはニューヨークではない。その点谷中の自由選択と似ている。   ニューヨークに花々の絢爛豪華はないのはピューリタンの素朴な伝統かもしれない。

 違いはニューヨークにはレンガか石作りの家、プラントポットも箱もチョイスがいろいろある。
江戸のなごりを残す谷中の狭い路地に咲く花々は下町らしくバケツの鉢などがあっても、花を添えるとはこのことなのだろう。人間が手を添えたやさしさ、国が違ってもどちらも立ち止まって眺める心休まる風景であり、散歩のセラピーでもある。
   
     幼稚園のある谷中の小さなお寺の入口        狭い路地の花々
         

   
                  以上谷中の路地に咲く花々
          
   
   
         
             以上 ニューヨークマンハッタンのウインドーボックス
                                          (すべて小林恵撮影/いずれも住まいの周辺

 

 


公共精神

2011-05-20 07:28:51 | 暮らしのジャーナル

 日本の公共放送

 半世紀近くニューヨークに住みときどき帰国するときも公共放送をみていた。
今年から日本に住むようになっても、限られた時間のテレビは唯一の公共放送NHKを見ている。国会討論を見て議員の言葉使いの悪さに驚くのは私だけではないだろうと思う。批判があっても当然、しかし公共の前で悪い言葉で人をなじるのはマナーがよくないとおもう。事実を放映しているのだから議員の公共意識が薄いということなのだろうか。

 アメリカの公共放送は常に公共性を意識している。NHKも頭が下がるほど良い有益な番組もたくさんあるのは嬉しい。しかし、企画が縦社会的でどうしてこれが公共放送なの?と感じる不思議な放映もある。皆が黙っているのも不思議におもう。

 今朝スイッチを入れると、ニューヨークのヴォランティアが不要の洋服を集め、無料で提供し、その代わりは各自が公共に何かヴォランティアでお返しするためのサインをするという市民のボランティア放送をしていた。
 会場費は無料で提供してくれる教会が会場。女性たちの笑顔が並ぶ。

 この放映の終わりに 「本当に楽しそうな女性たちの笑顔ですね」 とアナウサーが言った。テレビ放映は数分でも効果的なのに 「素晴らしいアイデアの社会貢献ですね」と一言言えば皆の公共意識を高めれる良いチャンスになるのでないだろうか。

「あら!私もあの様な素晴らしいドレスを欲しいわ。いいなー」と思わせるることよりも 頂いた 「報酬がボランティア」 という素晴らしいアイデアを公共放送のコアとして一言伝えたらいいなーと思う。なんでもないような一言の積み重ねが伝達され、よりよい社会をつくっていくのでないだろうか。


日本と外国の違い

2011-05-18 02:09:06 | 暮らしのジャーナル

                             価値観と可能性の違い

 外国を初めて旅行するとまづ暮らしの違いに感心し、それを楽しむ。何度も行くとなぜこうなるのかと考える。特に長く住むと自国との比較を考えるようになる。暮らしの価値観はその土地で育くまれた習慣、それがノスタルジーや故郷恋しやになるのだろう。

 すてきな包装紙を買い、念を入れて包装したプレゼントをアメリカ人はパリパリと真ん中から破き、丸められ、ぽいと捨てる。日本人ならあまりよい気分はしない。そのかわりに中身を見て大げさにキスされたりハッグされたりする。アメリカで生まれた日本人の子供たちは日本の親から習慣的にハッグされない。アメリカの両親はことに付け抱き締めるのでそれを見て育つ日本人の子供たちは ”私の両親は私を愛していないのだ” とひがむ事件がいろいろ起こり、アメリカ暮らしにそこまでなれない両親たちを当惑させることがある。

 昔育ちの日本の親たちは愛情表現に照れる。
ハグされて育てられなかった日本の親たちはネコを抱きしめても幼児期を過ぎた自分の子供をハグしない。親以外に愛情を確かめることができない外国で育った日本人の子供たちは寂しい思いをするらしい。それを知った親たちは愕然とする。空気のようにハグするようになるまでには時間がかかる。
 このたびの大震災で親を失った子供たちをハグしてあげましょうとミデアが言っているのは、とても良いことだとおもう。ミデアが若返っているせいだろう。

 5月17日付読売新聞の一期一絵のコラム、桐谷エリザベスさんの書いた「美しく気持ちを包む」という記事を読んだ。日本の美しい梱包の伝統を書いている。確かに外国人がめでるほど日本の梱包は美しい。しかし日本人には当たり前になっている。これが身についた伝統というのだろう。

 アメリカ的に考えれば、一般論として、中身の問題だから余計は無駄。勿論個人差があるからアメリカ人だって有名ブランドのチョコレートやファッションブランドのショッピングバッグを好む人もある。同じものが並べられていたら目的は中身だから、アメリカ人は安いほうを買うだろう。

 日本では少ない資源を価値づけるために美しく梱包するアイデアが生まれる。魚の干物、干し柿などを魅力的に縄で縛って美しく並べて干す。アメリカ的アイデアだともっと魚を取って大量に少しでも安く売りたい。燻製に加工したり、冷凍や缶づめを作るアイデアが優先するだろう。
 家の廻りに育った柿の木から丁寧に柿を取り、皮をむき、軒下につるしたり、袋をかけてリンゴを守るよりも、山の向こうまで、又は見渡す限り収穫できるように植えようと思うだろう。
 アメリカの田舎の無人のスタンドではリンゴやトウモロコシがブッシェル(35リットル)単位で安く売っている。

 ブツシェルかごをを車に積んで友人に分け与える楽しさ。
そして日本で、食べるのがもったいないほど美しい包の中から出てきた手塩にかけた美しい食べ物。美味しいお茶で小さく分けて友と食べる。

どちらも素晴らしい!いづれも胸がキュットなる嬉しい贈呈品である。

 


キルトに現わす社会意識

2011-05-03 21:02:57 | キルト

アメリカンコンセプト:協力と思いやり

 キルトに現わすコミュニティワークは最高の意思表示になります。
多くのキルターの虎の巻となった「アメリカンキルト事典」は1982年、文化出版局から出版されました。アメリカンキルトの歴史、生活文化を含めてアメリカのキルトの真髄を紹介した日本最初のキルトの総括本です。キルトに関する知識を網羅したキルター必読の座右の書だと自負していますがその後、やさしく作り方を解説した本がいろいろの作者により何百冊と出版されていることはご存じの通りです。
 そして現在何百万人という人がキルトに携わり、キルトインダストリーともいわれるような大ビジネスになったことは本当に結構なことだと思っています。

 最近、47年間住んだニューヨークをはなれ、日本に住むことになりました。展覧会の開催は重要ですが、針仕事をお見せするだけではあまり意味がありません。作り方はもう最高、頭が下がるほど上手です。しかし、何を伝えたいのかが重要です。

 4月24日付き読売新聞に、「キルトにつづる希望」と題して、大田区の主婦、米山幸子さんは沢山の人からメッセージが書き込まれた布地を集めた ”希望キルト”を東日本大震災者たちに贈りたいと制作中であるという記事が出ていました。
 
 ーなぜアメリカンキルトかー 事典を読んでいただければ理解できると思いますが、アメリカ人の血のにじんだクラフトと言われるのは、ほかの国と違うように発達し数限りなくアメリカ中で作られたことです。
 ベッドを温め、部屋を美しくするために作られたのは勿論、女性の発言の旗印に、また助け合いや歴史を刻む手段として、愛情をこめてキルトが作られたこと、しかもそれが社会現象となったこともアメリカだけなのです。移民たちが自由の女神をみて涙ぐむように、新世界で作られたキルトへの思いは、無名の女性たちの暮らしの
発言となっています。

 4分の1世紀を経て、自然現象として同じ様なムーブメントが日本で起きたことがとてもうれく思いました。何かを伝えたいとき、しかも広告代も出さずに心をこめて社会にアピールできる最大のクラフトがキルトです。このことはノーベル世界平和賞をノミネートされたエーズ撲滅キルトでもお分かりの通リです。エイズキルトプロジェクトはエイズ撲滅のパワーフルメッセージを込めた、最も大きいコミュニティ プロジェクトでキルトで世界に発言しました。
[草の根で社会を動かす針と布:アメリカンキルト」:(小林恵著 白水社 1999年 参照)

 日本のキルトフェスティバルで大木に付けた大量の葉っぱや、布地の草はらを布地で作ってみてもあまり意味がなさそうです。その時間を、四角だけでも良い、つなぎ合わせてキルトにメッセージを書き入れ世界の貧しい人たちに贈るアイデアのほうが役に立つのでないでしょうか。

 戦後の日本女性の針仕事でキルトのようにビジネスを確立できたものがあるでしょうか。
歴史に残る現象だと思います。女工哀史で知るように日本では悲しい社会に反抗も出来ず、女性が無視されていた時代、折からの産業革命でニューイングランドの女性織工たちは高給で雇用されていました。
彼女たちから奴隷が綿を摘み、私たちは布地を織って高給をもらうのはどこかがおかしい。これは不平等で社会悪だと、自発的に彼女たちから起した社会運動も一つの引き金となって南北戦争につながっていきました。アメリカ人は初期のころから女性たちの社会意識をキルトに示しました。

 このたびの東日本大震災で亡くなった方たちに心が痛みますが、いろいろの暮らしの原点を考えさせられたことは皆で襟を正す”時”なのでしょう。アメリカ生まれのキルトに日本の社会意識を書き込んだ草の根発言のキルトが出来つつあることを、知って歓声を上げずにはいられません。重要なことは積極的な自らの分かち合える行動だと思うからです。


癌患者への慰めの言葉、祈りを集めた励ましのアメリカン友情キルト(小林恵所有)

アメリカ8代の大統領のサインを集め、リンカーンと就任式にダンスをした人の作った署名キルト。(アメリカンキルト事典)
      
このキルトはフォークアート美術館の館長から所有者を紹介されインタビューもしました。
      19世紀のインテリ女性は職業もなく、せめて女性の社会意識をキルトに表現しました。     
 
      
NHKの「世界の手芸紀行」でも何度も放映され,現在はメトロポリタン美術館の所有です。

最近ニューヨークのアーモリーで600枚以上展示された赤白アンティックキルト。キルトが社会現象でいかにたくさんアメリカで作られたかおわかりのことと思います。 撮影・提供: 貴山宏美