小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

ドーム キルトフェスティバル:針仕事で起きた日本の社会現象

2012-01-29 22:49:09 | キルト


大作を作り上げる誇りとエネルギー

 2012年のキルトフェスティバルはかつてないほどレベルが高く、やりだすと追従を許さない
日本人のキャラクターを観る思いだった。すごい!と思うほど技術的にはトップレベルをいっている。
 着物を作った日本人の伝統的技術とか、布地を愛する執着や扱い方、教えられなくても
日本人の身に浸み込んだ布地をいつくしむ感覚が伝わってくる。

 20年前の1990年、私がプロデュースしたキルト展 「アメリカが日本のキルトにに及ぼした影響展」 はアメリカの美術館三か所を巡回した。ニューヨーク、ジャパンソサエティのギャラリーで展示されたとき、ニューヨークタイムスは1ページに大きく取り上げてくれた。驚いたのは私よりもアメリカ人であった。
 どこの国でも同じ現象で無名のフォークアート、特に女性の針仕事などを新聞の記事にする人は少ないのが普通であった時代、ニューヨークタイムスばかりでなく殆どの週刊誌がコメントを書いてくれたのは脅威的な現象であった。
 ある週刊誌は 「アメリカ人の血の滲んだキルトが、ひとたび太平洋をわたるとアメリカ人を飛び越える。これからアメリカ人は何をするべきか考えさせられる展覧会である」と。
これは日本のキルターに捧げられた最大の賛辞である。


 私は日本のキルターに誇りをもち、それをアメリカに知らせたかったので、とても嬉しかった。あれから20年がたち、さらに作品
は練磨され、キルトの前で ”よくやりました!”と最敬礼をして頭を下げたい思いで眺めた。
皆が巧くなったのは先生たちの指導のたまものだと思う。
 日本の伝統デザインはすでに出来上がっていて、各自が無意識のうちに技の世界を重視しているのだろう。

 願わくばデザイン面でユニークさが表現されればともおもう。
伝統の浅いアメリカで、しかも隔離されていた村、ジーズベンドで作られたキルトを思い起こしてほしい。技を知らず、伝統も知らず、貧しい村で作られた彼らのキルトのデザインはまさにジャズと同じく、血が踊る即興的デザインで人々を感動させる。

 キルトのすばらしさは他の針仕事では感じることができないない、作者と見る人とのコミュニケイションがあることでないだろうか。キルトの平面とサイズはファインアートの100号ぐらいで、、平面とその大きさでも圧巻。展示,観賞でき得るのも、キルトのネーチャーによっている。

写真:アメリカの切手にもなったアメリカの誇り、ジーズベンドのキルト


 即興的に作られたこれらのキルトは私たちに、例え作り方が下手糞でも心楽しく、人々を立ち止まらせ、ハッピーにさせるパワーがあることを教えてくれる。そして上手下手の評価ではなく、楽しんで作るフォークアートの真髄をも伝わってくる。

 アートとは何か。 ”アートとは人々をハッピーにさせるもの” という一つの定義には同感である。2012年のキルトフェスティバルは、創造の素晴らしさを分かち合えた素晴らしく、そして楽しい展覧会であった。
作ってくれたキルターの皆さん有難う。


「小さいこと:しかし改善は難しくない」

2012-01-22 12:15:10 | 暮らしのジャーナル

「小さくても改善できそうなことは発言していこう」

忙しさにまぎれて近くの文京区コミュニティセンター図書館から借りていた本数冊の返済を忘れていた。すぐ返しに行こうと思い手提げ袋に入れておいたのをまた忘れて催促状を2度受け取った。

恐縮して返済に行き、受付で「申し訳ありません。罰金支払います」というとヴォランティアで働いている年配の紳士が「その必要はありません」といった。「なぜですか?」というと ”そのようなことをしたことはありません。”といった。

ニューヨークでは本の返済期日が遅れても謝る必要ない。1日に付15セント罰金を支払うことになっていて、当然を支払い無駄な支出も手数も掛けない。「サンキュー」で終わる。

,受付のヴォランティアにそれを話し、公共施設は税金で運営されているのでしょうから、2度も督促状ハガキ100円を支払って請求し、罰金がないのはおかしいと話すと私の顔を見て
「素晴らしい話ですねー。おっしゃる通りです。私も区に進言してみましょう」といった。(改善されましたらこの欄でお知らせします。(●^o^●))

また配達されたクリスマスカードが30円不足で郵便事業株式会社から料金30円不足のお知らせが来た。ハガキは50円。何かおかしい。

42丁目5番街の角にあるのニューヨーク図書館は70万冊以上の所蔵本を誇り、ニューヨーカーの誇りにもなっている。運営費は寄付金による。5番街43丁目~6番街~42丁目までのマンハッタンの中心で図書館の裏はニューヨーカーの憩いの場所、ブライアンパークになっている。この一角の地下8階まで本の所蔵庫になっていて、どんな本でも20分以上待たされずに運ばれてくる。地下でリクエストの本を持ち出す人は皆ローラースケートで急行作業である。そこにいるのが幸せを感じる美しい閲覧室のテーブルには各席ごとにコンピューターが設置され、本に関するソフトもすべて入っている。

また図書館に電話するとなんでも即時に答えてくれる知識を誇るオタクがいて殆ど即刻回答が戻って来る。分からない場合は電話番号を残せば返答がくる。日本でもリタイアした知識人はこういううサービスボランティアをやっていただけると、さらに日本人は賢くなるのでないかしら?
パーティで何年だったかしらなどとディスカッションするとすぐ誰かが電話して「何年の何事件だそうだ」と解決する。ニューヨーカーにはなくてはならない恩恵である。

若者はPCのほうが早いよというかもしれない。後期高齢者がいなくなる前に、彼らの知識を利用させていただいた方がよい。認知症防止にもなる。アメリカの保険会社が高齢者の健康維持プログラムを積極的にサポートしているように、日本も空いているビルの空間や、お寺や、スペースなどを利用してコミュニティごとに健康管理プログラムをするとよいと思うのですが、いかがでしょうか。谷中の諏訪神社でも朝6時ラジオ体操の集まりをしているけれど夏は蚊がいるし、寒い時はお寺の広間を解放すとか。
マンハッタンには歩いて行けるところで無料で、体操やヨガなど誰にでも解放されている所がある。

ニューヨーク公立図書館:42丁目5番街正面入り口   写真)ウイキペディアよりコピー


アメニティ: ニューヨーク 対 東京

2012-01-11 13:39:24 | 暮らしのジャーナル

 アメニティとは心地よさ、快適性、生活を楽しくさせる事物(自然環境、社会環境を含む)のことで日本でもアメニティの言葉をよく聞く。伝統的美しいデザイン、匠の世界を競う日本でもこと西洋的になると醜悪なものが多いのは、アメリカ人がガラスケース入り藤娘をすばらしいリビングルームに飾るに等しいのかも。

 としては銀座界隈が歩いていても楽しい。小さい店でも心楽しくなり、街全体が努力している。看版のデザインも面白いし、銀座百点も心意気があり楽しい。高級ということよりも、それぞれの店がプライドを持っているからなのだろう。

 日本に帰ってきて、どうしてこうなるのか、お金の問題でなく心楽しくできないのかと不思議に思うことがある。

まづ、快適性を持つ個性的デザインの駅が少ない。たとえば日暮里駅の西口、自転車置き場と駅の入り口が何時も間違えるほど、心楽しくはならない。西日暮里の駅も同じく、白壁もよごれているし、おでかけの楽しみも、お迎えの楽しみもなく、谷中に住んでいる喜びを感じることがむずかしい。日本に素晴らしいデザイナーが沢山いるのにこれは行政のせいかしら。どこかがおかしい。

 街作りはイタリアの田舎の小さな街並みや広場に学ぶことが出きる。日本だってそこに行きたい街が沢山ある。そこは街のアメニティが快適だからだろう。

 ニューヨークの地下鉄は100年前に作られたもので騒音も凄く、新しくできた日本の地下鉄のほうが新しさでは快適かもしれないけれど心楽しくさせてくれるわけでもない。


写真:ニューヨーク・ブロードウエイ72丁目地下鉄の駅。100年以上たっている。

72丁目の駅の外で無料で頂ける地下鉄の地図をキャンバスに、アート作品を楽しむアーチストたち。「おいくら?」と聞けばにっこり笑って「あなたの好きな値段」と答える。

写真左:14丁目8番街の地下鉄駅入口  右:タイムズスクエアの乗り換え用階段



トム・オッタネス(Tom Otterness)の現代に皮肉をこめたブロンズが乗客に語りかけ楽しい。

写真右:中央駅からタイムズスクエアまでの電車構内の壁画はどの車両も意表をつくデザイン

ニューヨークの車内で居眠りしている人はあまり見ない。魚の国日本でも、大衆浴場でもない。NY
の地下鉄の壁。

ダウンタウン地下鉄のインフォと地下道のタイル絵。広告もなく退屈しないで地上へでれる。
騒音なんかかまわないよ。楽しいんだもの。やりたいことをやる。喜んでくれる人があれば100万ドルさ。(1ドル紙幣が
ポンとはいる。「へい! サンキュー!」  地下鉄のホームで 。
悩んだり文句言う暇のない忙しいニューヨーカーだ。

谷中のお寺の掲示板に「やらないと何も発見しない。やって見て己を知る」 と書いてあったなー。