世界中に祈る人がいるーしかし憎しみを繰り返しおもいだす人もいるー
貧しい国を旅行して、みちばたの小さなイオリに手を合わせ熱心祈っている人をよく見かける。
「ああ人間の善意っていいものだなー」と立ち止まって眺める。
誰かがそこで亡くなったのかも知れない。奇跡が起こった場所かも知れない。または教会やお寺を建てることが出来なかった市井の人が、
感謝して作ったのかも知れない。偶然に町に、またはその人に繁栄をもたらしたお猿さやん狐さんかもしれない。
谷中の街角に今も小さなお地蔵様が祀られ、いつも誰かがお花を添えている。ときどき手を合わせている人を見かける。
戦争中、焼夷弾を避けて防空後に逃げこんだ人たちの真上に焼夷弾が落ちて全員がなくなったという。
理由はなんであり、守ってあげたい。 生きた証を伝えていきたいと願う人間共通の善意や祈りは美しいとおもう。
日本では山路に立つお地蔵さんは亡くなった人の菩薩像だったり、外国では聖母マリアだったり、その土地で生まれた聖人であったりする。
子供のころ、「感謝する時はどこでも,誰がい居なくても手をあわせるものですよ」 と母が言った。
あまり手をあわせない不肖な娘だけれど母の言葉は忘れてはいない。
メキシコで貧しい姿のインディオがすべてが金張りの豪華絢爛バロックデザインの教会の祭壇の前でひざまずいて静かに祈っている。
権威にひざまずいているようで、それを見るのは切ない光景だ。
人様の国の建物を叩き壊し盗みをするもの、悪いリーダーに先導されるもの、そして法の力で守るというもの。
土地は神様からの贈り物で売るものではないというアメリカン インディアンの思想はマンハッタンを25ドルで売ったその時から滅亡の道をたどった。
マンハッタンは世界の繁栄のシンボルとなり、土地売買は常識となっている。これからどこに向かったらいいのだろうか。
子供のころ、漢文の時間で子曰くといろいろな人生の名言を習った。
孔子様、どうぞあなたの叡智でさまよえる羊たちに教えてください。
谷中のこんこんさま 谷中の庵。 防空壕でなくなった人の名前が奉納されている。
ギリシャの小さな島の草庵