小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

砂浜美術館のキルト公募展;2013年

2014-01-27 11:56:42 | キルト

 砂浜美術館の2013年の審査は楽しいものでした。私はキルト作りを教えていませんからこうすればもっといいのにと助言をしたことがありません。
審査の時は作者の氏名はわかりません。しかし、審査前に読んだ作者たちのキルト作りに込めた皆さんのコメントの数々がとても秀逸なのです。文章だけで感動的なものがたくさんありました。正直に自分の作る動機を書いているからです。

 なぜ作っているか、何にフォーカスを当てたかなど心を籠めて書いてありました。つねづね感じていることですが、日本人は即答をしない人が多いです。多分日本人のつつましさなのかもしれません。自分ばかりのことでなく、人様への感想もすぐは出てきません。誰かに褒められても黙っている。それは失礼なことでないでしょうか。即刻自動的に 「ありがとう」 が出て来るのが素敵と思います。ニューヨークでは通りを歩いているとき、すれ違った人が、「すてき!」と声をかけ、「サンキュウー!」といってすれ違うことが常です。ビジネスでも即刻の返事がプロの常識になっています。このたびのコメントはいつになくは率直に書いてあったのは嬉しいことでした。

この10年間の成長はキルターばかりでなく砂浜美術館の運営も素晴らしく、皆さんと分かち合いたいと思います。現在の理事長は村上健太郎さん、私が最初に始めた時、ヴォランティアで来ていた方です。横浜からわざわざ来たという彼は富士山の観測所がクローズしたので降りてきた方です。砂浜が気に入って住むことになり最初の職業は郵便配達。実践を尊重するのはアメリカでは普通ですが一軒一軒配達して村の人たちがわかったといいますから嬉しい。現在はNPOでさまざまな企画で飛躍的に活躍しています。

 
    わさび田:宮川修子:黒潮町    コスモスの丘:中山美智子・福岡県    花明り:小松愛子・高知県    点描:ラッキョウ畑・大方町民間デイサービス
                                                                      参加者、    協力・森澄子
 
 天空からの眺め:山中志津香・高知県   ひらひら:宮川真理子・黒潮町      最後の航海:浜崎あけみ・黒潮町    私と弟:(皆川明さんのわたしちゃん)
                                                                                   山下和子                                                                                                                                                

キルト公募展の課題は”自然”。キルトのサイズはクリブキルトサイズ、最初の審査を考えると応募者たちの作品を作る態度の変化に心から感慨無量になります。

集まった四国の新聞記者たちの一人が質問しました。「大賞を取ったキルトのどこがいいのですか?」と。
「単純で美しいこと。変化のないわさび畑を主題にして上と横に今まであまりしなかった違う布で墨絵で背景を描いていることなど、すごく新しいです」
というとその記者は「そんなキルトもいいのですか!僕もう一度見に行ってきます」といってあぜ道を走りました。 ミデアが新しい発想を認めるのは嬉しいことです。

宮川修子さんの「わさび田」は畑をみた感動をキルトにし、見る人も釘打ちにされます。人を感動させるのは単純、複雑、細かい針目、などではないと思います

 中山美智子さんの「コスモスの花」、アップリケの上に薄いシフォンの花びらがたくさん重ねてつけてあります。風が吹いてきました。コスモスの花はまるで畑のコスモスが揺れるようにひらひら動き、感動しました。シフォンは切りっぱなしですが、もし花びらを2枚合わせにしてつけてあると自然の風には歌わないと思います。キルトを使用しているうちに抜けてきても構わないと感動しました。


小松愛子さんの「花明り」の桜は6角形の桜の花びらにはさみを入れて開き、花が咲いているのです。すごい技術でこれも感動しました。この桜もそよ風に花びらが揺れました。

森澄子さんがシニア施設の方々を指導した点描の「ラッキョウ畑」は新しい試みで秀逸です。

山中志津香さんの「天空からの眺め」は松林の木木を幹と同じラフな布地を使用して、空からのアングルも楽しいです。

宮川真理子さんの「
ひらひら」 キルトは技術的に今一ですが、詩的な描写でユニークです。

浜崎あけみさんの「最後の航海」は海を愛し 癌と戦い海に行き海で亡くなったは夫のために捧げたキルトです。キルトで夫に語りかけている彼女のコメントは感動的なものでした。夫に捧げてキルトを10枚ぐらい作っているのも観る人の心を打ちます。

山下和子さんの「私と弟」は2013年の春、ソーエンに発表された皆川明さんの "私ちゃん" という縫いぐるみの型紙から私と弟のキルトが生まれました。幼くして亡くなった弟のための鎮魂歌だそうです。手足もアンバランス、髪の毛も1か所にしかはえていず、気の毒な縫いぐるで多くの人は可愛いと言わないかもしれません。しかし見る人にとってはすごくかわいいのです。評価が変わりコミュニケイションが広がり自分の世界を作って行くことは時間がかかることですがユニークなものつくりと発想の起爆剤になり、そのコミュニケイションができていくことに感慨無量になります。布地をミディアに広がる世界は無限です。

 参考:砂浜美術館     〒789-1911 高知県幡多郡黒潮町浮鞭 3573-5  ℡:0880-43-4915 E-mail: nitari@sunsbi.com      http://sunabi.com

 

 

 


砂浜美術館のキルトコンテスト;全国公募展

2014-01-23 20:54:56 | キルト

      「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。館長はクジラです」  

 キルトジャパンの公募展の審査が始まったときから10年が過ぎ、審査員を1970年ころからコンテンポラリーキルトで革新的だったマイケル・ジエムス、池田満寿夫さん、新井淳一さん、
福田繁雄さん、などに審査をお願いし、10年ぐらいは審査に加わってくださいました。
応募者も本当にハッスルして新しいキルトがたくさん応募されました。その後審査員はキルトの先生方に変わり、デザインの試みは常識的になったと思います。
ミセスの公募展のキルト審査は6年間続き、砂浜美術館の審査は今年で11年目になります。その間数年重なっています。

 砂浜のオリジナルキルト展は当時NHKエンタープライズの社長であった友人から「日本の自然環境研究で大学の卒論を書くために高知県の黒潮町に行ったまま7年も娘は帰ってこないのです。キルト展を年中行事でやっていますが、ひどく遠いところですが恵さんに審査を頼みたいのですがまさか行ってもらえませんよね」といいました。
私は「いきます」と即答しました。当時はミセスの審査もしていましたから東京から行くのは時間的にも経済的にもニューヨークから来るよりはは都合よしでした。

 高知県黒潮町は本当に美しい処です。
人家のない美しいドライブウエイの横にはらっきょう畑、その後ろは松原に続く白い砂浜、その前は遮るものがない太平洋が広がります。
公募展といってもまだ知る人ぞ知る程度のもので、ローカルエベントという感じでした。

 10年の月日からいろいろのことを学びました。ラッキョウの花畑とキルトを展示している松原の間は狭いあぜ道だけです。
ある日、若い子がサーフイングのウエットスーツのままキルトを見ていました。
そして「素晴らしいわね。私もやってみたいなー」 といいました。  
「やれば誰でもできることがキルトの面白おもしろさなのよ」 というと
「私は針をもったことがないのです」    
「針目とか方法に従うことないのよ。作り出す、やってみるのがいいんじゃない?」 と少しの会話でした。

数年後その子は高校の先生になり、クラスの人と一緒に作ったキルトが応募されました。

 見る人を幸せにするものがアートだといったアメリカのおじさんの言葉を思いだしました。心からにっこりです。

                                                    

 どんと上がった花火。切りっぱなしの布のまわりをぶつぶつと大きい目で縫ってあります。花火の中心はテルテル坊主の頭のような詰め込んだ円球の塊。
飛び散った花火は一枚で表現出来ず、2枚目に伸ばした2枚続きのキルトです。 なんて大らかで楽しいキルトでしょうか。ドライブウエイまで離れてみると俄然ドーンという花火の瞬間が見えるようでした。大賞を上げたいぐらいでしたが、長年努力して一生懸命針目を運んだ人に申し訳ないかもと悩みました。大賞はあげれないけれど、このキルトは忘れえぬメッセージを伝えてくれました。 作り出すってなんだろう。といつも考えます。アメリカに来てアメリカンフォークアートの拙さのチャームに感動していました。何も知らないで作り出した行為、その動機そのものにも感動してきました。やる気が大切。それからは努力次第です。

そして日本に帰国して匠の世界の展覧会を見るたびに伝統の素晴らしさに考えさせられます。

どちらも大切にしていきたい大事なことだと思っています。

(砂浜キルトコンテスト2013年は次に続きます。)

  
  

   


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 


私の青春・アメリカンキルト

2014-01-15 21:33:44 | キルト

 ーベッドには美しいキルトがかかり、しかもきちんとかかっているー

 アメリカに行って何が一番印象的だったかと聞かれれば、どこの家に招かれても住まいが美しいこと、しかも機能的なことだった。ベッドルームは勿論、ドアを開けクローゼットの中まで見せてくれる。女性たちはハウスマネージメントの上手さをお披露するのだ。
 どこの家にもあるキルトはほとんどが手製、どれ一つ同じものがなかった。多くは幾何学模様でよく分析するとデザイン構成がなるほどと感心させられた。
そのころはあまりキルトの本も出版されていなかったし、展覧会も皆目なかった。

 どこの大学にもアメリカーナが学科としてなかった頃、やっと専門のアメリカンフォークアート美術館ができ、館長のロバート・ビショップがニューヨーク大学で特別講義を持つことになり、好き者同士が集まったため館長はじめ、生涯を通してのよき友にも巡り合った。

 千枚以上折り紙で折った折り線をたどって色彩を変えればどんな幾何学模様もデザインが可能であることを発見した。調査を始め、ニューイングランドをくまなく歩くことにもなった。

1983年、「アメリカンパッチワークキルト事典」を文化出版局から出版した。
どうしてもアメリカンキルトの展覧会を日本にもって行きたいとロバート・ビショップに相談すると、「あなたのアイデア早すぎる。その前にアメリカでやりましょう」ということになり 「第1回グレートアメリカンキルトフェスティバル」がニューヨークで開催された。スポンサーは3M.ウエストサイドのピアで始まった。

 
 アメリカで最初のキルトフェスティバルの優勝者とフォークアート美術館の館長   アメリカンパッチワークキルト事典の表紙になったキルトの前で     キルト事典を書いたころNYCの日々

          ロバート・ビショップとともに。1982年

   

キルト事典出版後、日本でキルト公募展を企画10年以上審査員をつとめた。本を書いていたとき石津謙介さんの紹介でニューヨークに訪ねてきた野原三輝と。
グラフイックデザイナーの彼は僕はビジネスをやるとキルトスクールを開き、私がアイデア、インフォメーションを送付しキルトの学校を作り、キルトジャパンというマガジンの出版を始めた。それが10冊ぐらいでヴォーグ社に譲ることになる。NHKの世界手芸紀行の一つ、「アメリカンキルト」のドキュメンタリー10日間の撮影とリサーチは 「ああ、若かったなー」 と思い出しても胸が躍る。このドキュメンタリーは20回以上のNHKから放映されたときく。


                   
           

福田繁雄さん、、池田満寿夫さん、マイケル・ジエムス、チャック、瀬戸忠信ヴォーグ社長等との審査は本当に楽しかったし、作者たちもハッスルしていた。

今年でNHKのキルトフェスティバルは13回目になる。スタート前にNHKからディレクターを頼まれたが、コマーシャリズムは私の意向とは違っていた。

しかしキルターたちの努力も30年もたち、みなさん自立し、影響を分かち合っている。技術的な巧さは世界一。最敬礼をして会場をみて回る。日本の匠の世界はすごい。何をやっても日本人の血が滲んでいると思う。幸せをはこぶ歯車のエンジン掛けになったことを、自己満足だけれども嬉しく思っている。調査当時、ハーバート大学で教鞭をとっていたライシャワーさんから、「キルトの研究のご成功を祈ります」との激励を受けたことも私のエネルギーの原点になった。
打ち込むことをアメリカ生活から学んだことを今、日本で感謝している。疲れを知らないで打ち込むのが青春時代なのだろう。

数日前アメリカ大使館に永住権破棄の申請を終えた。50年の月日がたっている。「本当に破棄しますか?」「はい」と答えこれからやることを考えていた。

バーハウスのような世界に影響を及ぼすキルトデザインが近い将来, 
日本から発信されることを心から祈っている。

 


ヤッター!1か月1度、2時間の教室で完成したラグたち。見てください!!!

2014-01-08 15:35:10 | フックド・ラグ

  
                  藤原一枝作                              原崎信子作         齊藤千恵子作                 原崎信子作


     
あなたの手作り アメリカン フックド・ラグ 

 ラグ作りは刺繍とも違います。キルトとも違います。あらゆる表現方法で創作され、自由創作のチャームは見る人の微笑みを誘います。キルトより面白いです。
 デザインは身近な暮らしの情景から創作されました。「僕は手芸にはあまり興味がないのです」 と少しばかり見下げた感じで興味を示さない男性も多くいます。
構いません。無視しましょう。誰かが評価すると男性は見直すんです。そこに女性が創作を発揮できる土壌があるとおもいませんか?

日本に帰国して3年の月日が過ぎました、1年間何も知らない人たちが1か月1度、2時間のクラスで出来上がったラグたちです。写真を送付することが出来ずすべての作品をお見せすることはできませんが「どうお?」との感想は

「初めはとてもついていけないと思いました。下手ですが自分をほめたい気分です。」
「当分は誰にも踏ませません。股いでいただきます」 

この喜びは代えがたいものです。私がアメリカでキルト同様ラグがなぜ作られたのかを考え、どうしても日本のみなさんと分かち合いたいと思ったことが、やっと日本に帰国することでコミュニケイションができたような気がします。精神的にも自立していく人たちを見ていくことはラッキーなことで学ぶことが多くあります。

下手で結構です。あなたしかできないことをすればいいと思います。自分の作ったものがあなたの周りにいて暮らしを楽しくさせてくれればどんどんアイデアが伸びていくことでしょう。1年間楽しくご一緒させていただき生徒とともにいろいろなことを学ばせていただきました。下はチエアマットです。
 


      上原陽子作      
     福田節子作         細山萌子作       上原陽子作       奥井 周子作           川上晴美作

   川上晴美作              ウエルカムマット                             ウエルカムマット細山萌子作

    ウエルカムマット 岡本登志子作                ウエルカムマット奥井 周子作               ウエルカムマット大津幸子作  

1日中一生懸命フックしてはがき1枚分の大きさしかできません。しかし100年は持つのです。毎日使用しても孫の代まで持ちます。
小物は捨てられる運命になりますがこの大きさは、捨てる人はいないでしょう。罰が当たりますから。世の中にお化けはいるんですよ。

 この達成感は作った人だけが知る誇りになります。自分のために作ったあなたのものです。ドアを開けるとウエルカムマットが迎えてくれる。
「私がつくったのよ!」 訪ねた人もあなたを見直すことでしょう。これは処女作ですが、作り方やコツがわかるとこれからは才能を発揮できるアート作品に移ります。

何のために作るのか、と問いかけながら挑戦してみましょう。自分らしさの表現からアートが生まれていきます。自分発見の旅です。
1年間、皆さんから学ばせていただきました。有難う。

 

                          お知らせ;教室の移転 ホームスパンより谷中教室に移転しました。
                              2014年スケジュール。新規初級クラス募集中
                                  問い合わせ・03-6670-8019
                                   keikobayashiny@gmail.com
                                                                         http://www.ny-apple.com
                                                                                小林恵 直接指導
                                                 
参考資料:小林恵著:「アメリカンフックド・ラグ」2002年 主婦と生活社