2nd Avenue~Bowery~Elithabeth Streetの界隈
暑さの後の快適な天気は散歩に限る。昔は ”どうしてニューヨークはこんなに快適な青空が毎日広がるのだろう” と不思議に思うほど快適な天気が続いたものだ。一日中雨が降ることなどめったになかった。
地球が泣いていることを世界中の人たちが身をもって感じた今年の暑い、熱い夏だった。
秋分を期して美しい日が続いている。今ユダヤのお正月。不思議なことにユダヤ人のお正月は必ずと言ってよいほど晴天になる。「天文学者が計算した上でお正月をきめたことなのかしら?」と云うと「そうね。だって選民のやることだもの。当然だわ」とユダヤ人の友人は笑った。
ダウンタウンを目的なしに2時間半ほどの散歩を楽しんだ。古い町はいろいろの建造物があり個性もあって面白い。特にニューヨークの建造物はいろいろな様式を改良しているので退屈しない。記憶しておきたいもの、変化しているもの、修復された建築物、新しいレストラン、落書き、アートなど、いつ来ても何かが動いている。 それは皆で分かち合いたいと願う名もない人々の試みであり、主張であり、街壁はキャンバスにもなる。2時間半のダウンタウンの散歩は変化していくニューヨークの記録でもある。
皆生きている。みな頑張っている。何かしなくてはいけなくなる。街角から勇気をもらうニュー
ヨークだ。
ハウストンとバワリーのアップタウン側の壁面はキース・へーリング(80年代)が有名になったところ。(写真右) 現在も歩くたびに立ち止まるところだ。このスペースはアーチストならばやってみたい憧れの大キャンバスだろう。こういう壁が残っているのも嬉しい限りだ。いづれ無くな
るに違いない。
ニットで覆われた車と自転車。立ち止まって写真を撮っているとどこからともまく 〝見てくれてうれしい” と声が届いた。感心なことに模様を入れながら編んでいる。オッデンバーグも感心することだろう。バワリーストリートはジャズのクラブや、庶民のバーでにぎわったのは戦争前のこと。ずっとすさんだ感じだったが、今新しいワインバーやセンスの良いレストランがオープンして変わりつつある。みな自分たちで工夫しているので、椅子もテーブルもまちまちだったり、しかもセンスがよく立ち寄りたくなる場所が増えたのも楽しい。
修復された古いビルは個性があって住み心地もよさそうだ。19世紀の初めに建てられた赤いドアがシンボルの消防署は立ち止まるほどチャーミングで、まだ何か所もニューヨークに残っている。街が小さい時のノスタルジックな建物, コミュニティべースで建てられた建造物ががどんどん消えてなくなっているのは寂しい。人間同士の心地良いつながり、豊かさとは何かを教えられる。