小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

「ニューヨークを歩けば」 ダウンタウン散歩(1)

2010-09-26 16:58:00 | ニューヨーク暮らしの日々

            2nd Avenue~Bowery~Elithabeth Streetの界隈

 暑さの後の快適な天気は散歩に限る。昔は ”どうしてニューヨークはこんなに快適な青空が毎日広がるのだろう” と不思議に思うほど快適な天気が続いたものだ。一日中雨が降ることなどめったになかった。
 地球が泣いていることを世界中の人たちが身をもって感じた今年の暑い、熱い夏だった。
 
 秋分を期して美しい日が続いている。今ユダヤのお正月。不思議なことにユダヤ人のお正月は必ずと言ってよいほど晴天になる。「天文学者が計算した上でお正月をきめたことなのかしら?」と云うと「そうね。だって選民のやることだもの。当然だわ」とユダヤ人の友人は笑った。
 ダウンタウンを目的なしに2時間半ほどの散歩を楽しんだ。古い町はいろいろの建造物があり個性もあって面白い。特にニューヨークの建造物はいろいろな様式を改良しているので退屈しない。記憶しておきたいもの、変化しているもの、修復された建築物、新しいレストラン、落書き、アートなど、いつ来ても何かが動いている。 それは皆で分かち合いたいと願う名もない人々の試みであり、主張であり、街壁はキャンバスにもなる。2時間半のダウンタウンの散歩は変化していくニューヨークの記録でもある。
 皆生きている。みな頑張っている。何かしなくてはいけなくなる。街角から勇気をもらうニュー
ヨークだ。

  
ハウストンとバワリーのアップタウン側の壁面はキース・へーリング(80年代)が有名になったところ。(写真右) 現在も歩くたびに立ち止まるところだ。このスペースはアーチストならばやってみたい憧れの大キャンバスだろう。こういう壁が残っているのも嬉しい限りだ。いづれ無くな
るに違いない。
 
                 
   ニットで覆われた車と自転車。立ち止まって写真を撮っているとどこからともまく 〝見てくれてうれしい” と声が届いた。感心なことに模様を入れながら編んでいる。オッデンバーグも感心することだろう。バワリーストリートはジャズのクラブや、庶民のバーでにぎわったのは戦争前のこと。ずっとすさんだ感じだったが、今新しいワインバーやセンスの良いレストランがオープンして変わりつつある。みな自分たちで工夫しているので、椅子もテーブルもまちまちだったり、しかもセンスがよく立ち寄りたくなる場所が増えたのも楽しい。

         
 修復された古いビルは個性があって住み心地もよさそうだ。19世紀の初めに建てられた赤いドアがシンボルの消防署は立ち止まるほどチャーミングで、まだ何か所もニューヨークに残っている。街が小さい時のノスタルジックな建物, コミュニティべースで建てられた建造物ががどんどん消えてなくなっているのは寂しい。人間同士の心地良いつながり、豊かさとは何かを教えられる。


 


「小林恵アメリカ人形コレクションの話:4」

2010-09-16 18:31:58 | アメリカ人形
 今から30年前以上も前のお話です。セブンスアヴェニューに会社を持ち、30代は仕事が終わるとフリュートの練習をし、40歳の誕生日には自分の誕生祝いにダウンタウンのプリンストン ストリ-トにあったズッかカマンハープシコードの会社からフレミッシュスタイルのキットを買いました。ベッド程の大きさの箱にバラで部品パートのすべてがめちゃめちゃに入っていました。それから一カ月ベッドの横に青写真を張り付け部品の名前を覚え、パートの名前を付けて分類しました。仕事から帰ってきて夜の12時まで熱中し、大奮闘の結果半年かかって完成させました。 
   ところが本職のファッションビジネスが面白くなくなり、ファッションは一生やる仕事でないと悩み始めました。1979年日本に帰国した折、尊敬する南博先生に「アメリカで学んだこと企画、プロモートする仕事をしたい」と相談しましたら「それはいい。ぜひおやりなさい!」と資生堂・ザ ギンザの社長の山田勝巳さんを紹介してくださり、即刻アメリカ人形展が決まりました。同時に文化出版局の編集長であった今井田勲さんに会い、人形の本の出版も決まりました。私の処女出版で1979年を期して第2の人生が始まりました。このチャンスを記念して南先生と東恵美子さんとカリビアンのクルーズに行ったことも楽しい思い出になりました。

アメリカ人形:文化出版局1980年のチラシ    いろいろの雑誌や新聞に取材されました。



毎日グラフ、1980年12・21、資生堂ザ・ギンザで展覧中に”南北戦争から現代まで、人形で見るアメリカの一世紀”と題して7ページ,毎日グラフに特集されました。
  
      
             
 どなたかが人形の本を当時ハーバード大学の教授をしていた元日本アメリカ大使のライシャワーさんにプレゼントしてくださった方がいて、ある日、ライシャワーさんからお手紙を頂きました。当時はハーバード大学で日本文化の研究所長でもありました。”アメリカ人でさえ知らないものをよく調査し、集めてくださったことに感謝します”旨のお手紙でした。”知らない文化を紹介する仕事は私と同じです。キルトを現在研究しているそうですが、ご成功を祈ります”と書かれてあったのは身にあまる光栄でした。当時はリサーチの明け暮れの日々でしたが小さなことですが一生懸命やれば何か光が見えるような気がし、ライシャワーさんの激励を人生の宝として名もない人たち、アメリカの普通の暮らしの文化のエネルギーを調査しつずけています。 
 30年間も倉庫で眠っていた人形ですが、何かのご縁で、このたびギンザ・ミキモトでアメリカ人形展が2011年4月7日から3週間、ミキモトのご厚意で展示されることになりました。人形を含め、皆さま方の暖かいご支援があればこその人生でした。
 来年ミキモトでぜひ人形たちに会ってあげてください。ホームシックで病気になっているかもしれません。人形たちもできるだけ日本の皆さんにあいたいと騒いでいます。その声が聞こえてきます。家族、友人、あなたのご存じの方すべてに口コミ宣伝し、お誘い合わせでゾロゾロといらして、海を渡って日本に移住したことを激励してあげてください。
 御木本幸吉が外国に行ったころからの人形たち、そして1930年代までに生れた人形たちです。いま、何か不思議な思いにかられています。会場で皆さまとお目にかかれますように今から楽しみにしています。長い間忙しさにまぎれて倉庫で眠らせていたお詫びに、恐縮ですが人形に代わって、宣伝ささせていただきました。小林恵

「小林恵コレクション・アメリカ人形展」
場所:ギンザ・ミキモト ギャラリー 6階
期日:2011年 4月7日~4月28日まで

参照;www.ny-apple.com
http://blog.goo.ne.jp/gookeikobayashiny-2005 
ブログ「小林恵のNY通信:アメリカ人形」
アルネ:  第23号・特集 小林恵さんのアメリカ人形/大橋歩
銀座百点: 第636号・2007年11月 旧友再発見の旅/山根基世

「小林恵のアメリカ人形コレクションの話」(3)

2010-09-14 12:40:24 | アメリカ人形

       旧友の思いやり 2:大橋歩さんのアルネ23号でアメリカ人形を特集

 大橋歩さんとは長いおつきあいで、いつも精力的に働き、次から次へとアイデアに満ち見事な仕事をクリエイトしていることはご存じの通り。甘い声で静かなやさしい話し方をする。
おしゃれを作り出す名人、暮らしの美学を持っていて、友人にはロイヤルである。いつも忙しく働いている。しかも驚くべき生活力がある才媛だ。しかもストレスを感じさせない余裕と優しさを持っている。

 私も同じく働き虫だけれども、実質的でない。決めたことには夢中になり、山のようなリサーチに平気で時間をとる。しかも家族がいないのでいつも時間を計算しないのが欠点。
じっとしていたり、ボーっとリラックスすることが本当になく、楽な椅子に座るより硬い90度背のクッションのない椅子のほうが好きで、遊びに来た友人は恵さんはどこでリラックスするの?と。
多分歩さんも日中横になってリラックスすることなどないと思う程の働き虫では共通している。
歩さんは転んでも、ただでは起きないタイプ。本当に友人ながらあっぱれ人生、大橋を堂々と歩んでいる。
 どのぐらい彼女の影響力があるかというと彼女のイラストファンで育った若者が一杯いる。
しかもファッションでは大橋歩とそっくりさんのおかっぱ、丸眼鏡、白が美しいと言えば、食器をすべて白にそろえ、これがおいしいと言えばそっくり同じものを食べる熱烈ファン、コピーキャットが居ることだ。これはものすごい時代の寵児だということだろう。

 ある日、歩さんは「恵さんのアメリカ人形」をアルネの雑誌に特集したいと、日本に帰国した時連絡してくださった。私たちは渋谷のコーヒー店でしばらくぶりに再会した。人形の写真はすべてニューヨークに置いてあるので、やむなくアメリカ人形の本から転写することになった。
驚いたことにすべての人形を乗せてくれたのは人形たちも 「やったー!」と叫んだに違いない。人形一同と感謝し、晴れがましい思いをした。以下がアルネのコピーページ。1986年、横浜の人形館のアンコール展以来の記事のお目見えとなった。その上アメリカ人形の本からわざわざ転写していただいたのに5万円も頂いた。人形たちに近い将来、飴玉を買ってあげようと思っている。

       
  
                                             
 9ページ、人形たち全員です。写真が小さくて残念ですが、  アルネには美しく出ていました。アルネ23号をファンの方々ぜひ見てくださいね。


旧友の思いやり:アメリカ人形の話:(2)

2010-09-09 16:19:12 | アメリカ人形

 「長い間無視していた私の人形たちが今、ガヤガヤと騒ぎ出している。」

 山根基世さんがNHKを引退して、わくわく自由!ついにその日がやってきてすぐにふ
っ飛んでニューヨークにやってきた。
それから10日間、毎日6時間はニューヨークを歩
いた。ほかの人が案内すればまず有名な人気100点を選ぶだろう。それはすでにたく
さんの本が出版されていて皆の知るとことでもあり、ほかの人が案内出来ることである。
友人や家族が訪ねてきてもいつも何かのプロジェクトがあり、案内は誰にも全くしたこと
がなかった。タイミングは最高。
 私は基世さんにツーリストは普段いかないところを案内しようと、毎日を二人で過ごし、
よく歩き、しゃべり、よく食べ、忘れ得ぬニューヨーク散歩になった。
頭脳明晰で協調性のある基世さんは、文句を言わずなんでも観察してくれた。
ある日、「私が74歳になった時こんなに歩けるかしら?」といった。多分しんどくて、私
に悪いと思って、頑張ってついてきたのかも知れない。見せられるところはみせてあげ
たいと思った。しかし、3年後の今、毎日6時間歩くのは信じられないことになったので、
本当に良かったと勝手居士は思っている。その様子を銀座百点636号に書いている。

山根基世
旧友発見の旅 銀座百点636号 2007年11月1日発行 より抜粋

前略
 「恵さんが案内してくれた所を俯瞰してみると、彼女が何を面白がっているのかがよく
わかる気がした。アメリカの「庶民の持つエネルギー」に津々たる興味と深い共感を寄
せているのだ。
 常に前向きで楽観的な恵さんが、唯一「私の死んだ後が気がかり」というのが、彼女
のアメリカ人形のコレクションのこと。フォークアートに興味を持つ彼女は、ニューヨーク
に住みついて間もない、40年近く前から地方を歩いては、普通の人たちの手づくりの
「創造的なもの」を集めてきた。アメリカンキルトの第一人者になったのも、その過程で
のこと。人形も同様にしてあつめられたものだ。1830年(天保元年)から1930年まで
の百年間に作られたアメリカの「遊び人形」100点とそれにまつわる70点を自費で買
い集めた。
 麗々しく飾るのではなく,子どもが手に取る「遊び人形」は、普通の母親がわが子のた
めによりよい人形をつくろうとさまざまな工夫を凝らして、人間の機能に近づけてきた歴
史を持つ。例えば、手足の関節を曲げるためには、ミシンのに縫い目を入れればよいと
発明する。するとその名もない母親は、そのアイデアを特許(パテント)に登録するのだ。
「アイデアこそアメリカの資源」、自分のささやかな発明をパテントに登録する積極性は、
アメリカ建国を支える底力になっているというのが恵さんの見解。彼女の人形コレクシ
ョンは人形作りにおけるパテントの歴史をたどることで、名もない母親たちのエネルギー
を証すものでもある。こうした視点からのアメリカ人形はコレクションはほかに例がなく、
かつて彼女が出版したアメリカ人形の本を読んだ元駐日アメ リカ・大使ライシャワー氏
からも称賛のメッセージを寄せられている。
 だが、貴重なこの人形のコレクションが今、日本の倉庫で眠っているのだ。いつか日
本で個人美術館を開いて展示するつもりで集めていたが、「今や年をとり、財力と体力
で無理になっちゃった、あーん。私が死んだら私の人形たちがゴミになっちゃうのね」と
嘆く恵さんを放ってはおけない気分になった。長い付き合いなのに、正直言ってこれほ
ど意味深いコレクションをしていることに気づかなかった。私の卒業旅行は、旧友情発
見の旅になった。
どこかこの人形を永久に展示してもらえる場所はないのかしら・・・・。」

山根基世さん、ありがとう!小林恵&人形一同

   
    
ニューヨークを歩いていると思わぬところで面白いものに出くわす。よく観察しながら歩くと、、ニューヨークのいたる
ところにニューヨークらしさを発見する。ヨーロッパとは違うニューヨークならではの面白さである。これほんの一部。
                
               

 

 

 


猪熊ご夫妻の愛したアメリカ人形 (8)

2010-09-02 12:16:32 | アメリカ人形

            猪熊夫妻の愛したアメリカ人形(8)
           と小林恵のアメリカ人形コレクション

                 
                  「画家のおもちゃ箱」 猪熊弦一郎著 写真:大倉舜二 文化出版 1984年
1)
 ー妻がニューヨークや田舎のアンティック屋で20年間に集めた人形で妻の大切なコ
レクションである。アメリカ人形たちは不思議な妖気のようなものが感じられない。どこ
までも人形の可愛さ一杯である。アーティスティックな顔と形は私も大好きである。 
ーp.38
2)
ーおとなしく座っている姿は、人形だけが持つ特殊な存在感覚である。動かない不思
議な実在の世界である。-p.34
3)
ーアーリーアメリカンの古い人形は顔が小さくてプロポーションが面白く、洋服も当時の
ものを着ている。洋服をとってみると。身体は全部皮のぬいぐるみのようになっていて、
首下と顔が焼き物になっている。手でよく顔面をあたるので、顔のくぼみが黒くなって
いるのが特色だ。 -p. 91

猪熊さんの愛しているものはそれぞれが主張せず、暮らしの仲間になっている。
暮らし方に敬意を払いたくさんのことを学ばせて頂いた。

   私のいとしい友だち アメリカ人形(小林恵のアメリカ人形コレクション)(1)
              
 一つの人形でもいろいろ変えてインテリアに合わせたり、置き場をかえたり、ちょっと
手を加えただけで雰囲気が変わり、会話ができるのも不思議に思う。どの子にもキャ
ラクターがあって、全部がパテントをとったわけでなく、大量生産も出来ずパテントが
成功しなかった時代の個性のあるアメリカ人形たちだ。

    
 友人の子供が遊びに来て、興奮して遊んでいたが、母親が帰るといった時、帰りた
くない!と人形をだいて泣きだしたのは、忘れがたい可愛いい思い出になった。

        
 日本展示のため日本に移住する前の人形の集まりと、人形にお供する家具たち。

 資生堂でのアメリカ人形展が決まりNYより出発準備。資生堂からNY支局長の森靖
考さんと, Kラインの支店長が来てくださり、エレベーターなしの5階から運んでくださ
ったのは人形たちも幸せものであった。
 資生堂のアメリカ人形展のPRカードは経済恐慌の暗い時代、当時話題をさらった5
つ子を選んだ。社会性があり、選択の視点の高さに納得させられた。

            
 アメリカ人形展のADはザ・ギンザの社長・山田勝巳さんが5つ子人形を選んだ。
有楽町線と銀座線の車両内ポスターにもなった。1930年代最も世の中を騒がせ
たニュース。右)1934年生まれた3,4歳ごろの5つ子。彼女たちは見世物になり、
幸福とは言えない人生であった。

「小林恵のアメリカン人形」コレクションはそれまでに、展覧会も本の出版を考えたこと
もなかった時、職業を変える動機となった。
両方とも交渉もしないで即決だったことはラッキーであった。多分人形たちの後押しか
も知れない。

 1830年から1935年までの遊び人形,100点のコレクションで人間の機能に近づくま
でのパテントを調査し、アメリカの資源と言われているアイデアの具現に驚いた。ローテ
ックで社会革命を起こさなくとも、人形が人間の機能に近くなり、歩いたり、まぶたを閉
じたり、ママーと声を出す人形まで、世界最大の人形生産国に成長したまでの人形史
でもあり、アメリカ女性たちのアイデアのコレクションでもある。その後有名人からとった
アイドル人形となったがその前の素朴な時代の人形たちである。

 
ちなみに、パテントは人形ばかりでなく1860年までに441人の女性がとっている。

 
母親が作った人形を抱き、父親が作ったベットで眠った時代の素朴な手作りへの憧
憬は視覚的にも優しい、イノセントあった時代のアメリカの生活背景をかきま見ることが
できる。またアイデアに皆が関心を持っていたことがうかがえるコレクションである。
洋服も誰でもが着ていたアメリカらしい普段着で、布地から、当時皆が作っていた手作
りドレスや、キルトのベッド掛けのあまりであることもわかる。アメリカの歴史や普通の人
たちの暮らしの文化に興味を持つ、動機作ってくれた人形たちである。
 
過去の展示: 1980年、資生堂ザ・ギンザを始め、1982年文化服装学園、 
1983年横浜年高島屋、1986年横浜人形館。
私が日本不在の間に電通の依頼で日本の10大都市を巡回している。

続く

参考:猪熊弦一朗著「画家のおもちゃ箱」文化出版局1984年 写真大倉舜二
    小林恵著 「アメリカ人形」文化出版局 1980年 写真 小川隆之
    アメリカ人形 
www.ny-apple.com
       ブログ:2006年12月13日 「アメリカ人形コレクション」
    銀座百点:第636号・2007年11月「旧友さい発見の旅 」
    アルネ23号・2008年3月・特集「小林恵さんのアメリカ人形」