小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

フックド・ラグのデザインの面白さ -キルトの幾何学デザインーを更に面白く個性的にデザインする方法ー

2014-11-24 20:30:15 | ものつくり

                                   幾何学模様をさらに個性的に創作、デザインする方法

                                              

                                                                            フックド・ラグ制作 村田春代 
                                    

               

                             この山形デザインは何処にでもあるデザインでよーく見てましう。この2色のパターンから数えきれないデザインが頭を悩ませないで自由
               
にできますね。100通り位のデザインがラグでやると自由につくれます。勿論幾何学であれば布地を変えることで出来ますがピースを直線で
               つなぎ合わせていくのは時間もかかります。しかしラグつくりだとそれが自由に絵具をのせていくようにインスタントにデザインができていきます。
               
え?と思う方は20人位の子供にこの幾何学模様を好きなように色塗りいてもらうと鮮明に理解できますね。
               つなぎ合わせるブロックの直線つなぎを無視できるからです。

                                   

                     フックド・ラフ制作 丸山くみ          フックド・ラグ制作  大月三千代          フックド・ラグ制作  井上直美
               


               キルトブロックのピースを自由に色彩の違う布地で埋めていけば誰一人同じものが出来ず、上のような個性的な面白いデザインができます。
               直線が曲がっても面白くなりますし、いたずら的に愉快なデザインが考え抜かないでできます。その上、ピースの中の模様も自由にクリエイト
               することができます。ブロックが正方形である必要もありません。

 

 


近い将来自然繊維は宝物になる

2013-01-22 01:03:56 | ものつくり

   捨てるのは待って! 木綿、絹、麻、ウールをリサイクルしよう.


 残り物でもアートを作れる、再生可能はすごい!
ものつくりを教えていて一番難しいのはデザインを各自にまかせることです。サンプルがないとなかなかできません。できないのではなくて視覚的に経験を積んでいないからだと思います。

作品展、コンテストに出すために作る理由は別です。社会現象で無数にできたキルトからキルターたちは自然に学びとっていきました。うまく見せようと思って作るものは大抵の場合感動しません。作為がなく無心で作ったものに人々は感動します。
 規則がなく好きなように作ったフックド・ラグはキルトより易しく表現方法もずっとバライエティにとみます。

 

私たちが今、天候の変化や自然環境の変化に驚いています。
近い将来、自然ファイバーは貴重なものになっていきます。経済も重要な理由でアメリカのコットン産業も今はトウモロコシや大豆畑に変わりました。奴隷の綿摘みがいなくなったこと、その代りに素晴らしいテクノロジーで科学繊維が出来ていることは時代の変化で、私たちもその恩恵を得ています。

しかし、ウールは素晴らしい。シミがついた、虫に喰われた、縮んでしまった、古臭くなった、流行おくれ、などの理由ですぐ捨てていませんか?
残念ながら日本の家には収納庫が少なく取っておきたくてもスペースがありません。外国人が「もったいない」ムーブメントを起こすと日本人はすぐ考え直します。もったいないは物だけではありません。時間ももったいないと思います。何ができるか社会にもっと関心を持ちましょう。

動かせる健康な手もある。デザインをしたことないので 手創りは私は駄目” ときめつけていませんか?デザインは心の動くままにすればいいのです。写真は19世紀アメリカで作られた残りウールで作ったフックド・ラグです。よく見てください。これなら私も作れると思うでしょう?。

100%ウールでラグを作れば100年は持ちます。
玄関に置けばあなたのステートメントになります。作り終わると誇らしくなり、初めは「踏まないでまたいでねー」と言いたくなると皆さんがいいます。作った人だけがわかる誇らしい感想です。

このたび暮らしの手帖61号に花森安治さんの表紙カバーから作成したラグの展覧会があり、その中から17点を花森さんが生きていらしたら「よくやりました!」と言っていただけるように原画に忠実に作りました。リビングファッションの店、原宿の「かぐれ」で展示し、展示を見た人の多くの感想を一口でまとめると、こんなことが出来るなんて「驚きました」という言葉でした。一番誇らしく思った人は作った人たちでした。企画者にとって、暮らしの手帖の編集者たちも心からやってよかったと思ったことはとても幸せなことでした。

「成功の反対語は失敗でありません。やらないということです」といった身体障害者の先生のおっしゃった言葉を私たちは、心に刻んでいきましょう。

写真のラグをよく見てくださいすべて残りウールで作ったラグです。

6歳ぐらいまで子供は天才だとピカソは言いました。天才でない私たちでもやる気があれば部屋を美しく自分の手で飾り、100年も生き続けることができるのは楽しいですね。

唯一人の男性でラグを作り、3度の日米展に参加いてくださった有吉熙さんがお亡くなりになる前にお手紙をいただきました。

「私は一生企業でものつくりをしてきましたが、引退してからラグを作り自分の手で作ったラグを家族に残していけることに感動しています」と。

                 

 

  

 


1568年の腹の虫、戦国時代の医学書「針聞書」(はりききがき)

2013-01-12 22:02:12 | ものつくり

愉快で可愛いい妖怪のような病原菌


 




 

これらの愉快でかわいい妖怪のような虫たちは戦国時代の医学書、「針聞書」に書かれた67種類に及ぶ人間に宿る病原菌の一部です。
今から450年もの昔、織田信長が活躍していたころの病気の治療、針を打つ場所,お灸を打つ場所、臓器や体内図を描いた最初の医学書
の中の虫の正体です。

当時はおなかが痛いときは腹の虫が騒いでいると思いました。「虫の知らせ」「虫が好かない」「虫の居場所が悪い」「むかむかと腹の虫が
収まらない」という表現があるように、夜泣きする子供はかんの虫が騒ぐと言ったのも顕微鏡もレントゲンもなかった時の想像した虫たちです。

上段左:人体の各所に住む病原体。上段中:肝癪=この虫に取りつかれた人は怒りで顔が青ざめ、人を怒ることを好むようになる。
上段右:肺虫=肺に住み人間が食べた米を食べる虫。伝染するので要注意虫。
下段左:蟯虫=この虫に取りつかれた人は必ず死ぬ。枕の下の熱まで閻魔対応に告げるので必ず地獄に落ちる。
下段左中:悪虫=脾臓に住みつき食べた人の栄養物を横取りする。取りつかれると痩せの大食いになる。
下段右中:肺癪=白い虫でこの虫が現れると色白になり胸を患う。下段右:亀癪=栄養を摘み取り薬の効かない虫。

そのほか男女が和合すると出てきてむらむらするという蔭虫、心臓の虫、腰の虫など想像上の虫たちの治療法が書いてあります。

この医学書は九州国立博物館の所蔵で私は2006年フレーベル館出版、アーサー ビナードが書いた子供用絵本、「はらのなかのはらっぱ」 針聞書(はりききがき)をみて
飛び上がって喜び、大いに楽しみました。

その時ニューヨークのアメリカンフォークアート美術館でのラグデイに展示のためにこの虫たちを登場させてフックドラグを作りました。
体の中の原っぱを泳ぎ回る虫たちのフックド・ラグ。玄関マットまたはドア前の敷物。
          
右)脾臓の虫=肝臓に爪を立ててしがみつくとき、熱中症をお越し体がひでる。筋肉にしがみつかれると頭を打ったようなめまいがする。

アメリカ人にこのラグのデザインを説明すると 「?」 「450年前の医学書の中の病原菌です」 「?」 話を本気にした人は勿論いませんでした。

 現在は当美術館で縫いぐるみなどが作られマスコットになっているらしいです。私がうれしいと思うのは試験管に入れられた虫たちです。
サイトで九州国立博物館、針聞書を参考にご覧ください。この上なく楽しいです。最近出版されている復刻版は高価ですが、子供の本に
したことが素晴らしい。

日本人でさえ知らないことをアメリカ人のアーサー ビナードさんが面白い!と早速絵本にして出版してくれたのはうれしいことでした。

ビナードさんの日本文化を観る眼はすこぶる愉快で世界観に満ち,その着眼点は日本人を開眼させてくれます。
日本人の及ばないユニークな日本文化の分析と独特の知恵の分かち合いは腹ごなしどころでなく新鮮ですね。

 ビナードさんのサイトです。
http://www.web-nihongo.com/wn/haragonashi/12.html/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


強制収容所で作られたものつくり・生活の記録

2012-11-17 20:00:12 | ものつくり

我慢のアート(The Art of Gaman)

 ー 人はものを作る。作らずにはいられない。生きる証としてものを作る ー
                  
 

       何年か前にニューヨークで巣鴨に収容されていた戦犯たちがの死刑前に独房で作った手創りの品々を集めた展覧会がありました。
巣鴨刑務所を監視していたGIが死刑囚たちが処刑された後、部屋に残されたものをアメリカに持ち帰り、忘れ去られていたものを彼の息子が発見し展覧会を開催したものでした。
 
自分の死を目前にして、差し入れられた煙草の空き箱、ライフマガジンや新聞のページから紙縒りを作り、バスケットや箱を入念に作った戦犯処刑囚たちの最後に作られたものたちの展覧会でした。
が打たれ、切ない思いのする展覧会でした。

作りたい、作られずにはいられない、ものつくりの意味を、そして作った人たちの静かな声が聞こえてくるような戦争の無意味さをも考えさせられたことでした。
 
 今から70年前、アメリカに移民した日系アメリカ人が、真珠湾の報復としてアメリカ政府によって全財産を没収され、強制収容所に12万人もの人たちが過酷な条件で戦争が終わるまで
隔離されました。市民権のあるアメリカ人を大統領命令で隔離されるという憲法に違反するアメリカ人の過去を1988年になって初めてアメリカ政府が謝罪し、「過ちは2度と繰り返さない」と、スミソニアンに特設展示場が設けられました。私はわざわざニューヨークからワシントンDCにこの展覧会を見に行き、時代の変遷に感慨を深くしました。

 ”私はアメリカに生まれ毎日胸に手をあててアメリカに忠誠を誓って大きくなりました。あの収容所で私たちは何を信じて暮らせばよいのでしょうかと苦しみました。”

 ”青年たちは収容所に行かず徴収され、第一線の航空隊に送られ戦死しました。”
展覧会のビデオから流れてくる声は日本人として胸をつき、同時に発表したアメリカ政府の間違ったことを間違いましたと謝罪したことは遅すぎたとはいえ、少し救われた思いでした。
                  
                       多くの日本人がこの収容所で亡くなった.
            ジャップは白人社会からでていけ。真珠湾攻撃の報復。          理由もわからず、どこかに連れて行かれる。両親は日本人でもアメリカ生まれは憲法でアメリカ人であった。
                                                                                                                                                                                   年頃も同じ、何だか私に似ていて胸が詰まる。
                           

 数十年ののち、現在芸大で当時の日本人の生活の記録、手創りの我慢アート、「尊厳の芸術展」が開催されています。
       
       すべてが手創りで胸を打ちます。仏壇を作り、毎日手を合わせ、算盤まで作りました。手描きのコイコイまで作ってしいま
       す。    
       
     ナイフ一本で彫り、ガラスの破片で磨きをかけたという彫刻。 砂地を深く掘って発見された貝殻で作ったブローチの数数。  
       
 すべてがアートを学んだことのなかった日系一世たちの作品です。 つらい思い出と共に多くは捨てられましたが、これらのものは伝統の誇りでもあり、彼達の不屈な精神の証でしょう。
 ”従う以外仕方がなかった” 
悲惨な戦争犠牲者の無言のプロテストとして心を打ちます。
 
同時にものつくりの安らぎを共有することができる一見に値す展覧会でした。

 

 

 


 

 



   
 
 

   

 

 

 


『日本のもの作り:匠の世界と誰でもできるアメリカン手作り』

2012-05-28 12:30:10 | ものつくり

匠の世界と誰でもできるアメリカの手作り

 アメリカに長く住んで、アメリカのフォークアートに心が温まりました。キルトは、誰でも作れます。ものつくりは下手でも個性に満ちていれば人の心を満たしてくれます。

 当時の新しいアメリカでは、マスターという先生もいません。学校もありません。そのうえ、材料も充分にはありませんでした。できたら皆で集まり見せあって楽しみました。当然、集会は教会や野原で行われました。
 
上手にできた人には、持ち寄りのアップルパイやパンプキンパイやクッキーを分かち会いました。そしてどうしたらこの集まりを利用して、家族やコミュニティに貢献できるかを考えました。まさに開拓精神の原点です。
  病める人に、皆でキルトを作って贈ろう。西部に移動していく人たちに、思い出と感謝のしるしとしてキルトを贈ろう。教会や学校の資金調達に、キルトをオークションで一番高く買ってもらうシステムを作ろうと考えました。
 アメリカの土地に足をおき、風雨をしのぐ自分たちの住む家を、自分たちの手で作りました。家を持つことは移民した人たちのアメリカンドリームの一つです。ベッドの上には色とりどりの布をはぎ合わせてベッド掛け、キルトが作られました。ベッドの足もとにはラグが、暖炉の前には隙間風を防ぐための個性豊かなフックド・ラグが作られました。

 入植から100年、アメリカ人の暮らしは豊かになり、産業革命によりアメリカ国産の安いコットンプリントが手に入るようになりました。ニューイングランドにはコットンやウール工場が林立し、ヨーロッパからの高い輸入税を払わないでも賄えるようになりました。

 果たして、アメリカではどれくらいのキルトが作られたのでしょうか。平均一人が7枚のキルトを持っていたといわれています。当然、来客用のキルトや、結婚用の特別に手の込んだ美しいキルトも作られました。ラグも作られましたが、靴で踏まれる運命のため残っているものは少ないのです。
 家に必要なものはまずテーブルとベッド、その次の投資はベッドカバーでした。因みに、ジョージ・ワシントンの遺産相続リストにも、ベッド掛け、キルトが記されています。 家を美しくするためにキルトやフックド・ラグが作られた理由は、これらがアメリカを知るための重要な“暮らしに根を下ろす” ”美しく暮らす“ 証でもありました。
 
 アメリカが豊かになってからは、キルトもデザインが競われるようになりました。商品として作られたものではありませんが、当時のキルトの良いものは1990年代からほとんど美術館所有かヨーロッパのインテリアデザイナーに買われ、国外に流出してしまいました。日本の浮世絵やテキスタイルの型紙が、国外流出したのと似ています。
 似ていないことは、日本のアートからインスピレーションを得た西欧人たちが、絵画や建築をはじめ、あらゆる用の美の美術表現に、独自の時代を築く発想の基となったことでしょうか。

 『アメリカンキルト事典』(小林恵著 文化出版局1982年)に掲載した500枚のキルトは、現在殆どが美術館に所蔵されています。キルトが見直されアメリカ人がアメリカに驚いたのは1970年の初めからです。洗濯が難しいこともあり不潔の塊のようで、引っ越し用の家具の保護用に使用されていました。
 アメリカ人の血の滲んだキルトが日本で何百人もの人がキルトを作り社会現象をおこしたのは皆さんご存じの通りです。女性のもの作りで、キルトほど日本の女性たちが熱を引き起こしたものが、果たして他にあったでしょうか。しかし、残念なことに発表する情熱はありますが、殆どのキルトは次の発表のために押入れに眠っている現状だそうです。

 帰国して日本の匠の世界、伝統の深さに感動している日々です。精根を傾け、時間をかけ匠の世界に集中している作家や職人さんたちが現在もいるのは凄いことだと思います。時間と収入が合わなくても精進するのは、武士の伝統でしょうか、日本人のユニークな点だと思います。

 繊維、布地の伝統も世界を抜いています。産業界でも感嘆する優れたアイデアの繊維が日本で制作されています。

 伝統ある裂き織も、ひとたびアイデアを得ると、美術性の高いものが作られています。織物のメソッドを教えらなくても自然にわかっているのは、伝統のたまものと思います。日本は、技の世界でもの作りのメッカだと思います。いつの日か、バウハウス(Bauhaus)のような、理論や生活哲学をも教える世界的レベルのデザインスクールが日本にできれば、個人的匠のもの作りからさらに世界のインダストリーにも影響を与えることになるでしょう。それが技を後世に伝えくれた多くの昔の作り手たちへの感謝の証しであり、最高の鎮魂歌になるのでないでしょうか。

                                                    谷中にて  小林 恵


写真左より)8代大統領のほか、当時の有名人たちの署名をもらってキルトを作った署名キルト。ホワイトハウスでのリンカーンの就任舞踏会でリンカーンとホワイトハウスで踊る作者、中心。このドレスの布地もキルトに縫いこまれています。その右が古い写真でぼけていますが作者晩年の写真。リンカーンの署名には ”あなたのサ-バント アブラハム リンカーン 1860年” と署名されています。このキルトは1976年、アメリカ独立200年祭の時ライフマガジンに掲載されたものです。ロングアイランドに住む孫が保存していて、このキルトはNHKの世界手芸紀行アメリカ編に収録しました。誇り高いハリソン家でインタビューができ、その後アメリカを代表するキルトとして現在メトロポリタン美術館の所有になっています。
         
                                                           ネクタイキルト
  
   署名キルト                        アメリカンキルト事典出版当時、”キルトと人生”の映画製作者パットフェローロ(当時サンフランシスコ大学の教授)近くのNY自然博物館でドキュメンタリーとして表彰された時、サンフランシスコからNYにいらしたパットと、滞在中の山岡久乃さんと共にわが家で。1983年
       
 2011年、紅白のキルトのコレクターの誕生日に夫が彼女にNYのアーモリーで展覧会開催をプレゼント。
アメリカ最高のインストレーターに依頼し豪華な展示でニューヨーカーをアッと言わせ、無料で公開されました。

    
アンティック アメリカン フックド・ラグ: 足おきサイズのラグはベッドの下、暖炉やドアの前などにおかれて暮らしに彩りを加えました。 穀物袋を芯地にして廃物利用のウールで自由なデザインで作りました。仕上げにアイロンをかけると100%ウールはフエルト化してほどけなくなり、大事にすると100年以上は持ちます。 

 「アメリカン フックド・ラグ」小林恵著には歴史・作り方などくわしく紹介しています。日米交換のラグ展も日米ともに3度開催しました。1968年から帰国する度に池袋西武や新宿朝日カルチャーで、教えてきました。最初からの参加者であった。当時三菱重工業の故有吉熙様は小さいサイズですが、3点完成させ展示にも参加しました。
 お亡くなりになるすこし前、いただきましたお手紙には

「船舶や世界のブリッジを作るのが私の生涯の仕事でしたが、私の手で作ったラグを見て孫が ”お爺ちゃま有難う” といってくれました。手と手がつながることは、かけがいのない喜びでした。また展覧会には小学校の同級生までがきてくださり、心が温まり手作りでつながる人生の素晴らしさを知り本当に倖せでした。」と。
 アメリカ展示の際、この最後のお手紙を会場で読み上げると大拍手がおこりました。
 手作りの素晴らしです。


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 この記事は日本の匠の世界を世界に発信していらっしゃる縄文社の横山裕子さんの御好意でに伝統のないアメリカのクラフトを紹介させていただきました。日本の手仕事のサイトと重複しますが、日本の匠の世界を知る素晴らしいサイトですので、どうぞお気にいりに登録していただけましたらうれしいです。
http://www.handmadejapan.com/index.html
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  お知らせ:

小林恵のフックド・ラグ スタジオ
“誰でもできる“のがアメリカンコンセプトです。初歩から、自分が作ったラグに感動してしまうコツを教えます。
材料:リサイクル平織のウール100%。残布、セーター、ジャージーなども使用可。2時間クラス。毎月最終日曜日 13.00 p.m.~15.00 p.m.
問合せ:keikobayashiny@gmail.com 

 小林恵のラグデイ(初心者、経験者を問わず、自由にラグ作りを楽しむ教室)
  
毎第3水曜日、11.00a.m.~3.30p.m.
  
問い合せ:ホームスパン 電話:03-5738-3310  原又は稲船

          


エミー 加藤さん・アメリカ生れが日本人の忘れものを発掘

2012-04-29 06:51:34 | ものつくり

名もない人たちの日本人の味方

 エミー加藤さん、ハーヴァード大学に留学していた加藤さんと結婚して日本で暮らし、麻布に日本の民芸を中心にしたブルー&ホワイトというお店を経営するエミーさん。
開店した頃お店にいってみると昔の家にはどこにもあった男性用トイレをきれいに洗って、傘が差してありました。
 
見方の違い、発想の違いに驚きましたた。商品選択はエミーさんの好きなものばかり、選択が日本の民芸店にあるものとちょっと違う味わいがありました。使用されていた頃を知らない現代の若者は気がつかないけれど、エミーさんは美しい染付のデザインに 「こんな美しいものを!」 と捨てられる運命に命を与えていました。
 
日本のツーリストがベッドの下に置いてあった蓋つきのアメリカのオマルをステキといって食器として使ったという話に似ています。(ちょっと上下が違うけれども(●^o^●))

 エミーさんは 日本人があまり評価しない日本の暮らしの文化、貧しかった農民の暮らしの知恵から、生き方の精神までも理解し、忘れかけた私たちに教えてくれます。

 最近、エミーさんのコレクション、ぼろぼろになった農民の野良着を展示しました。
                       

 「ボロはなんでもない物を美しいものに変える地方の女性たちの無言の独白であり、精神を知る窓口 でもあります。極貧の生活、忍耐、わずかな希望の光が針目からみえ、名もなき手作りの手と、それを享受して着ていた人たちの魂に答えたいと思います。美しい布の彫刻でもあり、計りしれない美しさと哀感を感じる布地の日記帳でもあり、女たちの無言の独白で日本の精神を知る窓口だと思います。」とエミーさん。

 貧しい農家の古着は気持ちが悪い、触りたくもない、貧乏のあかしで日本人にとって恥の記録として押しやられ、捨てられ、燃やされました。


 一針一針を縫いこんだボロの中に女たちの祈りの声を聞くエミーさん。
 「縫い目は踊り、つぎはぎが歌います。祈りが流れ、そこには作為や飾りが微塵もない素の自分を演じる舞台なのです」と。
 貧しさの中の美を見出し、日本を理解し、これほど愛情を込めて見つめてくださる外国人がいるでしょうか。
使用していない倉庫で開いたエミーさんの「ボロ展」
 重ねられ補強されたボロは「布地の彫刻」の様だというエミーさん。
私たちはエミーさんに教えられます。心から感謝をこめてエミーさんの見識眼に最敬礼です。


 


アメリカン フォ-クアートの真髄・自分らしさ

2011-04-26 05:49:19 | ものつくり

      日本の民芸・匠の世界とアメリカンフォークアートの違い

 個性を尊重するアメリカでは、あなたらしさが最も評価されます。そして難しくないもの、熟練よりも素朴なもの,個性的な表現ががアメリカのフォークアートの真髄です。背中を見て3年、師匠と同じものが出来てもそれはあまり評価されません。

 日本では視覚に入るだけの収穫物を丁寧に手塩にかけて価値観を作り出す技能が尊重されてきました。しかし、限りなく土地が広がるアメリカでの可能性は果てしなく、限られた作物を加工して技を磨き価値観を高める発想よりも安くみなと分かち合える大量生産のアイデアやパテントを取る発想のほうが人々を鼓舞してきました。

 移民の国、民衆の国アメリカ、デモクラティックなアメリカでは見て覚える徒弟制度は育まれませんでした。しかしアメリカにも美しいものがたくさんあります。アメリカのコミュニティで育まれた唯一のクラフトは極度に単純化されたデザイン、建築、家具、木工、などの優れたシェーカーのクラフトがあげられます。
 同じコミュニティでも、媚びることをご法度としているアミシュは技を競うこともなく、装飾を許
さず、アメリカの伝統から取ったシンプルなデザインを無地で作った美しいアミシュキルトがあります。また、同じ移民のまとまる地区では同じパターンを々作られたところもあります。
 
 
隔離された土地で、極度に制限された布地、貧しさから単純化されたデザインの黒人キルトは特別のカテゴリーになるでしょう。
 
 
アメリカでもアメリカン シルバーや吹きガラスなど作者不明の単純デザインの美しいクラフトはたくさんあります。そして18世紀、19世紀に作られたサイン入りのアメリカン家具はびっくりするほど高価なものです。今も複製で優れたものもありますが、おもに、アメリカ人は背中を見て習得する技や精神を学ぶのは不得意の様です。

 アメリカ人の性格を代表し社会現象を起こした程、多くの数が作られたクラフトはなんといっても、キルトとフックド・ラグです。これほどアメリカらしいものはありません。

 その理由はなんでしょうか。それは誰でも作れる程やさしいということです。
キルトやラグ、特にラグはキルトより易しく、表現が自由でこれほど個性的に自分らしさを表現できるものも少ないのでないでしょうか。
両方とも節約精神から作り出され、それぞれの家を誇り高く飾った、おおらかなアメリカンクラフトです
 自分らしさを表現することをマスターし、暮らしのセンスアップのために貴女らしい美意識を持ち、日々の暮らしを楽しみましょう。


ストライプで布地をはいでから自由に長方形につないだキルト.  左)誰でも描けるような花篭のラグ。
          
フリーハンドで好きな様に作った世界に一つしかない、この作者しかできないラグ。アメリカ人はあなたらしさを評価します。

左)19世紀の素朴なアメリカの手作りで飾る寝室です。     右)ラグは長椅子の背にかけても簡単に動かず装飾効果があります。

お知らせ) 小林恵のラグ実験教室=集まって作る。お互いから学ぶラグ作りの集まり。 
5月11日(水曜日)11時~3時半まで 各自お弁当持参のこと
場所・問い合わせ:ホームスパン 渋谷区富ヶ谷1-8-9 飯島ビル2階 千代田線代々木公園出口前のビルディング
電話03-5733-3310 ホームスパン 原/稲船


猪熊さんの愛したキルト(7)の続編

2010-08-21 03:31:16 | ものつくり
  日米を庶民文化で結ぶ
日本製:アメリカがが日本のキルトに及ぼした影響展のこと

忘れえぬ展覧会はアメリカの産業革命の発祥地、ローエル市の市長が
その日をローエルのキルト デイと新聞に発表してくださった記念すべき
展覧会でした。アメリカの原動力となった大量生産でのキャリコが普及
し、安いキャリコが原動力となってキルトがアメリカ中に広まりました。
ニューイングランド美術館はなが年のキルターたちの夢がかなって、キル
ターたちが自分たちの力でたち上げた美術館です。おめでとうと電話した
ことから、{この美術館で何かしてください」と話しが進み、企画するこ
とになったものです。
 アメリカンキルトの影響展が日本からやってき、歴史的と言われたた
展覧会になりました。
 この展覧会はカタログを凸版、多くの会社経営の友人たちから在庫品の
ご寄付を頂き、6万ドル以上の商品をニューイングランド キルト美術館
に寄付しました。特別輸送も美術館までKラインが届けてくださいました。
信じられないようなことが皆さまの後援で可能になったものです。
 今,考えると夢のように参加する人たちも含めて皆の情熱が込められて
たことでした。

「日本製:アメリカのキルトが日本に及ぼした影響」展 資生堂での
ご挨拶パネル・原稿

昨年の夏から今年の夏にかけて、アメリカのニューイングランド キルト
ミュージアム、ニューヨークのジャパン ソサエティ、サウスハンプトンの
パーリッシュ術館の3か所で 「MADE IN JAPAN・AMERICAN
INFLUENCE ON JAPANESE QUILTS」 展が開催され、日本の女性によって
製作されたキルトが紹介されました。

 アメリカでは自国の伝統的フォークアートであるキルトが日本に浸透し、
日本的に解釈され表現されていることに、素直な驚きと感動の反響が
あり、展覧会は大成功いたしました。今回は、その作品を日本でご紹介い
たします。

 ザ・ギンザ アート スペースでは1975年3月に、日本で初めての
キルトの展覧会を開催し、日本ではまだポピュラーではなかったアメリカン
キルトを紹介いたしました。

16年を経た今、今度は日本の女性によって製作され、キルトの本場
アメリカで展示され評価を得た作品をご紹介出来ますことは、非常に
喜ばしいことです。

 展覧会の開催にあたり、ご協力いただきました川崎航空サービス株
式会社はじめ多くの方々に深くお礼を申し上げます。

 また、アメリカの展覧会の企画から開催まで、おひとりで尽力された、
アメリカ生活文化研究i家であり 「アメリカンパッチワークキルト事典」
(文化出版局)の著者である小林恵さんに心より敬意を表したいと思
います。
 
         1991年12月      資生堂 企業文化部



 企業文化部が話しを聞いただけで内容を把握し、長く日本を離れて
る無名の女性にバックアップして頂いたことは望外な喜びでした。
カルチャーを把握している企業のトップとめぐりあった倖せを皆さんと
分かち合いたいと思います。山田さんは引退した後、資生堂ザ・ギンザの
歩みを著作に残しましたが、非売品の本でした。企業のトップが斬新な
アイデアで推し進めるヴィジョンがあればこそのザ・ギンザでした。

 この本を読んで感じつことは、私という主語がでてきません。山田さんな
ればこそと思うのですが、それに協力している資生堂の文化的姿勢も
感じられ、会社とはなにか、指導とは何か、リーダーシップをとり、影響力
を作るビジョンを持つ総明なアイデアなどを、皆さんにも読んでいただきた
い本です。20年前、アートスペースでのキルト展での山田さんのご挨拶文
を分かちあいたいと思います。



「展覧会のオープンおめでとうございます。みなさんが丹精込めて作っ
た作品が、素晴らしい企画によって、アメリカ国内に続いて日本でも紹
介されることになり、私たちの会社もそのお手伝いをすることができ、
心からお喜び申しあげます。

 ご承知だと思いますが、1975年、ザ・ギンザをオープンするに当
って最初の企画として [アーリーアメリカンキルト展] を催しました。
今ほどキルトが知られていなかった時、多くの人たちに楽しんでいただ
きました。

 その後も展覧会はいろいろな企画で続けていますが、そのうちの「ア
メリカ生まれの人形展]と「ダイム ストアグッズ コレクション」の2つは、
小林恵さんのアイデアで実現しました。長らく米国で生活していらっしゃ
る小林恵さんらしい企画です。アメリカ文化、しかもそれは、お気付きの
ように、ごくごく普通のアメリカ人の日常生活の中で育まれた文化という
べきものをピックアップして、展覧会として花咲かせたのです。「 キルト」
にしても同じです。

 ただ、今回の企画がいささか違うのは、展覧会のテーマがキルト作品
であるのは勿論ですが、キルトを通してかわされた日米の人たちの間の
のコミュニケイションそのものが、もうひとつのテーマであったことです。

 200年余の米国の歴史の初期、女性たちがひと針ひと針縫いあげたキ
ルトに、アートの光が当てられ、それがいつか私たち日本人の女性の目
をひき、感動させ、やがて同じ様に針をとらせた、その影響力、美しいも
はすべてを超えて美しいのです。この場合、まさにキルトによって国境が
なくなったのです。

 かつて遠い昔アメリカで生まれたものが、1990年代のいま、日本女性
の感性で、“メイド イン ジャパン”のキルトアートとなって帰ってきたー
アメリカ人たちが心を震わせて感動したというのも、うなづけることです。
 こには日米摩擦も、真珠湾50周年もありません。あるのは飾りのない
真実の美しいコミュニケイションです。

 みなさんの作品が、ニューイングランドの「キルトミュージアム」 で初め
て紹介され、その後、ニューヨークの 「ジャパンソサエティ」、サウスハン
プトンの [パリッシュアート ミュジアム」でも、たいへん評判だったと聞き
ました。実にピュアな話だと思います。

 日本でのこの展覧会が、同じような意味の大成功を収めるだろうと信
じています。作品を作ってくださった皆さんに、改めてお礼を申し上げます。
そして小林恵さんにも。


 1991年12月5日       山田勝巳
                  株式会社 資生堂 取締役
                  株式会社 ザ・ギンザ 取締役社長

 
 1991年シェルバーンキルト展が横浜高島屋で開催された時、NHKが
1時間番組で紹介してくださり、当時の司会者が山根基世さんでした。
キルトとアメリカン・ラグ:フックドラグは同じ時代、同じ目的でアメリカ
で作られたアメリカを代表するクラフトです。
 山根基世さんはアメリカン・ラグを作っていますが、投稿してくださった
日米ラグ展(ミキモト:2009年1月)の作者たちからのコメントを読んで
いただければとおもいます。
参考:「小林恵のNY通信」2009年「日米フックッド・ラグ展」
    3月22日付、3月16日付、3月15日付

 猪熊さんがおっしゃっているように

ー「美はいつも金銭とは何の関係もない。お金のかかっていないものが
より美しく、より生きているものである。美は他の対照から生まれるとも
言えるし,相反して生れるとも言える。常識的集合の中に思いがけない
異物がいりこみ、けろりとしていれば、もうそれは千年の友である」-
 「画家のおもちゃ箱」より 猪熊弦一郎著 文化出版局1984年





猪熊さんの愛した石ころ(4)

2010-07-30 10:59:53 | ものつくり

                   自然の造形、石ころもアート

「画家のおもちゃ箱」猪熊弦一郎著 写真:大倉舜二 文化出版局
1984年

                               
                                写真:p.58 佐渡の丸石

 -私はただ丸い石が好きだし美しいとおもう。永い年月の間にお互
いに海の波や河の流れの中で、ぶつかりあって角はいつしかとれてし
まったものばかりだ。手のひらに抱き上げて見ていると、平和な温もり
が、静かに伝わってくるし、形としてもこれ以上シンプルな美はないよう
に思われる。 ー猪熊弦一郎

                          
                                  
写真:p.60 聖なる石

 -インドでは神として大切にいているに違いない。静かにみていると
何とも不思議な思いにつかれるのである。私は外側に細い針金乃網
を巻きつけて一つのオブジェとしてみた。
 他に並べた石も自然のもので日本中からやってきた丸い石である。
自然の水が永い永い年月を掛けて作った神さまの彫刻である。
- 猪熊弦一郎
 
                      
            
写真:p.112 オリーブの木と貝と石(左)、:三越の包装紙(右)

 -写真の前方にある石は三越の包装紙のデザインを頼まれた時、
その発想の素材として使ったものだ。銚子の海岸で見た石は一つ一
つがが異なった美しい型をして荒い波に打たれながら転がっていた。
  私はとっさに「これだ」と思った。日本の石、そして永い年月の間
にお互いに磨き合って角のとれた丸い石、このデザインにしようと思
いたった。-猪熊弦一郎
 
 
-永い年月の間に自然は立派な美しい彫刻に作りかえてしまった
のである。これ以上美しい形はこの世にないとおもわれるほど、そし
て一つとしても同じ形のない不思議な造形を、私はこの無言の中にか
んじる。-猪熊弦一郎

 
 思わぬときにどこかで聞いた話と同じ様な場面に違うところで出くわ
すことがある。また、同じ様に心に残っている視覚的イメージがぴたり
とあうことを経験する。地中海旅行で、出会った美しい丸い石たち。
 
 
      
写真:14cごろの砦の中, 丸い石の舗道:チュニジアにて

 丸い石が延々と敷かれた舗道。どこから持ってきた石だろうか。誰が、
どんな風にして運んできたのだろうか。石を踏みながら素晴らしい造形
に立ち止まっては眺め、振り向いては眺めた。何世紀も経ているのに
歯抜けはわずか。びっしりと組まれていることにも感動しながら歩いた。
石たちがお互いに離れまいと、石をひきつめた奴隷たちの精神さえもら
感じられるような舗道であった。

 転がっている石が、アーチスト、猪熊弦一郎の眼に触れて素晴らしい
創造のアイデアや霊感さえも伝えることが出来る事を教わる。
 ものつくりには創造の眼が必要だ。アイデアは動機を得たチャンス
から生れるのだろうか。

 
”なんでもないものから価値を見つける。”
「画家のおもちゃ箱」からそんな暮らし方を教わる。よく見るとなんでも
ないものが本当に好きになり、よくよく見るともっと教わることが多い。
 こんな上等の本を作った当時の編集部長、今井田勳さんの心意気
さえも感じさせられる嬉しい本である。

 


 


猪熊さんの愛したなんでもない宝物(3)

2010-07-25 10:02:19 | ものつくり

                             鉄製鋳物ーキャスト アイロン

 猪熊さんの「画家のおもちゃ箱」猪熊弦一郎著:大倉舜二写真
(文化出版局1984年)をよく見ていると面白そうなものがページの
いたるところにある。

-作られたものは生きていて、人々の愛情を求めつつ毎日を生きて
いる。-猪熊弦一郎
 

 猪熊さんの眼にとまり、猪熊さんの手でとりあげられ、愛されて一緒
に生きることになった小物たち。耳を澄せばその会話が聞こえてくる
ようだ。私はページの隅々までよーく見て楽しんでいる。
                            
写真;「画家のおもちゃ箱」p. 48 オルゴールのバックになっている手作り鋳物のマッチ
ホールダーはパリで買ったもので、アメリカの専門家に聞いてみたがアメリカでは見た
ことがないそうだ。多分、たばこがファッションだった時パリのサロンで使われたのかも。

   猪熊さんのお好きなアーリーアメリカンのキャストアイロンのおもちゃたち。
           

写真:毎日楽しんでいる私の好きな19c.のキャストアイロン。 左は鉄製バンク。蓋を
あけると油絵でばらの花が書いてある。プラントを入れると楽しい。右は計り。赤色で
線模様があり、メモリのマークもいかにも手作り的。丸いおもりが楽しい。

 アーリーアメリカンのキャストアイロンは1642年イギリスの移民に
よってマサチュウセッツ州のサンガス アイロン ワーク(Sangus Iron
Works)で作られた。

 アメリカには木材が豊富で、生産された鉄はイギリスが輸入して、高
額な利益を得ていた。アメリカは独立を熱望し、独立戦争では市民が
自発的に鉄鍋まで溶かして弾丸を作った。

 鉄製品は家具(ベッドのフレーム、椅子、家具の部分)、)建築物、
フェンス、ドア ノブ、ドア、暖炉の薪置き(Andiron), 台所用品、おもちゃ、
汽車は勿論のこと、ストーブなどに使われている。キャストアイロンの
デザイナーは高級で雇われ、鉄製品は大人気になった。
 その多くは鍛冶屋の手仕事であったので個性があり、ニューヨーク
の街中で、ユニークな鉄製品が暮らしの中で溶け込み、150年以上
たった今もどこでも見られる美しい風景である。
 手にハートを込めて作ったものは時代を経ても心をとらえるのは、
お手当の言葉通り、鉄といえども人々の心を和ませてくれている。

窓の鉄格子はさまざまなデザインがある。タウンハウスの入口、鉄製プラント花壺、アパ
ートの入口の鉄門。珍しいものでなくニューヨークの19世紀建造物の一部になっている。

 
昔のタウンハウスは半地下がキッチン、又は仕事場、通りから階段を上がるとリビング、
応接間、ダイニングルームになっている。現在はほとんどがアパートに改造されている。
 
ニューヨーク  ダコタ前のキャストアイロン フェンス。70年代は盗まれて歯抜けになった
もあった。現在は復製されいる。右はセントラルパークの鉄製陸橋、50以上ある立体
交差の鉄製陸橋のデザインは同じものがない。手製だから出来たことなのか、デザイ
ナーの心意気なのか。両方に違いない。


ビルディングの外側に付けられた火災用階段は、19c.
の終わりごろ被服工場が火事
になり、何百人の女性たちが死亡した。その後階段は義務付けられている。現在は消防
車が10階まで伸びるので、子供にいる人は10階以上には住みたがらないそうだ。
ソーホーのアイロンビルディング地域には豪華なビルが軒並みに建つ。
家内工業用に建てられたが現在は改造されアパートやデザインルームになっている。

参考ブログ:小林恵のNY通信 「マンホール」2006/01/31
        小林恵のNY通信 「
キャスト アイロン ビルディング」
                 2006/02/21


 

 


猪熊さんの愛したアーリーアメリカンの鄙びた美しさ(2)

2010-07-19 07:57:15 | ものつくり

                                  リンゴ皮むき機
                             
 写真:大倉舜二、 猪熊弦一郎著 {画家のおもちゃ箱」 文化出版局 1984より

 ー「ニューヨークの郊外の小さなアンティック ショップで不思議な機械
を発見した。ハンドルがついていて、廻すと不思議な動きをする。
 初めは何か分からなかったが、やがてそれが子供時代に考えていた、
リンゴの皮剥きであることに気がついた。」

 「たくさんの皮を剥く時には便利だし、当時は大変重宝な発明であっ
たと思う。今考えると、そのファンクションの面白さもさることながら、
何ともいえぬ古い形の不思議さにひかれたのだと思う。」ー猪熊弦一郎

「画家のおもちゃ箱」猪熊弦一郎著 文化出版局 1984年 ”リンゴの皮むき機”P.104
より抜粋

 
 私がやっとアメリカの生活に慣れ始めた1970年頃、アーリーアメリ
カンのコレクションをたくさん所有するヴァーモント州にあるシェルバー
ン美術館を訪ねた。
 シェルバーン美術館は数少ないアーリーアメリカン美術館で創設者
はエレクトラ ハブマイヤー ウエブ (Electra Havemeyer Webb)である。
 父親は19世紀末、アメリカで億万長者が出現した時、砂糖王と言わ
れた億万長者の一人である。
  砂糖は当時までシュガーローフと言って硬い塊だったものを,
現在の
ように精錬して富を築いた。母親は世界最大の印象派絵画コレクター
で死後すべてをメトロポリタン美術館に寄付したことで有名である。

 数年後私はアメリカンスタディのツアを企画し、「アメリカの生活文化
を訪ねる旅」を年2回10年間も続け、日本から何百人もの人が参加
している。”百聞は一見にしかず” でシェルバーンの広大な土地で夢
を実現させようとしたニューイングランダーの精神に触れるとき、誰もが
可能性の大きさに感動させられる。

 リンゴの皮むき機が発明されてから、改良を重ね鋳物で出来た数
多いコレクションをシェルバーン美術館で見た時、19世紀の初めから
パテントをとっていた、アメリカ人の実行力と発明の才能に感動させら
れた。まさしく、
 「ニューイングランドを知らずしてアメリカを語ることはできない」
とは、かつてライシャワー博士がおっしゃっていた言葉だ。

 庶民が生んだエネルギー、移民たちは自国の暮らしのアイデアを更
に改良してベターライフを築こうと努力した伝統なしの新世界なのだ。
 ニューイングランドを旅して分かることだが、人里離れた山間の自給
自足の農家の暮らしが、19世紀初めの日本の農家と比較して想像も
つかない程の大きな暮らしの差に歴史を背負う悲哀を感じさせられる
のは私だけではないだろうと思う。
 アイデアをお上に進言するだけでも切腹させられれる封建時代の日
本と、個人の才能を公共と分かち合うために競争出来る新大陸の可能
性、なんと明るいアメリカン ドリーム
であることか。

          写真:改良されていったリンゴの皮むき機の数々

 実際にリンゴの皮むき機を発明した人は1803年、ペンシルバニ
ア州のモーゼス コーテス (Moses Coates)。 しかし、手製の原始的
なものであった。改良を重ね1864年ニューハンプシャー州のデビッド
H.グッデル(David H.Goodell)  が、機能的なリンゴの皮むき機を発明、
最初のマスプロダクションの台所用品となった。ニューヨークタイムス
に ”電光リンゴ皮むき機”(The Lightning Apple  Peeler)
と広告を出
し、2カ年間に2,400個 完売,その後彼自身で行商し、一カ月以内に
24.000個を売った。1875年には雇用人150人、1915年には250人
の雇用人を持つ会社になり、のちニューハンプシャー州の共和党議
員になっている。

 当時は鉄製鋳物、(キャストアイロン)で思考錯誤して金型を作り、改
良に改良を重ねた。現在は電気スイッチであっと言う間に皮がむける文
字通り ”電光リンゴ皮むき機” が出回っている。
 
 せつないほど思いを込めて模索した初期のリンゴ皮むき機からアー
リーアメリカンの心意気
がしのばれる。猪熊さんが愛したのはこの
素朴な創作の心意気だと思う。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


 

 

 

 

 

 


猪熊さんから学んだアーリーアメリカンの鄙びた美しさ。(1)

2010-07-12 12:47:57 | ものつくり

猪熊さんの丸いマーブル(Marble) と私の好きな丸いもの

 1964年、ニューヨークに到着した数日後、「友人から紹介されたも
のです」 と猪熊さんにお電話をすると 「日本のお話も伺いたいし、今
夜、夕食にいらっしゃい!」 と即刻弾んだ声が返ってきた。

 レキシントンの95丁目、マンハッタンのレキシントン通りは90丁目あ
たりからアップタウンに向かって、なだらかに降りる坂道になっている。
95丁目を東に曲がり、数軒目のアップタウンサイド、
19世紀の終りごろ
建てられた5階建てのブラウンストンのビルディング、その2階が猪熊
ご夫妻のお住まいだった。
               
   写真は「画家のおもちゃ箱」文化出版局より p.23 マーボロ(Marble)

 そこにいることがまるで家族の仲間ように、住まいの中にに溶け込
んでいる古い瓶に入れられたビー玉。ワイヤーで作られた小さな
オブジェ。わっぱで作られた古い箱。鉄製のおもちゃなど階段の隅や
棚の上から新客に 「見て!見て!」と語りかけてくる。

 樫の木目が美しく、部厚い使いこなした大きなテーブル。その横に
ガラスの代わりにチキンワイヤーを張った赤い戸棚があった。
 「美しい戸棚ですねえ」 というと、
猪熊さんは
 「ぼくが塗ったんですよ」とニコニコしていた。

 バスでアメリカ大陸を横断してきた時、ひと気のない草原の中に、ぽ
つんと建っている赤く塗られた納屋のドアと同じ様な赤色だった。
コチニールの虫で染めた鄙びた深い味わいのある美しい赤に似ている。
            
写真/左は私が巡り合った鉄製のアーリーアメリカンの金庫。球は独立戦争の時の鉄製
弾丸。
 写真/右は 鉄製お皿 ラック 。木製の球、鉄製弾丸、鉄製レースに糸玉を入れて
つるし、下の穴から糸がするするとでてくる
 。
昔の荒物屋の天井にぶら下がっていたもの。 
         
 
当時は何も知らなかったが、冷蔵庫もないアーリーアメリカンのパイ
セーフという戸棚であることが、のちになって分かった。パイを冷ます
ために、また蠅をよけるためにガラスの代用にチキンワイヤーを使っ
たものだ。

 文子夫人のおもてなしにも心がこもっていて、人を歓待する真髄を教

わった気がする。ニューヨークで個人のお宅の夕食に初めてのお誘い
でもあり、46年後の今もはっきり覚えている。人生をも教えられた忘れ
がたい夕べであった。

 猪熊ご夫妻の暮らしぶりを見て、私もニューヨークに住んでみたい
なーと思った。

 この6月、東京で谷川俊太郎の絵本から生まれた 「猪熊弦一郎展・
いのくまさん」 の展覧会を見た。東京オペラシティ アート ギャラリーの
天井の高さも美しさを強調していたが、猪熊さんの詩の世界はとても、
ほのぼのとして見る人を幸せにしてくれた。

 [芸術は一部の人のものでなく、すべての人間が楽しむべきです」とい
う猪熊さん。
 セントラルパークがオレンジ色のカーテンに埋まったクリストフのカー
テンの道を歩きながら、皆がアート、アートと話していたからなのだろう。
パパの肩車に乗った小さな子が
 「パパ、アートってなーに?」と聞いたとき、そのパパは
 「皆を幸せにしてくれるものがアートなんだよ」と答えた。

 その真実をいつも忘れないで暮らしていきたいと願っている。

 そして今ニューヨークで、ミセスの編集者・関直子さんから出版され
た時贈呈された美しい本、文化出版局版、「画家のおもちゃ箱」猪熊
弦一郎 写真・大蔵舜二の本を改めてめくっていて気がついたことが
ある。

 猪熊ご夫妻にあってから46年もの月日がたった。
ページをめくると、私も同じ系統のものを無意識に集めていることに気
がついた。

 本の中でも猪熊さんがおっしゃっているように 「誰かのコレクションを
初めて見て未知の世界に引き込まれることがある。」と。
猪熊さんはコネチカットに住むミミさんの別荘のアーリーアメリカンのコレ
クションの美しさに興味を持つようになったという。

 猪熊さんのセンスはやはりアーチストのものだ。
思いがけずもニューヨークに長く住み、めぐり合いで集めた私の好き
なものは、人々に使いこなされ、昔の暮らし方が彷彿としているアー
リーアメリカンのものである。
 割れたコップの土台を利用して作った針刺しなど、豊かではなかった
開拓時代、アメリカ人たちが手にハートを込めて作りだした、愛さぜず
にはいられない暮らしのアイデアである。アーリーアメリカンの素朴さか
はらユーモアと楽観、未来へのアメリカの夢さえもが伝わってくる。
               
       
写真:「画家のおもちゃ箱より」 p.97 廃物利用の針刺し

続く。

参考:「画家のおもちゃ箱 猪熊弦一郎」著 写真 大倉舜二 文化出版局 
1984年
参考:「手にハートを」 小林恵著 文化出版局 1996年    

 


「アメリカンフォークアートと日本の民芸」

2010-05-30 17:35:19 | ものつくり

                        発想と文化の違い 
 長くニューヨークに住んでいて追従を許さないほど日本が優れてい
ると日々感じるものは陶芸、繊維、食の三つ。高級から並みまで
日本人の血として暮らしに浸透しいる文化だと思う。

 まづ陶芸。今でこそ貧乏人が居なくなった日本でも、昔から自分の
コーヒーカップ位は収入に比例しないほど高くても好きなものを買う
習性がある。アメリカ人ならば、100ドルのカップはまづ買わない。
買ったとしてもゲスト用に鎮座している。日本ではどこに行っても食
器はそれなりに美しいものがあり、使用しているのは素晴らしい。

 繊維・染色。これも抜群に優れている。売れなくとも、時間がかか
っても良いものを作りたいという作り手の願望が読み取れる。
そして「うわー!素敵」と収入に見合わなくとも素敵だとスカーフ位は
ブランドでなくともすぐ買うのが日本人だ。そして繊維の縦糸、横糸
位は素人でも分かっている。

 食。60年代の終わりからフランスで始まったヌーベルクイジンの盛
りつけは日本に来たフランス人がはやらせた日本の影響だ。一人でも
レストランで新聞を読みながら食べれると喝采を浴び、折からの健康
食ブームに乗り、ニューヨークで起こった日本の寿司ブームは世界中
のライフスタイルさえも変えている。またお惣菜の小売りスタイル(少な
くても買える)も世界に影響を与えている。

 庭先で取れた柿の皮を縁側で丁寧にむき、美しく並べ串に刺して
干し柿を作る。少し高くても美しければそちらを好む日本人。 
 合理的なアメリカでは皮むき機を発明し、見渡す限りの土地にリン
ゴを植える。食べきれなければジュースを大量に作る。マーケッティン
グを研究する。消費者も安くておいしいものを買う。洋服も縫い終わり
の糸が長くついていても値段と合えば結構。文句は言わない。ブランド
ばかりを身につける人は想像力がなく、マネージメントが下手のレッテ
ルが貼られる。金持ち族はロイヤルコペンハーゲンのセットを食器棚
に並べている。

 最低は日本の住宅。スペースがない。ちまちまと仕切たがる。誰も好
きではないけれど、チョイスが限られている。建築家と施工者の問題。
バチカンを建てたベリーニの発想は日本人には浮かばないだろう。

 アメリカンフォークアートには必要から生まれた媚びない無心の美しさ
がある。つたなさが根底にある素朴なものが多い。日本は技を競い、マ
スターになるまで生涯をかける。発想に敬意を払うアメリカではマーケテ
ィング、大量生産を考えてビジネスが発展した国との違いだろうか。

 18世紀~19世紀の終わりごろまで作られた貯蔵食品用アメリカンストーンウエア

 ケーキスタンド。1830年~1845年ごろまでに作られたアメリカンプレスドグラス


アメリカンフォークアート店内   歯科医の看板    か
ざみどり(フォークアート美術館)
 *風見鶏は方向を示し建物の一番上に取り付けられた。80年代高価な値がつき、ヘリ
コプターで空からひっこ抜く泥棒が話題になった。


 アメリカの2大フォークアートといわれるキルト。   もう数少なくなったキルト専門店

キルトと並んでアメリカを代表するアメリカン フックド・ラグ。  アメリカ人形

 いづれも日本人は手の中でめでるものを愛し、アメリカ人はスペー
ス、マスを考えながら発展してきた土地柄と歴史の違いがある。

 最近アメリカの陶工展を日本で見た。つくずく感じたことは手の中に
入れて育むサイズの陶芸は、アメリカ人には申し訳ないが作者のメッ
セージは日本人には届かないと思った。良い悪いでなく、伝統と暮らし
のスタイルの違いだと思う。

 


 


ものつくり→アメリカンフォークアートから学ぶ

2010-04-27 20:02:43 | ものつくり

   

誰でも持っている意識しない素晴らしい可能性







                                       アメリカンフォークアートの数々

 アメリカでもっとも尊敬される人はアイデアのある人、何かを作り
だす創造力(クリエイティビティ)のある人です。
 新しいことユニークな
こと今までと違うことよりよくすること、役に
たつものを作りだす能力をクリエイティビティと言います。
 何もなかった開拓時代、アートの訓練を受けたこともない普通の人
たちが作ったアメリカンフォークアートの温もりに,,心ひかれ私は暮ら
しの中で作られた生活用品を触ったり、集めてたり、歴史を調べたり
してきました。
 中でも、アメリカでキルトとフックド・ラグは社会現象を起こすほどたく
さん作られました。原点は歴史をさかのぼり、形や用途などが違いま
すが世界中で作られたものです。 しかし、アメリカンキルトやラグが
ほかの国と違う点は、アメリカの暮らしや社会を反映し、無数に
作られたこと、最もアメリカらしいアメリカ人の性格を表したアメリ
カンフォークアート
だからです。
 年期や技術を競うのも一つの進歩でしょうが、個性がなければ感動
がありません。私は永い間キルト公募展の審査をやっていましたが、
私が面白いと思うものはたとえ下手くそでも発想の良さ、心温まるユニ
ークな作品です。その上で作り方がうまければこの上ない作品になり
す。
 創作は生まれながらに備わっている人もいますが、何もない処から
考え出すことではなく、誰かから影響を受け、または教育によって養わ
れ新しいものが生まれます。そして作れば作るほど、ベストの可能性
が増していきます。それが自信となり、独立した自分らしさを育むこと
になります。 誰かの、また何かの視覚的影響を受け、”美しい!”
”好き” ”素敵!” ”可愛い”
など感覚的に単純に感じとることが
重要です。
 フックド・ラグももキルトと同じですが、ラグはキルトのような正確さが
要求されず、作り方も易しく工程も単純です。

作りだす前に知っておきたい事は
1)間違っているかもしれないけれどリスクをとって、勇気を出して
  成させること。
2)自分の好みや感情を表現するように試みること。
3)自信を持って立ち向かうと自然と出来るようになります。
4)失敗からユーモアを理解し、人の失敗を助けれるようになります。
5)新しい人間関係も生まれチャレンジ精神が生まれます。
6)人の作品から更により良いものを学びます。
7)結果を良くしようと思わず、問題を解決しながら進むと楽しく作れる
 ようになります。
日本の出来あがった伝統や、ピラミット教育がしばしば個人の才能に
ふたをしていることがあります。進歩はチャレンジ精神で、経験を破
作り替えていくことでないでしょうか

アメリカン フックド・ラグを作る
講師:小林恵
ミキモトアカデミー:5月19日、6月2日、6月23日,各水曜日
3回コース:午前クラスと午後クラス
お問合わせ:
キモトアカデミー事務局、フリーダイヤル:0120-461176


「ニューヨークの地下鉄マップの使い方」

2009-02-23 11:31:35 | ものつくり

アイデアはアメリカの資源
と言ったのはケネディ大統領だ。ニューヨークの地下鉄の地図
は入口で「地図をください」と言えば誰でも無料でもらえる。
ニューヨーク市が誇る地下鉄地図の利用法は果たして如何に。
地図の大きさは縦19cm3mmx横9cm3mm、9つの蛇腹折、さら
に縦3つ折りで、広げると、58cmx80cmの大きさ。

ウーン、ニューヨークもかなり広い。普通 ”シティに行く” という
とマンハッタンを意味している。
5区のマップはとても複雑で、長く住んでいても多くの人は目的が
ないところにはなかなか出向かない。マップは重要な市のPR.

地下鉄のマップでデザインしたドレス。ヴィレッジのショーウインドー。
蛇腹折りを利用したプリーツスカートは抜群。

初めて行くときは、このマップなしには動けないほど複雑で、聞い
てわかる人は極小。標識もいまいち。

お兄さん画家がウェストサイド72丁目の地下鉄の広場で、イーゼ
ルを立てて地下鉄のマップの上にスケッチしていた。なかなか!
横の箱に一杯マップが入っている。「そんなに沢山のマップどうし
て集めたの?と聞くと「捨ててあったのを拾ったんだよ。路線が変
わったのでゴミらしい。リサイクルだよ」とウインクした。

「あなたはえらい!」というと「オー!3939!」と爽快。

すでにリサイクル、マップ利用はコマーシャル製品として売ってい
る。そのほかネックレス、ブレスレット、イヤリング、キーホルダ
ーなど路線が変わるたびに新しくマップは印刷されるので、材料は
無限!アイデアも無限!ニューヨーク土産に最適?
マップ好きにはニューヨークの地下鉄マップが最適なお土産と思う。
地下鉄は24時間営業、年中無休。距離に関係なく一律2ドル。
旅行者も含みシニアは半額。