小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

「ニューヨーカーの憩いの場所ストローベリーフイールド」

2006-02-27 00:59:22 | ニューヨーク暮らしの日々
「ストローベリーフイールド」

ストロ-ベリーフイールドの入り口の看板:入り口にはいつもパークの
写真が売られている。


これからイチゴ畑にいくよ」
(Strawberry Field Forever)

 1967年のビートルズの歌から命名された最も愛されているニュー
ヨーカーの憩いの場所である。
 1980年12月8日ジョン・レノンが射殺され、ヨーコが1millionを市
に寄付、1985年、10月9日、ジョン45歳の誕生日にオープンした。
 セントラルパークウエスト側71丁目から74丁目に伸びる2.5エー
カー(1エーカーは約4,047平方メートル)の涙型の小高い丘で、レノ
ンとヨーコが住んでいたダコタ ハウスに一番近いパークである。 
 私の住んでいるアパートからここまで4分。たまった写真の記録を
見ていくとなかなか面白い。
 ストローベリーフイールドの中心にはナポリから贈呈されたイマージ
ンと刻まれたモザイクがあり、世界中の人たちが訪ねくる。



 
膝まづいて花を飾っている人はボランティアでやり始め、今ではある
財団の助けでモザイクのお守り役。麻薬から立ち上がった人で「本
当に感謝しています」と誇りを持って楽しげにやっている。「寒い時大
変ね」というと彼は「私のワイフが ”あなたがやらなければ誰かがや
るのよ” と励ましてくれるんです」と屈託がない

*(誰かがやるというのは職がとられてしまうという意味)

 ビートルズ・イマージンの歌

想像してごらん・・・天国なんてないんだと・・・
その気になれば簡単なこと・・・
僕らの足元に地獄はなく・・・頭上にはただ空があるだけ・・・

想像してごらん・・・すべての人が今日のために生きていると・・・
想像してごらん・・・国境なんてないんだと・・・
そんなに難しいことじゃない・・・
殺したり死んだりする理由もなく宗教さえもない・・・

想像してごらん・・・
                     
すべての人々が世界を分かち合っていることを・・・
僕ひとりじゃないはずさ・・・
何時の日か君も僕らに加われば・・・
この世は一つに結ばれるんだ   
(訳:ビートルズソングノートより)

 

 

 

 

 

 


「新まいパパの挑戦」

2006-02-24 19:42:09 | ニューヨーク暮らしの日々

男性トイレにオムツ取替え用テーブルの設置
 「おい!飯!」といえば魔法のように飯がでて来るのは今は昔の
物語。女性も男性とおなじ様に働き、場合によっては女性の給料の
方が多いこともある。収入にかかわらず、賢い若い男性は率先して
子供の面倒を見る。父親が子供を可愛がっているのを見るのは、
本当にほほえましい姿だ。



 
  可愛がるばかりでなく、赤ん坊が泣けばママより先に走りより、
赤ちゃんの
オムツを取り替える。日本人の友人の息子はアメリカ生
まれで、子供が出来るとせっせと楽しそうにオムツを取り替えていた。
 新考案の汚物処理器があり、ポイと捨てるとビニールの袋がくるく
る回り臭いを封じてしまう。ソーセージのようにオムツごと封じ込まれ
た数珠玉状の袋をネックレスの様に首から掛け、洗濯かごを抱えて
彼は地下室に消えた。 新米パパのブログや ”新まいパパチャット”
もある。最近オムツを取り替える赤ちゃんを寝かせる台が男性のトイ
レにないので訴訟を起した新まいパパがいる。 訴えられたデパート
は「考えてみたこともありませんでした!すみません。すぐつけましょ
う」ということになった。「お金を取るための訴えではありません。公共
意識を高めるためです」とのこと。現在60%の男性用公共トイレには
オムツの取替え台が取り付けられたとか。 男性トイレに入れないの
で確認は出来ない。

 


「ニューヨークの鉄製ビル」

2006-02-21 19:45:15 | ニューヨーク暮らしの日々

キャスト アイロン ビルディング
 ニューヨークには250以上のキャスト アイロン ビルディングが
ある。1870年ごろ建てられた鉄製ビルはハウストン ストリートの
ダウンタウン ソーホーにあり世界で一番キャストアイロンビルの立
ち並ぶところだ。


 彫刻よりも鉄で作るモールドは安く、しかも早くでき、デザインの可
能性がある。ルネッサンス リバイバル、エンパイアー バロック ス
タイルなどの建築様式でビルのフロントが鉄製で装飾されている。
 殆どが19世紀の中頃から印刷業、ボタン、リボン、人形、洋服な
ど家内工業区として建てられた。


 1960年の中頃から、使用されていないこれらの家内工業地区に
アーチストたちが安くロフトを借り出し、友人のアーチストがロフトに
住み始め、ロフト生活というものを初めて知った。4分の一を住居に
改良し、あとの4分の一が倉庫、そのほかを彫刻のスタジオに使用
していた。端から端までは自転車を使う広さ。広さばかりでなく天井
も高く、ドアも階段も鉄製、130年以上前に建てられたびるの頑丈さ
二驚く。

  現在は住居として改良され、画廊やデザインオフイス、素敵なショ
ップになり、既にビルは高騰したため多くの画廊はチェルシー地区
に移動している。 工場にしろ、住居にしろ、人間に幸せな空間を
提供する建造物、建築家たちがもつモラル、長く使用でき、如何にし
て快適な仕事または暮らしが出来るかという暮らしの基準が常識と
してある。このことを考えると日本の住いは建築も住まい方も近代国
家というにはかなり遅れている。高すぎるというべきかも。 耐震強
偽造事件にしても人間に幸せを提供するどころか、如何にピンはね
するかが第一主義ではおぞましい限りだ。  
リンカーンを暗殺した
ブースは逃亡した納屋で射殺された。かくまった宿屋の女主人は陰
謀をたくらんだ7人の集まりに場所を提供した罪で其の中の3人に加
わり、1865年7月7日絞首刑になった。 罪名は「卵のかえるのを
助けた罪」であった。 耐震強度偽造事件もたくらみの元締めをミデ
アが洗い出して欲しいものだ。
 
(建築に興味のある方はhttp://www.nyc-architecture.comを開き、
Sohoをクリック→ 39,40,41,48などいずれかの写真をクリック→
Facade,Styleなどを開いて参考に見てください。キャスト アイロン
ビルのほか、セントラルパークの鉄製の橋など壮観です!)
(上記掲載写真はすべて筆者が本日撮影したもの)


「ニューヨーク記録破りの大雪」

2006-02-17 18:51:13 | ニューヨーク暮らしの日々

「不思議な白さ、美しい雪」
 
日曜日朝から雪が降っている。元気印、ドイツ人の友人から「パー
クを歩かなーい?」と誘いの電話が来た。「寒いの嫌い!、吹雪は
いや!」とパス。暖かい部屋で窓からの眺めを楽しみながら、3月
11日のアメリカンフォークアート美術館での恒例ラグデイ用の作品、
帽子を何点か作った。一日中雪は降り続き、1947年以来の記録
破りの大雪となった。

 パークの丘は子供たちの遊び場になりみな楽しそう。橇や浮き袋
、半円のプラスチックのディスクなどですべり落ちてくる。グランドマ・
モーゼスの絵を彷彿とさせる。


 左下の写真は、子供の頃足跡もない新雪の上にぱっと両手を広げ
て仰向けになり人型を作って遊んだことを思い出した。新雪の上に
後ろ向きで倒れ雪に埋まって空を眺めてみた。少女時代を思い出し
夢み心地!  ストローベリーフイールドを通過したとき、イマージン
の横で女の子が雪だるまを作っていた。帰りおなじところを通ると、
誰かがいたずらをして雪だるまにおっぱいが付け加えられ、乳首にピ
ンク色の飴玉が埋め込まれている。なぜかなまめかしい。雪だるまに
カメラを向けている私の後ろで年寄り不良ヒッピーたち数人がケッケッ
と愉快そうに笑っていた。


「大雪の2日後のパーク」

2006-02-15 23:04:41 | ニューヨーク暮らしの日々

太陽が出た。快晴。太陽さん、ありがとう!
 雪がどんどん溶け始め凸凹道に水がたまり、遠周りしたりジグザ
グで歩く。うっかりすると車に茶色になったしぶきのシャワーを浴び
せられる。

 
四季がはっきりしている日本には衣替えの季節がある。ニューヨー
クでは夏でも寒ければ冬物の洋服を着るし、雪が降ればすぐにスキ
ーや橇を持って、パークに集まる。雪があっても暖かければすぐ素足
にもなる。とにかく対応が早い。

  明日は溶けて無くなりそうな残りの雪をカントリースキーで楽しむ
大人や、子供たち
で今日もパークの丘は子供たちで一杯。

 ストローベリーフイールドに咲く雪割草は溶けかけた雪から顔を出
して雪と白さを競っていた。立ち止まって雪割草をしばらく眺めてい
と、数人が私の後ろから同じように眺めていた。「美しいわね」「教え
られるわね」「いいレッスンだわ」と。

 
こういう感想はアメリカ人にしては珍しい。雪割草さん、咲いてくれ
てありがとう。

 

 

 


「偏見を直すには長い長い時間がかかる」

2006-02-05 11:22:43 | ニューヨーク暮らしの日々

ドクター・キングの言葉、「私には夢がある・・・
 私の4人の子供たちが肌の色ではなく、人間の内容で評
価される日がやってくるのを夢見ている。」そして暗殺さ
れる前日、「神の召す
まま私は山上に登っています。見渡
せば約束の地が見えます。私は皆と一緒に行けないかも知
れない。しかし平和な時代が必ずやってきます。」という
言葉を聞いた当時、人々は今ほど感動しなかったのも偏見
をすぐ変えようとしない根強い人間の習性であろうか。
しかし「山頂に登って」「バーミングハム刑務所からの手
紙」とともにドクター・キングの有名なスピーチになった
のも、人間の良心は永遠であることを証明している。 
 コレッタ・キングの死を動機に私の長いニューヨーク生
活を振り返って見ると世の中の変貌ぶりに感慨無量になら
ざるを得ない。
   
 黒人が殺されても、殺した人は殺人犯にはならなかった。
ある日本人も間違って黒人の子供をひき殺し、日本の会社
の謝罪金で刑事事件から免れた。黒人に同情し
応援のため
南部に移り住んだ白人女性はKKKの何者かに殺害された。
 プロまたは大学のスポーツチームは黒人をボイコット、
1966年黒人5名をチームに入れたテキサスウエスター
がチャンピヨンになり、黒人スポーツマンの栄光への道が
やっと開かれた。今考えれば嘘のような話が山ほどある。  
 キングがシカゴで、政府の人権不平等と人種差別の行進
を組織したとき、
石を投げつけ ”ユダヤ人と同じように
焼き殺せ!”と群集は
叫んだ。 1966年、ドクター・
キングは「暴力に疲れ果てました。ベトナムの戦争、殺害、
憎悪、利己主義に疲れ果てました。悪魔に疲れ果てました。
どんなことがあっても暴力には反対です。」と叫んでいる。 
 このときから40年の月日がたっている。表向きに平等
と権利は是正された。しかし、正義のためにと破壊は続き、
貧富の差は大きくなるばかり、法にふれない差別も偏見も
歴然と残っている。


「コレッタ S.キングの死」

2006-02-03 23:42:37 | ニューヨーク暮らしの日々

「長い道のりを超えて」 
 
1953年Dr.キングは
品性、個性、知性そして美しさを
兼ねた人が私の理想の女性です」と
コレッタと結婚。19
60年代のシビルライトムーブメントに夫とともに参加し
た。1968年、4月4日Dr.キングが暗殺された後も無
暴力で差別のある不平等社会、貧困、戦争反対など”人間
らしい暮らしが出来るまで戦います”と夫の意志を継ぎ、
自ら社会をかえる運動に人生を捧げた。 
 当時デザイナーをしていた私は、1968年4月4日会
社の帰り7番街40丁目の地下鉄の入口で大見出しで書い
てある「ドクター・キング暗殺」の号外を受け取った。
 NY生活4年目、南部のアメリカのことなどあまり理解
できない頃であった。ある日、会社の黒人のお針子が肺炎
で急死した。ハーレムまでお葬式に行く人は誰もいない。
 夏休み中の私は会社に戻され会社代表で現金20ドル入
り封筒を持たされてハーレムの葬儀に行かされた。以後考
える動機を作ってくれた忘れられない経験となった。差別
は当然「なぜか?」の質問すら御法度の時代でもあった。
 ジャックリーヌ・ケネディが”アメリカ人は過去の経験
から学ぼうとしない”
と馬車に乗せられたキングの棺の横
を一緒に歩いていたお葬式の光景も
忘れられない歴史の一
こまであった。 
キング暗殺2ヶ月後の6月5日、ロバー
ト・ケネディが暗殺された。
 
あれから38年の月日がたつ。 選挙権を獲得、差別の
ない雇用、肌の色でなく人間の価値で評価される社会を夢
見たキング夫妻の夢は現在適えられている。肌の色が違う
子供たちが手を繋ぎ遊んでいるのも普通の光景となり、広
告にも白人と黒人のモデルがで一緒に出ていても違和感な
く見ている昨今となった。正義と平等、平和で人間らしい
暮らしの実現に人生を捧げたコレッタ・キングの死は人間
の悪魔的偏見を変えた長い道のりであったが、夫Dr.キング
とともにアメリカの歴史を
塗り替えた素晴らしい人生であ
った。

写真:肌の色が誰も気にしなくなったこのごろのニューヨ
ークの街角。