小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

「セントラルパークの蛙」

2009-08-31 12:33:40 | ニューヨーク暮らしの日々

蛙の話

 こんな蛙みたことありますか?
ニューヨークの自然博物館で去年、蛙の特別展を見て印象的だった。
今年の5月から来年の1月までアンコール人気で展覧会が延長されてい
る。左の蛙は18センチぐらいの大きさで、とげの飾りがある。がま口の様に
大きく口が開き、動くものはなんでも食べる。おかまいなく、共食いもする。
右の蛙は漫画のような可愛いらしい顔をしているが,大口を開けてかぶり
付き、齧って血を吸う。  
写真上:Joe McDonald ニューヨーク自然博物館提供

 世界で一番多く蛙のコレクションを持つこの博物館ではオレンジ、ブルー、
輝く紅色、世界中の蛙を展示していてとても楽しいお勧めの展覧会だ。
 小川や池、田んぼ、水のあるところ、いたるところにいた蛙は今、姿を消し
ている。1996年以来44州にわたって足や目、指のない奇形の蛙が発見
されている。理由は寄生虫の発生、ポルーション、強力な紫外線と言われ
ている。調査によると、卵がすでに奇形で完全でないそうだ。
 蛙はダイナソーと同じぐらいの古い生き物で、最大の蛙はアフリカに住む
38センチ、7ポンド。最小はキューバに住む1.5センチ。捕まえて生きて
いた蛙の長寿記録は20年。世界には4.900種類の蛙がいる。蛙は自分
の身長の20倍飛ぶことができ、眼は180度回転できる。
 美しい色の蛙の殆どが毒蛙。コロンビアに住む美しい2センチ位の小さ
な蛙はスキンに触ると麻痺が起き、2万匹のネズミ、又は人間10人を殺す
ことができる程の猛毒をもつ。
空気を膨らませて鳴く蛙のボーカルコードは
メガフォンの役目をし、時には1マイル離れていても聞こえるそうだ。

写真:袋蛙。Jamern Harding 自然博物館提供

 蛙の体温は環境に合わせて変わる。温度が下がると池の底の土の中に
潜って春まで冬眠をする。北極園に住む蛙は体の65%が凍り、内臓はグ
ルコースを塗って凍らないようにプロテクトしている。人間に応用できる日
が来るかも。
 
ある日セントラルパークを散歩していると池に蛙が泳いでいて魚を食べて
いた。展覧会を見たおかげで、興味を持ってしばらく観察した。


 食べられるのに魚がたくさん大きな蛙の周りによって来るのがせつない。
パークで蛙にめぐりあい、感激した。心像写真の様で不思議が重なった。
 

 ご存じのグルメ蛙は足を ”マウンテンチキン” と言って食用にしている。
ヨーロッパではレストランのメニューにふつうにある。
生きている蛙はニューヨークのチャイナタウンで売っているから日本にはな
んでもあるとは言えない。買う人は樽の中に手を入れて蛙を選んで取り上
げている。足だけでなく全部美味しいというから勇気のいることだ。(食べた
人がいたらぜひ、味と出来上がりの姿を教えてください。)

 蛙はすごい量の害虫も食べているので農作物に貢献している。そして
魚や、鳥、蛇などの食料にもなっている。相互協力とはいえ、自然摂理の
運命は厳しいものだ。
自然環境にデリケートな蛙はエコーシステムが変化していることをいち早く
人間に教えてくれている。

参考:www.amnh/exhibitions/frogs/featured/
       http://www.amnh.org/exhibitions/frog/info/



 


「ビーバーちゃん、許しておくれ。」

2009-08-27 07:04:31 | ニューヨーク暮らしの日々

ダム エンジニア・ビーバーはニューヨークのシンボル
 巧みに物事を処理する人をエンジニアという。
インダストリーの象徴のビーバーはニューヨーク市の盾に登場し、ニュ
ーヨーク市のシンボルとして市庁舎のビルの壁にも見ることができる。

写真説明:ニューヨークのシール。1625年使用のもの:イーグルはアメリ
カのシンボル。アメリカの原住民のインディアンとオランダ人・ダッチ イース
ト インデア カンパニーの水夫。水車と樽はオランダ初期のインダストリーの
シンボル。風車の上下間にビーバーを象徴した旗はNYの正式フラグ。パレ
ード用。サイズは旗の基準サイズ。1975年以来ニューヨーク州の正式なシ
ンボルとして使われている。

 ビーバーの毛皮は富と成功者のシンボル、ビーバーハット(山高帽)
に使われ、肉は人間が食べ、人間のインダストリーの犠牲になった。
残り少なくなったビーバーは人間を恨んで仕事をやめることもせず、
せっせと今もダムを作っている。一匹のビーバーが年間100本の木
を切り倒すという。その一生懸命さには頭が下がる。自然環境に貢
献しているのか、サーバイバルなのか、統計上は不明。
しかし、怠けると歯が顎をつきぬ抜けてくるという。

 「ああ!神様。人間にこのような天罰をあたえているでしょうか。巧
みに考える頭脳を下さった御蔭で文明を築きましたが、罪悪、嫉妬、
悪だくみ、貪欲、その上競争することまで人間に与えてくれました。
そしてやっと今、人類は人間のやった悪事と天罰に気付き始めてい
ます。
 ひたすら命をかけて生きているビーバーちゃん!私たちを怨まず
反省と自然保護を考えさせてくれてありがとう。」

 最近、ニューヨークの自然博物館でビーバーのドキュメンタリーを
見た。初めから終わりまで楽しんでみた。すぐ横で見ていた2歳ぐら
いの子供がビーバーが齧った木が倒れるときに横にいたままに、
「ママー!」と叫び、大きな木を泳ぎながら運んでいる時も「ママー」と
叫び、母親がくっくっと笑うので、一層面白かった。


 1988年に制作されたドキュメンタリーで翌年パリで大スクリーン
映画賞をとっている。2004年以来、世界中で上映されている。

 ビーバーは恥ずかしがり屋で、ミステリアスなことがたくさんあるそ
うだ。声はアーん、アーんという赤ちゃんの声とそっくり。ペアになると
新しいダムを建設し、子供も増えるとコロニーをつくる。
 平均身長、約60~100センチ。ヘラのような硬いしっぽは20~30.5
センチ。体重は27キロぐらいあり、寿命は約24年位。1時間8キロメ
ートというすごい速さで泳ぐ。水陸両方でビーバーの毛は自然のオイル
で防水されている。
 ビーバーは兎、鼠、リスなどのように齧る動物。葉や幹、若木、根っ
こ、水の中の植物などを食べている。カヨテ、狐,熊などに襲われない
ようにダムは細い枝も繰りこんで強靭な歯で切り倒した大木を運び、
いりこんだ堰どめのダムを精巧に築いていく。水がせき止められた池
にはたくさんの魚があつまり、冬、氷が厚く張ったその下は温かく魚が
集まってくる。

 現在、ニューヨークのイメージはリンゴが代表しているけれども、
庁舎の建物や、地下鉄のアスター駅はビバー貿易で富豪になったア
スターを記念して、壁面がタイル張りのホームにはビーバーのテラコッ
タ飾り版が各所にはめ込まれている。[写真右)左は市庁舎の壁装飾。

ビーバーの功績を讃えてクレジットだけはビーバーちゃんにあげてい
るので救いがあるけれど、ニューヨークで生まれたニューヨーカーも
「見たこともないし、ちっとも知らなかったなー」 とほとんどが見過ごし
ている。日本人なら見過ごさずに ”ビーバー焼き” とか ”ビーバー
饅頭”をお土産用に作る人がいそうなお話。

参考:
「小林恵のNY通信ブログ」:2007/12/05
「ダム建造エンジニア・ビーバー」参照

 

 

 

 


「外国で国旗を眺めるとき」

2009-08-22 23:33:06 | ニューヨーク暮らしの日々

白地に赤く、ああ美しい!日本の旗は・・・
 
今年のお正月は銀座ミキモトで、日米ラグ展を開催していたので毎
日会場に出ていた。4丁目の地下鉄を出ると銀座通りは日の丸の旗
で埋っていた。白地に赤く、日の丸そめて青空に泳ぐ旗の波に、
”まあ!きれい” とすがすがしい気持ちで立ち止まる日々だった。  
 今朝のNY週刊生活(www.nyseikatsu.com No 265)のトップ
ページに
「在外邦人有権者に衝撃・衆院総選挙民主党が国旗切り党旗」の見
出し。「外国には国旗の悔辱行為など国旗損壊罪があり、2年以下の
懲役か、20万以下の罰金がかせられるが、日本の国旗自体への屈
辱行為には想定外で規定がない。米国カナダ、ドイツ、イタリアなどで
は国旗への冒涜や屈辱、損壊などに処刑規定を設けている。」  
 領事館に出向き、投票をしたすぐ後に読んだ新聞記事に考えさせら
れた。

 日本での事情はよくわからないけれども、単純に国旗を愛するのは
普通の国の人々がもつ国民感情だと思う。自分の足で根を下ろした
移民たちは、アメリカの旗を見て感慨をあらたにするのは当然なこと
だ。アメリカの愛国心は開拓した人々から自発的に生れた感情だ。
 
 安全で天下太平な島国にいては、国を追われた人々の感情など
知る由もないだろう。 共同通信に台湾の友人がインタビューされ、
台湾の国旗の写真が掲載されたとき、台湾の友人は涙を流して喜ん
だ。その亡くなった友人の追悼式に「ああ!台湾よ、母なる台湾よ。
台湾と声を出して呼んでみたい!」
と歌った台湾のオペラ歌手の歌を忘れることはできない。
 私はチャンスがあれば皆外国に行き、短期間でもいい、その国で
働いた、その国のお金で暮らしてみることを日本のみなさんに心から
お勧めしたい。そこから初めて国家とは、人間とは、平等とは、尊敬
とは、分かち合いとは、価値観とは、国家から得る恩恵とは何かなど
を学んで行くと思う。
 これらの価値観はお金で買えない貴重な経験になる。  
 アメリカにはフラグ条例(American Flag Act:USA-Flag-Site.org)
というのがあって、事細かに国旗を扱うエチケットについて書いてある。

左上写真)9/11のあと、ウオールストリートのセント ポール寺院で子供たち
の手形で染めた国旗が飾られてていた。右上写真)洗濯屋のショーウイン
ドーに飾られていたネオンのフラグ。NYC

 アメリカに来たての日本の友人が、パーティでアメリカの旗をベッドカ
バーに使い「僕は星条旗のデザインは本当に美しいとおもう」とアメリ
カ人に言った。そのアメリカ人は「それ以上の敬意を表してもらいた
い」と厳粛な声で言った。
 国旗はその国の人たちの血のにじんだアイデンティティでー物ー
はないこと学んだ。  
 語りたくないいまわしい戦争中の過去は忘れるように努力していこう。
日の丸の旗は理屈でなく、歴史を認め、これからどうするか、自分の
国に誇りを持って自分たちで決めていく、誇るべきアイデンティティで
はないだろうか。

 現代を嘆かず、年輩者も何が大事なのか、お手本を示し、考え方
を整理していくときでないだろうか。旗事件で日本を考えさせられた。
           
 福島県二本松市の城跡に、この文字が刻まれた国史跡の石碑が
あるそうだ。江戸時代中期の寛延2年(1749), 二本松藩主が藩政改革
のための戒めとして、藩士達が朝な夕なに通る登城口の大岩に刻ま
れせた「戒石銘」だそうだ。今の世で言うならば「公人の給料は、国民
が働いて納めてくれる税金から頂いている。だから国民に感謝し、国
民をいたわり、国民のために働かなければならない。その気持ちを忘
れると、必ず天罰があるぞ」と厳しく戒めている。

 この記事を姉が送ってきたときは、昔の人は偉い!と感心した。
最近公金横領や天下りが問題になっているけれども、だあれも何も言
わないのが不思議。新聞に暴き記事が発表されているのは素晴らしい
進歩だけれども。

 「二本松藩主様、石に彫りぬいたあなた様の正義観に感銘します。
私めに今、藩主様の言葉を書くチャンスを与えてくださり、ありがとう
ございました。しかし藩主様、天罰もあらわれず、2009年の今、260年
後もこの言葉はいきいきとして効力があり、改善されていないことに
一市民としての力のなさを恥いるばかりです。」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





「アンティック屋が姿を消しているニューヨーク」

2009-08-20 10:35:37 | ニューヨーク暮らしの日々

残るのは高級アンティック店/ガラクタ店はフリーマーケットへ。
 1964年、ニューヨークに来た時、アンティック屋がものすごくたくさ
んあった。
マジソン街、3番街、2番街、コロンバス通りにも軒並みにあり、面白
くて毎日アベニューからアベニューへ、ストリートをジグザグに歩き、
なんだろう!なんだろうと!飽きることなく歩いていた。違う文化を、
物から見ることも暮らしを覗き見るようで本当に楽しかった。
 現在はコレクターやデコレータが買いあさり、アンティックが無くな
ったことや、店舗が高くなったので、道楽で店を持つことが出来なく
なり、レストラン、飲食店、必要品でもない限り次々と店が変わって
いく。
 売れるものは大型店で安く売るので競争出来ず、ほとんどのパパ、
ママ経営の店は姿を消している。
しかし、ビジネスマンがただコピーを作らせるだけでなく、デザイナー
や建築家が介入して、アイデアを生かし、クオリティをコントロールし
た複製商品がだんだん良くなり、ギフトショーなどに新製品が出回っ
てきたのは楽しい。





 インドで作られたリトグラフのアンティック プリントが素敵な麻布に
プリントされたクッションや布張り椅子、カーテン、テーブルクロスなど
秀逸なものがある。デコラテイブな鉄製の釘なども触ってみたくなるほ
ドよくできている。金持ちのために作られた心をこめた手つくりの染め
が現代のハイテック印刷で複雑な線までが昔のエッチング通りに複
製可能になっていることは素晴らしい。
 残っていてくれて、そして誰かが再生してくれてありがとう。想像すら
しなかったハイテックが日用品に応用される素晴らし時代だと思う。

 

 


「場末から注目するファッショナブルな場所へ」

2009-08-14 04:26:33 | ニューヨーク暮らしの日々

賭殺後の肉の処理工場、ミートパッキング場の様変わり

 10年以上前まで、ウエストサイトのダウンタウン、14丁目を車で通
過するとドアはしっかりと閉まり、19世紀の中ごろに建てられた一階
建の不思議なビルがハドソン河に面して立ち並んでいた。


 ナイフが血に染まる肉の処理場で、19世紀の中ごろからあり、最
盛期には250軒以上にのぼったという。
 ビルの中を覗くことも出来ず、謀りしれない閉ざされた地区だった。
壁には恐ろしく猥褻ないたずら書きがしてある。夜中に仕事が始まり、
早朝までには終わってしまうビジネス界隈である。
19

 トラックで運ばれてきた肉は鉄のカギフックがそのままビルの屋根
下に付いているレールに移動され、そのまま処理場に入る。「この写
真を撮っているとき ”何が面白いのか!”とおじさんに怒鳴られ、ドキ
ンとしながら数年前に撮影した写真である。ストリートには肉片が落ち,
血痕なども・・・
 向かい側は古い建物が、ハイテックに改造されたファッショナブルな
ブチックがたち並んでいる。昔と今が共存しているのはニューヨークな
らではの面白い風景。

 14丁目、9番街の角に数年前までここで直売している肉のマーケット
があり、大きな肉の塊や、50センチぐらいのフイレミニョン1本がその
まま山のように積んであり、信じがたい安い値段で売っていた。
現在そのスーパーマーケットはハイテックITの店になっている。
 20年ほど前からウオールストリートに近いフルトン魚市場もブロンクス
に出来た大型食品卸市場に移り、この界隈の肉やも移動し始め、
Gansvoortストリートとハイラインパークの下、入口近くに、現在も35軒
の肉処理場が残っている。

 ハイライン パークの最南端の入口でワシントン アベニューとガン
ズボルト ストリートの角からウエストハイウエイまでの地域である。歩
道は昔のまま、ごつごつしたゴブル ストーンという(gobblestone )石
畳の道がいまだ残っている。改造され始めた古いビルは新旧相まっ
て個性があり、思わず立ち止まる程、趣があり近代建築よりもすっと
面白い。ヨーロッパでは当たり前のことが、ニューヨークでは〝なかな
かイカスうれしい場所になる。

 ハドソン河を利用して集まった、場末になっていた古いインダストリア
ル地域は今、再開発が進み、ブチっク、ギャラリー、レストラン、ナイト
クラブなどに変身し、トレンディな地区になっている。



                   上の3匹の子豚が人を呼ぶあるブチッくの前。
 変わらないのは、下の写真Hogs & Heifes Salon(859 Washinton
street,13丁目)ちょっと怖くて、足早に通り過ごしていた気になる店だ。
店の前には刺青男や皮ジャンに鎖を下げ、ハイレーを誇らしく乗り回
す男たちのたまり場になっているサロン。中を覗くと、形、サイズ、色彩、
さまざまなスタイルのブラジャーが処狭しと天井からぶらさがっている。
(お店のソースによると11,000個?のブラジャーがつるされている)
薄暗い古ーい店、やはり何かしらいわれのありそうなところだ。カメラ
を向けると”NO,N0”のサイン。風俗違反になるからだろうか。すでに
ノーブラの時代だし、女性の秘密を見る面白さなのか、母親に抱かれ
る夢なのか。英雄の分捕り品なのか。知る由もない。


 2年前、友人の山根基世さんを連れてこの店の前を通った。中を覗
くとすぐにバーにいた男が出てきて山根さんの両腕をとってダンスをし
ながらステップで薄暗い店の中に入れてしまった。後ろについて私も
入ると素敵な女性が出てきて、「女性たちはみな怖がるけれども本当
にいい男たちなのよ。ここで犯罪は一度もないの。気っ風がいいし、
豪快で、いい人たちなの。私はこの二人のイギリス男についてフロリダ
から彼らの船でニューヨークを案内しに来たのよ。帰り一緒に船でフ
ロリダにこなーい?」と無邪気にさそわれた。

 「行くわ!」と言っていたら、多分この記事は書いていないと思う。
永久に消されることもなく、推理小説のネタにもならず、山根基世さん
がケラケラ笑いながら楽しそうに踊っているのを眺めていた。



註)ぼけ写真陳謝。ニコンCOOLPIX S620使用ですが変換がうまく
行かず直す方法を考えていると、この記事消えてなくなるので失礼し
ます。そのうちにニコンさんのモデルケースみたいなのができるかも。
これは希望的観測。

 

 

 


「ハイライン パーク・元汽車高架線の遊歩道」

2009-08-10 12:10:47 | ニューヨーク暮らしの日々

ハイライン パーク」

 
数年前からニューヨークのホットプレースとして注目されているチェルシー
は、ファッショナブルな店や現代アートの画廊などが集まるアート地区である。
工場や倉庫地帯の建築物を改造したためお店や画廊はユニークで溜息が出
るほどの空間がある。この工場や倉庫地帯を走っていた鉄道の高架線が遊
歩道、ハイランドパークになり、ニューヨーカーの憩いの場所として6月初めに
開放された。朝7時から夜の10時まで信号なしで歩ける緑のオアシスとして
ニューヨーカーを喜ばせている。
 ハイライン(高架鉄道路線)は1930年代に作られ、1980年冷凍のターキ
ーを運んで以来、廃線になっていたインダストリアル レールロードで、長い間
むき出しの残骸高架線が歩く前の空を横切っていた。

 
加工肉工場のあるダウンタウンはダイナミックなバイタリティのある地域で
GansevoortとWashingtonストリートの交差点に入り口があり、将来34丁目ま
で遊歩道として伸びていく予定。

 高架線の下は喫茶点やレストランができ、いつもにぎわっている。
この界隈
は築地のように朝早く活動しはじめ、昼ま車で通過してもほとんどがドアを閉
めていて昔はハスラーや娼婦や男娼のたまり場?でこの界隈が開発された
後の数年前でさえも、一人では歩きにくい、女性は特にいってはいけない場
所だった。今でもその種の人が歩いている。
現在はあらくれ男たちと、素敵なファッショナブルな店とハイスケールの画廊が
共存している独特な場所である。
 
鉄道高架線が作られる前は都会での交通事故が多いため、馬に乗ったポリ
スがこの界隈に来ると、汽車を先導していたというから、太鼓をたたいて「撃て
ー」の合図をしてから撃ち合った昔の戦いを思わせるような、のんきで愉快な
話である。

 近くにはホテルや、ウイットニー美術館の分室もできる。有名なチェルシーマ
ーケット、その10番街側にある赤のれんの日本レストランもりもと、その向か
いはヘネシー。そのスケールはチェルシーならではを感じさせる。

18丁目の11番街の角に建つ建築家フランク ギリーの未来的ビルが目立つ。
近くにもうニューヨークではお目にかかることができなくなった洗濯物が窓から
干してあったり、未来と現代と過去が歩きながらにして感じ取ることができる。

 遊歩道はウエストサイドの22ブロックスを走る22km。650本の木や灌木や野
の花が植えられ、ベンチも連なっている。ランドスケープデザイナーはJames 
Carner.
 NY市長ブルン バーグは「都市を再建していくには、その景色を改善し続け
なければならない」
といっている。

参考サイト:
www.thehighline.org
http://www.nycgovparks.org/parks/highline/dailyplant/
www.thehighline.org/blog.


「ハドソン河で魚つり」

2009-08-07 12:20:06 | ニューヨーク暮らしの日々

魚釣りは豪快スポーツ


写真:www.ospreymarine.com/hudson-bass.html/

        www.hudsonriver.com/stripers.htm

 ドイツ人の友人でボーイハントを楽しみにしている人がいた。「自分の
やりたいことに夢中になり、おおむねあっさりした豪快な男性たちが多い」
とのこと。小さいボートにはトイレがないので女性を乗せてくれないので
岸に並ぶ男たちに声をかけると、たいてい仲良しになれるそうだ。彼ら
は彼女の顔を眺めた上で返事するわけじゃないので、コムニケイション
は抜群という。
パーティで「男性をキャッチする方法」を披露するのを楽し
にしていた彼女の話しは抱腹絶倒、本当にキャッチして大金持ちと結婚
したが、残念ながら40年代初めに亡くなってしまった。

 ハドソン河は引き潮が河の半分くらいまで影響し流れが変わる。
PCB汚染で問題になっていても毎年産卵に魚が登ってくる。スタージョン
(ちょうざめ)、ストライプバス(すずき)、パーチ(すずき科)、シャッド
(大西洋にしかいない魚でニシンの親玉、4倍ぐらいの大きさ。ホームペー
ジ食欄のシャッド参照)ウナギ、鱒など100種類以上の魚がとれるそうだ。
ストライプバスは最も人気のある魚で、普通は20~25ポンドぐらい、大き
いのは40ポンドもある。18インチ以上の魚は一人一匹持ち帰ることができ
る。30ポンド以上のバスを釣り上げた人は程んど病みつきになるそうだ。
 ボートでのフイシングは5人まで乗れるボートで道具付き。5時間で一人
$500。週末は$550.

マンハッタンからthe Parisade Clifs, West Point, Banneman's Island,
Hudson Highlands まで、丘の上に建つマンションも含めて歴史的なパノラ
マが
展開され,忘れえぬ美観が続く。

www.ospreymarine.com/recent%20catcher.htm
をぜひ見てください。豪快な写真が見れます。
参考:www.hrvh.org/  www.hudsonrivervalley.com