小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

2009年「日米フックド・ラグ展」後の日本作者コメント(続き)

2010-03-22 12:21:28 | フックド・ラグ

    No.3 US/Japan Rug Hooking Exhibition 
        第3回日米フックド・ラグ展          
         
 展覧会後のコメント(続) 
       
            小林恵
         
        
平和・ストライプで手をつなごう 
 
中心は現在の混沌とした泣いている地球。ストライプは手をつなぎ
合って地球を救っていこうというメッセージのつもりですが通じている
か、どうでしょうか。 今回の日米展はパブリックとアイデアを分かち
合うという展覧会の解釈が契約にもかかわらず、アメリカ側の担当者
は個人的解釈で、苦労をしましたが、インディアナの展示場はインデ
ィアナ美術館のキューレーターが展示をしてくださり、専門的でした。
企画の段階でレベルを読めないと展示は成功しないと思います。目的
が同じでないと、限りなく問題が起こります。しかし、素晴らしい展覧会
はたくさんの人々協力で実現し、成功裡に終了し、参加した作者たち
から続けていきたいとの声をきき、とてもうれしく思っています。 
ーなぜ私は展覧会をしたいのか?ー 
 日本はアメリカのより社会システムが遅れていて、人間は独立して
初めて社会参加できるという概念がありません。子育てが終わっても、
まだまだ夫の収入に依存している女性たちが多いようです。仕事がな
いということも理由でしょうが、危機感がないと自分を見失うことにもな
ります。その上何をしてよいかも分からなくなり、素晴らしい能力も活用
出来なくなります。誰でも自分はいったい何だろうと悩むことがあると思
います。出来ることを実行してみる。自分らしさを自分で確認してみる。
例えそれがラグ作りであろうとも。世界の人と分かち合いアイデアや素
晴しい創作を影響し合えるのです。たかがボロの様なラグかもしれませ
が、自分で創作出来るようになると、どんどん成長して社会を動かすこ
とだってできるのです。  
 女性の手作りはともするとミデアをぐうじっている男性たちからは「女
の手作りはどうも我々男性には分かりません・・・」とはっきり言って見縊
られています。しかしそれで儲かるとなると男性は垣根を飛び越え躍起
になる世界です。男性の欠点を云っているのではなくて女性の意識の
問題と考えましょう。 ファインアートを評価し、名のない人のフォークア
ートが評価されないのはおかしいことだとおもいませんか?
 何事もあらゆる分野で市民権を得て、公平に評価されるべきだと信じ
やみません。日本では本当のレベルを見極めれないので残念ながらす
ぐ肩書に走りがちです。良いものは良いと評価出来る審美眼を各自が
持つことが、大切な自立につながります。参加することから、また作って
みて、人からの評価も享受して能力が磨かれていきます。  アメリカから
は、どうして日米展に処女作を出すのかと何度も聞かれました。
[良いからです」と答えます。経験があれば必ず巧いことではないことを
この展覧会からおわかりになると思います。展覧会の成功は心を打った、
それを試みたあなたらしさへの評価です。嬉しい嬉しい展覧会でした。
みなさん本当に有難うございました。

注)ラグ展示後のコメントは参加作者たちからの任意投稿です。続きはアルファベット順
になりませんがあしからずご了承ください。


写真:高橋仁巳 

小林恵のラグ教室:お問合わせ: ホームスパン ℡:03-5838-3313
ミキモトアカデミー アメリカン・フックド・ラグを作る」
5月19日・6月2日。6月23日 お問合わせ: ミキモトアカデミー事務局
フリーダイヤル:0120-461176


「2009年・日米フックド・ラグ展」日本作者コメント

2010-03-16 01:16:00 | フックド・ラグ

     No3: US/JAPAN Rug Hooking Exhibition 
               日本参加者のラグコメント
 
            
    伊藤恵子
            もったいない
 
アメリカのラグはいろいろなアイデアや工夫がされていて、見ていて
すごく楽しい気分になりました。アメリカのラグはいろいろな素材が利
用されていたのに比べ、日本のラグは同じ素材で作っていたので、す
ごく綺麗に仕上がっていて、全体的に落ち着いた感じがしました。
 2005年の展覧会をみて、「私のラグもいつか展示されたらどんなに
楽しいだろうなぁ~」と思っていたので、本当に参加することができ、
夢が実現しました。
 ラグを愛する方々と心がつながって楽しい時間を共有できて、とても
幸せでした。
展覧会の関係者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
 自分にとって、自分が生きた足跡、歴史みたいにしていきたいなぁ~
と思っています。日々、感じたことや思いなどをたくさんラグにこめて、
会うこともなかった孫やひ孫が、ラグをみて「こんなおばあちゃんがい
たんだねぇ~」と懐かしんでもらえ、温かい気持ちが伝わるといいなぁ~
と思っています。毎日毎日が、なんとなく過ぎていってしまいそうですが、
一つでもお気に入りのラグが完成してたくさんのラグの画像を先生に
送れるようにがんばりたいと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。

             井上美沙
         
四葉のクローバー  
 
アメリカのラグ
はイロイロな素材を使ってあるのに驚きました!
ウールだけでなく何でも使えるんだと感心しました。アメリカのラグも
だけど、デザインが皆さん素敵でした。それぞれのストライプが面白
かった。 いらなくなった布を再利用して日常で使えるモノを作って身
近にラグを感じられたらいいなぁ~と思っています。

                          藤村奈保子
           
 春の川面
「あれは、確か2008年のはじめのことだったと思います。
笹塚の喫茶店で恵さんとお会いし、久しぶりの再会を喜びあった後、
恵さんは目をきらきらさせて言いました。「ラグの日米展をやろうと思
うのよ」。その時私がどんな事を答えたのか覚えていないのですが、
恵さんのきらきらした目が印象的で、直感的に「ああ、恵さんはきっと
実現されることだろう」と思いました。
 私が、全くの初心者にも関わらず、恵さんに誘われるままに思わず
「参加します」と答えてしまったのも、あの恵さんの”目力”に動かされ
てしまったからなのだと思います。その後、「超」が付く不器用な私は、
自分の軽率さをものすごーく後悔することになりますが、恵さんの叱
咤激励を受け、先輩たちの温かい助けを受けながら、その年の秋、
なんとか初めてのラグを仕上げることができました。
 今、アメリカから戻り、自宅の居間の壁におさまった、自作のラグを
眺めながら、あの時の恵さんの目の輝きの意味が少しわかったよう
に思います。それは、「自分の手を動かして、ものを作り上げることの
喜び」を知っている人の目だったのだと。
 拙いながら、一枚のラグを織り上げることのできた私も、少しは恵
さんの輝く目を手に入れられたのだろうか、と思うのです。
今回ラグ作りを通して恵さんから教えていただいた、「ものを作り上
げる喜び」や、「ものに思いを込め、人に伝える」あり方は、現在の私
に与えられたミッションである「番組づくり」にもつながるものとして、
生かして行きたいと思っています。

                河合香都子
               商品宣伝用掛け
 アメリカのラグデザインの発想がすばらしい。大自然のこと、日常
のことあっと目を引くものがたくさんあった。配色もきれいだ。
日本のラグは私を含めてデザインは平凡なものが多かった。色彩的
にも暗い感じが多かった。
 フックの仕方は、日本人独特の繊細さが出ていたような気がする。
 天下のミキモト3箇所、玉川高島屋、アメリカへ自分の作品がこん
なにたくさんのところで展示されることは一生ないと思う。恵先生のお
陰です。とても嬉しかった。友達もたくさんみにきてくれ、鼻高々でした。
感謝です。歩けなくなっても、一生の趣味として続けて行きたいです。
もっともっと、ラグが普及するように、協力していきます。
よろしくお願い致します。

                                    
小林和子
           
北斎の驚き
 
アメリカ側は堂々と自己主張していて、さすがと思いました。
殆どの作者は先生クラスの経験者たちだと聞きました。
日米交換展はいろいろの事を学ばせていただき、素晴らしい。
経験になったと喜んでいます。日本側のラグもなかなかなものでした。
私は大好きな北斎の「神奈川沖浪」を3Dメガネで見てみましたら、こ
ういう画風にまりました。実は切り紙で自由に部分を作り、置き直して
みると北斎らしくもあり、私らしくにもなりました。多分北斎も驚いたこ
とでしょう。離れてみても北斎風になっています。
 タイトルは「あ!北斎」で、銘は 「AHOKUSAI」としました。
「あ、北斎だ」と思ってくれても良いし、英字で書くと「アホくさい」
ユーモアもうまれました。多分北斎も笑ってくれることでしょう。
 恵から好きなようにするのが一番と言われたことで自信がつきました。
「ああ!北斎か」とアメリカ人も喜んでくれたと聞いて安心しています。
 影響をたくさん残してくれた素晴らしく、誇り高い第3回日米フックド・
ラグの交換展でした。  生きている限り作り続けるつもりです。


                        山根基世 
           
私の猫ちゃん
 
私がフックドラグを作ることになったのは、小林恵さんの勧めがあっ
たから。恵さんは私の敬愛する「人生の先輩」で、その生き方に深い
共感を覚えている。彼女とのつきあいは、かれこれ四半世紀以上に
及ぶ。最初は私が担当していた番組の中で小林恵さんがプロデュー
スした「アメリカンキルト」の展覧会を紹介するためにお会いした。
 彼女のアメリカンキルトへの深い理解や愛情は、私の胸を打ち、視
聴者にもその思いは伝わったと思う。彼女がデザイナーから日米文
化比較研究者へと変身していく上での重要な意味を持つが、アメリカ
ンキルト研究であり、その著書は全米の図書館に納められている。
そんな小林恵さんが、アメリカンキルトと訣別する。アメリカ開拓時代
の女性たちが家族を愛し、日々の暮らしを美しくしようと心を込めて
作った「キルトの心」を伝えようとしたのに、日本ではなぜか恵さんの
意図とは違う方向にキルトが進み、本来の精神が見失われているよ
うに感じられたからだ。そこで次に小林恵さんのプロジェクトは、キル
トと同じにつくられたフックドラグ。アメリカンキルトと同じく、開拓民た
ちの暮らしぶりや、創造性を象徴するクラフトで、原点に戻るもの作り
精神の入れ直しをしたいという。
 小林恵という人は、人がまだ気づかないことに最初に手をつける。
あまりにポピュラーになりすぎ、方向が変わってくると、すぐに嫌気が
さして次の対象へと移っていく。このあたり、進取の気性に富むとい
える。常に他の人がやらない新しいことに挑戦する、真のアーティスト
だともいえよう。
 私は何年も前からフックドラグをやるように勧められていた。下手
でもいいのよ、作ることに意味があるのよ、手で何かを作り出すって
すばらしい事よ、あなたのような忙しい人が作ることは多くの人の希
望になるわ・・・と。少しずつ心を動かされ、古い布を同じ幅に切る器
械(うどん製造器と呼ぶ)は購入しておいた。だが、NHKの現役アナ
ウンサーの間は、なかなか時間がとれなかった。定年退職し、やっと
こさっとこゆとりができたところで、改めて恵 さんから、展覧会を開く
ので出展してみないかとのお誘い。「作って見よう」という気持ちにな
った。図案を考え、古いセーターやウールのスーツなど解体し、うどん
製造器で細い紐にしながら図案のどのあたりをどの色にして、どう組
み合わせようかと考える楽しさ。 毎日のちょっとだけ空いた時間に、
少しずつ作業を進めて、だんだんできあがっていく嬉しさ。
ながーい髭のかわいいネコの姿ができあがった。 完成したときには
「ヤッタ!」という、大いなる達成感があった。ボコボコの荒い目で、
見るからに不器用な、まことに粗雑で下手な作品だが、私の処女作!
愛着はひとしおだ。
上手下手は関係ないのよと言っていたその口で、小林恵さんは、私
の作品を基礎のできていないラグだと言ってガッカリした様子だったが、
そんなの何のその。私は、わが処女作ラグの、このかわいいネコちゃ
んを生涯の宝として大切にするつもりだ。作ってみて思うのは、本当
に上手下手はたいした問題ではないということ。プロになろうというの
ならともかく。勿論上手に作れればもっと楽しいのだろうが、ただ作る、
それだけで十分楽しめる。できあがるまでの過程が心躍る時間になる。
手を動かすことで、何らかのモノが生み出されていく時、何か「確かな
もの」を手でつかみ取るような実感がある。それは、とても心を安らが
せてくれる感覚だ。
 日本を代表する彫刻家・佐藤忠良の話では、戦後シベリアに抑留さ
れていたとき、極寒の食べ物もない希望のない暮らしの中で、多くの
人が手近な材料で何かを作り始めたそうだ。たとえば白樺の木切れで、
お椀やスプーンや、タバコのパイプを作ったり・・・。
夜、ペチカの前で、背を丸め、黙々と手を動かすその姿は、「俺は生
きているのだぞ」という無言の叫びのように感じられたという。
 「人間というのは、自分が人間であることを主張せずにはいられな
くなったとき、触覚に身体や心をゆだねながらものを作り出すのかも
しれない」とも佐藤は書いている。
「手でモノを作り出すってすばらしいことよ」という小林恵さんのことば
は、確かな真実なのだと思う。

 

写真撮影:高橋仁巳

小林恵のラグ教室:お問いあわせ ホームスパン 
                     ℡:03-5738-3318
            hara@homspun.com

ミキモト アカデミー:「アメリカン・フックド・ラグを作る」
              5月19日、6月2日、6月23日
            お問い合わせ: フリーダイアル:0120-461176
                          http://ginza2.mikimoto.com/5f/

 

 

 

 

 


 

 


 


「2009年・日米フックド・ラグ展」アメリカ作者たちのコメント

2010-03-15 09:54:40 | フックド・ラグ

    No.3: US/JAPAN Rug Hooking Exhibition  
                  アメリカ参加者のラグコメント

 
   Marilyn Bottjer  マリリン ボッチャー
        
   眞夜中の宇宙トレール
                              

 
日米交換フックド・ラグ展には3回とも参加し、2回日本にいくことが出
来ました。人生には思わぬことが起き、やり続けること、参加することの
素晴らしさに感謝しています。日米展示ともに素晴らしく、アメリカでも多
くの人たちにメッセージを贈りりました。ありがとうございました。

    June Chapman ジューン チャップマン
                        喉の渇いたブルテリア
 
私のラグ歴は浅いのに日米フックド・ラグ展に参加できたことは忘れ
られない光栄なことでした。創作することが人生をこれほど豊かにし、
みなさんからも学び、チャレンジしていけることを幸せに思います。
 アメリカの伝統であるラグ作りが、小林恵さんの御蔭で交換でき、世
界が広がり、更に新しい分野に挑戦していきたいと思っています。
足を骨折したためアメリカの展覧会を見ることができませんでしたが
美しいブロッシュアを頂き楽しんでいます。アメリカ人と日本人が同じ
動機で創作し、自己表現していることがとても嬉しく励みになりました。

                
  Barbara Held バーバラ ヘールド
            
代え難い喜び
 
展覧会が成功であったことをとてもうれしく思っています。
作りながら本当に楽しんだラグです。実は私の息子の一人が赤い太
陽をバックに使用するすることを提案してくれ日本の国旗になりました。
世界中が共有するストライプのバーコードを加え、ユニバーサルメッセ
ージを分かち合えると思いました。結果は今まで作ったこともなかった
効果的なデザインが出来ました。
 日本のラグは世界に通じるアートフォームで初めて作った人がいる
作品とは信じがたい作品です。特に色彩豊かなアブストラクトなデザ
インが好きです。素晴らしいラグ作家がいて、私も参加出来ましたこ
とを光栄に思っています。
 
            
  Tracy Jamar トレーシー ジェーマー
        
 まじ会う海流
 私はいつもグループショーに参加してラグ作ることが好きです。
好きなデザインを作れるばかりでなく、みなさんが同じようなチャレン
ジをすることから啓発されるからです。
 
違う国ー日本の作家たちととストライプの展覧会をすることはもつと
魅力のあることでした。二つの国のたくさんのデザインの説明は同じ
様でもあり、違いもあり、本当に素晴らしいと思いました。
個人のデザ
イン能力範囲は個人的なものですが、日米両国の間でそれぞれの違
った個性、考え方を表現することは相互理解に役立ちました。
 それぞれの個性はとても興味あるものでした。しかしすべての点で
結果が素晴らしかったのは二つの文化が一緒に興味を持って展示さ
れ合体された結果だと思います

      Alice Rudell アリス ルッデル
                     
すずき
 日米ラグ展に再度参加出来たことをとても嬉しく思います。ラグフッ
キングはアメリカのフォークアートですが、日本人のラグには幾何学
模様や強烈な自己主張があり、自分らしを強調していることに多くの
事を学ばされました。そしていつも思うのですが両国の展示が一緒に
見れることは貴重なことですし、人に会うこともすばらしく経験を豊かに
してくれています。

       Linda  Shmidts  リンダ シュミッツ
                        
       子供時代の囚人   
 日米ラグ展に参加出来、違う国の人たちと分かちあえたこと、人種、
宗教、性別、どこの国というのでなく、つなぎあえる機会をとても嬉しく
思います。人間としてヒューマニティを分かち合うコネクションや理解
出来ることは最も重要なことだと思います。
 すぐれたクラフトマンシップで作られた日本のラグは美しいです。
時間を無視し、ハートをこめて作られたアメリカンラグの価値さながら、
日本のラグも誇り高く、ハートがこめられ、展示は注意深くメッセージ
の焦点が決められていました。
 私のラグも参加させていただき感謝しています。

Rosario Villanvicencio ロザリオ ヴィランヴィセンシオ
                                   てっぺんにおいで                        
 ”ストライプの展示に参加させていただき、アメリカの作者たちにも
会え、とりわけ日本の作者数人にもお目に掛かることが出来たこと
を光栄に思っています。 日本のラグの多くのテーマは抽象的なデ
ザインで、色彩の彩度や豊かさに感激しました。
コーナーに赤ちゃんの足跡をつけたラグや、もういなくなった作者の
話しなどをを伺ったりした事が個人的にも意味が深まりとても意味の
ある展覧会だったと思います。


 
 写真撮影:高橋仁巳

小林恵のラグ教室:お問合わせ: ホームスパン 
                                             
℡:03-5738-3318
            hara@homspun.com

ミキモト アカデミー:「アメリカン・フックド・ラグを作る」
             5月19日、6月2日、6月23日
             お問合わせ:ミキモトアカデミー事務局: 
             ℡:0120-461176(フリーダイヤル)
                            http://ginza2.mikimoto.com/5f/

 

 

 

 

 


「ブラックヒストリーの月、2月に思うこと」

2010-03-01 05:23:32 | ニューヨーク暮らしの日々

普通の人が歴史を変えたアメリカの力

 オバマが大統領になってから著しく変わったことがある。ブラック
アメリカンが市民権を得てか、ミデアでは少なくともTVニューキャス
ターやアナウサーもたくさん起用されだした。白人男性とアフリカン
アメリカンのカップルも特別に注目されることもなくなった。

 搾取と差別を作り上げたアメリカは、1619年から奴隷輸入が始り
半分は船の中で死亡し海に捨てれた。アメリカに上陸した奴隷は
3世紀間に1千万人を超えている。
 
 二グロセールの広告    逃亡二グロ発見者に償金  二グロオークションの家

 その間、
血をながし、家畜同様にあつかわれてきた。勇気ある奴隷た
ちの命がけのプロテストが続いても、何百年も変わらることがなかった。
奴隷はオーナーの所有物で、勇気ある者は北へ逃亡した。逃亡者探
しや奴隷調教師の職業まであった。南部11州の人口は当時、900
万人、うち奴隷が400万人、奴隷のほうが所有者よりも多勢な搾取
社会では権力と制裁がものをいう。

 歴史に残るブラックアメリカン、フレデリック・ダグラス(Frederick 
Douglass)は家系も年齢も分からぬ逃亡奴隷で、絶対的抑圧が奴
隷制度の礎石であった時代 ”私の打ち砕かれた自尊心と自信を甦
らせ、自由な人間になりたい”と、北部に逃亡。苦労の末、アメリカ黒
人の人権をを代弁する第一人者になった。
              
             
写真:フレェデリック ダグラス

 
逃亡者をかくまる北部の地下組織、アンダーグラウンド レールロード
をたどって、昼間は茂みに隠れ、勇気ある奴隷たちは夜中に北へ北
へと逃亡した。(逃亡保護を知らせるためにドアの前にキルトが目印
として下げてあるという話しはフォークローで実証はないらしい)奴隷
法によると逃亡奴隷をかくまった人も、
見のがした人も制裁された。
 2月は信じがたいアメリカの歴史を再認識する月である。
 奴隷廃止宣言をしたリンカーン大統領は、就任中殆どの月日を南北
統一のために働き、戦争が終了した1週間後に暗殺された。南北戦争
で死んだアメリカ人は62万人、手足をなくした傷病兵5万人。同胞を
敵とし、向かい合いの殺戮でこれほどむごい戦争はなかったといわれ
ている。

 2月27日はリンカーンが就任前、ニューヨークのクーパー ユニオン
で最初の奴隷解放のスピーチ、〝国家は奴隷地域と自由地域を持つこ
とは出来ない” と熱弁をふるい観衆を魅了し感銘をよんだ。
 
写真はリンカーン: 青は北部。サウスカロライナ、ノースカロライナ、ミシシッピー、フロ
リダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナ、ヴァージニア、テキサス、アーカンソー、テネシー
の11州が南部。北部21州、人口200万人。    右写真:南北戦争兵士たちの死体

 ニューイングランドのどこの町の中心にも 独立戦争で果敢に戦った
兵士たちの記念碑がある。最も工業が発達したニューイングランド人が、
奴隷たちから搾取している社会の不当と、基本的人権を、提唱し出し、
普通の市民が団結して正義のために戦った。アメリカの自由は血を流
して獲得した自由であることを、日本人はもっと分かって大切にして欲し
いと思う。 坂本竜馬たちのためにも・・・
 ニューイングランドにも搾取と差別があったが、南部の人権無視とは
違った。感情で決める
好き嫌いは実は本当に厄介なことで、なぜ黒い肌
が差別されねばばならないのか、知的に考えると全く不思議なことだ。
 1960年代でもリンチがあり、黒人差別は平然として続いていた。
 リンカーンの奴隷解放宣言後も逃亡奴隷法は昔の通り、「個人の所有
物は個人の自由である」と南部は無視してきた。
 その間に
教育を受けた優秀なアフリカンアメリカンもたくさんいる。

 しかし、かつて歴史にも当場しなかった無名の人たちの力を代弁出来る
人が現れて今、アフリカンアメリカンは晴々しく市民権を得ることができる
ようになった。
偏見を変えるためには、我々アフリカンアメリカン以外の人たちの偏見を
まず捨てなくてはいけないと思う。
 無名の人たち、犠牲になった市民権のなかった人間、多くの奴隷た
ちの無言の発言の上に今がある。
 昔奴隷だった老女が テレビで 「私の生涯で同胞から大統領が出
るとは夢にも思いませんでした」 と感涙にむせぶ。
 オバマ大統領の ”チェンジ” は世紀にわたって名もなく、、権力
なしの普通の人たちを代弁する時を得た言葉だとおもう。
 血を流し、命を犠牲にして獲得したアメリカの自由です。自由のた
めに支払った魂と正義は、アメリカの底力になっています。
      
無暴力 プロテストに集まったワシントンDC.  黒人席を拒否した最初のプロテスト者