小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

「収穫感謝祭 (サンクスギヴィングデイ) のパレード」

2009-11-28 21:58:01 | ニューヨーク暮らしの日々

 お客を楽しませ分かち合いから絆を作る商法
 1920年代のメーシー百貨店の雇用者はアメリカ移民の一代目で、
ヨーロッパにあった暮らしを楽しむ祭りをアメリカらしい習慣で作りた
いと考えた。ニューヨークの楽しい催事、飛行機一台分の花がデパー
ト中に花を咲かせる春のフラワーショー、7月4日アメリカ独立記念日
の花火大会、特に11月最後の木曜日、子供も大人も楽しむサンクス
ギヴィング デイのパレードはわざわざ遠路見に来ても”来てよかった”
と思う程楽しいものだ。
 1926年、最初のパレードはセントラルパーク動物園の動物たちも
行進し、25万人の人出、大ヒットであった。
 1927年には大バルーンが登場、マンハッタンの摩天楼の中を泳
いだ。
 1930年代、パレードはさらに大きくなり、百万人の人出となる。
 1940年代は戦争の影響でゴムや水素などは大事な軍事用品で
縮小された。
 1950年代はテレビが登場し、アメリカ中に放映され、有名人がパレ
ードに参加し、雨の日でも決行と決まった。
 1963年サンクスギヴィング デイの数日前に暗殺されたケネデイ大
統領、国中が喪に服していた時も子供たちを失望させないように決行
された。

75年前、1934年のパレード(写真・メーシーズより)

 2009年、83回目のメーシー ズ パレードは自然博物館前の79丁目
から、34丁目のハロルドスクエアまで45ブロック、2.65マイルの道のり
をパレード、季節外れの温かな日で、2百50万人の見物人が集まった。
 前夜10時ごろからストリートに並べられた大バルーンを見るのは子
供でなくてもうれしい。アハハ、愉快愉快。


自然博物館前のストリートに並べられた大バルーン、飛ばないように
砂袋が回りに止めてあり、大きいものは空に飛んで行かないように網
がかけられている。

ボコン、ボコンと膨らんで行く過程が実に楽しい。前夜12時ごろ撮影。


準備完了。26日朝9時ごろ撮影。  大人気のスニューピーちゃん。

パレード開始。午前9時、大バルーンがセントラルパーク ウエストを
メーシーズに向かって出発。歓声が飛び交う。勿論うきうき楽隊付。

72丁目、ダコタビルのエッジから スケートで ”それ!いくようー”

道幅一杯の大きさ。空を滑るのは楽しいだろうなー。

ヘーイ!僕だよー。たくさん食べてねー

「ミッキー君、捕まえたり、食べたりしないよー。仲良くしましょうね」
日本生れの世界のアイドル、国際親善猫、キティーちゃん。
ネズミは食べないょ~~~。あ!そうか、ミッキーチャンは鼠と思
っていないのね。
”じゃ、また来年ね。みなさん、お元気で、バイバイ”




 


「手作りで暮らしの文化交流」

2009-11-08 04:33:20 | フックド・ラグ

             第3回日米フックド・ラグ展終了のお知らせ

ニュージャージー州、ウッドブリッジ バロン アート センターにて

インディアナ州、カーネギー アート&歴史センターの壁に掲げられたバー
ナー。 右上からゲイル ホートン「グローバリーゼイション」、ペグ アイリッ
シュ 「ストライプ サンプラー」 横山弘子 「色彩」
 
展示場               写真提供:James Osamu Nakagawa



写真:左: カーネギーの展示用ポスターに使用された福田節子 「花」、
ラグフッキング マガジンに掲載されたスーザン フェラーの記事3ページ

 企画から終了まで2カ年を要しました第3回日米フックド・ラグ展は無
事終了し、作品は日本に無事返済されました。アメリカのアート クリテ
ィックに書かれた記事は
「ストライプのコンセプトは分かりやすく、良いテーマだった。面白いこ
とはアメリカのラグは日常の暮らしの中のアイデアであるのに反し、日
本のラグの多くは抽象的デザインであったことが印象的であった」と。

 スーザン フェラーのラグフッキング マガジンに3ページ カバーした記
事にも同じ様なことが指摘されていました。

 「日本のラグは3分の1は処女作です」というとみな驚き、処女作を選
んだ理由は?」と不思議がります。
 「アメリカのフォークアートは誰でもが作れるということがメッセージで
す。長い経験が良いものを作るとは限りませんし、処女作でも心を打
つものがあります。」というと、
藤村奈保子さん 「春の川面」 のラグは感動しましたと納得します。
 自分の作ったものが誰かと感動を分かちあえるのはアメリカン フォー
クアートの真髄で手作りのやさしさです。

 1991年、アメリカ3か所の美術館(ニューイングランド キルト美術館、
ニューヨークのジャパンソサエティ、 サウスハンプトンのパーリッシュ
美術館) で開催されました「アメリカが日本のキルトに及ぼした影響
展」
はアメリカでも、キルトのことはまだ一般的話題にならない時でした
が、新聞、雑誌をにぎわし、アメリカ人が忘れ得ぬ展覧会だったと今で
も言われます。その時、週刊誌のあるクリティックは
 「アメリカ人の血の滲んだキルトがひとたび海を渡ると我々を飛び越
える。これから我々アメリカ人の考えねばならない課題である」 と。


 日本のテキスタイルは、日本人の血の滲んだ暮らしの伝統文化です。
テキスタイルは陶器、食文化とともに、日本の誇る日常の暮らしの文化
だと思います。
 無意識にも日本人の血の中に滲んでいる文化です。その違いを感慨
深く考えずにはいられません。
 皆さん、どうぞ自信を持って創作に励んでください。手を動かすと脳
細胞が活性化され、長生きすることも証明されています。針仕事よりも簡
単で、細かい針目を気にする必要もなく、年齢に関係なく、いつまでも作
れ、あなたの作品を残せることは愉快なことでありませんか?
 アメリカでも、見る人たちをも感動させたよい展覧会でした。

 この展覧は会場提供、ミキモト銀座(名古屋、梅田店巡回)、玉川高島
屋などで展示され、凸版、Kライン ロジスティックス、TOYOTA, ホームス
パンなどのご協力により可能になりました。ありがとうございました。
 そのほか、温かい友情と励ましに心から感謝し、展覧会を見てください
ました方々にもお礼を申し上げます。ありがとうございました。

アメリカ展は以下の2か所で展示されました。
Barron Art Center:
582 Rahway Ave., Woodbridge, New Jersey
Director::Cynthia Knight   Curator::Linda Rae Coughlin

The Carnegie Center for Art & History:
201 East Spring Street, New Albany, Indiana 47150
Director::Sally Newkirk   Curator::Karren Gillewater

 カーネギーの写真提供:Osamu James Nakagawa  
http://osamujamesnakagawa.com/ 
(インディアナポリスの飛行場からドライブでインディアナ大学の街まで、
1時間ほど、そこからカーネギーまで2時間半のドライブの距離です。
インディアナ大学院で写真を教えている友人のジミー 修 中川は僕が
連れて行ってあげると、カナダで開催していた彼の写真展から駆けつ
けてくれ、ドライブして同行してくれました。

 素敵な写真を提供してくださいましたがブログに移動して拡大すると
なぜかぼけます。私のせいです。あしからず。いまだにわからず混乱し
ています。失礼をお許しください)

同じくインディアナ大学院で日本の藍染を教えているRowland Ricketts
さんも大学から同行してくださり、ニューヨークから日本に送付付するラ
グを私とすべてチャックして梱包を手伝ってくださいました。
http://rickettsindigo.com

お二人ともアメリカで日本の暮らしの文化をアカディミックにアメリカに伝
達している民間親善大使です。

* ラグを習いたい方はホームスパン 03-5738-3313 にお問い合わ
せください。また凸版のご協力で美しい展覧会用ブロッシュア[無料)が、
残っています。ほしい方はホームスパン(NHKのすぐそば)に送料問い合
わせで送付していただくか、又はとりに行ってください。

 

 



「グルメの裏側」

2009-11-01 03:00:43 | 

飽食の影に



ニューヨーク グルメファンシーフードショー: 毎年エスカレートしてグルメ食
品が、イタリア、フランスなどグルメの国は勿論、アンデスの蜂蜜や新案食
品の参加も多い。なぜか「グルメ日本」の参加が少ないのは不思議。

 アメリカで由緒ある雑誌、グルメ マガジン(Gourmet)
が11月号をもって68年の幕を閉じ廃刊になった。出版社、コンディ ネスト
の由緒あるマガジンの廃刊はデジタル化の広告スランプもさることながら、
時代の変化を知らせられる。

 日本にいたとき、当時毎日新聞社の論説委員をなさっていた古波蔵保好
さんからグルメを教わった。日本はまだ復興期だったせいもあり、(1964年
以前)ニューヨークに来てからはアメリカ人にグルメを教わり、25年間以上
彼女からのクリスマスプレゼントは年間購読のグルメマガジであった。
 その当時はアメリカ人の殆どがグルメにはあまり関心を持たず、食べ物の
話を集まりでする人は皆目なし、話題外であった。
 アメリカ人は食べ物に関してこれがいい、あれがいい、とうんちくを語る
のは得意でなく、日本人のように遠くまでグルメ食糧を買いに行き、お墨
付き店で食べたことを話題にするのは苦手のようである。
現在のグルメブームが一般化したのはここ10数年来のことである。

 シティ ハーヴェスト City Harvest
 現在ニューヨーク人口の8million 中、失業者も含め貧困で基本的必需品
も満たされない人たち 1,5 million がグルメとは、ほど遠い暮らしをしている。
 1982年、地域のボランティアが近所のレストランからの余りものを集め貧
困者を助けていたグループが市民団体となり,現在毎週17台のトラックで
26万人の空腹なニューヨーカーに無料で食糧を提供している。
 シティ ハーベスト(ディレクター;ジリー ステファンズ)は世界で初めて組
織された民間の善意チャりティ団体で何千人も働いている人はみなボラン
ティアである。



ニューヨーカーのストリートホームレス。カメラを向ける勇気がなく遠くから
写し、しかも小さく撮影したものを拡大しているのでぼけ写真、技術不足
でお見せできる写真には不適当。しかし失礼を省みず参考用に。このよ
うな生活は彼らの選択らしい。 が、社会は病んでいる。

NASFT
そのほか毎年ニューヨークで開催される国際ファンシーフードショー(グルメ
インダストリーの最大のトレードショー:入場者24.000人、2,300の展示
ブース、参加国75)ノンプロフイット、トレード アソシエイション (NASFT:
National Association for the Specialty Food Trade)は展示後の食糧,10万
ポンド以上、今年は20万ポンドのグルメグルメ食品をシティ ハーヴェストに
付している。

Global Feed The Hungry
 1987設立した世界空腹支援団体(ディレクター:Dr. Lester Sumrall(1913
~1996)は世界の食料に悩む貧困救済にのりだし、 洪水,飢饉,干ばつ、
戦争などで飢える人たち92カ国、200 millionに食糧を提供している。
政治的汚職が起こらないように人から人へ,教会のコミュニティを通して
提供されている。食糧の提供は、貧困者の魂に生きる勇気を与えている。
              
      (赤マーク。世界のハンガー)GFHより

 現在でもアメリカ人の家に呼ばれるとディナーの前に ”いただきます”
の変わりに ”今日のパンに感謝します” (Give us this day our daily bread" 
と祈ってから食事が始まる。世界空腹支援団体にはイギリス、オーストリア、
カナダ、チェコ、ドイツ、ニュージーランド、スロバキア、スイス、アメリカなどが
参加している。
 
世界に多額の寄付金をだせるのは日本人として嬉しいけれど、飽食日本
の今、外から見ると皆で考える必要がありそうだし、看板の大きさでなく、
心ににタッチできるようなヒューマニズムの観点から、お金の支出には効果
的な調査がもっと
必要ではないだろうか。

参考用:www.fancyfoodshows.com
          www.nasft.org
          www.specialtyfood.com
          www.cityharvest.org
          www.globalfeedthehungry.org