小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

アメリカン フックド・ラグ(2)

2007-12-28 11:19:22 | フックド・ラグ
19世紀、無名の人たちが作ったラグ

 19世紀、材料も乏しく、先生もいなかった時代、自分たちで工夫し
て作ったラグ。難しく考えないない。発想は暮らしの周りにあるアイ
デアから得た。今は床から壁へとアートの世界に仲間入りした。




 「アートって何なの?」「誰が決めるの?」「高価であればアートな
の?」感じる人によって違うから、アートの定義は難しいけれど
アートって人を幸せにすることでないかしら?




アメリカン フックド・ラグ (1)

2007-12-25 17:25:02 | フックド・ラグ

家を美しくするための暮らしのルール

 ご存知のように寒さを凌ぐために布を繋ぎ合わせてキルトが作られ、
アメリカでキャリコが安く出回ってから、キルトはデザインを競うよう
になりました。世界中でキルトは作られましたが、アメリカンキルト
は他の国と違う意味があるのです。

 顕著なことは、アメリカ中で作られた社会現象であったこと、
コミュニティの助け合いの手段であった事、それぞれが自由に自分
らしさを発揮し素晴らしいデザインを楽しんだこと。家を美しくするた
めに作られたことなどです。

 家を美しくするのはアメリカンドリームの一つです。ベッドがきちん
と作られていないのは暮らしの恥ですし、キルトの上で寝転がる事
もありません。是は毎朝の暮らしのルールです。日本も同じ事、
万年床にはしないでしょう?ベッド掛けの良さでホテルの等級も分
るほど重要なものです。

 さてアメリカの家は一般論ですが、清潔で整頓されています。
「清楚でモダンインテリア」と銘打って白一色の室内は雑誌社のプ
ロモーションです。何処もかしこも白一色で暮らすのも淋しい。個性
が反映した部屋の方が其処にあなたと一緒いる嬉しさを分かち合え
ます。

 アメリカ女性の進んだアイデア
どうしたら自分らしさを出せるの?
 キルトと同じく社会現象を起こしたアメリカ女性の二大クラフトにフッ
クド・ラグがあります。もしもあなたの座った椅子の下に見たこともな
い個性豊かなラグが敷いてあったら、それがあなたの手作り作品で、
褒められたとしたら嬉しいでしょう?
あなたの手作りはお金では買えないあなたの宝物です。
それが簡単に出来たら、作って見たいと思いませんか?
残された数多くのアメリカ女性の作品を見れば、そのエネルギーに
く事でしょう。例え形が変わっても、このエネルギーが現代にも伝
承されているアメリカ女性たちの底力となっているのです。

押入れの肥やしでは作った甲斐がありません。現在に残っている名
も知らぬ人たちの手作りラグが「みてー!見てー!」と喜び叫んでい
ます。
       
ニューヨークタイムス1ページをカヴァーしたラグの記事




すべて19世紀の無名のアメリカ女性が作ったたフックド・ラグ

参考:
小林恵のホームページ、
www.ny-apple.com クリエイティブをクリック
してフックド・ラグ ジャーナルと小林恵が推薦するアメリカン・ラグ
材料店をご覧下さい。

参考文献
小林恵著:「アメリカン フックド・ラグ」主婦と生活社・2002年

 

 


 


1930年代ライフスタイルを変えたニュープロダクト「ベークライト」

2007-12-21 14:23:38 | ものつくり

 似合うものを探す

 ある人は輝く宝石がほしいと思い、ある人は普通のアクセサリーを
自分に似合うようにこなす人もいる。まずい事は高価なものを身につ
けると自分も高価になったと思う錯覚でないだろうか。趣味や意識を
変えていくには、その人のセンスによるけれど、いろんな経験をつん
で自分の「素敵」を磨かねば身につかないようだ。銀細工は金細工
よりもデザインが豊富でよいデザインが沢山あるのはご承知の通り
である。加工が簡単で金よりも安いこともある。

 ベークライトはモールドさえ作れば大量に好きなデザインが出来、
美しい色彩とあいまって、1930年代のファッション界に君臨した。  
 ニューヨークで働いていたベルギーの移民レオ ベークランドは
1907年、化学的に作った樹脂を発明し、時代の先端を切ったアイ
テムとなった。安くて簡単に出来、セルロイドと違って断熱材質でもあ
ったのでラジオケースやランプなどの電気用品にも使われ、美しい色
彩が人気を呼び、ボタンや服飾用品、アクセサリー アイテムに多く
使われた。  
 基はセルロイドやゴムのモールから得たアイデアで、ベークライトで
作られた様々な分野のグッドデザインは1930年代、暮らしのスタイル
を変えた大ヒット商品となった。 当時安かったべークライトのアクセ
サリーは現在、とても高価なコレクターアイテムになっている。
 
特にセンスに溢れたブレスットやブローチ、ネックレスは毎年驚くほ
ど値段が上がっている。
 本物のベークライトか複製のプラスティックかを見極める眼も必要に
なる。 お年寄りが本物の宝石をつけねば可笑しいというのも、ステレ
オタイプ。安物は私には似合わないと決め付けるのもヘンなアイデア
だと思う。
        
ナンシー クナード(Nancy Cunard) 詩人、作家、編集長、出版者。
1930年ファッション界のアイドル。象牙や当時大流行したベークラ
イトの腕輪を腕一杯にしたナンシー。恋人であったマン レイ撮影の
この写真はファッション史に残るもの。


 


セールスパーソンの心意気

2007-12-15 11:31:24 | ものつくり

多様化のエネルギー

「ヘルプが必要ですか?」
「ありがとう、でも見るだけなの」
「ア、そう、どうぞごゆっくり。何がお聞きしたい事があればいつでも
どうぞ」アメリカの
店に入ると、この会話が普通である。

客の後ろについて来たり、余計な事は言わない。

 
お金をあまり掛けないでユニークなお店が試みられ、そしてすぐ消
えていくニューヨーク。
 私が住んでいるビルの下に2年前、イスラエルの石鹸専門店が出
来た。石鹸を売ったぐらいで高い店舗代は支払えず、すぐ消えるだろ
うと思ったが、大変に繁盛している。すでにニューヨークに3店舗が出
来た。

 
日本から来るツーリストにも受け、店の真ん中に石鹸を試用できる
大きな水槽があり、日本人は皆「ツルツルだわ!」というので、店の
人は顔を合わせると”ツルツル!”と私に挨拶する。
 この店の感心することは客が来なくなると、セールスの人たちは店
の前で石鹸を小さく切った色とりどりのサンプルを渡したり、誰も店
に入る人がいないと客集めに全員 (といっても3~4人だが)音楽に
合わせて店前で石鹸をもってダンスをする。
ガラスに手垢がつけば
ガラスもきれいに拭いている。皆イスラエルから来た人たちだ。
 ノーハウなど教えられなくても、ユニークにそれぞれが考え出す。
このアイデアがアメリカの多様化のエネルギーになっている。
さまざまな石鹸の色は自然からの抽出だという。空色の石鹸を
「この色、何からだしたの?」と聞くと若い女の子は「空です」といっ
たので驚いた。

 
友人の山根基世さんに話すと”お土産に買いたーい!”というので
ツルツルにお連れした。きれいな色の透明な石鹸、串団子のように
糸を通して下げてある石鹸を大量に買った。
一つ一つ丁寧にラップしているのを見て山根さんは頻りに感激して
いる。“驚いたわ。丁寧ねー”
“日本に比べると下手だし、手捌きも遅いじゃないの!”と私。
“アメリカ人にこんなこと期待していなかったので感動したわ”
と山根さん。

 日本のスーパー、伊勢丹ストアのレジで両手を合わせて
“いらっしゃいませ。ありがとうございました”と挨拶する事をニューヨー
クの友人に話すと何というだろうか。今度ニューヨーカーにアンケー
トをとってみたいと思っている。

 

 

 


 


ハープシコード

2007-12-10 12:34:59 | ものつくり

物作り、40歳の挑戦  

 ニューヨークに住み始めてから9年目、仕事も順調であった頃、何
か新しいチャンレンジをして見たくなっていた。  ニューヨークでは
音楽好き友人が多く、週末はデュエット、トリオ、クワルテットなど
友人の家を巡り歩き、室内演奏を楽しんでいた。始めは聞き手であ
ったが,手ほどきを受けフリュートを習い始めた。 "音楽を理解するに
は何を表現しているかを学ばければならない" と先生のレッスンは
作曲家のオリジナル楽譜から始まった。教則本からスタートし、
“猫踏んじゃった”や“エリーゼのために”を習う日本とは大違いだっ
た。違う世界を知り、生まれ変わったような新鮮な感動でワクワク
の日々であった。  
 当時エレベーターなしの5階に住んでいた私は、ピアノを持つ事が
出来ない。もし私のところにキーボードがあれば、好きなとき集まれ
てもっと楽しいに違いない。友人がハープシコードを薦めてくれた。 
 そのとき知ったのがニューヨークに当時一軒あったズッカマンのハ
ープシコードの店であった。何度も通ってハープシコードを見ているう
ちに、自分で作ってみたくなった。  

 40歳の誕生日を機会にフレミッシュ ハープシコードのキットを購
入した。届いたのはベッドの大きさの巨大カートン一つ。
開けて吃驚!何もかもバラバラで、ドサッと入っていた。まづ青写真
をベッドの横の壁に張り1ヶ月で部品を暗記した。部品に鉛筆でどの
部分になるかを書き込み、マヌアルとの挑戦の日々が始まった。
 木製部品も弦をはじくプラスティックの爪も小さな部品は鞄に入れ
て持ち歩き、待ち時間は膝の上で紙やすりで磨いていた。
 友人に呆れられたが、野外オペラなどは仕事が進み最高に楽しい
時だった。会社から帰ってきてから夜中まで働き、6ヶ月で完成。

 友人の音楽家に調整してもらい音楽を奏でたときの感激は今も忘
れることが出来ない。 新しいアパートに引越した時、部屋が小さく
ハープシコードは友人の息子にもらっていただいた。 


 しかし、大事にしてほしいと願うのは作った人の勝手な感傷で、も
のの価値観はそれぞれが違う。出来上がった物でなく、作った事に 
価値があったのだと自分で納得し、そこに達観するまで少なからず
時間がかかった。

 製作中、アムステルダムで離婚した友人が小さな息子を連れてN
Yによった時、ハープシコードの箱だけが完成していて、その中にキ
ルトに包まって
寝かせたのも楽しい思い出の一つになっている。


「ダム建造エンジニア・ビーバー」

2007-12-05 11:35:04 | ものつくり

ビーバーを忘れないで!


 
その昔マンハッタンはビーバーの毛皮貿易中心地でインディアン
からビーバーを買い上げていた。
 建築物を眺めながらニューヨークを歩くと古いビルにビーバーのレリ
ーフを見つけることができる。市庁舎のビルの壁、ニューヨークの旗
にもビ-バーが使われている。
 リンカーンが被っていたトップハット、山高帽子は成功者の必需品
で、19世紀にはビ-バーの毛皮産業が繁栄しヨーロッパにも輸出され
ていた。インディアンや初期の入植者たちはビ-バー肉を常食としてい
た。現在は自然保護されるほどだが、頭にきたのはビーバーだろう。

 ビーバーの齧った木々と作ったダム。(写真はウイキペディアより)

 ビ-バーは生まれつきの技術者だ。柳、ポプラ、白樺など直径30セ
ンチぐらいの木の根元を一晩で齧り切る。木を倒し枝を集め夜を徹し
てダムを作る働き者。左右の牙は使わないと頬を貫くそうだ。
 ビーバーの働きによって出来るダム、湖や池、湿地帯はエコーシス
テムに大いに貢献している。
 川の流れをスムースにし、侵食を緩和し、沈殿を少なくする。新しい
ダムを建設し魚や鳥によい環境を作り、地下水を清浄にし、水域を深
くし、流れをもよくし、洪水を防ぎ旱魃も防いでいる。そしてダムが
沈泥でふさがる場合、肥沃なビーバー牧草地が生まれる。

 ビーバーのエンジニア才能にあやかって、NY市立大学、マサチューセ
ッツ工科大学、カリフォルニア工科大学、オレゴン州立大学、トロント
大学など共にビーバーをシンボル マスコットにしている。
 カナダを象徴する国の動物、ビーバーは1976年、モントリオール オ
リンピックのマスコットにもなった。

 カナダの友人トンボが「恵さん、ビーバーダムを見てみたい?」とドラ
イブの途中で言った。「見たい!」というとトンボは彼の背中を提供し
てくれた。

「僕は梯子だよ。背中に乗ってー」 「失礼します。ドッコイショ と!」

ヨッコイショ!           「わー!すごいすごーい!ビーバー
ちゃん、あんたは偉い!もう帽子もつくらないし、食べたりしないから
安心して働いてね-」
                   

  
 


[カナダのグルメ」

2007-12-01 23:07:33 | 

イクラと松茸

 石津謙
介さんからよろしくと頼まれ、ニューヨークにやってきたヴァ 
ンジャケットのデザイナー・トンボとは1970年NYに訪ねてきた日から
すぐ仲良しになった。その後カナダに移住した今もお互いに訪ねあう
仲だ。10月末カナダを訪ねた。
丁度その時、友人が取ってきた鮭が大量に届いた。トンボは沢山の
イクラに当惑している。鮭は冷凍に、イクラは冷凍に出来ずバケツ一
杯のイクラと大奮闘する事になった。
 生まれる寸前のイクラは薄皮もむきやすく、次々とすぐ産めるように
1センチぐらいのセクションに分かれている。白子の精子は卵を保護し、
べっとりと卵を川の石に貼り付ける役目もしている。手がべっとりとす
る。とても神聖な感じの経験であった。そして、ご存知のようにすべて
産み終わると両親ともに生命を閉じる。

 
美味しいといって食べるのは申し訳ないような、人間が狼のように
も思えたが、バラした取立てのイクラをお醤油漬けにし、ご飯の量と
同じぐらいイクラを乗せて食べた。至福!至福!
しかし、彼の奥さんはフレンチカナディアンで臭い、臭い!と鼻をつま
んでいた。

 次の日は国有林の広大な林にマツタケ撮りに出かけた。5年前にト
ンボと発見したマツタケが取れた秘密の場所は今年はどうも温暖化
のためか、3個しか取れなかった。それもトンボの家についてからドア
の外において忘れたため、リスに盗まれてしまった。

 写真は5年前のカナダのマツタケである。トンボのあだ名の別名は
「ほら吹きトンボ」という。
写真を見ないうちはトンボの話はみな作り話になりかねない。
カナダは温暖化のためますます住みよいところとなり後10年もすれば
パラダイスだと思うほど豊かな国である。

奥さんのマリー アンドレーは3ミリぐらいの透明な虫を発見するとポイ
と捨てた。”虫は生きているので這い出すから大丈夫”といってもノー
ノー!大きな塵缶一杯の松茸が捨てられた。わかってナインだよー。