プロパガンダ ポスター:Lester Glassner 提供 写真上:東京ローズこと戸栗郁子
戦争が生んだ悲劇の人
私はアメリカの第2次世界大戦のプロパガンダポスター展を企画し、
昨年夏ニューヨークのレスター グラスナー(Lester Glassner)
コレクション:「プロパガンダ ポスター展」を大阪で開催した。其の中
には伝説の人、東京ローズのポスターもあった。その調査中戦争中
のアメリカの大衆心理やPR,アメリカと日本の視点の違い、プロパ
ガンダについて学ぶ機会に恵まれた。
”東京ローズ”とはラジオ東京から英語でアメリカ兵士をホーム
シックにさせたり、士気を減退させ、武器を捨て投降させるように甘い
声で誘惑的放送をした複数のアナウンサーたちにアメリカ兵士たちが
付けたニックネームである。戦争が終わったとき、4~5人は居た
といわれる東京ローズの中で名乗り出たのはアイヴァ トグリ唯一
人であった。戦争中であったため ”ゼロアワー” といわれる其の
時間の声の証明は出来ず、1949年反逆罪で求刑10年、1万ドル
の罰金が科せられた。夫とも引き離され6年間投獄され、1977年
フォード大統領の特赦で出獄。ドース雅代さんが 「東京ローズ:
太平洋の孤児」という本を講談社より出版している。
数日前、ニューヨークタイムスの死亡欄のトップに写真入りで東京
ローズの死が報じられた。「反逆罪と宣告され、東京ローズとして
知られたアイヴァ トグリ (Iva Toguri D'Aquino) 2006年
9月6日死亡。90歳」の見出しにハッとさせられた。
記事の要約は「1940年カリフォルニア大学卒。動物学専攻。
医者志望。1941年病気の叔母をたづねて日本へ行った時、真珠湾
攻撃があり、アメリカに帰国できなくなる。生きるために1942年ラ
ジオ東京のプロパガンダ 放送 ”ゼロアワー” のアナウンサーに
なる。その間日本の血をひくポルトガル人と結婚。出獄後はシカゴ
で父親の持つ日本の物産店を経営していた。市民権剥奪、スパイ、
反逆罪の汚名等は奪回できたけれども、50年間伝説の中で生きた」
「常にに無罪であると信じていました。恩赦で立証されました」 と
語った日本名、戸栗郁子さんは様々なインタビューをも避け、静かに
人生を終えた。
人種偏見が横行していた悲しい時代の被害者、戦争の悲劇に生き
た東京ローズの死を無駄にせず、二度と戦争がおこらないように私た
ちは彼女の祈りを若い人に伝えていかねばならないと思う。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した
一方、救助に奔走したのは米国のみであった