猪熊さんの暮らしから学ぶもの
写真は「画家のおもちゃ箱」より。
1970年代に買ったという猪熊さんの暮らしに生きていたアメリカン
キルト。1976年まではアメリカ人でさえキルトに眼を向けてない頃で
した。引っ越し家具屋が平気で使っていました。
左)1982年山岡久乃さんがニューヨークにやってきて3週間、私のところに泊まって
くださいました。ちょうどキルト事典(文化出版局)から出版予定でキルト浸りの毎日の
時でした。
右)「日本製:アメリカが日本のキルトに及ぼした影響展」のカタログ。1990年、
ニューイングランド キルト美術館、NYのジャパンソ サエティ、サウスハンプトンのパー
リッシュ美術館、翌年資生堂アート スペースで展覧したときのカタログ。
出版された本とドキュメンタリー、「キルトと女性」パット・フェローロ、
(当時サンフランシスコ大学教授)が賞をとったので、サンフランシスコ
からオープニングにNYにやってきました。
ドキュメンタリーの初演は住まい近くの自然博物館でしたので自宅に
招待し、英語の出来ない山岡さんがひたむきなパットに大変感動しま
した。
山岡さんの提言に従い、当時の私はタイマイを投資してそのドキュメン
タリーフイルムを購入ました。
日本に帰り、二人の大プロデューサーに見せましたが、二人とも居眠
りをしていてノー コメント、大失望しました。それ以来、私の倉庫に20年
以上眠っています。翻訳もしましたが、当時はすべて手書きでした。
アメリカのもなのにキルトの記事が新聞が書かれたことがない時、「日
本製:アメリカが日本のキルトに及ぼした影響展」の1ページ大の記事が
ニーヨーク タイムスに初めて掲載されたこともあってアメリカ人の方が驚
きました。各週間誌にも展覧会評が出しましたが、中でも私
が嬉しかったのは 「アメリカ人の血のにじんだキルトがひとたび海を渡
るとアメリカ人を超える。これから我々は何を追及するべきか考えさせら
れる展覧会である」 と評されたことでした。
輸送はKライン、カタログは凸版の協力で可能になったこともラッキ
ーなことでした。写真は小川隆之。印刷提供は凸版の協力です。
左)キルト公募展の審査員たち。マイケル・ジエムス、ヴォーグ社の社長、池田満
寿夫、野原チャック、小林恵、福田繁男。その後、新井純一、ウイットニー美術館で
アメリカのキルトをアートとして展覧し、アメリカのキルトムーヴメントを作ったホール
スタインも参加し、毎年作品がどんどん良くなって、キルターも燃えていた時でした。
生徒の多いキルトの先生たちが審査員になるとビジネスになると、私を含め、私の
選んだ審査員全員首になりました。今は昔の話です。
右)PHPから出版された時の「アメリカンキルト」の出版記念会。山根基世、新井純一、
小林恵、福田繁男。
1970年の初め、アメリカーナが無視されていた時からアメリカンキルト
を愛していた猪熊さん。巡り合いを感謝いたします。
アメリカ人の暮らしの文化を日本の方々に知らせてくて、私が愛情込め
て探し求めたアメリカの生活文化を、早くから先見の眼で発掘し、心から
愛し、暮らしを楽しんでいた猪熊さんにこのシリーズを捧げます。
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