小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

3月11日から未来に向かって

2016-03-12 19:58:55 | 暮らしのジャーナル

2011年3月11日、この日私は・・・

 47年暮らしたニューヨークから帰国、2011年元旦から谷中に住み始めた。
谷中がどういうところとも知らず、駅から5分、散歩は上野の美術館迄25分。
家は一人で住むには十分な広さがありすぐ決めた。年末帰国、荷物のない
がらんどうの家に越してきたのは1月1日だった。12月30日最低必要品を
買うと元旦にお届けしますと。本当に注文したすべてが元旦に届いたのは驚いた。
しかもチップなし。アッという間に取り付けていき、帽子を脱いで「ありがとうご
ざいます」と言って帰ったのには驚いた。日本のプロはすごい!
 御隣の大家さんからお盆一杯の手料理が届いた。

 
谷中銀座の本屋でこの辺のことを書いた本がありますか?と聞くと、森まゆみさんの本を
3冊出してくれた。ニューヨークから荷物が来る前、毎日森まゆみさんの本を手に谷中
じゅうを歩き回った。

 私の家は六阿弥陀通り、修正院という日蓮宗のお寺の前にあり、すぐ前の富士見坂を
登って諏訪台通り
へ、長い石垣と古い町屋が数軒残っている散歩道から経王寺の角に出る。
諏訪台通リは上野に続く高台で日暮里の駅まで家から7分。森みゅみさんのおかげで知識が増え
ニューヨークと全く違う江戸の町を楽しみながら歩きに歩いた。3月9日ニューヨークから荷物
がとどいた。日本の引っ越し業者の働き方は世界一だとおもう。短時間ですごい仕事をする、
数時間で指示した通りに家具がおかれ100個ぐらいのボール箱の整理は私の仕事。
夢中で整理をしていると地震発生!外に飛び出すと30本ぐらいの電線が頭上で
大揺れに揺れている。
「家に戻りなさーい!」「木の下は危ない!」どこからともなく人々が叫んでいる。家の戻る。テレビに
釘打ちになる。高台から叫ぶ人、通りから海の見えない人はそれが分からず、吞み流されていく。
大きな津波が窓をぶち割り、引き波にベッドに寝ていた人がベッドのまま波に吞まれていった。
映画ではない。ショッキングな記憶である。

あれから5年の月日がたった。日本は変わった。

特に東日本大震災のあと皆自分が何をすべきかを考え若者たちの精神年齢はシニアを驚かせる。
可愛い子には旅させろというように痛手の経験から真剣に生きることを考えている若者たちがいる。
経験から”人の役に立ちたい”と。そして協力する若者たちがいる。素晴らしい!
この若々しいコミュニティマインドはアメリカの開拓時代を思わせる。お互いの協力なしには生きれな
かった時代、男性は木を切り倒し家を建て、女性たちは寂しい家をキルトやフックドラグで飾った。
 自立とは風雪に堪え自分たちの手で生きることだ。私もこのことをアメリカ生活から学んだ。


今私は最も自由に個性を伸ばせる手ずくりのアメリカのフォークアート、フックド・ラグを教えている。
優秀な生徒に囲まれて展覧会を企画し、出来得る限り発表するチャンスを作り各自が自信を持つように
なってほしいと願っている。
私の企画は一人ではできないことだ。才能のある生徒たちに囲まれて、皆に助けられ,できる限りを生きている。
生きているのは素晴らしい。みなさんこれからもどうぞよろしく。

       

 


生命の木・樹も生きている。

2014-08-29 08:34:07 | 暮らしのジャーナル

谷中のシンボル「ヒマラヤ杉」

 2011年の1月1日。47年住み慣れたニューヨークを離れ一度も来たことのない谷中に住むことになった。朝起きると向かいのお寺から読経の声や鳥の声で目が覚める。永い間忘れていた靴音が聞こえる静かな日本の朝。新しい人生の始まりを感じた朝だった。

 荷物がつく前のがらんとした部屋で、これからやることを考えながら早速近所の探検に出かけた。芸大まで25分。お寺と樹に囲まれた江戸の町は高層建築の底を歩くニューヨークと違って懐かしい優しい風景があった。何も知らないので立ち止まり、振り向きつ路地を曲がり同じ場所に出てきたり、歩いて暮らせる町だと知った。

 「クチナシの路」を出ると大きな杉の樹の前で立ち止まり仰ぎ見た。その杉は小さなポットに入った杉を横のパンやさんが三角州の角に植えた木だそうだ。今谷中のシンボルとして愛されている。修正院といういつも手入れの行き届いたお寺の前から富士見坂をのぼり諏訪台通り、当時は修復中だった朝倉彫塑館の前をとうり三埼坂を下りて徳川家康が寄造したという美しい瑞臨寺から単純な建築美を感じる日本美術院の前を通り、右に折れると杉の大木が見える。谷中のシンボル、間違ってもここを目安に歩けば谷中一周ができる。今も私の大好きな散歩道。大木の手前にはアメリカから来日、芸大で学んだ日本画家アランさんの「絵処」と描いたスタジオがある。アメリカから一人で来て日本の古い町に住み日本画を書いているその人に会いたいと思った。彼と膝を突き合わせて大いに芸術論を語り合うまでに2年の月日がたった。彼のスタジオの隣の三角州にヒマラヤ杉が谷中を見つめている。ロマンを感じる一角だ。

 谷中は寺町なのでお寺の前には今月の聖語が書いてあり足を止める。人生の聖語が書かれているのはニューヨークの教会も同じだ。忘れている珠玉の小さな言葉を心に止めながら散歩するのはすがすがしい。コミュニティの看板に「谷中のシンボルヒマラヤスギを守ろう」とチラシがあちこちに貼ってあり、「美しい日本の歴史的風土100選に選ばれた”谷中のシンボル”ヒマラヤ杉と暮らしの文化、街並みを生かしましょう」と語りかけている。


  コミュニティからのお知らせ   谷中のシンボルヒマラヤ杉・絵 山近明日香  伐採される運命を背負う杉の大木  山近明日香さんの絵から作ったフックド・ラグ

 ある日その広告の横に子供が書いヒマラヤ杉の絵が貼ってあり、谷中小学校2年生、山近明日香と書いてある。その足で谷中小学校の校長に会いに行った。校長と副校長に会い、「今私はアメリカで学んだ ”努力さえすれば誰れでもつくれる” という手創りコンセプトの旗印、フックドラグを教えていますが、この絵をお借りしてラグを作らせていただきたい」とお願いすると即刻快諾をいただき、上原洋子さんがポスターサイズのラグをそっくりに見事に完成させた。もし木が伐採されると忘れ去られてしまう。しかしウールのフックド・ラグは100年以上の生命を持ち谷中の歴史を語りつぐことができるのは嬉しいことだ。

 渡米前に私は四谷から慶応病院の坂を下り新宿御苑の行幸用入口の前の三角洲にあったアパートに住んでいた。入口の前に3人で両手を広げても幹をつかめないほどの見事な銀杏の大木があり、素敵な目印になっていた。ある日友人の手紙で木が伐採されることになったと聞いてすぐ東京都知事に手紙を書いた。しかしその時はすでに切られていた。それを懐かしむ人はみんないなくなった。   お寺の聖語の立て看板に「木も草も神の贈りものなり」と書いてあった。かつてアインシュタインが賞賛を浴びた時、彼は
言った。「私は草1本作れませんよ」 と。

 

 

 

お知らせ:      

かぎ針で作る暮らしのアート フックド・ラグが奏でる、日々の喜び  フックド・ラグ展 (ポスターサイズ、ウールフックド・ラグ 60点展示)

日時2014年10月22日(水曜日)~11月11日(火曜日)まで 11.00~19.00  入場無料

ミキモト本店 6階ミキモトホール 中央区銀座4-5-5 主催:株式会社ミキモト 

*ラグを知りたい方へ;暮らしの手帖60号と61号に特集されました。 「アメリカン フックド・ラグ」 2002年 小林恵著 主婦と生活社

 

 

 

 

 

 

 

 

 


路地の花・谷中の花小路

2014-05-04 22:57:22 | 暮らしのジャーナル

暮らしに花を添える。花・はな

 車が通れない谷中の路地の狭さは、両手をひろげると向かいの家に届く距離、横になって3人は歩けない狭さ。
土地がないので軒下の壁にへばりついておかれた鉢植えの花花が一生懸命咲いている。住む人の暮らしが見えてくる楽しい散歩道だ。

 狭くても広くても美しさは同じ。ニューヨークの春を思いだす。雪見窓から眺める景色や坪庭の美しさを愛でる日本。そして両手で触ったお茶碗の感触を楽しむ日本人。空も周りの大気を含めて広がる美しさを楽しむ
西洋人との違いが発想を変えていく。どちらも素晴らしい。

 


雪・雪・雪・谷中とニューヨーク

2014-02-08 23:48:49 | 暮らしのジャーナル

  谷中も大雪に覆われた。

 お寺の塀の上10センチほど飛び出ているトバの上が雪に覆われ見えなくなった。御地蔵さんの写真を撮りに行こうと思ったのも束の間、週末まで消えてしまっていた。
谷中の路地には鉢植えの花が冬中咲いているからニューヨークとは比較にならない暖かさだ。

ニューヨークの寒さは肌を刺す寒さで、道であった友人との会話はなく 「後でお電話するわ」 といってすれ違うほど寒い。私が住めるのは緯度的にニューヨーク止り。

 バーモントに住むターシャテューダーさんが冬は時間があるので、絵を描いたり人形を作ったりしてすごしませんか?とお誘いのメールをいただいた時も、即答できなかった。
ターシャさんは子供の時から18世紀のファームハウスに憬れ、息子に建ててもらった家に住んでいた。美しい花園を毎朝裸足で歩き、花々と会話し、どの花がどのくらい水が必要なのかを知る。
ロングスカートからのぞくターシャさんの裸足は驚くほど大きくてたくましい。男たちが作った纏足の女と開拓女の差だ。自然に立ち向かう開拓女は泣かない。日本の身体障害者の先生が「成功の反対語は失敗でありません。やらないということです」 この言葉をターシャさんにいうと最後まで 「私の大好きな言葉です」 とおっしゃっていた。
しかし真冬のバーモントは寒い。 「であケイ、向かいの小屋に私のかわいい山羊がいるの。一緒においしいミルクティーをいただきましょう」とバケツを渡されたらどうしよう! 18世紀の染付の盥にお風呂におはいり」とお湯をはってくれたらどうしよう!と余計な想像のおかげで、珠玉の経験を積むチャンスを失った。

  雪が降ればすぐセントラルパークを散歩した。

                                          
 72丁目の西側のパークにベートーベン銅像があり四季を通して挨拶をしていた。
ベートーベンさんこんにちわ。スプリングソナタも好きだけれど冬のソナタはいかが?白の世界にアメリカの旗が美しい。
          
 
        72丁目のテラス、自然にできたスノーモンスター。              S字状の垣根が美しい。                                 雪の夕暮れ、詩の世界が広がる。
          
          信号もはっとするほどモノクロに映えて美しい。             子供たちはすぐ外に出てくる。スキーもそりを持ち出して。           住んでいたアパートの窓からの眺め。

  谷中のお寺の屋根やお地蔵さんの写真を撮りに行こうとしたけれど、とてもウエットで寒いので写真を撮りに行くのは中止。亀の甲だろうか。