小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

墓前を慰める桜・日本の風景

2014-04-06 17:22:21 | 東京の日々

亀の甲:昔は怖い風景、今うつくしい!

 後2日でニューヨークに戻ろうという時、友人が谷中にお見せしたい家があるのでご案内したいというのでご一緒した。
西日暮里の駅は美しくない駅だった。美しくない交番の前を通り六阿見通りへ。お寺を3つ超え、修正院という日蓮宗のお寺のピンク色の塀の前がその家だった。
歩きながら「恵ちゃん、私たちは若くないんだから一人恵ちゃんがニューヨークで暮らしているなんで心配だから帰っていらっしゃいよ。サーモンだって故郷に帰るじゃないの」
と変なことをいった。
 風が吹けばトバがカタカタと揺れ動き、真夜中になれば火の玉が飛び交うかもしれない。ニューヨークでは想像もできない地域に 「!」 ここに住むことはないだろうと思って歩いた。
 

 ドアを開け家に入った途端に洗脳されたのか「決めます」と返事していた。その半年後から谷中に住んでいる。
今では風に揺られてカタカタ鳴るトバの音に「こんにちは」といい、お墓の散歩を楽しんでいる。桜満開。お墓も華やいでいる。桜が散るころのお墓めぐりの散歩はやめよう。
「こんにちは!みなさん、楽しんでいますか?」とお墓と話す。母は熱心な日蓮宗だった。不思議なご縁だとおもう。

 親しくしていただいた山岡久乃さんがニューヨークに訪ねてきたとき、セントラルパークの美しいスポットのベンチに座って「生きているのは素晴らしいわねー」と話ながら山岡さんの母上も
日蓮宗と聞き、二人でお経をそらんじ、山岡さんが言った。「恵、意味わかるの?」  「ぜんぜん!」 「山岡さんわかるの?」と聞き返すと山岡さんは 「ぜんぜん!」と答え抱き合って大笑いした。
 先人の叡智もそんな形でも受け継がれているのは悪くない。 


 生きているのは美しいことだと思う。桜が教えてくれる。大切に生きたいと思う。

 



冬に咲く花

2014-03-02 19:59:27 | 東京の日々

椿大好き

 嫌いな花はあまりないけれど寒い冬に咲く花椿は大好きな花だ。花弁がついたまま花が朽ちる前にパタンと落ちる様も小気味よい。
落ちた椿を拾い水を張った大器に浮かべても美しい。 

 19世紀、アメリカのお金持ちは冬に温室を持ち部屋中花を飾った。当時珍しかった椿が輸入され、椿御殿がいろいろなところにある。
居間の北側の小さな庭の垣根は椿。隣の大家さんの庭の椿は日当たりが良いので雪が降った後でも真紅の椿がたくさん咲いている。

 私には悪癖があり、乱れ咲く花を手折る癖がある。 もちろん鉢植えのものや手入れして育てている花には手を付けないけれど、無数の花が咲いていると
手の平に入るぐらいの短さで折って鞄に隠す。勿論前後左右を見ながら、2階のどこかで見ていないかも確かめ、だれも見ていないのを確かめ花をかざして一礼してくる。

花やでは買えない一輪が部屋を明るくし、数日 「きれいねー」 と声をかけながら 私に褒められて一生を終るのは逆に花も幸せなことだと思う。

「われが名は花盗人と立てば立て  ただ一枝は折りて帰らん」 とは泉式部集」の恋の部、藤原公任の歌だそうである。桜の枝の美しさにひかれて一枝折っても愛でるがあまり、咎めるようなことはないだろうと解釈された。(この歌は夜這いの詩だとのこと)

しかし花泥棒は判罪です。器物障害罪または窃盗罪。 路地を歩いていると見ているゾ!と壁紙が貼ってある。

日暮里の西口の御殿坂を上ると小林一茶が旅立ちの折、いつもこの寺に宿泊して江戸を離れたといわれている本行寺がある。門をくぐると見たことのない丸いキンカンに似たオレンジ色の丸い実がたくさんさんなっている。何かしらとにおいをかいでみた。あまり香りはない。一つちぎって皮をむいてみると小さなミカンそっくり。ひとふさ食べてみて飛び上がった。 酸っぱい! 私は酸っぱいのものが大嫌い。すぐ吐き出して門の横にある屑箱のふたを開けようとした途端 誰もいなかったはずなのに門の横の手洗いのあたりから 「寺のものを盗んではいけない!」と太い声がかかり、飛び上がるほど驚いた。

「スミマセン! 初めて見たのでなんだろうと味見してみました。これはなんでしょうか?すごく酸っぱいですね」というと 「橘です」 と顔を出さないで建物の裏から、ついで 「法華経のシンボルです」 と低い声が返ってきた。
ナント法華経のシンボルを盗み喰いするとは・・・・やはり「誰かが必ず見てるゾ」と谷中の路地に書かれた張り紙を思い出しながらヘイシンテイトウ 「スミマセン」 と言いながら捨てた。合掌。


 たわわに実る橘の実         法華経のシンボルマーク・橘             日暮里谷中の本行寺      ” ただ一折はおりて帰らん” 犯罪を犯した美しい椿   本当にみられていた!谷中の路地に貼られているチラシ



谷中のお寺と桜

2013-03-24 16:40:40 | 東京の日々

桜・さくら・サクラ

 桜は日本人の血だ。春を待ち、桜前線のニュースに耳を傾けその土地をおもい、桜の咲く日を待ちわびる。
”桜の咲くころあいましょう” とデートの約束をした友人たち。
待ちに待った桜なのにアットいう間に雨に濡れ風に吹かれて散っていまう。
来年こそは必ず会いたいと心に誓う。

 束の間の美しさを愛でるのも日本的なのかもしれない。そして歩いて、立ち止まってみるのが一番ふさわしい。
豪華に咲き、車で ” うわーッ ! なんて素敵!” と車でアメリカの豪華版ドライブも悪くないけれど、ゆっくり歩きながらちらちら揺れる枝や
緩やかに落ちる花びらの下で桜を見上げる時も、なんと幸福な瞬間であることか。

 朝早く谷中のお寺と桜を見に行く。お墓と桜はとても相性がよい。グレイのお墓もこの日を待ちわびているのだろう。
お墓が華やぐ日だ。人生を全うした人たちをめでるにふさわしい華やいだ桜墓地。鳥の声さえ
もはずんでいる。

 毒婦と呼ばれて斬首された笠森おせんのお墓にも、桜が揺れる。好きなことをして消えていったおせんを許しているようだ。
人生を思い人生をめでるにふさわしい桜。今咲き誇っている。

 






谷中より湯島天神までぶらり散歩

2013-03-17 12:30:03 | 東京の日々

 


東京で最後に残された富士山が見える唯一の谷中の富士見坂をのぼり、諏訪台通り,観音寺の築地塀から路地のお寺やお地蔵さんをのぞきながら芸大まで散歩。
季節により雰囲気はがらりと変わる。冬にはお地蔵さんの毛糸の赤帽子から春になると布地のぼうしに代わっている。とても日本的な人の優しさがうれしい。


路地をくねくねと曲がり湯島天神までぶらぶら歩く。おびただしい数の合格祈祷の絵馬やおみくじ。希望を託して下げたり結んだり、日本的な造形美がある。
お寺の聖語版を見るのも好きだ。今日は井上靖。本当にそうだ。心の中で手を合わせる。早咲きのしだれ桜が優しく揺れている。


近くの岩崎邸まで歩く。正面までの石垣、石の並べ方の匠さに石の接点をずっと見ながら歩く。すごい。棟梁以下無名の名工がいたのだろう。
じゃりが引かれた歩道には丸筒が並べられている。美観と合理性の融合。日本はありがたい国だ。


春まで一本の花に藁のこもを掛けて寒さから守るのも日本ならではの風景。東北大震災でお弁当を配られたとき静かにみな1列に並んだ日本人のことが驚きを持って
アメリカの新聞に書かれていた。しかし、この通り、子供の時からきちんと並ぶのもの伝統なので日本人は驚かない。


散歩しながら感心したり、学ぶことが多く、小さな教訓かもしれないけれど私には小さいことではない。
今日もすがすがしい散歩であった。