小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

 「ダライ ラマ・NYC」

2006-09-27 23:16:24 | ニューヨーク暮らしの日々



ーダライ ラマが来るー  
 ダライ ラマがニューヨークに来ると、いつもブロードウエイ74丁目の
ビーコン シアターで講演がある。特に前日は前売り切符を買う人で
ビルディングをぐるっと取り囲むほどの行列が出来る。  向かい側に
はニューヨークでも有名なグルメマーケット、フェアウエイとチッタレラ
があり人垣が道をふさいでいて私は買い物の足を止められた。人垣
はダライラマがシアターから出てくるのを待っていたのだ。
 
 傍にいくと僧服を着た若いモンクが 「私たちはみんな家族です。ど
うぞ」と人垣をかき分けて私を一番前に出してくれた。  ダライ ラマ
がビルディングから出た来たらしくみなが乗り出してみている。パト
カー、ポリスカーに続いて3台の黒い乗用車、その次の車に赤い僧
服を着たダライ ラマが一人後ろ席に座っていてアットいう間に通過し、
其の後ろにも2台のポリスカーがついていた。

 「ダライ ラマは本当は皆に手を振って歩きたいんですよ」と若いモ
ンクが残念そうにいった。「昨日は切符が売り切れていて、ダフ屋が
出たみたいね」という
と 「実は全切符を買い占めた人がいて、座席に
かかわらず、30ドルの切符が100ドルで売られ満席でした。本当に
私たちは怒っています。ダライ ラマも心から残 念だと言っていました」

 ニューヨークらしい話だなーと思っていると、年輩のモンクがお盆に
載せた練り物のようなお菓子を皆さんにと持ってきた。私は結構です
と断ると「これはダライラマが祝福したチベットのお菓子でとても健康
にいいのです」というのでほんの少しだけいただいて食べてみた。

 若いモンクは「お目にかかって嬉しかったです」といって手を合わせ
てお辞儀をした。お菓子は超まずかったけれども、オリエンタルを感じ
たすがすがしいひと時であった。

 

 


 「「ユダヤのピックルス」

2006-09-24 00:32:40 | ニューヨーク暮らしの日々

 
ダウンタウン オーチャード ストリートでの「ピックルス デイ」
 
9月17日 「ピックルス デイ」フリーサンプルに集まる人々

日本人も好きな味 ハーフ・サワー ピックルス
 
 
1964年、ニューヨークについて数日後、レキシントン街の90丁目近
くに住んでいらした猪熊弦一郎宅の夕食に招待された。扉にチキン
ワイヤーが張られた赤い食器棚、鈍い光を出す古い瓶。厚い板の大
テーブル。華美でなく人の手が育んだ温かみのある質素な美しさと、
暮らしを楽しんでいるアーチストの審美眼に心から感動した。

 忘れられないのは、鉢に盛られた美しい胡瓜のお漬物。
ディル、ガーリック、マスタードシード、胡椒などで漬けた発酵する前
の美しい緑色で、ハーフサワーというユダヤ人のビックルスだという。
どこのスーパーでも売っているとのことだった。ニューヨークに住むよ
うになってから分かったことだが、ピックルスが盛られた器はペンシル
バニアで作られたアメリカのアンティックの器であった。猪熊夫妻は
アメリカの ”手にハート”の世界を楽しんでいることが分かったのは
住み始めてから数年後のことであった。

 今は中国の移民が多くすっかり模様替えをしたイーストサイドのダ
ウンタウンは、ユダヤ人移民地区でライブレッドとピックルス地区また
はソーセージ地区ともいわれていた。その近くのユダヤレストランに
くと、例の胡瓜のピクルスは突き出しでどのテーブルの上にも山盛り
おいてあった。現在でも無料で出しているところもある。  
 
 本日夕方、ゼイバー(ブロードウエイ80丁目にあるユダヤ人の経営
するグルメ ストア)にいってみて驚いた。空っぽの棚があり、ユダヤ
人たちの新年がやってきたことに気がついた。 今朝のニューヨークタ
イムスにでていたサックス、メーシー、バーニースなど各デパートの広
告には ”ロシャシャーナ” (ROSH HASHANAH)  ”新年おめでとう” 
と書かれてあることからもニューヨークにはいかにユダヤ人が多く住ん
でいるかが分かる。

 ”日本のぬか漬けに似ていてとてもおいしいのよ” と
おっしゃった猪熊夫人、ピックルスを食べるたびに暮らしも人間も、アメ
リカーナも愛していた猪熊夫妻宅の夕食を懐かしく思い出す。


 「9・11世界が変わった瞬間 5年ののち」

2006-09-14 22:42:49 | ニューヨーク暮らしの日々

 
9月10日 セレモニー準備      グランドゼロの回り無数の花束

仏教徒の祈り                  セントポール チャペルの裏庭より

 
日本から送られた千羽鶴            手形に書いた訪問者の祈りの言葉

ニューヨークから青空は広がる   

 
2006年9月11日。
5年前と同じような青空、快晴のニューヨーク。  
 
 グランドゼロでの癒しのセレモニーは、当時生まれた5歳の子供が
献花し、皆の涙を誘った。また、両親を失った少女が義母になった
両親の友人と一緒に献花し,人々の胸を打つ。子供の表情は明るく、
悲しんではいられないと勇気付けられた。  
  ある母親はインタビューで「私はこの子供たちによりよい世界を築
くために、父親の分も心を込めて子供たちを育てます。悲しい思いを
させないために、子供たちをグランドゼロには連れて行きません。父
親の分も愛してあげていますが、満たされないところはよく話合うつ
もりです」と子供に献身する、けなげな母親の話に心が和んでいく。
5年を経て人々の涙は枯れ、心の空洞を埋め青空を見る余裕が出て
きているようだ。  

 トリニティチャーチの近くで9.11までは一日100ドル稼いでいた
靴磨き屋は、現在は同じ場所で12時間働いても35ドルの収入しか
ないそうだ。しかし、「39年も働き続けた僕の場所です。これからも
ここで働きます」と屈託がない。  

 希望はいたるところで見受けられる。
特にグランドゼロの回り、トライベッカ(グリニッチ ストリートとブロー
ドウエイにはさまれ、カナル ストリートまでの三角地区)の復興と
この地区の土地家屋の値上がりは信じがたいぐらいだ。窓が開け
られないような倉庫であったビルが素敵なビルに修復されている。
権威や伝統的ライフスタイルに飽きた5番街やパークアベニューの
金持たちやニューエイジのにわか金持ちたちが移り住み活気を呈
している。 100年前に建てられたチャーミングな家の間に近代的
高層アパートも建ち、地区の活性化も図っている。有名レストラン
も沢山あり、金融地区に近いこともあり、いまやお金の集まるホット
なところとなった。    

 ニューヨークはかつてないほど修復と新建築工事が、いたるとこ
ろで進んでいる。伝統的ニューヨーカーの生きる道は前向きである
ことだ。そのエネルギーは人々に引き継がれている。戦争ではなく、
犠牲者の無念を力にし それぞれの暮らしを建設していく義務が、
残された私たちの責任でないだろうか。

*9.11の記録は国会図書館選 No1.サイト
www.september11news.com  
*なお、5年前当時の状況は私のホームページ 
www.ny-apple.com
 「NYジャーナル」をクリックして「あ!摩天楼が!」と当時状況と
その後の状況 「忘れえぬ日」を是非参考にしていただけると
嬉しいです。
 

        


 「労働者の日」(レイバー デイ)

2006-09-11 00:22:02 | ニューヨーク暮らしの日々




織姫たちの戦いの後
 19世紀の前半、アメリかで最初に給料が支払われた職業婦人た
ちは、マサチュウセッツ州、ローエルの織物工場に働いていた女性
たちであった。近郊の農家から集まった女性たちは其のお金で弟た
ちを学校に送った。

 産業革命の火蓋を切った時、理想主義者のローエルは利益を労働
者 に還元する理想経営を夢見ていたが、こころざし半ばで死亡。
コットン(キャリコ)やウールがアメリかで大量に生産され、竹の子のよ
うに出来た織物工場には沢山の移民が入り価格競争になり、ついに
子供の労働力も駆使された。

 当時,時計は高価で庶民は所有できなかった。教会のタワーにある
町中に時を知らせる時計は、明るくなる前に1時間早められ、夕暮れ
には1時間遅らせて労時間を搾取し、実働は10時間から12時間労
働以上、勿論休みは日曜だけであった。

 レーバー デイは労働者が団結して仕事に献身し、社会に還元で
きるように社会的、経済的デモクラシーのために制定され、同時にパ
レードは1882年5月5日ニューヨーク市で始まった。1884年以後,
メイデイとは違うので9月の第一月曜日に改正され週末に続くロング
ウイークエンドとなった。秋のスケジュールと新学期はこの後より始まる。

 現在の労働者は8時間労働、週40時間。それ以上は超過賃金の
支払い、安全保証、健康とリタイアメントの保険などが長い間の戦い
の後
に保証された。労働者の生活が保証され、奨学資金、公共、研
究施設等の多くは経営者たちの献金で、社会に還元されている。

 今年のパレードは休み明けの9月9日、5番街44丁目から72丁
目まで2万人以上が参加し、5時間以上続いた。予算はユニオン次
第。カッコいいTシャツ。ニオン別にピカピカ新品のトラックが続く。パ
レードは参加することが第一。子供、乳母車、バイクなど列など作ら
ず勝手に歩いている。ユニオンの大きさで、参加人間の数、演出が
違い、人々は平等と競争と働く誇りを誇示しているようであった。

 


 「日曜画家」

2006-09-07 03:17:39 | ニューヨーク暮らしの日々




創造する人は満たされる   
 
 パークを散歩するとイーゼルを立てた画家たちがあちこちに見あた
る。覗き見をする人が多いからある程度自信のある画家たちばかり
だ。鉛筆スケッチ、水彩画、油絵、パステルなど色を重ねていくのを
立ち止まって観るのは楽しい。 ユニオンスクエアのパークでニュー
ヨークタイムスのページの上にパステルでスケッチをしている人に
「新聞紙をがキャンバスだなんて素晴らしいアイデアね」と画家風の
彼にいうと「アマチュアですよ。新聞も拾った新聞だし、お金は掛け
ないの。印刷の地が出てきてユニークでしょう?」と嬉しそうにいった。 
 何もないところから何かを作り出していく・・・
なんと健康ですばらしいアイデアだろう!


「アイデアの勝利」(1)

2006-09-04 00:55:50 | ニューヨーク暮らしの日々

 

何もないところから出発
 1990年から2001年に掛けて、ケニアは最悪の干ばつ被害を受
けた。殖民地時代からエスタブリッシュしているフイリップとケイティ 
リーケイ(Philip & Katy Leakey)の家に、マサイの女性たちが救いを
求めて100人以上やってきた。
 
何とかせねばと考え付いたのが草でアクセサリーを作ることであっ
た。ビーズ作りはマサイの伝統であり、乾燥した草は無尽蔵にある。
空洞になっている草を短くビーズ状に切って染め、チェコのビーズで
アクセントをいれ、ズールグラス ネックレス(Zulugrass)が誕生した。

 
「何もないところから作り出し、人々を助けられることは大変なスリ
ルでした」と語るフイリップは前ケニア政府の議員。両親は有名な考
古学者でアフリカ生まれのイギリス人。

 私の友人で元駐ケニア国日本大使がアフリカ援助をしているので、
アフリカのブースに足を止めた。2004年、ニューヨークのギフトショ
ーで初めてリーケイさんにお目にかかった。その時草ビーズは80
色。2006年のギフトショーでは飛躍的に成功し,現在リーケイ コレ
クションは世界中20カ国に輸出するほどになった。色彩も150色に
増え、すべてに名前が付けられている。

 アフリカでビジネスをオーガナイズすることは、やさしくない問題に
直面する。夫が獲物を取れば、忙しくなり仕事にはこれなくなる。給
料も受け取りにこないので支払いに何ヶ月もかかるとのこと。現在
は千人 のマサイ女性たちが働き、子供たちは学校にいけるようにな
ったという。楽しみながら働く素晴らしい慈善事業の一例でないだろ
うか。 2002年にはナイロビのギフトショーで環境意識賞を獲得して
いる。

 ニューヨーク インターナショナル ギフトショーは企業家の登龍門
でもあるので私は毎年欠かさず観て回る。アイデアでビジネスが成
功し、その課程を長い間に観察できることは楽しい。ブースがどんど
んよくなっていく会社、成功して商品の味がなくなっていく会社、地
味にラインを固執する人、うーんと唸るアイアでも商品提示がいまい
ちの処、真似商品で消えていく人、さながら社会の縮図をみるようだ。
 アイデアとセンス、それを可能にするチャンスと努力が実を結ぶの
だろうか。

美しいマサイのサイトを参照してください。
www.leakeycollection.com)
日本のケニア援助参考:
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/zaigai/news/kenya.html


「ウオーター タンク」

2006-09-01 03:48:32 | ニューヨーク暮らしの日々



ニューヨークの風物詩
 建築物を眺めながらニューヨークを歩くのは私の楽しみの一つ。
豪華なビルよりもビルの谷間にがんばっている小さい建物を観たり、
通路からはよく見えない高いところに美しいデザインが施してあった
りで、楽しみは尽きない。観光バスの屋上に座って建物のトップの
装飾だけを見るのも面白い。

 ニューヨークのビルの屋上にはウオータータンクがいたるところに
ある。水圧を増すためにビルの屋上におかれたウオータータンクは
親をうしな った孤独な子供のように、ぽつんと立っている。

 ”おーい!”と声を掛けたくなる。 ”おー!気がついてくれたか?”
と返事をしているようでもあり、古い友人にめぐり合うような親しさを
感じる。

 お風呂を思わせる木製のタンクが主流。その他ステンレスや亜鉛
メッキ,
 カーボンスチール、プラスチックなどで、普通外から見えるも
のは水容積1万5千ギャロン。3万ギャロンまであるとのこと。大きく
なるとビルの中に入り見えなくなる。

 近代美術館の中庭から上を眺めてみると、初めて白いプラステ                            
ックのウオータータンクを見つけた。ハードエッジのガラス張り高層
ビルの空間を和らげ、美しい眺めであった。