原爆と原発
ヒロシマに原爆が落ちた1945年8月6日と2011年3月11日の大震災とは私の人生にとって忘れ得ぬ事件でありました。小学校6年生でした。
戦争の悲惨さと屈辱は、その後数年続いた食糧難と物資不足で子供ながらに鮮明に記憶しています。戦前生まれの生存者が少なくなった現在、戦争経験を知る人が少なくなりました。
軍国時代で選択がなかった大人たち。個人の意思を言えなかった恥の記録を子供たちに伝えたがらない大人たち。暮らしの手帖96号には普通の人たちの応募原稿、戦争中の暮らしの記録がずっしりと記録されています。
「ずっしりと重い本を読みあげました。それでもわからないことがあります。全国民が、苦しみのどん底にいながらも、なお一つ信じていたものがあるようなのです。戦争に勝つことでしょうか。仕方ないのでがんばったのでしょうか。人間らしく生きられることを夢見てでしょうか。何不自由ない今の時代に何か欠けていると私は感じているのですが、その何かが96号の中にかくされているように思います」(ページ265投稿原稿「欠けている何かが」)
かつて司馬遼太郎が“昭和は語りたくない”といったことを思い出さずに居られません。。
暮らしの手帖96号は戦争中の暮らしの記録であり、後,単行本として出版されています。
1972年第5刷を購入し、ニューヨークに持ち帰りましたが、かけ離れた外国の暮らしのなかで心を入れて読むことはありませんでした。このたび読んで日本中の人たちに読んでほしい本だと思います。
戦後日本中が豊かになったと信じていた日本は豊かではありませんでした。半世紀近く外国に住んでそう思うことがしばしばでした。それは精神的価値観についてです。
初めての原爆被害国、そして明確な被害がいまだに不透明な福島原発の事故。ロシアやアメリカでの前例があったにもかかわらず地震国日本で想定外の事故となりました。
人を,土壌を,空を,海を汚染し、地球破壊が進んでいます。大きくは日本だけの問題でなく地球上の生きるものたち、すべての生存と絆の問題です。
普通の大人や子供たちが今福島の経験を語り、テレビ、ビデオ、出版物でも、人間の根本問題、自然を守り平和を築かねばならないことを記録しています。
絆、やさしさ、感謝、分かち合いがなど今、残している福島の記録は戦争の暮らしの記録と同様に、とてもとても大切なことだと私たちは今、学んでいます。心の内を率直に語り未来へバトンを渡すために、皆が発言し今を大切に暮らすことを大震災が教えてくれました。
志や忠誠が命よりも大切であった昔のひとたちの命、1銭5厘(招集令状)で戦場で死んだ命、助けるすべもなく目の前で津波に流されていった命。いづれも命の大切さを改めてかみしめる動機となったショックセラピーでした。
震災はかつてないほど心の記録を残しています。有名無名にかかわらず、経験した記録には説得力があります。記録を残し、これから何が大切かをみなに伝え、考えて行くようになると思います。
若い皆さん、暮らしの手帖の“戦争中の暮らしの記録”を読んでいただけましたら、あまり意味のなかった、せつない戦争経験をした親たちの気持が理解できるとおもいます。絆はお互いの理解から深まることでしょう。
二つの時代の違いは戦争時代の不安と、東日本大震災は亡くなった人のためにもベストを尽くそうと立ち上がる希望がみえることです。
写真)数十年前ワシントンの国立図書館で発見した“原爆ケーキ”で祝った写真です。
分かち合うには苦しい写真ですが、人間には悪魔的感情があり、戦争も原発利用も狂気であることの反省に役立つと思います。