小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

イメージの不公平・報道の自由というのはおかしい

2015-02-13 18:23:34 | 暮らしのジャーナル

戦争は絶対にいやだ!

異教徒であるために迫害を受けたアミシュの人たちは自由を求めてアメリカに移民した。自給自足で自然とともに生きる
アミシュは国の命令でも
戦争にはいかない。自分たちで責任を持って生きる。国の援助もいただかない。当然年金もない。
競争の加担もしない。虚栄心が目覚めるので鏡を持つのはご法度。女性はお化粧せず男女とも
ルックスに対して厳しい戒律を持つ。
迫害で受けた暮らしの哲学なのだろうか。

人を不幸にしたり不愉快にする、特に見た眼で視覚的に差別するのは報道の自由とはいえない。
エチケットの問題で、それが漫画であろうともルックスを嘲笑する
のは全くマナー違反とおもう。
戦争にマナーなどないから、戦争は終わらない。

反っ歯のことをウサギの歯という。岸首相がアメリカを訪ねた時、
ニューヨークタイムスに岸首相の写真説明に’兎ちゃん歯の岸首相’とかいてあったり、田中首相の膨れたワイシャツのお腹の
ボタンが外れている写真が大きく出る。両方とも他愛なくて可愛いともいえるけれど、優越感も劣等感も同じく怖い。

偏見の囁きあいはどこにでもある。

理由が何であれ戦争はあってはならない。

                                 
                       戦争中のプロパガンダ イメージ。
             

           戦争はしないと誓った日本人。原爆経験、世界唯一の発言権を持つ日本人。何処かが狂い始めている。
                         
                  
   平和憲法を守ろう。署名運動に参加しましょう。
                   参考写真・www.nationalww2-museum.orgより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 


戦争の爪痕をフックド・ラグで表現するアーチスト

2015-02-01 21:03:00 | フックド・ラグ

自分の悲しみをラグに閉じ込めているリンダのトラウマ

Linda Friedman Schmidt
リンダ フリードマン シュミットはニューヨークでであったラグ友です。戦争が終わり収容所が解放されたとき
彼女の父親は17歳,アメリカの援助で渡米、ニューヨークに来ました。リンダが収容所を出た人の中で最初に生まれた
子供です。それだけでトラウマが十分に理解できると思います。
         
  
        
左から私の横がリンダ フリードマン シュミッツ  NYフォークアート美術館でスピーチをした時の撮影

1930年ころからファッションのリーダー店であったニューヨークのヘンリ ベンデルのバイヤーをしたり,マンハッタンの56丁目
ユニークでファッショナブルなお店を持っていたこともありました。
リンダはいつもファッショナブルです。優秀なマネージャーで現在は世界中に自分のアートワーク作品のプロモーションをしています。
水着から靴下まで捨てられたテキスタイルを使用して
フックド・ラグでアートワークを作りコンテンポラリーアーチストとして活躍しています。

テキスタイルのポートレートアーチストとしてまた、癒しのアートとして心の中に隠された苦悩や感情を洗い流し、社会に問いかけています。
2009年企画した日米展でミキモトでラグを展示した時彼女の作品も展示しました。

写真左下の乳母車に座っている父親、「子供時代の囚人」という作品です。この作品は朝日新聞にも掲載されましたがリンダの人生経験
を如実に物語るものです。「涙」と題する最近の作品も彼女の内面を表現しています。

        
狼におびえる母と娘、勿論狼は父親です。泣き叫ぶ娘。苦悩に慟哭する父親など「アートとは日常の暮らしのゴミや苦悩を吐き出すため
にある」といったピカソの言葉に共鳴したといいます。

材料はすべてリンダの作品に感動した父親が拾い集めたものです。

1964年4月、初めて日本のツーリズムが解放されて渡米した私はニューヨークでティファニーの裏にあった帽子ブティック店のデザイナー
としてもぐりで働いた時のことです。オーナーはユダヤ人、他3人も
ヨーロッパで腕を磨いた帽子作りの名人たち。アウシュウイッツが解放され
たとき同じ船でNYに来た仲間で、
皆腕に刺青の番号がありました。トップの腕利きのデザイナーのレーナはドイツで有名な帽子店の娘で
家族は収容所で皆殺されたという。レーナは収容所で電気拷問を受け家の電機は24時間つけっぱなし、アトリエでもアイロンにさわれませんでした。

私を含めて6人いたアトリエで毎日彼女たちの経験談を帽子を作りながら聞くのはショックで凄い経験でありました。
一人いたドイツ人はいつも無言。黒人のアシスタントはいつも歌を歌って知らん顔。表の店から戻ってきたマダムは「ケイ!また聞いているのねッ!
やめなさーい!」と怒鳴りながら店に戻っいく毎日でした。世の中のことをあまり知らない30歳。ニューヨ―クの日々はリンダの作品を見るたびに
鮮明に思い出し, いろいろの人間と暮らしの観察の眼を開眼し、多様性を考えて世界を見る
動機となりました。

リンダの表現は素晴らしい。学ぶことも多い。自分で評価する値段も25万ドルと高価。しかし私たちはピカソにはなれないのでラグ作りは美しくて、
楽しくてほっこりし、
誰かをハッピーにできれば充分ではないだろうか。

安くても売れなくてもお金に換算できない価値を作り、作者たちが作り上げた自信を宝にできることはこの上なく光栄で嬉しいことなのです。