小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

猪熊さんの愛したキルト(7)の続編

2010-08-21 03:31:16 | ものつくり
  日米を庶民文化で結ぶ
日本製:アメリカがが日本のキルトに及ぼした影響展のこと

忘れえぬ展覧会はアメリカの産業革命の発祥地、ローエル市の市長が
その日をローエルのキルト デイと新聞に発表してくださった記念すべき
展覧会でした。アメリカの原動力となった大量生産でのキャリコが普及
し、安いキャリコが原動力となってキルトがアメリカ中に広まりました。
ニューイングランド美術館はなが年のキルターたちの夢がかなって、キル
ターたちが自分たちの力でたち上げた美術館です。おめでとうと電話した
ことから、{この美術館で何かしてください」と話しが進み、企画するこ
とになったものです。
 アメリカンキルトの影響展が日本からやってき、歴史的と言われたた
展覧会になりました。
 この展覧会はカタログを凸版、多くの会社経営の友人たちから在庫品の
ご寄付を頂き、6万ドル以上の商品をニューイングランド キルト美術館
に寄付しました。特別輸送も美術館までKラインが届けてくださいました。
信じられないようなことが皆さまの後援で可能になったものです。
 今,考えると夢のように参加する人たちも含めて皆の情熱が込められて
たことでした。

「日本製:アメリカのキルトが日本に及ぼした影響」展 資生堂での
ご挨拶パネル・原稿

昨年の夏から今年の夏にかけて、アメリカのニューイングランド キルト
ミュージアム、ニューヨークのジャパン ソサエティ、サウスハンプトンの
パーリッシュ術館の3か所で 「MADE IN JAPAN・AMERICAN
INFLUENCE ON JAPANESE QUILTS」 展が開催され、日本の女性によって
製作されたキルトが紹介されました。

 アメリカでは自国の伝統的フォークアートであるキルトが日本に浸透し、
日本的に解釈され表現されていることに、素直な驚きと感動の反響が
あり、展覧会は大成功いたしました。今回は、その作品を日本でご紹介い
たします。

 ザ・ギンザ アート スペースでは1975年3月に、日本で初めての
キルトの展覧会を開催し、日本ではまだポピュラーではなかったアメリカン
キルトを紹介いたしました。

16年を経た今、今度は日本の女性によって製作され、キルトの本場
アメリカで展示され評価を得た作品をご紹介出来ますことは、非常に
喜ばしいことです。

 展覧会の開催にあたり、ご協力いただきました川崎航空サービス株
式会社はじめ多くの方々に深くお礼を申し上げます。

 また、アメリカの展覧会の企画から開催まで、おひとりで尽力された、
アメリカ生活文化研究i家であり 「アメリカンパッチワークキルト事典」
(文化出版局)の著者である小林恵さんに心より敬意を表したいと思
います。
 
         1991年12月      資生堂 企業文化部



 企業文化部が話しを聞いただけで内容を把握し、長く日本を離れて
る無名の女性にバックアップして頂いたことは望外な喜びでした。
カルチャーを把握している企業のトップとめぐりあった倖せを皆さんと
分かち合いたいと思います。山田さんは引退した後、資生堂ザ・ギンザの
歩みを著作に残しましたが、非売品の本でした。企業のトップが斬新な
アイデアで推し進めるヴィジョンがあればこそのザ・ギンザでした。

 この本を読んで感じつことは、私という主語がでてきません。山田さんな
ればこそと思うのですが、それに協力している資生堂の文化的姿勢も
感じられ、会社とはなにか、指導とは何か、リーダーシップをとり、影響力
を作るビジョンを持つ総明なアイデアなどを、皆さんにも読んでいただきた
い本です。20年前、アートスペースでのキルト展での山田さんのご挨拶文
を分かちあいたいと思います。



「展覧会のオープンおめでとうございます。みなさんが丹精込めて作っ
た作品が、素晴らしい企画によって、アメリカ国内に続いて日本でも紹
介されることになり、私たちの会社もそのお手伝いをすることができ、
心からお喜び申しあげます。

 ご承知だと思いますが、1975年、ザ・ギンザをオープンするに当
って最初の企画として [アーリーアメリカンキルト展] を催しました。
今ほどキルトが知られていなかった時、多くの人たちに楽しんでいただ
きました。

 その後も展覧会はいろいろな企画で続けていますが、そのうちの「ア
メリカ生まれの人形展]と「ダイム ストアグッズ コレクション」の2つは、
小林恵さんのアイデアで実現しました。長らく米国で生活していらっしゃ
る小林恵さんらしい企画です。アメリカ文化、しかもそれは、お気付きの
ように、ごくごく普通のアメリカ人の日常生活の中で育まれた文化という
べきものをピックアップして、展覧会として花咲かせたのです。「 キルト」
にしても同じです。

 ただ、今回の企画がいささか違うのは、展覧会のテーマがキルト作品
であるのは勿論ですが、キルトを通してかわされた日米の人たちの間の
のコミュニケイションそのものが、もうひとつのテーマであったことです。

 200年余の米国の歴史の初期、女性たちがひと針ひと針縫いあげたキ
ルトに、アートの光が当てられ、それがいつか私たち日本人の女性の目
をひき、感動させ、やがて同じ様に針をとらせた、その影響力、美しいも
はすべてを超えて美しいのです。この場合、まさにキルトによって国境が
なくなったのです。

 かつて遠い昔アメリカで生まれたものが、1990年代のいま、日本女性
の感性で、“メイド イン ジャパン”のキルトアートとなって帰ってきたー
アメリカ人たちが心を震わせて感動したというのも、うなづけることです。
 こには日米摩擦も、真珠湾50周年もありません。あるのは飾りのない
真実の美しいコミュニケイションです。

 みなさんの作品が、ニューイングランドの「キルトミュージアム」 で初め
て紹介され、その後、ニューヨークの 「ジャパンソサエティ」、サウスハン
プトンの [パリッシュアート ミュジアム」でも、たいへん評判だったと聞き
ました。実にピュアな話だと思います。

 日本でのこの展覧会が、同じような意味の大成功を収めるだろうと信
じています。作品を作ってくださった皆さんに、改めてお礼を申し上げます。
そして小林恵さんにも。


 1991年12月5日       山田勝巳
                  株式会社 資生堂 取締役
                  株式会社 ザ・ギンザ 取締役社長

 
 1991年シェルバーンキルト展が横浜高島屋で開催された時、NHKが
1時間番組で紹介してくださり、当時の司会者が山根基世さんでした。
キルトとアメリカン・ラグ:フックドラグは同じ時代、同じ目的でアメリカ
で作られたアメリカを代表するクラフトです。
 山根基世さんはアメリカン・ラグを作っていますが、投稿してくださった
日米ラグ展(ミキモト:2009年1月)の作者たちからのコメントを読んで
いただければとおもいます。
参考:「小林恵のNY通信」2009年「日米フックッド・ラグ展」
    3月22日付、3月16日付、3月15日付

 猪熊さんがおっしゃっているように

ー「美はいつも金銭とは何の関係もない。お金のかかっていないものが
より美しく、より生きているものである。美は他の対照から生まれるとも
言えるし,相反して生れるとも言える。常識的集合の中に思いがけない
異物がいりこみ、けろりとしていれば、もうそれは千年の友である」-
 「画家のおもちゃ箱」より 猪熊弦一郎著 文化出版局1984年





猪熊さんの愛したアメリカンキルト (7)

2010-08-21 03:08:09 | 

       猪熊さんの暮らしから学ぶもの

        
         写真は「画家のおもちゃ箱」より。

 1970年代に買ったという猪熊さんの暮らしに生きていたアメリカン
キルト。1976年まではアメリカ人でさえキルトに眼を向けてない頃で
した。引っ越し家具屋が平気で使っていました。

           
 左)1982年山岡久乃さんがニューヨークにやってきて3週間、私のところに泊まって
くださいました。ちょうどキルト事典(文化出版局)から出版予定でキルト浸りの毎日の
時でした。
 右)「日本製:アメリカが日本のキルトに及ぼした影響展」のカタログ。1990年、
ニューイングランド キルト美術館、NYのジャパンソ サエティ、サウスハンプトンのパー
リッシュ美術館、翌年資生堂アート スペースで展覧したときのカタログ。

 出版された本とドキュメンタリー、「キルトと女性」パット・フェローロ、
(当時サンフランシスコ大学教授)が賞をとったので、サンフランシスコ
からオープニングにNYにやってきました。
 ドキュメンタリーの初演は住まい近くの自然博物館でしたので自宅に
招待し、英語の出来ない山岡さんがひたむきなパットに大変感動しま
した。
山岡さんの提言に従い、当時の私はタイマイを投資してそのドキュメン
タリーフイルムを購入ました。
 日本に帰り、二人の大プロデューサーに見せましたが、二人とも居眠
りをしていてノー コメント、大失望しました。それ以来、私の倉庫に20年
以上眠っています。翻訳もしましたが、当時はすべて手書きでした。
 アメリカのもなのにキルトの記事が新聞が書かれたことがない時、「日
本製:アメリカが日本のキルトに及ぼした影響展」の1ページ大の記事が
ーヨーク タイムスに初めて掲載されたこともあってアメリカ人の方が驚
きました。各週間誌にも展覧会評が出しましたが、中でも私
が嬉しかったのは 「アメリカ人の血のにじんだキルトがひとたび海を渡
るとアメリカ人を超える。これから我々は何を追及するべきか考えさせら
れる展覧会である」 と評されたことでした。

 輸送はKライン、カタログは凸版の協力で可能になったこともラッキ
ーなことでした。写真は小川隆之。印刷提供は凸版の協力です。

      
 左)キルト公募展の審査員たち。マイケル・ジエムス、ヴォーグ社の社長、池田満
寿夫、野原チャック、小林恵、福田繁男。その後、新井純一、ウイットニー美術館で
アメリカのキルトをアートとして展覧し、アメリカのキルトムーヴメントを作ったホ
ール
スタインも参加し、毎年作品がどんどん良くなって、キルターも燃えていた時でした。
生徒の多いキルトの先生たちが審査員になるとビジネスになると、私を含め、私

選んだ審査員全員首になりました。今は昔の話です。

 右)PHPから出版された時の「アメリカンキルト」の出版記念会。山根基世、新井純一、
小林恵、福田繁男。

 1970年の初め、アメリカーナが無視されていた時からアメリカンキルト
を愛していた猪熊さん。巡り合いを感謝いたします。

 アメリカ人の暮らしの文化を日本の方々に知らせてくて、私が愛情込め
て探し求めたアメリカの生活文化を、早くから先見の眼で発掘し、心から
愛し、暮らしを楽しんでいた猪熊さんにこのシリーズを捧げます。

 


猪熊さんの愛した我楽多たち(6)

2010-08-11 04:40:51 | 

       王様のいない国, 庶民の暮らしの美

 "アメリカに来てからアーリーアメリカンが好きになり、アーリーアメリ
カンの美を学び興味を持ちアーリーアメリカンを集める事になった" と
おっしゃる猪熊さん。我楽多まで好きとおっしゃる其の辺がとても共感
してしまう。
                    
                                  
    
         嫁入り道具を入れた箱 p.14 「画家のおもちゃ箱より」猪熊弦一郎著 
                          写真:大倉舜二 文化出版局1984年 

 -「アーリーアメリカンのものでも、高級で貴族的なものと,庶民的で
プリミティブなものと2種類ある。もちろん私の好きなものは後者の方
で、手の切れるような美しいものもいいが、長い間使い古した、虚飾を
抜きにした人間らしいものの良さはどうしても見捨てがたいものがあっ
た。」

  -「古い昔の教会を買って商品を並べていたおじさんの店で、ある
日そこで南北戦争時代の箱を買った。おじさん曰くこれは当時嫁入
り道具を入れた箱だとかで、両脇に皮の提げ手がついていた。
 底には南北戦争当時の新聞が敷いてあって、内側にはペン字の練
習した薄い紙が貼ってあり,
外側は当時の壁紙で仕上げられている。
さらに私の眼をとらえたのは、当時の雑誌か何かから切りとった、ファ
ッション絵の婦人像のある可愛いデコールが、ふたの裏に何のてら
いもなく貼られていて、実に美しいものであった。私はこの箱を求め
てコネティカットで買った小物やミューヨークで買った古い玩具など
のコレクションを入れることにした。」ー

 -「私は静かに聞こえてくるこの箱の中に住んでいる南北戦争当時
のイメージとともに、コネティカットを訪ねた当時の懐かしい思いでの
香りが、次から次に私の頭の中に帰ってきて、本当に今日は一日幸せ
であった」-猪熊弦一郎 「画家のおもちゃ箱」より
    

      
           私のガラクタ: 小さなアンティックの箱の引き出し

 この引き出しの中には猪熊夫人が探して歩いたビー玉があってそ
れを改めてよく見るとガラスが早くまとめられず、スムースに巧く球に
ならず、そのあとがついていて、へたくそが何ともいえず可愛いらしい。

    写真:私のガラクタ人形            単語を覚える子供用カード

 私の部屋のどこかに汚れた日本人形が飾ってあったことが在り、そ
の日本人形を見て、「汚い人形ねー、恵さんお風呂に入れてあげなさ
いよ」 と叫んだ。明治時代の貧乏人の汚い人形はペンシルバニアの
アンティック
屋で買っものだ。名前はうめちゃん。いかにも汚れていて、
人形を愛していた前の持ち主の望郷さえも感じさせるせつない人形だ。
 写真の下の方にいる瀬戸物で出来た3センチぐらいの小さい人形は
フローズン シャーロットと言って南北戦争前のものだ。ウールの洋服
も風化して穴だらけ,ボロボロ洋服をまとっている。
25年ぐらい前で
$25ドルもした。一緒にいたカメラマンが 「恵さんは殆
ど気狂いだなー」 とぼやいていた。
       
        フローズン シャーロット(全身が陶器の人形の名前)
 一番後ろのプラスティックの寄り眼人形は、まっくろによごれ、5歳位
の子供がフリーマーケットで、もう卒業したおもちゃを一人で売っていた。
[いくら?] と聞くと25セントと答えた。支払うとその子は25セントとを持
って近くにいた母親に突進し 「ママ!売れたよー」 と報告したのはほほ
えましかった。帰ってからすぐ全身を丸洗いしてあげた憎からぬ私の仲
間だ。
          
          
  人形用乳母車
にはプラントをいれて楽しんでいる。
まだまだ沢山愛らしい我楽多を持っているが、どこかの箱に眠っている。
時代の
汚れも含めて私の大切な友達である。

 6月28日付、朝日新聞のコラムに日本に初めて持ち込まれた乳母車
は福沢諭吉が渡米した1867年、自分の小さい子供に乳母車をお土産
に持ち帰った。その乳母車と同じものが私の「アメリカ人形」(1830年~
1930年までの100年間のアメリカ人形発展史)の中に含まれている。
何かのご縁を感じる。
 その乳母車を1870年(明治3年)慶応義塾卒業の内田勘左衛門が諭
吉から何度も借りて、ほろをつけた人力車を考案。日本の人力車が通
行許可を得たとある。
 来年から住むことになった日暮里の駅を降りると赤い車の人力車が
2台、昔の曳き車姿の車夫が客を待っていた。何かのご縁に違いない。
 私の人生には不思議なご縁がたくさんある。


猪熊さんの愛したアーリーアメリカンのガラス(5)

2010-08-04 11:45:32 | 

    ガラスは可愛い生き物・質素で不安な美

 「一つ一つ手にとって眺めてみると、この固形の生物のような気持
が感ぜられる。不思議な不安の美とでもいおうか、特に可愛がってや
らねばならないような気持ちになる。
ゴージャスでないこの質素な美は私たちにはいつでも必要なこと。
そして何時までもいやにならない永遠の美である。」ー猪熊弦一郎著
「画家のおもちゃ箱より」 p.64 写真:大倉舜二 文化出版局1984年
           

 昔はフリーマーケットにはこの種の瓶がたくさんあって私もいろいろ
と持っていた。太陽に当たると色が変わり、電気の光には鈍く反応し
て美しい。猪熊さんがガラスは生きているとおっしゃるのがよく分かる。
 
或る日変心して好きで集めたのに部屋が狭くなり、何が入っ
いたか分からない小瓶類はバサリと捨ててしまった。
 最近は探したくてもなく、ラッキーでなければ手には入らない。
考古学者の発掘の手伝いをしているおじさんが、日曜マーケットに時
々いて、何メートルも掘ったあとででてきたという古いガラス瓶を並べ
て売っている。手のひらに入る小さな瓶が80ドルもしていた。

左:ニューヨークのフリーマーケットで   右:私の愛用しているピッチャーと瓶たち。

 並べてみた私のオイルランプたち。リンカーンのドレープとか、雄牛の眼とか名前が
ついているものもあり面白い。ランプをこうしてたくさん並べるとあまり美しくないと思う。
明りを照らしてもらうために作られたものは、一つだけ、一人ぽっちが一番美しい。

 
 
私は特にオイルランプが好きでたくさん持っている。それぞれに味が
あり、姿のバランスがよく、シンプルなデザインは本当に美しい。
 
ローソクからラード、クジラ油、ケロシン、ガス灯、電気えと明かりの歴
史はアメリカの暮らしの歴史でもあり、特にケロシンランプは実用性ば
かりでなくデザインも登録されていて限りなく種類がある。装飾過剰なヴィ
クトリアン趣味のものはガラスの場合、むしろ醜いと思う。
 デザイン性があり、どこかに一つあるとシンプルなランプはどんなインテ
リアにもマッチして人々に語りかけてくれる。
 お店に3個あると、どれにしようかと迷い、どれもいいなと思うと多分私
とあって嬉しいのだろうと、いつもまとめて買ってしまい、150年も前のラ
ンプが同居人となり、いつしかたくさん集まってしまった。
 若いころは薄暗いランプの明りで食時をするのも楽しかったが、今は年
齢のせ
いか暗い所で食べるんは美味しくないのでやめている。
 キッチンの棚の上であまり見られることもなく、褒められもせず、明りを
ともされることなく皆で眠っている可哀想なランプたちだ。
 ある日ふとお店であったコレクターの家に行って驚いた!
ロフトの周りが全部何段もの棚、何千個ものコレクションだ。殆ど見たこ
ともないものが多く、説明は美的センスよりも歴史的で大変に興味深い
ものだった。私はランプの姿が好きで増えていっただけの理由だったが、
その後購入はやめた。まとめてランプたちをみると美しくないからだ。
 暗い部屋をポット明るくしたランプは、明りをともすことがなくても部屋に
一個だけが美しい。