日本製:アメリカがが日本のキルトに及ぼした影響展のこと
忘れえぬ展覧会はアメリカの産業革命の発祥地、ローエル市の市長が
その日をローエルのキルト デイと新聞に発表してくださった記念すべき
展覧会でした。アメリカの原動力となった大量生産でのキャリコが普及
し、安いキャリコが原動力となってキルトがアメリカ中に広まりました。
ニューイングランド美術館はなが年のキルターたちの夢がかなって、キル
ターたちが自分たちの力でたち上げた美術館です。おめでとうと電話した
ことから、{この美術館で何かしてください」と話しが進み、企画するこ
とになったものです。
アメリカンキルトの影響展が日本からやってき、歴史的と言われたた
展覧会になりました。
この展覧会はカタログを凸版、多くの会社経営の友人たちから在庫品の
ご寄付を頂き、6万ドル以上の商品をニューイングランド キルト美術館
に寄付しました。特別輸送も美術館までKラインが届けてくださいました。
信じられないようなことが皆さまの後援で可能になったものです。
今,考えると夢のように参加する人たちも含めて皆の情熱が込められて
たことでした。
「日本製:アメリカのキルトが日本に及ぼした影響」展 資生堂での
ご挨拶パネル・原稿
昨年の夏から今年の夏にかけて、アメリカのニューイングランド キルト
ミュージアム、ニューヨークのジャパン ソサエティ、サウスハンプトンの
パーリッシュ術館の3か所で 「MADE IN JAPAN・AMERICAN
INFLUENCE ON JAPANESE QUILTS」 展が開催され、日本の女性によって
製作されたキルトが紹介されました。
アメリカでは自国の伝統的フォークアートであるキルトが日本に浸透し、
日本的に解釈され表現されていることに、素直な驚きと感動の反響が
あり、展覧会は大成功いたしました。今回は、その作品を日本でご紹介い
たします。
ザ・ギンザ アート スペースでは1975年3月に、日本で初めての
キルトの展覧会を開催し、日本ではまだポピュラーではなかったアメリカン
キルトを紹介いたしました。
16年を経た今、今度は日本の女性によって製作され、キルトの本場
アメリカで展示され評価を得た作品をご紹介出来ますことは、非常に
喜ばしいことです。
展覧会の開催にあたり、ご協力いただきました川崎航空サービス株
式会社はじめ多くの方々に深くお礼を申し上げます。
また、アメリカの展覧会の企画から開催まで、おひとりで尽力された、
アメリカ生活文化研究i家であり 「アメリカンパッチワークキルト事典」
(文化出版局)の著者である小林恵さんに心より敬意を表したいと思
います。
1991年12月 資生堂 企業文化部
企業文化部が話しを聞いただけで内容を把握し、長く日本を離れて
る無名の女性にバックアップして頂いたことは望外な喜びでした。
カルチャーを把握している企業のトップとめぐりあった倖せを皆さんと
分かち合いたいと思います。山田さんは引退した後、資生堂ザ・ギンザの
歩みを著作に残しましたが、非売品の本でした。企業のトップが斬新な
アイデアで推し進めるヴィジョンがあればこそのザ・ギンザでした。
この本を読んで感じつことは、私という主語がでてきません。山田さんな
ればこそと思うのですが、それに協力している資生堂の文化的姿勢も
感じられ、会社とはなにか、指導とは何か、リーダーシップをとり、影響力
を作るビジョンを持つ総明なアイデアなどを、皆さんにも読んでいただきた
い本です。20年前、アートスペースでのキルト展での山田さんのご挨拶文
を分かちあいたいと思います。
「展覧会のオープンおめでとうございます。みなさんが丹精込めて作っ
た作品が、素晴らしい企画によって、アメリカ国内に続いて日本でも紹
介されることになり、私たちの会社もそのお手伝いをすることができ、
心からお喜び申しあげます。
ご承知だと思いますが、1975年、ザ・ギンザをオープンするに当
って最初の企画として [アーリーアメリカンキルト展] を催しました。
今ほどキルトが知られていなかった時、多くの人たちに楽しんでいただ
きました。
その後も展覧会はいろいろな企画で続けていますが、そのうちの「ア
メリカ生まれの人形展]と「ダイム ストアグッズ コレクション」の2つは、
小林恵さんのアイデアで実現しました。長らく米国で生活していらっしゃ
る小林恵さんらしい企画です。アメリカ文化、しかもそれは、お気付きの
ように、ごくごく普通のアメリカ人の日常生活の中で育まれた文化という
べきものをピックアップして、展覧会として花咲かせたのです。「 キルト」
にしても同じです。
ただ、今回の企画がいささか違うのは、展覧会のテーマがキルト作品
であるのは勿論ですが、キルトを通してかわされた日米の人たちの間の
のコミュニケイションそのものが、もうひとつのテーマであったことです。
200年余の米国の歴史の初期、女性たちがひと針ひと針縫いあげたキ
ルトに、アートの光が当てられ、それがいつか私たち日本人の女性の目
をひき、感動させ、やがて同じ様に針をとらせた、その影響力、美しいも
はすべてを超えて美しいのです。この場合、まさにキルトによって国境が
なくなったのです。
かつて遠い昔アメリカで生まれたものが、1990年代のいま、日本女性
の感性で、“メイド イン ジャパン”のキルトアートとなって帰ってきたー
アメリカ人たちが心を震わせて感動したというのも、うなづけることです。
こには日米摩擦も、真珠湾50周年もありません。あるのは飾りのない
真実の美しいコミュニケイションです。
みなさんの作品が、ニューイングランドの「キルトミュージアム」 で初め
て紹介され、その後、ニューヨークの 「ジャパンソサエティ」、サウスハン
プトンの [パリッシュアート ミュジアム」でも、たいへん評判だったと聞き
ました。実にピュアな話だと思います。
日本でのこの展覧会が、同じような意味の大成功を収めるだろうと信
じています。作品を作ってくださった皆さんに、改めてお礼を申し上げます。
そして小林恵さんにも。
1991年12月5日 山田勝巳
株式会社 資生堂 取締役
株式会社 ザ・ギンザ 取締役社長
1991年シェルバーンキルト展が横浜高島屋で開催された時、NHKが
1時間番組で紹介してくださり、当時の司会者が山根基世さんでした。
キルトとアメリカン・ラグ:フックドラグは同じ時代、同じ目的でアメリカ
で作られたアメリカを代表するクラフトです。
山根基世さんはアメリカン・ラグを作っていますが、投稿してくださった
日米ラグ展(ミキモト:2009年1月)の作者たちからのコメントを読んで
いただければとおもいます。
参考:「小林恵のNY通信」2009年「日米フックッド・ラグ展」
3月22日付、3月16日付、3月15日付
猪熊さんがおっしゃっているように
ー「美はいつも金銭とは何の関係もない。お金のかかっていないものが
より美しく、より生きているものである。美は他の対照から生まれるとも
言えるし,相反して生れるとも言える。常識的集合の中に思いがけない
異物がいりこみ、けろりとしていれば、もうそれは千年の友である」-
「画家のおもちゃ箱」より 猪熊弦一郎著 文化出版局1984年