小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

ああ美しい!日本の旗は

2016-09-14 17:41:00 | 暮らしのジャーナル

日の丸の旗

「白地に赤く日の丸染めてああ美しい!日本の旗は!」 
シンプルなデザイン、白と赤の対比の美しさは格別。オリンピックでほかの国と比較しても日本の旗は美しい。

しかしこれは公平な意見ではなく、それぞれの人が自分の国に込める愛国心が加わる。
デザインの美意識だけで はない。アメリカの国旗大好きの長くアメリカに住んでいた日本の友人がベッドにアメリカの国旗
を掛けたら アメリカの友人はむっとし、「なぜアメリカの国旗がベッド掛けなんだ!日本の国旗を使えばいいのに」と言った。

好き嫌いでなくその国に対する敬意が大事な事。

              
縦が横の2/3の長方形、日の丸の直径は縦の3/5,中心が旗の中心。この対比も美しさ!このデザインへの感嘆は
永久不変だ。それぞれの国民が自国の国旗が美しいと思うのかと思うとそうでもなかった。デザインを超えて大議論になった。
 心地よい議論でなかったのは国の強さが根底にあるらしい。我々がデザインしたのでないからやめようと誰かが言った。
外国ではかなりセンシティブな話題となる。 

日本国旗の制定日は明治3年(1870年) 2月2日。紅花で染めた赤使用。アメリカの赤もコチニール赤係と決まっている。

日本の大漁旗も美しい。大漁!大漁!恋女房の待つ港へ風を切って帰る。理想的夫?女性たちは重労働で家を守った。
アメリカの漁師は船の中で妻へのお土産にフックド・ラグを作った。
夫は元気で留守がいいと言ったのは誰だろうか。

パラリンピックは本当に勇気をもらった。可能性と一生懸命は無条件に心を打つ!

      
 


 

 


良くなりたいと願う願望

2016-07-29 16:15:30 | 暮らしのジャーナル

 誰でも良くなりたいと望み、誰かの役に立ちたいと願う

 熱中症で自分がわからなくなり、5カ年もホームに入っていた大好きな姉が亡くなりました。
 その数日前、もう食欲も、自分で噛むこともできなくなった姉の流動食を1時間半もかかって口に流し込んでいると
「僕が変わります」とヘルパーさんが代わってくださいました。まだお若い男性がどうしてこんな仕事を選んだのか不思議に
思って訪ねると 「僕はプログラマーで朝から夜中までコンピューターの前に座ったままでした。人と話したい!生きている人の役に
立ちたいと思ったのです」
と答えました。 
 死を目の前にした姉の前で多感な時代を戦争で破れた世代の姉を見ながら美しい花も必ず散るのだ、皆必ず死ぬのだとごく
当たり前のことでしたが思いを新たにしました。


                  かなえたい夢もあった
                  変わりたい自分もいた
                  悲しみの向こう側に誰かの笑顔が見える
                  私は何を残したろう
                  花は咲く
                  悲しみの向こう側に・・・・・・・・・ 


 とてもいい歌だと思う。2011年3月11日の2か月前に47年も住んだニューヨークから帰国してショッキングな地震が起きました。
震災は
日本人たちの思考を変えたと思います。もう島国ではない。世界観を持つようになった日本人。
 今私はアメリカ・フックドラグを教えています。お若い方もいらっしゃるけれどほとんどは子育てが終わって自由を得た人たちが集まり
です。 
自分発見の能力を発揮し作品を作っています。下のラグは処女作です。ミキモトでのラグ展に展示したものです。
 100%ウール。100年以上持ちます。私たちが死んでもこのラグの花たちは生き続け、部屋を美しく飾り、人々を倖せ
にしてくれます。

         
               制作:大津律子              制作:奥井周子
         
            
              制作:大久保史子             制作:小林惠               

          
        人を倖せにし、役に立つものを残す・・・ものつくりのすばらしさを改めて感じるこの頃です。

 

                  

                   

 


意識の差

2016-07-19 15:27:39 | 暮らしのジャーナル


暮しのエッセンス 日本とアメリカ 暮しの経験から生まれる世界観…捉え方の相異

      

   七夕祭りは日本のフォークアートとしても視覚的にも伝説的に素敵なアイデアだ。
  東京駅の銀の鈴前にはそれぞれの願いを込めた願いごとが”よろしくねっ” とぶら下がっていた。   曰く
  「痩せますように」 「5体満足の子が生まれますように」 「髪がふえますように」 「早く結婚できますように」 
  「経営が巧くいきますように」 「 楽な仕事がしたい」 「裕ちゃん大好き!」 「世界が平和でありますように」 
  「来月までにやせて水着が着れます様に」 「良い人が見つかりますように」 「素敵な彼と会えますように」 
  「夫が甘やかしてくれますように」 「彼と結婚できますように」 「彼が指輪がをくれますように」

  願いを込めて祈るのは世界中同じ。外国では❤の立体手作りや、歩けるようになると小さな足の摸形を奉納するとか。
  1999年できた紐育のダウンタウン、チャイナタウン近くの美術館のコンセプト、有名でなければ美術館展示は
  しないという伝統を破り権威主義を無視し、民衆に開放した一般参加型民主的美術館、”NYC NEW MUSEUM”
  で展示された”心を込めて”のリボン展。各自の希望を紙に書き、眼の前で即時リボンに印刷。
  リボンに希望を乗せた画期的展覧会では

  「アメリカに新時代がきますように」 「アブガニスタンに平和が来ますように」
  「人々が学びながら暮らせますように」 「USAはほかの国と戦争をしませんように」 「HIVが世の中から消えます
  ようように」 「地球の何処でも暮らせるように移民という言葉がなくなりますように」 「「どこかにより素敵な縁がある
  ことを望むのはやめたわ」 「どこでも暮らせる独立心を持ちたい」 「NYで暮らしていけますように」 「NYで成功
  できますように」 などなど。このリボンが美術館壁面いっぱいに飾られた。最後の日には皆に渡された。

  

   2015年アメリカのタビーキャット108匹展を谷中の延命院で開催したとき、そのリボンは生徒たちの猫ちゃん
  の首を飾った。
  
  猫制作・和田知佳                          猫制作・斉藤智恵子
   
  猫制作・三宅愛子                         猫制作・植田美和子

 

  

  

  
   

   

   

 

   


ねむの木学園、宮城まり子さんのこと

2016-06-05 07:29:02 | 暮らしのジャーナル

最近感動したこと

 ねむの木学園の創設者、宮城まり子さんのことは私が帽子のデザイナーで独立
したときからの応援団の一人、
故・山岡久乃さんからたびたび聞かされていた。

 先日銀座画廊でねむの木学園の展覧会を見た。まり子さん指揮する子供たちのコーラス発表もあった。
”百聞は一見にしかす”一生懸命体を張って歌う姿は上手なばかりでなく、心から感動した。
ねむの木学園ができたあとニューヨークにも子供たちの作品をもって展覧会をしたことがある。
アメリカ人たちも大感激であった。

 私は1964年、オリンピックが東京で開かれる前、今は無き慶応病院の裏の二宮荘にアトリエを持ち、
神宮競技場の屋根を葺く槌音を聞きながら最初の海外旅行が自由になったその年
の4月、何かを求めてすぐ決心、渡米した。

 夢中で働いたニューヨーク生活とほぼ同じ年月の間、宮城まり子さんは人を助けるために働いていた。
人の助けを必要な人に手をさしのべ、成長した子供たちが今、人の心を捉えてやまない。
まり子さんはクリスチャンだ。まり子さんは神様が応援してくれているに違いない
人類愛と心から吹き上げる
愛の泉を持っている。

 誰でもが何かの才能があると私も信じている。しかし、自分で肥しをあたえず、花咲かず、不幸を背負って
人生を終える人もいる。
 ・・人類愛・・・今私たちが学ばなければならない事、手を差し伸べることをまり子さんのねむの木学園は教えてくれる。

 感動的で有意義な1日であった。

                                                                            

                                 
 

 


谷中のお墓に集まる猫ちゃん

2015-05-01 13:56:45 | 暮らしのジャーナル

      お墓に猫を捨てる人。お墓で生きる猫たち。食べ物を持って毎日通う人たち。猫は何にも言わないけれど。

      美しい公園で日々是好日

      
           日蓮宗の母は子供の時から日蓮上人のことを話してくれ、世の中に役に立つことをしなさいと話していた。
      偶然で日蓮宗が多い谷中に住むことになりお墓の中を散歩しながらときどき立ち止まり、”なぜ私ここにいるのだろう”と
      不思議な思いに浸る。立札を読み墓石の年代や形をよく見て歩くのは楽しい。小鳥がさえずり、花々が咲き緑も多く、車のない
      墓地の路地は何時間歩いても退屈しない。梵語が彫られている丸棒形のお墓は、シンプルで力強く不思議な美しさがある。
      
      猫たちは食事を運ぶ友人の紀子さんとたか子さんの足音でわかるらしくどこからともなく集まってくる。
      
      がつがつと食べる風でもなく、自分の場所があるらしく、にゃんとも言わず静かに食べている。
      
      
      イケメン猫もいるけれど、シニアの猫もいて心が痛む。
      
      大石内蔵助が仇討の計画を秘密裡に練ったという観音寺、境内で不死身のラグ猫を添えると境内が楽しくなるから不思議!
      お寺によって写真は ”ダメ!”というところもあって日本の摩訶不思議。アメリカでは霊園で写真撮っていると ”Enjoy!とニコニコ。
      墓石はぬすめないし、お城の塀にするする権力者もいないし、歴史上の子孫の記念写真かもしれないわね。21世紀でも宗教の
      非寛容で戦争にもなるし・・・可愛い猫ちゃん、宗教じゃなく人間によるの。ごめんなさいね。お寺に飾るとラグ猫ちゃんも誇らしくなる
      から作り甲斐もあるわね。日本には公園が少ないから、解放してくれるお寺に感謝感謝。
      
      19世紀にアメリカで大人気になったタビーキャット、元はエッチングだったけれども作者たちの入魂のラグ猫を100匹以上
      今制作中。乞うご期待! 個性があってとても楽しい。谷中のお寺に奉納するの? え? それはちょっと可愛すぎてありえないと思う。
      
      家の隣りにある小さな小さな公園,毎日この場所で寝ている。何かあげてもお世辞を言っても知らん顔。
      リードをつけられてなるがままの猫もいる。”花のように、生きる” 色即是空、禅の世界かな?

  

 

      

     

     

     

     

     

     


猫の街,谷中

2015-04-13 21:26:43 | 暮らしのジャーナル

     猫が多い。猫グッズを売る店も多く、軒先では猫の彫刻が人々を眺めている。    

     外国から谷中にやってくるツーリストが多く、”猫の店がこんなにたくさんある街は世界のどこに行ってもないですね-”
     といっていた。谷中の墓地に猫を捨てるらしく昔から何百という猫がいたという。現在はNPOが猫の面倒を見ている。
     性病も蔓延するのでほとんどの猫は去勢され出産はないそうだ。しかし捨て猫も多いので、過疎にはならないらしい。

     数年の補修工事から完成した朝倉彫塑館は日暮里駅近くの谷中墓地に接近していて有名な朝倉文夫の猫の彫刻がある。
     日暮里の西口、谷中の御殿坂の入口にある本行寺(1526年建立、1709年現在地に移った)奥には一茶の
     「陽炎や 道灌殿の物見塚」 や山頭火(1882~1940)の石碑 「ほっと月がある 東京に来みる」の石碑があり入口の
     の横には猫の石像付猫墓がある。
      
             
           本行寺の山門の右側にある猫の石像。  谷中散歩では至る所で猫にであう。猫ちゃんはフアンに見つめられ谷中を謳歌している。
                       
           谷中銀座には芸大の生徒たちが作ったという猫の彫刻が至る所にある。近年オープンした谷中で一番素敵な建築物、
                      Yanaka Red House,
ボタンギャラリーのドアの前にやはり芸大生に注文したというブロンズの猫が常駐している。
            
                 
                             
                 
                 人々は
犬派と猫派に分かれ、犬はギリシャ神話のプルート、冥府の神様、天文学的には冥王星。
           猫派はギリシャ神話のゼウス、天文学的には木星。それがどうしたということはわからないけれど・・・

           動物扱い者の統計によると、
           犬は忠実、直接的,親切,忠誠で役にたつ。人の助けをする。人間とチームワークをすることが出来る。猫よりも社交的。 
           猫は優雅、鋭敏、独立で聡明、相手を考える。ミステリアスでトレイニングもできるけれどほとんどが気まま。
           分析は飼い主のパーソナリティと相性によるらしい。 人間もいろいろだから、おみくじの説明ぐらいに思えばいい。
          犬、猫で人間が喧嘩することもない。ところで、犬と猫が喧嘩しているのを見たことないから問題提起は人間らしい。
          犬の街というの世界にあるのかしら?         
       


感じ方の違い。人さまざま。

2015-03-30 21:13:59 | 暮らしのジャーナル

            可愛いい!と美味しい!言葉の津波

           毎日この言葉を朝から夜まで何度テレビで聞くことでしょうか。赤ちゃんは可愛い。美人やイケメンでなくても無条件にかわいい。
          お化粧をしたり、つけまつげをした少女など、学校に行かないで高価なモデル用洋服を母親と一緒に買っているのを見るのは豊かさでなく
         
知性のなさを見るようで寂しい。若い子は何もしなくても美しいし、人生の中でもとても大切な学びの時期だと思う。可愛い対象ではないと思う。

         学生は勉強で、子供が群がって買い物をしている姿などニューヨークでは見たことがない。公共放送の朝番組で朝から美味しいい!美味しい!と
         
眼をつぶったりして何人もが味見をしているなど、公共放送の映像のシェアとしては愚劣だと思う。日本ぐらいのものでしょう。世界で餓死している子供が
        沢山いることを忘れないでほしい。

     ニューヨークレストランスクールで学んだことは味覚はセックスと同じでそれぞれの人の育ち方や感じ方は違うので、ただ美味しい美味しいというのは知的な
     批評ではないと。ユニークな批評をするべしと。

     先日私の前を父親と歩いていた子供のユニークなこと、思わず ”可愛いわねーッ”と声を掛け父親に「誰がこの子の洋服を選ぶのですか?」と聞きました。
     父親は「お母さんです」と別にという話し方でした。「なんてかわいんでしょう!」「あ、そー」と父親はソッけなく言いました。
     日暮里駅のそばで 「バイバイ!」とその子に言うと立ち止まり、白目を出してアカンベーをされました。
     かわいい!
すごくユニークで個性に満ちていて嬉しくなりました。
           

        手には流行のロボットを持っていました。かっこいいこの子の将来を楽しみにしています。
        
          

                                        
     今フックド・ラグで作る猫のブリーダーをしています。すごく面白い。作る人により個性が出て目がうまくいかなかったという人の猫の方が
     個性が出て面白いです。美人猫よりもグーンといい。家の前を通る人のリアクションが見たくて玄関の前に数匹おいてみました。
     モニターで見ていたのですが、立ち止まる人、あっ!と口を開ける人もいたけれど、お寺巡りの人たは見ても何も感じないで通りすぎましたた! 
     私は家の中でモニターを見ながらアカンベーをしていました。感じる人、感じない人。見る人みない人。人さまざま。 
     お願い。 可愛かったら可愛いといってねッ。フックドラグの彫刻猫ちゃんたちも聞こえるのよー。勿論生みの親にも。

                                                       
     谷中猫産院フックド・ラグ
クラス。生まれる前からむちゃくちゃ可愛いい。皆にやにやしながら作っています。そして感じることは生徒も観察力のある人
     はうまい!感じない人は失敗しでも訂正しません。
     忘れないで欲しいことはプロは満足するまで何度も何度も何度もやり直します。素人は自分に甘いのです。フォークアートですからそれも楽しいですが、
     生徒たちもそれを少しは学んでほしいと思います。
                                   

                                      
”かわいい!” といってねツ
                                                       
  



   



 

 

 

 


イメージの不公平・報道の自由というのはおかしい

2015-02-13 18:23:34 | 暮らしのジャーナル

戦争は絶対にいやだ!

異教徒であるために迫害を受けたアミシュの人たちは自由を求めてアメリカに移民した。自給自足で自然とともに生きる
アミシュは国の命令でも
戦争にはいかない。自分たちで責任を持って生きる。国の援助もいただかない。当然年金もない。
競争の加担もしない。虚栄心が目覚めるので鏡を持つのはご法度。女性はお化粧せず男女とも
ルックスに対して厳しい戒律を持つ。
迫害で受けた暮らしの哲学なのだろうか。

人を不幸にしたり不愉快にする、特に見た眼で視覚的に差別するのは報道の自由とはいえない。
エチケットの問題で、それが漫画であろうともルックスを嘲笑する
のは全くマナー違反とおもう。
戦争にマナーなどないから、戦争は終わらない。

反っ歯のことをウサギの歯という。岸首相がアメリカを訪ねた時、
ニューヨークタイムスに岸首相の写真説明に’兎ちゃん歯の岸首相’とかいてあったり、田中首相の膨れたワイシャツのお腹の
ボタンが外れている写真が大きく出る。両方とも他愛なくて可愛いともいえるけれど、優越感も劣等感も同じく怖い。

偏見の囁きあいはどこにでもある。

理由が何であれ戦争はあってはならない。

                                 
                       戦争中のプロパガンダ イメージ。
             

           戦争はしないと誓った日本人。原爆経験、世界唯一の発言権を持つ日本人。何処かが狂い始めている。
                         
                  
   平和憲法を守ろう。署名運動に参加しましょう。
                   参考写真・www.nationalww2-museum.orgより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 


現代の子供よりイノセントな12歳。戦争が終わった。

2014-08-11 14:33:43 | 暮らしのジャーナル

消えない記憶

 満州の原野に送るというクロバーの種を出来る限り集めることが夏休みの宿題であった。石狩川の堤防を歩き炎天下、クロバーの種を集めていたのは、敗戦の数日前8月の初め、小学校6年生の夏であった。

 6人家族の家にいたのは母と私だけ。父は満州、兄は学徒出陣でアッツ島へ、姉二人は工場や農家にくり出されていた。空襲警報!低空飛行を繰り返すB29におびえ、夜はローソクの火で食事をした。何を食べたか覚えていない。美味しいものを食べたいという願望も勿論なかった。

 数日後広島に原爆が投下された。何が何だか理解できなかったけれども、光を吸収する黒い洋服は放射能で丸焦げになるので本日より皆白い洋服を着ること、という学校からの命令があった。上級生の私は各自の玄関前にたつ下級生を拾って、長い1列を作って登校していた。全員綿の入った防空帽を背中にしょって無言で歩き、校門の横にある二宮金次郎の銅像に「礼!」と号令を掛け、最敬礼をして校内に入った。なぜ?という質問が許されなかった当時、皆静かに従った。先生と言える尊敬に足る人物は探してもいず、体操時間で男の先生は生徒の耳を引っ張って生徒を動かしたり、遅い子を皆の前に出して二人の頭と頭を力一杯ぶつけあうようなことを平気でやっていた。21歳の若い受け持ちの女性の先生は気にいらない子供がいると後ろから頭を机の上に思い切りガーンと額をたたきつけるようなことをしていた。いじめはいつの時代でもあった。

 8月15日敗戦の日。校庭に全生徒が集合し天皇陛下の玉声を直立不動の姿勢で耳を傾けた。

 戦争が終わった。

「戦争をやめよう」と言えた人がいたことに感動した忘れえぬ日であった。

 


                                
              

 1946年、最初の原爆の成功を祝う祝賀会での原爆ケーキ。1980年代、ミセス連載用の「大統領の食卓」執筆でワシントンの国会図書館でリサーチしていたときだった。

                   初めて見たこの写真にショックを受け考えさせられた。 頭が帽子のスタンドになり、人類を震撼させた原爆もケーキのサブジェクトになる。 

                   

                飽食も戦争もあってはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


庶民にも根ずく日本の伝統: 家紋

2014-03-31 13:34:46 | 暮らしのジャーナル

 

どこにでも転がっているグッドデザインのメッカ・日本

 ニューヨークに訪ねてくる日本人の多くは 「日本は本当に特別でユニークですから・・・」という人が多かった。
そのたびに 「そうかしら」 と考えることが多かった。しかし
3年前ニューヨークより帰国して考え込むことが多い。

 日本中どこにでもあるグッドデザインは、背中を見て一生をかけて到達した人たちの無駄のない匠の世界に裏付けられている。

 今私は谷中に住んでいる。谷中の面白さは庶民の町であることだろ。お寺や墓石に見る日本の紋章デザイン、極限まで簡素化された美しいデザインの数々に感動する。

本で見るだけでなく、実際の生活に溶け込んだ家紋のデザインが墓石に刻まれてある。谷中の墓めぐりは楽しい発見の散歩だ。

オリジナルサイズオリジナルサイズ

 複雑なデザインよりも単純なデザインの方が注意を引く。紋章は国や風土、歴史など象徴的なデザインで表現され、外国ではライオンや一角獣、双頭の鷲などロイヤルデザインは命を懸けて複雑で手の込んだものがおおい。
西洋では都市や騎士団、修道院やギルドなどの特殊階級だけ家紋を使用した。日本の家紋は、13世紀はじめ貴族の牛車を識別するためにつけられ、一族の紋章は厳格な階級制度の産物でもあった。平安時代、公家社会に起こり武家社会に広まり、一般庶民の家紋になったのは江戸時代後明治になってからだという。日本の家紋には411種類以上、5,000以上の種類があり、現在では2万近くあるとのこと。

 日本の家紋ほど単純で明快なイメージないと思う・ 谷中は江戸時代の庶民の町なので豪華版はない。法華経のシンボルが橘とわかって以来、何度も歩くお寺の墓の家紋をあらためて絞り見て歩いた。

 よく見ると墓石の家紋が凸で彫ってあるもの、凹はどうも古い墓石にはないことに気が付いた。まだ谷中にたくさんある石屋さんに聞いてみると、凸は家紋のデザインばかりでなく墓石平面全体を削らねばならないので高価になるので現在は誰も作らないという。各家族の手うち水桶にはどの桶にも家紋がついている。家柄を誇るよりも牛車の識別と同じようにわかり易いというシンボルの効用だとおもう。すごい!やはりユニークと言える。



ニューヨークの思い出(マンハッタンの広告から)

2013-12-14 20:47:19 | 暮らしのジャーナル

 日本の広告も面白いとおもう。でも残念ながら眺めて立ち止まり、写真を撮りたいという時間がない。最近何千枚も撮ったNYの写真を整理している。 しばし一緒にマンハッタンを散歩してください。




美しいADって本当に沢山あるわね。でもマンハッタンのダウンタウンで、うんここだ!と場所を得た処なのね。
消してしまおうかなと思う写真も歩いていた時を思いだしてとても楽しい。
少しも面白くない?そうかなー。皆意識しないで歩いているの。文化はそんな積み重ねでアイデアが練磨されるのでないかしら?
何千枚もあるから、面白かったらコメントいれて下さいね。恵

 

 

 


日本の銀行とアメリカの銀行

2013-06-16 11:26:24 | 暮らしのジャーナル

   まだ東京の生活になれず戸惑うことがある。

 先日銀行で長い間またされた。人々を観察しているとき、太ったおじさん風の人が近くの椅子にに座り紙袋から15センチぐらいの厚さの1万円札束を取り出しだし、裸札を膝の上においたままま順番をまっていた。紙袋から札束をだすのはパチンコ屋か、またはスーパーのマネージャーか。しかし、特別なことでないらしく、誰も注意を払う人もない。これで本当に何事も起こらない日本は素晴らしい国だと思う。

 これがニューヨークだとどういうことになるのか。まず第一に銀行で札束を見せて座る人はいない。客の待合室と銀行窓口には分厚い防弾ガラスで仕切りがされ、5センチx20センチ位に開けられた窓口とその上に会話するドットが空いているだけだ。セキュリティはたぶん防弾チョッキを着ていることだろう。大枚の現金を貯金する人は常識として裏側にあるオフイスにいく。

 銀行泥棒とマシンガンなどはもう古臭い。24か国にわたり、世界中の36,000の銀行から40ミリオンが10時間以内にATMからひきぬかれ事件があった。地下組織によるスピード サイバー クライムだ。

 1969年に初めてケミカルバンクがATMを開設した。広告には「閉店しないバンク」だった。ほくそ笑んだのは銀行泥棒だったに違いない。
2011年の調査によるとアメリカの5大バンクはチエス バンク(JP Morgan Case Bank),バンク  オブ アメリカ(Bank of America)、シティ グループ
(Citi Group)、ウエル ファーゴ(Well Fargo)、ゴールデン&サックス(Golden & Sucks) 
この5大バンクの資産はアメリカの経済を動かす金額と同じだと言われている。しかしこれは2011年のインフォで猫の目のように変わる現在の経済はどうなのか。

 長く住んでいた72丁目、ブロードウエイの交差点にあるアップルバンクは現在マンハッタンに数カ所のみ残っている20世紀になるころ建てられた豪華バンク建築である。アップルバンクの外壁のまわりにあった豪華版の街燈がある日忽然となくなった。噂ではアンティークやに売り飛ばされたとか、盗まれたとか、誰もわからない事件が起こったのは70年代の初めだった。現在も石つくりの外壁から鉄を引き抜いた丸い穴が回りに残っている。

近くに行った方は中に入ってぜひみてほしい。アメリカの経済の変遷、時代の変遷に感慨無量になることだろう。

                                 
             72丁目ブロードウエイにあるアップルバンク     ダウンタウン金融地区にあるイサム・ノグチの彫刻