小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

 「夏の終わりに」

2006-10-13 23:27:19 | ニューヨーク暮らしの日々


ニューヨーカーの眼 
 セントラルパーク、72丁目の入り口を入るとすぐイマージンの広場
があり、ニューヨークツアのバスもストップする人気の場所だ。
 私の日課、パークの散歩はその入り口を通過することが多いので
いろいろなことに出くわす。イマージンのモザイクの回りには3方に
ベンチがあり、みなゆっくりとひと時を楽しんでいる。

 若い女性二人が菊の花束を抱えてやってきた。花をモザイクの上
に置こうとすると、自称イマージンの守り主(自発的行為から寄付を
集め、最近は自分の権利と思っているらしく賽銭箱も作っている)が
「へい!私の許可なに花などおかないでくれ!」と正面のベンチから
怒鳴った。
 「私たちレノンのファンで花は自由におけると思っていたわ」というと
 「その花をおいていけ。俺が飾ってやる!」と付け加えた。そのとき
向かいに座っていたヒッピー風おじさんが 「何を言いやがる!広場
はお前のものでもないのにそんなこと言う権利はないぞ!」と怒鳴り
立ち上がって殴りかけようとした。(ゼスチュアだけ) 
二人の若い女性はびっくりして菊の花をおいて立ち上がった。
 横にいた守り主のワイフ(一日中二人は犬と一緒に座っている)は
 「あんた間違っているわよ。彼女たちにさせなさいよ」とかん高い声
でいった。

 殆どその時と同時にベンチに座っている10人位がでてきて菊の花
を女の子と一緒にイマージンの廻りに並べ始めた。

 夏の終わり、ニューヨークの一こま。 私は満足してパチリ。

(自発的に出てきて皆でやっているところを写したが残念ながら足元
ばかりで没)

 


 「コロンバス デイ パレード」

2006-10-11 01:43:24 | ニューヨーク暮らしの日々

 

 
 
イタリア人の誇り

 トレード ルートを開きたかったこと、キリスト教の布教
もかねてのクリストファー コロンバス(Christopher
Columbus 1451年~1506年)の大冒険は、アメリカを発見し
旧世界から社会的、政治的、宗教的な絆を断ち、新しい移
民の国を作ることになった。

 その結果ネイティブ インディアンが皆殺しにされ、彼
らの立場からはコロンバスさえやってこなければと恨めし
いことだろう。 
 ニューヨークのコロンバス サークルにあるコロンバス
の銅像はインディアンから見れば、マンハッタンを25ド
ルでオランダ人に売しまったこと以上に悔しいことに違い
ない。
 
10月の第2月曜日、コロンバス デイは1984年
レーガン大統領によって決められた国の休日である。イタ
リアの伝統文化を誇るパレードは1929年以来の伝統で、
過去にはフランク シナトラ、ソフイア ローレン、パバ
ロッチ、トニー ベネット、ジュリアーニ市長、知事など
一流が参加した。賑々しいこと 「オーそれ見よ」が高らか
に響き、この上なく愉快だ。凄くお金がかかっているパレ
ードで ”我々と一緒に成功しよう” ”スポンサーシップ
は成功の基”と宣伝している。なんといってもイタリアン
のやることはマフイアも含めて、何事も憎いアイデアだ。

 


 「連続殺人事件」

2006-10-08 01:56:12 | ニューヨーク暮らしの日々

         
                                   アミシュの田園風景:高橋仁巳撮影

誰かがやれば勇気が出て真似する心理? 

 5
週間半の間にバーモント、モントリオール、コロラド、ウイスコンシ
ン、アミシュなど,
女性や子供を狙う連続殺人事件が発生した。 
特に戦争や暴力に反対し、戦争に行かない代わりに国家の恩恵も
期待せず、
税金も納めない自治地区のアミッシュ。そこのワンルーム
で学ぶ小学生5人が射殺された事件は、殺人犯個人の問題以上に
政治問題の提起となった。
 
 アミシュはスイスとジャーマンの子孫で、教会を持たず各自が信仰
を持つ宗派で、迫害を逃れ宗教の自由を謳ったペンシルバニアに
18世紀に移住した。現在はランカスターに2万8千人、アメリカ 27
州に渡り20万人のアミシュが住んでいるといわれている。暴力に
巻き込まれないためにアメリかの社会から孤立し、自自足のコミュ
ニティである。電気や車を持たず、近代的技術を拒否し、 見栄厳禁、
自分を誇示せず、競争もしない。
病院も持たず、病人や老いた人
はコミュティが面倒を見ている。家に鍵をかける事もなく、ポリスは勿
論いない。人もうらやむ最も平和なアミシュでの射殺事件は、大きな
波紋を投げかけている。

 新聞にはガンコントロールの声が高まり投書がにぎわった。
 「政治的にガンコントロールが出来ないアメリカは、どこかがおかし
い」 「ガンを自由に持てる国。家庭内や国内のテロリズムを、国が
見過ごしているのは不思議なことだ」 「性とうさ。拷問。政治やビジ
ネスの不誠実。何でも自由の結果はかくの如し。アメリカの社会人
として亡くなった子供たちに責任を感じている」 等の意見の中に 
「学校にガンを備えることは生徒を守るために重要なことである。
生徒たちもプロテクトされていると安心するだろう」 とはピストル・
ライフル クラブの会長の投書であった。開拓時代の自己防衛の弊
害が21世紀に尾を引いているのは信じがたい事実である。

 私は 「アメリかの暮らしの文化を学ぶ旅」 を企画し1900年~
2001年まで毎年日本からの旅行者を連れてアミシュのランカスター
を訪ねた。アミシュの家庭料理をアミシュの家で食べ、一家中でおも
てなしをしていただき、忘れ難い思い出を参加した方たちと分かち合
えた。そのディディ マイヤーさんに電話をする
と 「神様の導きです」
と言葉少なく、沈んだ声であった。しばらく沈黙が続いたあと
「又是非いらしてくださいね」 と明るい声が返ってきた。

 


「東京ローズの死」

2006-10-03 21:53:41 | ニューヨーク暮らしの日々

 
プロパガンダ ポスター:Lester Glassner 提供  写真上:東京ローズこと戸栗郁子

戦争が生んだ悲劇の人

 私はアメリカの第2次世界大戦のプロパガンダポスター展を企画し、
昨年夏ニューヨークのレスター グラスナー(Lester Glassner) 
コレクション:「プロパガンダ ポスター展」を大阪で開催した。其の中
には伝説の人、東京ローズのポスターもあった。その調査中戦争中
のアメリカの大衆心理やPR,アメリカと日本の視点の違い、プロパ
ガンダについて学ぶ機会に恵まれた。   

  ”東京ローズ”
とはラジオ東京から英語でアメリカ兵士をホーム
シックにさせたり、士気を減退させ、武器を捨て投降させるように甘い
声で誘惑的放送をした複数のアナウンサーたちにアメリカ兵士たちが
付けたニックネームである。戦争が終わったとき、4~5人は居た
といわれる東京ローズの中で名乗り出たのはアイヴァ トグリ唯一
人であった。戦争中であったため ”ゼロアワー” といわれる其の
時間の声の証明は出来ず、1949年反逆罪で求刑10年、1万ドル
の罰金が科せられた。夫とも引き離され6年間投獄され、1977年
フォード大統領の特赦で出獄。ドース雅代さんが 「東京ローズ:
太平洋の孤児」という本を講談社より出版している。

 数日前、ニューヨークタイムスの死亡欄のトップに写真入りで東京
ローズの死が報じられた。
「反逆罪と宣告され、東京ローズとして
知られたアイヴァ トグリ (Iva Toguri D'Aquino) 2006年
9月6日死亡。90歳」
の見出しにハッとさせられた。

  記事の要約は「1940年カリフォルニア大学卒。動物学専攻。
医者志望。1941年病気の叔母をたづねて日本へ行った時、真珠湾
攻撃があり、アメリカに帰国できなくなる。生きるために1942年ラ
ジオ東京のプロパガンダ 放送 ”ゼロアワー” のアナウンサーに
なる。その間日本の血をひくポルトガル人と結婚。出獄後はシカゴ
で父親の持つ日本の物産店を経営していた。市民権剥奪、スパイ、
反逆罪の汚名等は奪回できたけれども、50年間伝説の中で生きた」

 「常にに無罪であると信じていました。恩赦で立証されました」 と
語った日本名、戸栗郁子さんは様々なインタビューをも避け、静かに
人生を終えた。
 人種偏見が横行していた悲しい時代の被害者、戦争の悲劇に生き
た東京ローズの死を無駄にせず、
二度と戦争がおこらないように私た
ちは彼女の祈りを若い人に伝えていかねばならないと思う。