佐藤テルさん
ニューヨークでは佐藤テルさんとご一緒だった。私より2廻りも年上の大先輩。私は愚図のほうではないけれど彼女が ”15分あるわ。ロビーで会いましょう。お着物を着てらしてね。”
着たこともない着物を15分で着て大急ぎでロビーに行くとテルさんは涼しい顔してきちんとお着物を召して私を待っていた。テルさんは元ワコールのデザイナーでご主人は日本自転車協会長。子供もなく、当時でも知る人ぞ知る
リーダータイプの方だった。ニューヨークで会いましょうと東京のアパートに訪ねてきたときは ”そうね。 あなたなら大丈夫だわ” といった。1週間彼女にふりまわされたけれども多くのことを学び、開眼させられた。
ニューヨーク、ニューヨーク
街に出ると面白いことばかり。ウルワースという今の100円ストアのような店が街の角角にあり、ショーウインドーにはビートルズの音楽と人形であふれていた。英語の歌詞は全くわからず I Want To Hold Your Hand に
耳を傾けても, 「アイウオントホーリョーハーンド」となんのことかわからなかった。 ビートルズ、初めてNY着。若者が押し寄せ卒倒する人がニュースになっていた。レキシントン45丁目にあったYWCAのモーガンホールに
泊まっていた。1週間朝食と夕食付で40ドル。
世界博覧会開催中。当時の大統領はケネディの後で選出されたジョンソン。民権運動、貧困者への生活サポート、ベトナム戦争。新聞は見出ししか読めなかったのであまり詳しいことは理解できなかった。
当時の年間収入平均6,000ドル。車のガス、1ガロン30セント。新車が平均3,500ドル、初めて売られるフォードのマスタングが宣伝されていた。アパートの平均賃貸115ドル、映画1,25セント、コーヒー10セント、ドーナツ
5セント、アイスクリーム3つ重ねのてんこ盛りが25セント。
ブロードウエイでは ”ハロードーリー” ”ファニーガール” ”屋根の上のバイオリン弾き” をみた。途中で大声を出して泣く女性がいたので驚いた。ユダヤ人粛清の話を後で聞いて初めて人種問題について考えさせらた。
黒人で最初のオスカーがシドニー・ポイチエが獲り大ニュースだった。黒人をリンチして殺したククルス クランの事件、黒人問題など日本では考えたこともない問題に直面し、エクサイティングな日々だった。
隣の部屋には高校を卒業したばかりのニューイングランドから来た可愛い子ちゃんが住んでいた。同年配とおもわれ、ディスコに誘われたりモンキースのダンスを教えてくれ、ダンスの帰りにはアイスクリームをご馳走してくれた。
私がキャッシャーに行くとふっ飛んできて、「いいのいいの。私働いているから」 と三つ重ねのアイスクリームを嬉しそうにおごってくれた。
ドライブをすると初めて見るハイウエイの巨大なビルボードにはバーバラストレイサンドのレコードの宣伝。どえらく大きい。数年後彼女の帽子を5番街の高級デパートメント、バーグドーフに届けに行ったなどとは考えるすべもな
かった。 右端はコインセルフサービスレストラン、ホーン&ハーダー。すべて窓から見える陳列食品にコインを入れると扉があく。もっともアメリカ的プラクティカルなアイデアだと感動した。興奮の日々であった。
当時のバーバラ・ストレイサンド