誰でも良くなりたいと望み、誰かの役に立ちたいと願う
熱中症で自分がわからなくなり、5カ年もホームに入っていた大好きな姉が亡くなりました。
その数日前、もう食欲も、自分で噛むこともできなくなった姉の流動食を1時間半もかかって口に流し込んでいると
「僕が変わります」とヘルパーさんが代わってくださいました。まだお若い男性がどうしてこんな仕事を選んだのか不思議に
思って訪ねると 「僕はプログラマーで朝から夜中までコンピューターの前に座ったままでした。人と話したい!生きている人の役に
立ちたいと思ったのです」と答えました。
死を目の前にした姉の前で多感な時代を戦争で破れた世代の姉を見ながら美しい花も必ず散るのだ、皆必ず死ぬのだとごく
当たり前のことでしたが思いを新たにしました。
かなえたい夢もあった
変わりたい自分もいた
悲しみの向こう側に誰かの笑顔が見える
私は何を残したろう
花は咲く
悲しみの向こう側に・・・・・・・・・
とてもいい歌だと思う。2011年3月11日の2か月前に47年も住んだニューヨークから帰国してショッキングな地震が起きました。
震災は日本人たちの思考を変えたと思います。もう島国ではない。世界観を持つようになった日本人。
今私はアメリカ・フックドラグを教えています。お若い方もいらっしゃるけれどほとんどは子育てが終わって自由を得た人たちが集まり
です。 自分発見の能力を発揮し作品を作っています。下のラグは処女作です。ミキモトでのラグ展に展示したものです。
100%ウール。100年以上持ちます。私たちが死んでもこのラグの花たちは生き続け、部屋を美しく飾り、人々を倖せにしてくれます。
制作:大津律子 制作:奥井周子
制作:大久保史子 制作:小林惠
人を倖せにし、役に立つものを残す・・・ものつくりのすばらしさを改めて感じるこの頃です。