小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

「セントラルパークのベンチ」

2007-04-29 06:06:00 | ニューヨーク暮らしの日々
人間優先



 パークを散歩して嬉しいことことは、いたるところにベンチがあること
だ。美しい花々や木々、歩く人たちを眺め、本を読み友と語り、空を
仰ぎ鳥の声を聞く。 パークには9,000のベンチがある。一線に並べる
と7マイルにのぼる。木と鉄製のベンチは$7.500,木製ベンチは
$2.500を寄付するとベンチの背に好きな言葉や氏名を書き入れた
約12x6センチの金属性のカードを鋲で永久的に留め、パークがある
限り面倒を見てくれる。すでに2.000のベンチがアダプトされている。


 ベンチの背にはそれぞれの思い出が書かれている。
[結婚してくれる?跪いて申しこんだベンチ」
「二人で愛して座った処」
「読書好きのためのベンチ」
「愛するパーク、百歳を記念して」
「明晰な思考、心の平静、究極の幸せを得られるセントラルパーク」
「ニューヨーカーの誇り」
「ニューヨーカーの魂を潤すパーク」
などの言葉に寄付した人の名前が入っている。仏教徒だろうか。
NAMU-MYOU-HOU-REN-GEKYOU(南無妙法蓮華経)と書い
てあるもの、映画会社、リバプール市民から、9/11のお見舞い。
またNHKエンター プライズ NYからのものもある。 「亡命してきて
よかった!」など。それぞれが忘れがたい思い出を持つ心と生命の
癒し処セントラルパーク。
年間25ミリオンの人々が訪れる。

忘れてしまったガンジーの非暴力思想

2007-04-22 11:19:08 | ニューヨーク暮らしの日々

ガンジーの銅像
ニューヨークのユニオンスクエア、5番街よりにガンジーの銅像がある。


 足元に ”眼には眼をは世界中を失明させる”
("An eye for eye makes the whole world blind"
と刻印されている。誰も眺めている人はいない。
半世紀以上前のガンジーの叡智は尊敬とは裏腹に世界中でチリチリ
バンバン殺しあっている。
 32人の学生が同じ学校の生徒に射殺されるという痛ましい事件は
アメリカ中が言葉を失うショックであった。
ガン コントロールと字を入れると変換前は癌コントロールと出る。
商品としてガンを売っているアメリカの忌まわしい癌に違いない。
ガンコントロールが施行されることはないだろうとアメリカ人は言う。
 市長の背中を撃つ事件とともに世界中にガンによる癌細胞が蔓延し
ている。犯人の精神異常問題だけではない社会の癌を誰がどのよう
に直したらいいのだろうか。
迷える子羊たちはリーダーを待ち望んでいる。

 日々のページはめくられ桜が咲き、久しぶりの太陽を楽しんだ週末
であった。


セントラルパークの週末を楽しむニューヨーカー。4月22日


 


「イースター パレード・2007」

2007-04-10 03:58:06 | ニューヨーク暮らしの日々

美人またはアイデアを競う。自由参加・
無料・審査員はあなた。最も民主的なブログのごとし。

 メトロカードをつないで作った帽子。ニューヨークの地下鉄・バスは
このメトロカードを購入しないと乗れない。リサイクル。このカードの
印刷はNY凸版印刷。

 キティちゃん、世界制覇をしているあなたは偉い!
おじさんの帽子はストレイナー。お金集めはロボットちゃんの役目。

 犬ちゃんのお遊び用ホットドッグをちょいと頭に。 
鉢を切って根っこやにんじんをアレンジ、頬には蟻が・・・
 
 花篭を被る。何でも帽子になるのは頭は帽子のスタンドだからね。
一家総出で参加。帽子を被せられたワンちゃんがぐづって歩きたが
らないの。その気持、よく分かるなー。

 今年のイースターは寒くて歩行者天国もいまいち。


 


「早春のベートーベンさん」

2007-04-09 10:15:03 | ニューヨーク暮らしの日々

ベートーベンさんこんにちわ。春ですね。
 
 セントラルパークの樹木が薄いピンクや黄色にかすんできました。
アジサイのブルーがあまりに鮮明なので本物でないかもとつまんで
みましたが
本物でした。やはり考え続けるベートーベンさん。

 春一番に咲く連翹の花
 
 しだれ柳の下でスケートを楽しんで人たち。
           

 4月のはじめのグレートローン、風が冷たくても草はみどり、木の芽
も吹き出し、季節は巡り、次の希望が始まります。


「アートってなんだろう?」

2007-04-06 03:10:44 | ニューヨーク暮らしの日々
もっと広げていこう
自分の評価眼を持つことの大切さ
 
 音楽でもそうだと思いますが、やってやってやりまくった結果洗練
され、昇華されたもの、境地に達したものたちはどの分野であっても
感動をよぶアートの世界だと思います。 アートはしばしば有名度で
評価が違ってくる矛盾のある世界です。 
 しかし、偶然に出来たもの、洗練されていないものでも人々を感動
させるものもたくさんあります。
 あなたにとって”アート”とは何でしょうか?  
 一昨年セントラルパークにオレンジのカーテンを張り巡らしたクリス
トの作品この下を歩いていた時、横で「パパ、これはなんなの?」と
肩車に乗っていた子が尋ねました。
「これアートなんだよ」「ふーん!アートってなーにパパ?」
「みんなを楽しくさせたり、美しいものを作り出すことをアートというん
だよ」と父親は答えました。それから子供はしばらくして手を上げて
ハッピーな声でいいました。「パパ!きれいだねっ!」と。
 
 私は無名の人が作った洗練されていない稚拙なものでも個性があ
り、無心の美があり、作り手の語りが聞こえるものもアートの世界に
入り、クラフトもアートに入ると思うのです。 心を動かされないものを
アートといえるでしょうか。
 最近NYの日本人が経営する財団のアートギャラリーに無名の人の
プロモーション、「第3回日米ラグ展」企画展示を応募をしましたが
「アート作品の応募がたくさんありましたから」と断られ、数日とても
考えさせられました。見方の違い嘆く問題ではなさそうですが・・・
 アメリカでは作り人知らずの無名の人が作った犬や猫のデザインの
フックドラグでも修復され、額にいれられ何万ドルもする世界です。
 自分の評価を信じている投資家がいるのはアメリカでアートが繁栄
していくエッセンスだと思います。
 しかし、暮らしのアートを決定するのは住環境ないでしょうか。残念
ながら日本の住まいの空間の貧困がアート感覚の視野を暗くしてい
るのではと思うのです。 今度、21世紀を決定する「住生活の憲法」
が日本で出来たのは遅ればせながら嬉しいことです。応接間の真ん
中に置かれた彫刻をぐるりと回って見られるとか、敷物のデザインが
よく見えるとか、住まいの中でアートを楽しめる空間が理想です。
 無数のキルトが日本で作られていますが殆どは押入れの肥やし
です。ベッド掛けを楽しむスペースがなく、また敷物を敷いても全体を
見る空間もありません。作品を楽しむのは作る楽しみと展覧会のみと
なります。どこかがおかしくありませんか?
 それでも作品は作り続けられている・・・生まれながら持っている創
作力は凄いことですし、作品が巧くなっていくのは凄いと思いませんか?
 ”5歳ぐらいまで子供は皆天才だ ”とピカソはいいました。
神様が与えてくれている才能を今からでも遅くはない。
 励ましあって才能を伸ばしていきましょう。
 
写真:Julie Arkell さんはアートスクール出身ですがナイーブアート
感覚を今でも発揮し、何を作ってもとろける様な優しさを失いません。
すべてリサイクル、車に乗っている靴下兄弟は捨てる前に誕生。
www.caa.org.uk