小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

「張超英さんと愛国心」

2007-03-29 16:19:43 | ニューヨーク暮らしの日々

外国で考える自分の国
 
3月24日、張超英さんの追悼式がニューヨークのハーバードクラ
ブで行われた。家族の追悼の言葉の後、息子のウエスレイは自分
でアレンジメントをしたピアノ曲 ”飛ぶ” を演奏した。
(親子共飛行免許を持つ。息子は高速ジェット機)涙ながらの演奏
に心を打たれた。
 ゲストたち、友人たちの追悼のスピーチの後、ルビー  リンさんの 
”わが母なる台湾”の独唱があった。
 ”母なる山河、母の名は台湾。台湾と名を呼べない寂しさよ。
母の名を呼べるようになりたい。台湾、台湾、わが母の名は台湾と”
 感情を込めて悲しく歌う歌に自分の国、日本を重ねて思い感慨を
深くした。
 共同通信(岡田充記者)から張さん一家のインタビュー記事がた
くさんの日本の新聞に出、その新聞がNYに着いたのは2月の中頃
であった。「あ!台湾の旗の写真を日本の新聞がのせてくれた!こ
れで張の日本での努力はすべて償われたと思う」と死を前にした夫
の前で夫人は感慨深く涙ぐんだ。

 自国への思いはそれぞれが違う。何処の国にも美しいところがある。
”美しい日本”のイメージを持つ幸福な日本。自然以外も美しくありた
いと願う。幸いにも日本は平和が続き、繁栄している。外国に住む日
本人も多大の恩恵を受け自国を誇れることを感謝している。
「白地に赤く、日の丸染めて、ああ!美しい日本の旗は・・・」メロディ
は別として私も日本の旗は美しいと思う。
しかし、日の丸の名の下に死んでいった兵士たちの無念を思うとき、
”ああ!美しい”と素直な気持ちになれなくなるのは戦争中の後遺症
だろうか。しかし私たちは前に進まなければならない。
 過去の感情を持たない若者たちを育てる先生たちは、ポジティブな
日本の美しさを教えてほしいと心から願う。単純なデザインの究極。
日の丸の美しさは日本の誇りのひとつだ。
 大騒音で街を走る日の丸つきの車。誰も文句を言わない不思議な
日本人。怖いので黙るのか。自分を守る日本人。無関心を装う日本
人。外国から見ると日本の摩訶不思議は少なくない。

自分の国の名前を呼んでみたいと絶唱する人々がいることを忘れて
はいけないと思う。

難しいことでなく、日本人の幸せを感謝し、分かち合い、よりよくなる
ことを皆で考え、お互いに手を差し伸べていこう。

 

 


 


「ニューヨークのエネルギー」

2007-03-21 08:48:54 | ニューヨーク暮らしの日々

なぜここに時間と情熱をかけるのだろうか。




 最近亡くなった友人の所用で、乗ったことのない地下鉄線に乗る機
会がたびたびあった。夜であったり、満員で外を見られなかったりで
気が付かなかった壁のいたずら。近代美術館が改築中,
分室のあっ
たコンテンポラリー アート センター
P.S.1 のある地下鉄駅、高架線
が交わるところだ。そのスケールの大きいこと!街のくかく、1ブロッ
ク一杯の町工場の壁。
地下鉄の窓からのぞいたのが面白くて早速
現場に行ってみた。
 
 このエネルギーは一体何なのだろう。社会から拒絶された人たち
の寂しいやり場のないエネルギーにも思える。上手,下手ではなく壁
に喰い入り描き込んだエネルギーが伝わってくる。発想を変えれば
この人たちから何かをしでかすであろう地底から沸騰するエネルギー
を感じ
る。無料のキャンバスと無料の人材が群がる巨大パノラマ絵
画? 日本人の血にはない発想だ。
 ビルの外側には5階まで火災用階段が付いていて自由に登れる。
 私も登ってみた。
バックにはクイーズボローブリッジ、その横にクライスラービル、マン
ハッタンの摩天楼がそびえている。
目前にみるニューヨークらしい表と裏,質の違う人間の生きる競争だ。

 若者たちのやり場のない創作の発露を伸ばし、
NYにツーリストが
集まれば、それも市に還元される。ペンキは市の援助。ここにはもう
描く隙間がないけれど誰でも参加できる。爆発するニューヨークの若
者たちのエネルギーを利用する市の企画であり、奨励のひとつにな
っている。

 


「手作りプロモーション・手作りの価値」

2007-03-15 01:25:29 | ものつくり

フックド・ラグ デイ


誰でも出来るデザイン:右下はすべてジーンズのリサイクル :ラグ・デイにて

 3月10日、アメリカンフォークアート美術館で恒例のラグ・デイが開
催された。今年で5年目である。キルトがみなに知られる前は
「キルト・デイ」というのを何処でもやっていた。アメリカン フックド・
ラグはキルトと同じようにアメリカの手作りを代表するものである。

 残り布や古着を利用して細く紐状に切り、南京袋(当時の麻粗織
穀物袋)を芯地に利用し鈎針で紐をループ状にびっしりと詰めて引き
上げ、デザインを施した足置きサイズの敷物である。

 南京袋を芯地に利用したためその多くは足置きサイズでベッドの
下やドア、暖炉の前を装飾した。しかし現在はサイズが丁度普通の
絵画と同じぐらいのサイズのため無名の古いフックド・ラグのよいデザ
インはコレクターの手に入り高価になるばかりである。作り人知らず、
名もないフォークス(folks,一般民衆)が作ったローテックアイテムの
デザインがよければ、また歴史的メッセージがあれば一点しかないこ
との理由もあり、丁寧に修復され、値が上がっていく。

 それに引き換え安い労働力の中国製がすごく安く出回っているのも
考えさせられる。しかし、経済的、政治的に関係なく作られた自発的
創作は、いつの時代でも人の心を打つ。
  悲しいことは価値作りはプロモーション次第で評価が違ってくる。
「たかが女の手作り」と人は言う。ミデアを変えることは難しい。このこ
とは現代人の否定できない悲哀のひとつだ。


 何を見るにもあらゆるスタイルのデザイン、表現の面白さを認め、
美しさに敏感に眼と心がすぐ反応するように、自分を鍛えていかねばな
らないと思う。

原点に戻ろう!
一人一人の力が大切な時だと、皆で自覚していこう!

 


「張超英さんの死」

2007-03-08 03:59:34 | ニューヨーク暮らしの日々

真っ白の雪の朝、張さんは逝く。

Kei: C.Y. died today shortly after midnight. 
 I am so sorry and I don't know what to say. Brian

 朝、一番で読んだメールは張さんの最愛の娘シンシアの夫から
張さんが亡くなった悲しいお知らせであった。
 張さんの情熱 "Freedom of Speech"賞を国籍にかかわりなく授
与す
るファンデーションを設立のためブライアンが2月末台湾に行き、
その帰国を待ちわび報告されてから2時間後に張さんは永遠の眠り
についた。
 台湾人の張さんは日本語で教育を受けた日本を心から愛し,現在
台湾に残る5%の親日家の一人でもある。日本は台湾と国交を断っ
たため公使待遇の駐日台湾のスポークスマンであった。彼が日本の
ことを話すとき、今の日本でこれほど日本を愛して憂慮してくれる人
があるだろうかと、いつも耳を傾けていた。体制に巻かれず、孤高と
して ”何処かがおかしいことをおかしい”と自由に発言した張さんの
勇気と孤軍奮闘した不屈の精神を心から敬愛していた友人の一人
である。
 彼の著書:「台湾をもっと知ってほしい日本の友へ」(中央公論
社 1998年版)は皆さんにもぜひ読んでいただきたいので文庫本で
再出版されることを熱望している。

  張さんの奥さん、千鶴子さんがひどく咳をするので嫌がる彼を医
者に連れて行くと彼は 「咳はしません。何事もありません!」 といつ
ものように繰り返しいい、部屋を出るとき咳が出てとまらず、医者に
ストップされ、病院で検査した結果は癌で2ヶ月から4ヶ月の命と宣
言され、すぐ入院したのは1月の末であった。
 2月17日、74歳の誕生日に 「私の人生はよい妻、よい子供たち、
友人たちにも恵まれ
幸せな人生でした」 と過去形でスピーチをしたの
で集まった人たちは皆涙をこらえた。

 張さんを知る日本の友人たちからは優しい言葉を頂いた。フレンド
シップ キルトを作って張さんを激励しようとお嬢さんと決めた日から
次々と、たくさんの優しい言葉を頂いた。完成は出来なかったけれ
ども、代筆した未完のブロックをお棺の中に入れていただこうと思っ
ている。

 外国での死は寂しいものだ。生まれた国家や、生まれた国の土の
持つ意味を日本では考えるチャンスがなかった。ニューヨークで初め
て経験した帝人NYの吉本さんの死、外国での死がどういう意味を持
つのか、悲しくて涙が止まらなかった。感傷的な若気の至りだろう。
(参照記事・小林恵ブログ2005年6月18日付 「お葬式の涙とお墓」
明治の男、吉本さんの死)

 長く外国で暮らすと涙も整理され、もっと実際的になる。まず、
自己訓練と冷静な世界観を持つ独立した人間形成への努力が必要
になる。国内では甘えに浸り、その意識さえ芽生えないのでないだろ
うか。張さんの不屈な精神は外国で培われたものだと思う。

 
 
日本を心から愛してくれた張さんへ。
私たちこそよい友人にめぐり合ったことを心から感謝しています。
安らかにお眠りください。
雪の降るニューヨークで、3月7日

張さんのマサチュウセッツ州にある別荘はこの林に回りが囲まれた理想的森林浴の出来る処。




 



「ニューヨークの冬景色」

2007-03-02 13:59:54 | ニューヨーク暮らしの日々

真っ白な世界




寒いのは大嫌い。住むところではニューヨークが最北と決めている。
しかし、雪が降ると暖かい。不思議な白さだ。
72丁目の西口からストローベリーパークへ。誰もいない。
立ち止まって白を眺める。足跡のない道を歩くのは楽しい。
ボーブリッジからダコタを眺める。
この橋の前で洒落た男女がスケートをしていた有名な古い写真があ
る。150年を経た今、同じ場所から雪のダコタを眺める。
かつて友人がダコタに住んでいたときは、よく遊びにいったものだ。
中庭を隔てて向かいの窓からローレン・バコールのアパートが見える。
その窓から映画撮影を何度も見た。
パークを歩くときはいつもベートーベンさんに挨拶をする。
「ベートーベンさん。こんにちわ」フォーシーズンを口ずさみながら
雪景色もとてもいいわねと話しかける。
いつも ’今考え中’でたっているベートーベンさん。
風邪を引かないでね。