大東亜戦争終結への決断
第33代大統領トルーマンは(1945~1953)原爆投下決断の日
記(1945年、7月25日)を残している。 8月8日付の私のブログ、
原爆リサーチをしているとき、トルーマン大統領の日記を発見した。
戦争終結が目的であれば、なぜ2都市を爆撃したのだろうか。広島
だけなら日本は血戦に突入したのだろうか。いつも思うことながらヒュ
ーマニズム、偏見を是正するには長い長い月日がかかる。公平に考
えられ得る人間の叡智が浸透するには、血を流して戦う世紀にわたる
無駄が必要なのだろうか。 ・・・・・・・・・以下トルーマンの日記
”我々は世界の歴史上最悪の兵器を発見した。それはノアの箱舟
で予言された以上の、考えも付かない破壊力を持つ原子爆弾である。
ニューメキシコでのテストは始まっている。13ポンドの爆発物は60
フイートの鋼鉄塔を完璧に崩壊し、2分の1マイル先に直径 1.200フ
イート、深さ6フイートの穴を作り、1万ヤード離れた人をも倒した。
爆発は200マイル離れたところでも確認でき、40マイルにわたり
爆発音も聞こえた。兵器は日本爆撃のために作られ、今から8月10
日までに使用される。 私は国防長官(Secretary War)スティムソ
(Mr. Stimson)に陸軍の目的は兵士が目的であり、女性や子供が目
的でない事を告げた。
ジャップが野蛮で残忍、いかに珍奇であろうとも世界の民主主義の
リーダーである我々は,古い都や新しい都会には原爆を落とさない。
ジャップが命を救うために降伏する軍事的目的である事の見解は一
致している。彼らにそのチャンスを与えねばならない。ヒットラーもス
ターリンも発見出来なかった原爆は,世界にとってもよいことである。
原爆は最も酷い発見であるけれども、最も有益なものである。”
トルーマン大統領の1945年8月9日のラジオ スピーチ
「広島の軍事基地に最初の原爆が投下された。我々は市民を殺戮
しようとしたのではない。しかし攻撃はどうなるか。もし日本が降伏し
ない場合、爆撃は軍事基地に落とされ多くの市民が殺されるであろう。
日本市民は攻撃を逃れるため直ちに、軍事基地がら逃れる事を忠告
する。」
参照:ニューヨークタイムス 1945年8月10日、page12
広島平和記念館HP 被爆の広島市内
8/9・長崎原爆投下の日に。元米国従軍カメラマンのジョー オダネルさんが,亡くなった。
1945年・被爆した広島・長崎・などを記録するために、来日し・私用カメラ撮影したネガを罪悪感から自宅に仕舞いこんでいた。初めて1990年「トランクの中の日本」(小学館)を出した。長崎被爆直後の撮影「グランド ゼロ」は今月4日から長崎で初公開と、新聞は報じている。
「トランクの中の日本」ぜひみたいと思います。
不可抗力で殺される人の人生も運命とは言え、戦争ほど無駄なものはないですね。何世紀を経ても同じことを繰り返す戦争。叡智ある指導者と皆の発言以外に
世の中を変えていけないのか。権力と無力について考えさせられるこのごろです。