小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

私と劇団青年座

2012-08-26 13:03:43 | 暮らしのジャーナル

「ブンナよ、木からおりてこい」ー青年座が残すものー

 1992年、237回目のブンナ上演がニューヨークにやってきた。

 初めてお目にかかるマネジャーの紫雲さんは「東恵美子さんから恵さんを訪ねるようにと言われました]と遠慮深くいった。
今年の夏のように暑い暑い夏だった。「どうぞ上着を脱いでください」といっても律儀そうに上着を脱がず汗を拭いていた。上演日は運悪くNY 不在になる時だったので、友人たちがジャパンソサエティに見に行き、みな感動したと言ってくれたのは嬉しかった。

 あれから20年の月日がたち堂々1,140回目の上演を新国立劇場の小劇場で観劇した。地下鉄から会場に入るまでとても感慨無量であった。私の青春は青年座の創設メンバー、山岡久乃さん、東恵美子さん、初井言栄さんなど、青年座を発足するための情熱に燃えていた先輩を見ながら多くのことを学んで成長した。

 発足パーティの鳥の手羽肉を初井さんのハズバンドの遠藤啄郎さんと徹夜で大鍋二つに朝までかかって煮込んだのを手伝った。今と違って鳥羽根にはたくさんの白い毛がついていてお鍋に入れるのが心地よくなかったのを覚えている。        
  「気にすることないよ。 煮えれば毛は溶けるんだよ。美味くなるぜー」といったのを鮮明に覚えている。  

 1992年NYブンナ 上演の時の音楽は林光さんだった。1964年、アメリカに行く前の四谷大京町の私のアパートは入居する前には林光さんが住んでいた。同じビルに東恵美子さん、のちに山岡久乃さん、私の渡米後は初井言栄さんが入居した。 

 原作、水上勉の「ブンナよ、木からおりてこい」はとてもよかった。話はクラシックダ。しかし永遠に新しい。これからも何度でも上演してほしいと思う。三大寺志保美さんの衣装も抜群よかった。貧乏だった創設メンバーに見せたいと思った。創設メンバーの唯一の現役、製作の水谷内助義さんを紫雲さんがつれた来て「みないなくなったねー」といった。

 しかし時代を経ても、残して生きているもの、これからも永遠のテーマであることを演じるのは遣り甲斐も、観甲斐もあることだ。

 出演者はみな懸命に演技し、メッセージを残していっている。青年座創設メンバーがいなくなったことは 寂しいけれど、みなに受け継がれているのはすばらしいことだ。

 東さんがなくなる前、NYから電話したとき、東さんは
「今日は紫雲が来てくれたのよ」と嬉しそうに言った声が耳に焼きついている。

数日後、東さんは南博先生のもとに旅だった。

 

 

 


忘れ得ぬ終戦の日:1945年、8月15日 

2012-08-17 19:08:43 | 暮らしのジャーナル

伝えたい・忘れてはいけないこと

 営林署のエリートと結婚して、満州で終戦を迎えた私の一番上の姉は25歳の若さで、終戦の前日、一家が殺害された。その知らせを受けたのは数年後のことである。知らせを受けた時、美空ひばりの悲しき竹笛の歌がラジオから流れていた。悲しみに暮れて無言で夕食を食べたのを覚えている。
3歳の息子と臨月であった姉の無念を思うと、どんなことでも我慢できると思うし、姉の分も生きてあげようと今日に至っている

 最近、野見山美富士著、「旧満州国 遼陽での日々」 という小紙を著者の姪、野見山智子さんが1945年~1946年までの叔母の日記帳を出版した。彼女は新宿でエスパというバーを経営している。野見山美富士さんに捧げた彼女の鎮魂歌だとおもう。

 終戦の前日、満州の日本軍は在留日本人を見捨てて居なくなり、駐留したソ連兵は略奪殺戮をくりかえし、悲惨な引き上げの物語の一つだ。しかし生きて帰れなかった多くの同胞を思う時、情報もなく、助けてくれる国家がない時の悲しみを戦争だから仕方がないと言えるだろうか。

 ユダヤ人の殺戮の記録はユダヤ人が克明に情報を記録し、繰り返し繰り返し、もういいじゃないのと思うほどテレビで放映をくりかえしている。スポンサーはユダヤ人である。ユダヤ人はひつこいという人も多い。しかし人間の犯した罪を人間に問いかけ、後世に知らせていかねばならないのが生きている人の責任だと思う。

 被原爆国として唯一発言出来る国が、原発を再起動するような信じがたいことが日本で起こっている。電気広告が昼間も付けられ、無駄が山のようにあり、危機感を持っている人は少ない。そして明確な情報も伝えられていない。皆、仕方がないと思うのは戦争が始まり、わからないまま服従した時と同じ様に恐ろしいことでないだろうか。

 自分の人生が自分の選択や努力では変えられない時、人々はどうするのだろうか。
9/11は戦争を引き起こし、アッという間に世界が変わってしまった。

 そして3/11 から人々はショック療法を受け、忘れかけていたことから多くを学んだと思う。

 戦争を知らない若い世代に伝えたいと願う。馬鹿げたことを繰り返さないように若い叡知に期待していこう。