「ブンナよ、木からおりてこい」ー青年座が残すものー
1992年、237回目のブンナ上演がニューヨークにやってきた。
初めてお目にかかるマネジャーの紫雲さんは「東恵美子さんから恵さんを訪ねるようにと言われました]と遠慮深くいった。
今年の夏のように暑い暑い夏だった。「どうぞ上着を脱いでください」といっても律儀そうに上着を脱がず汗を拭いていた。上演日は運悪くNY 不在になる時だったので、友人たちがジャパンソサエティに見に行き、みな感動したと言ってくれたのは嬉しかった。
あれから20年の月日がたち堂々1,140回目の上演を新国立劇場の小劇場で観劇した。地下鉄から会場に入るまでとても感慨無量であった。私の青春は青年座の創設メンバー、山岡久乃さん、東恵美子さん、初井言栄さんなど、青年座を発足するための情熱に燃えていた先輩を見ながら多くのことを学んで成長した。
発足パーティの鳥の手羽肉を初井さんのハズバンドの遠藤啄郎さんと徹夜で大鍋二つに朝までかかって煮込んだのを手伝った。今と違って鳥羽根にはたくさんの白い毛がついていてお鍋に入れるのが心地よくなかったのを覚えている。
「気にすることないよ。 煮えれば毛は溶けるんだよ。美味くなるぜー」といったのを鮮明に覚えている。
1992年NYブンナ 上演の時の音楽は林光さんだった。1964年、アメリカに行く前の四谷大京町の私のアパートは入居する前には林光さんが住んでいた。同じビルに東恵美子さん、のちに山岡久乃さん、私の渡米後は初井言栄さんが入居した。
原作、水上勉の「ブンナよ、木からおりてこい」はとてもよかった。話はクラシックダ。しかし永遠に新しい。これからも何度でも上演してほしいと思う。三大寺志保美さんの衣装も抜群よかった。貧乏だった創設メンバーに見せたいと思った。創設メンバーの唯一の現役、製作の水谷内助義さんを紫雲さんがつれた来て「みないなくなったねー」といった。
しかし時代を経ても、残して生きているもの、これからも永遠のテーマであることを演じるのは遣り甲斐も、観甲斐もあることだ。
出演者はみな懸命に演技し、メッセージを残していっている。青年座創設メンバーがいなくなったことは 寂しいけれど、みなに受け継がれているのはすばらしいことだ。
東さんがなくなる前、NYから電話したとき、東さんは
「今日は紫雲が来てくれたのよ」と嬉しそうに言った声が耳に焼きついている。
数日後、東さんは南博先生のもとに旅だった。