小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

砂浜美術館のキルト公募展;2013年

2014-01-27 11:56:42 | キルト

 砂浜美術館の2013年の審査は楽しいものでした。私はキルト作りを教えていませんからこうすればもっといいのにと助言をしたことがありません。
審査の時は作者の氏名はわかりません。しかし、審査前に読んだ作者たちのキルト作りに込めた皆さんのコメントの数々がとても秀逸なのです。文章だけで感動的なものがたくさんありました。正直に自分の作る動機を書いているからです。

 なぜ作っているか、何にフォーカスを当てたかなど心を籠めて書いてありました。つねづね感じていることですが、日本人は即答をしない人が多いです。多分日本人のつつましさなのかもしれません。自分ばかりのことでなく、人様への感想もすぐは出てきません。誰かに褒められても黙っている。それは失礼なことでないでしょうか。即刻自動的に 「ありがとう」 が出て来るのが素敵と思います。ニューヨークでは通りを歩いているとき、すれ違った人が、「すてき!」と声をかけ、「サンキュウー!」といってすれ違うことが常です。ビジネスでも即刻の返事がプロの常識になっています。このたびのコメントはいつになくは率直に書いてあったのは嬉しいことでした。

この10年間の成長はキルターばかりでなく砂浜美術館の運営も素晴らしく、皆さんと分かち合いたいと思います。現在の理事長は村上健太郎さん、私が最初に始めた時、ヴォランティアで来ていた方です。横浜からわざわざ来たという彼は富士山の観測所がクローズしたので降りてきた方です。砂浜が気に入って住むことになり最初の職業は郵便配達。実践を尊重するのはアメリカでは普通ですが一軒一軒配達して村の人たちがわかったといいますから嬉しい。現在はNPOでさまざまな企画で飛躍的に活躍しています。

 
    わさび田:宮川修子:黒潮町    コスモスの丘:中山美智子・福岡県    花明り:小松愛子・高知県    点描:ラッキョウ畑・大方町民間デイサービス
                                                                      参加者、    協力・森澄子
 
 天空からの眺め:山中志津香・高知県   ひらひら:宮川真理子・黒潮町      最後の航海:浜崎あけみ・黒潮町    私と弟:(皆川明さんのわたしちゃん)
                                                                                   山下和子                                                                                                                                                

キルト公募展の課題は”自然”。キルトのサイズはクリブキルトサイズ、最初の審査を考えると応募者たちの作品を作る態度の変化に心から感慨無量になります。

集まった四国の新聞記者たちの一人が質問しました。「大賞を取ったキルトのどこがいいのですか?」と。
「単純で美しいこと。変化のないわさび畑を主題にして上と横に今まであまりしなかった違う布で墨絵で背景を描いていることなど、すごく新しいです」
というとその記者は「そんなキルトもいいのですか!僕もう一度見に行ってきます」といってあぜ道を走りました。 ミデアが新しい発想を認めるのは嬉しいことです。

宮川修子さんの「わさび田」は畑をみた感動をキルトにし、見る人も釘打ちにされます。人を感動させるのは単純、複雑、細かい針目、などではないと思います

 中山美智子さんの「コスモスの花」、アップリケの上に薄いシフォンの花びらがたくさん重ねてつけてあります。風が吹いてきました。コスモスの花はまるで畑のコスモスが揺れるようにひらひら動き、感動しました。シフォンは切りっぱなしですが、もし花びらを2枚合わせにしてつけてあると自然の風には歌わないと思います。キルトを使用しているうちに抜けてきても構わないと感動しました。


小松愛子さんの「花明り」の桜は6角形の桜の花びらにはさみを入れて開き、花が咲いているのです。すごい技術でこれも感動しました。この桜もそよ風に花びらが揺れました。

森澄子さんがシニア施設の方々を指導した点描の「ラッキョウ畑」は新しい試みで秀逸です。

山中志津香さんの「天空からの眺め」は松林の木木を幹と同じラフな布地を使用して、空からのアングルも楽しいです。

宮川真理子さんの「
ひらひら」 キルトは技術的に今一ですが、詩的な描写でユニークです。

浜崎あけみさんの「最後の航海」は海を愛し 癌と戦い海に行き海で亡くなったは夫のために捧げたキルトです。キルトで夫に語りかけている彼女のコメントは感動的なものでした。夫に捧げてキルトを10枚ぐらい作っているのも観る人の心を打ちます。

山下和子さんの「私と弟」は2013年の春、ソーエンに発表された皆川明さんの "私ちゃん" という縫いぐるみの型紙から私と弟のキルトが生まれました。幼くして亡くなった弟のための鎮魂歌だそうです。手足もアンバランス、髪の毛も1か所にしかはえていず、気の毒な縫いぐるで多くの人は可愛いと言わないかもしれません。しかし見る人にとってはすごくかわいいのです。評価が変わりコミュニケイションが広がり自分の世界を作って行くことは時間がかかることですがユニークなものつくりと発想の起爆剤になり、そのコミュニケイションができていくことに感慨無量になります。布地をミディアに広がる世界は無限です。

 参考:砂浜美術館     〒789-1911 高知県幡多郡黒潮町浮鞭 3573-5  ℡:0880-43-4915 E-mail: nitari@sunsbi.com      http://sunabi.com

 

 

 


砂浜美術館のキルトコンテスト;全国公募展

2014-01-23 20:54:56 | キルト

      「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。館長はクジラです」  

 キルトジャパンの公募展の審査が始まったときから10年が過ぎ、審査員を1970年ころからコンテンポラリーキルトで革新的だったマイケル・ジエムス、池田満寿夫さん、新井淳一さん、
福田繁雄さん、などに審査をお願いし、10年ぐらいは審査に加わってくださいました。
応募者も本当にハッスルして新しいキルトがたくさん応募されました。その後審査員はキルトの先生方に変わり、デザインの試みは常識的になったと思います。
ミセスの公募展のキルト審査は6年間続き、砂浜美術館の審査は今年で11年目になります。その間数年重なっています。

 砂浜のオリジナルキルト展は当時NHKエンタープライズの社長であった友人から「日本の自然環境研究で大学の卒論を書くために高知県の黒潮町に行ったまま7年も娘は帰ってこないのです。キルト展を年中行事でやっていますが、ひどく遠いところですが恵さんに審査を頼みたいのですがまさか行ってもらえませんよね」といいました。
私は「いきます」と即答しました。当時はミセスの審査もしていましたから東京から行くのは時間的にも経済的にもニューヨークから来るよりはは都合よしでした。

 高知県黒潮町は本当に美しい処です。
人家のない美しいドライブウエイの横にはらっきょう畑、その後ろは松原に続く白い砂浜、その前は遮るものがない太平洋が広がります。
公募展といってもまだ知る人ぞ知る程度のもので、ローカルエベントという感じでした。

 10年の月日からいろいろのことを学びました。ラッキョウの花畑とキルトを展示している松原の間は狭いあぜ道だけです。
ある日、若い子がサーフイングのウエットスーツのままキルトを見ていました。
そして「素晴らしいわね。私もやってみたいなー」 といいました。  
「やれば誰でもできることがキルトの面白おもしろさなのよ」 というと
「私は針をもったことがないのです」    
「針目とか方法に従うことないのよ。作り出す、やってみるのがいいんじゃない?」 と少しの会話でした。

数年後その子は高校の先生になり、クラスの人と一緒に作ったキルトが応募されました。

 見る人を幸せにするものがアートだといったアメリカのおじさんの言葉を思いだしました。心からにっこりです。

                                                    

 どんと上がった花火。切りっぱなしの布のまわりをぶつぶつと大きい目で縫ってあります。花火の中心はテルテル坊主の頭のような詰め込んだ円球の塊。
飛び散った花火は一枚で表現出来ず、2枚目に伸ばした2枚続きのキルトです。 なんて大らかで楽しいキルトでしょうか。ドライブウエイまで離れてみると俄然ドーンという花火の瞬間が見えるようでした。大賞を上げたいぐらいでしたが、長年努力して一生懸命針目を運んだ人に申し訳ないかもと悩みました。大賞はあげれないけれど、このキルトは忘れえぬメッセージを伝えてくれました。 作り出すってなんだろう。といつも考えます。アメリカに来てアメリカンフォークアートの拙さのチャームに感動していました。何も知らないで作り出した行為、その動機そのものにも感動してきました。やる気が大切。それからは努力次第です。

そして日本に帰国して匠の世界の展覧会を見るたびに伝統の素晴らしさに考えさせられます。

どちらも大切にしていきたい大事なことだと思っています。

(砂浜キルトコンテスト2013年は次に続きます。)

  
  

   


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 


私の青春・アメリカンキルト

2014-01-15 21:33:44 | キルト

 ーベッドには美しいキルトがかかり、しかもきちんとかかっているー

 アメリカに行って何が一番印象的だったかと聞かれれば、どこの家に招かれても住まいが美しいこと、しかも機能的なことだった。ベッドルームは勿論、ドアを開けクローゼットの中まで見せてくれる。女性たちはハウスマネージメントの上手さをお披露するのだ。
 どこの家にもあるキルトはほとんどが手製、どれ一つ同じものがなかった。多くは幾何学模様でよく分析するとデザイン構成がなるほどと感心させられた。
そのころはあまりキルトの本も出版されていなかったし、展覧会も皆目なかった。

 どこの大学にもアメリカーナが学科としてなかった頃、やっと専門のアメリカンフォークアート美術館ができ、館長のロバート・ビショップがニューヨーク大学で特別講義を持つことになり、好き者同士が集まったため館長はじめ、生涯を通してのよき友にも巡り合った。

 千枚以上折り紙で折った折り線をたどって色彩を変えればどんな幾何学模様もデザインが可能であることを発見した。調査を始め、ニューイングランドをくまなく歩くことにもなった。

1983年、「アメリカンパッチワークキルト事典」を文化出版局から出版した。
どうしてもアメリカンキルトの展覧会を日本にもって行きたいとロバート・ビショップに相談すると、「あなたのアイデア早すぎる。その前にアメリカでやりましょう」ということになり 「第1回グレートアメリカンキルトフェスティバル」がニューヨークで開催された。スポンサーは3M.ウエストサイドのピアで始まった。

 
 アメリカで最初のキルトフェスティバルの優勝者とフォークアート美術館の館長   アメリカンパッチワークキルト事典の表紙になったキルトの前で     キルト事典を書いたころNYCの日々

          ロバート・ビショップとともに。1982年

   

キルト事典出版後、日本でキルト公募展を企画10年以上審査員をつとめた。本を書いていたとき石津謙介さんの紹介でニューヨークに訪ねてきた野原三輝と。
グラフイックデザイナーの彼は僕はビジネスをやるとキルトスクールを開き、私がアイデア、インフォメーションを送付しキルトの学校を作り、キルトジャパンというマガジンの出版を始めた。それが10冊ぐらいでヴォーグ社に譲ることになる。NHKの世界手芸紀行の一つ、「アメリカンキルト」のドキュメンタリー10日間の撮影とリサーチは 「ああ、若かったなー」 と思い出しても胸が躍る。このドキュメンタリーは20回以上のNHKから放映されたときく。


                   
           

福田繁雄さん、、池田満寿夫さん、マイケル・ジエムス、チャック、瀬戸忠信ヴォーグ社長等との審査は本当に楽しかったし、作者たちもハッスルしていた。

今年でNHKのキルトフェスティバルは13回目になる。スタート前にNHKからディレクターを頼まれたが、コマーシャリズムは私の意向とは違っていた。

しかしキルターたちの努力も30年もたち、みなさん自立し、影響を分かち合っている。技術的な巧さは世界一。最敬礼をして会場をみて回る。日本の匠の世界はすごい。何をやっても日本人の血が滲んでいると思う。幸せをはこぶ歯車のエンジン掛けになったことを、自己満足だけれども嬉しく思っている。調査当時、ハーバート大学で教鞭をとっていたライシャワーさんから、「キルトの研究のご成功を祈ります」との激励を受けたことも私のエネルギーの原点になった。
打ち込むことをアメリカ生活から学んだことを今、日本で感謝している。疲れを知らないで打ち込むのが青春時代なのだろう。

数日前アメリカ大使館に永住権破棄の申請を終えた。50年の月日がたっている。「本当に破棄しますか?」「はい」と答えこれからやることを考えていた。

バーハウスのような世界に影響を及ぼすキルトデザインが近い将来, 
日本から発信されることを心から祈っている。

 


潮風のキルト展・砂浜美術館2012

2012-11-04 08:20:59 | キルト

審査を終えて・・・

 ー私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。館長はクジラです。ー

 美しい高知県黒潮町の砂浜美術館のキルト展の審査を始めてから10年がたちました。この審査はほかの審査と
異なり、経験のながさで勝負をすることはありません。下手でもあなたが何を伝えたいか、感動を伝達しているか、
新しいし材料、新しいアイデア、新しい表現などににフォーカスを当てて審査しています。参加し、行動することが
一番重要なことだと信じています。

 感嘆するほどテクニックを駆使している人もいて心から尊敬します。しかし、上手さを伝えたいだけでなく
”やってみよう”と参加してくださることをとても嬉しく思います。これこそがコミュニティ アートの理想の形でないでしょうか。
ほとんどがヴォランティアで設置に朝早くから集まる方々、朝日に映えて松原をバックにそよ風に揺らぐキルト、
細いあぜ道の前はラッキョウの花畑が続きます。参加することがこんなにみなを元気にしていることを知らせれます。

 砂浜美術館は東京からとても遠く高知県の太平洋の砂浜と松原に面した美しい砂浜です。
私が審査を始めてから10年の月日が経ちました。そこに行くにはニューヨークと同じぐらいの時間がかかります。
しかし時間ではない。行動することをモットーとして頑張っています。
 東京に住み始めて2回目の審査、コミュニティのあり方がようやく実感し始めました。
キルトを作った人は必ず見に来ます。キルト作りは時間がかかります。ある程度努力をしないと完成しません。
この達成感が、コミュニティのつながりを作るのだと思います。

 賞を取ったから偉いのではありません。取れなかったからからダメでもありません。下手でも入選し、感動の分かちあいを学びます。
スポーツ精神がコンテストのあり方だと思います。
10年間、参加してくださった方たちから多くの方々から学んだことは私の宝物です。

 ものつくり、作り出すことはつばらしい!参加してくださった方々、ありがとう!
        


松原の後ろは砂浜、その砂浜では毎年春にはTシャツ展のシャツがひらひら風に泳ぎます。砂浜の向こうは坂本竜馬も眺
めたであろう、または船で通ったであろう太平洋が地平線まで続きます。夢を育む風景です。
松原にかけられたキルトの前はラッキョウの花畑、その間のあぜ道がキルト展の花道です。
この道に平行に並ぶ整地された美しいドライブウエイには”おへんどさん”が歩いています。このドライブウエイからキルトを
見てどれが一番インパクトを感じるかも、私の楽しみな審査の方法でもあります。小さなテクニックがいかに重要でないか、
デザインの重要性はなにかを学びます。
    
 富良野のラベンダー畑の表現を空以外はすべて飾りのモールテープで表現しているのも新しい方法です。
右上はアップリケキルトの中を流れる白い川は両面ナイロン合わせでその部分を切り抜いてあります。朝日にその
透明な川の部分が光を受け、川の流れに動きがでて新しい材料の使い方に感嘆しました。
    
左上のキルトはスケッチ教室の方々の楽しいスケッチがアップリケされています。並べ方もチョンと切ってしまった位置づけも
バランスに動きが出ていて楽しいです。右上はもう針を持てなくなった高齢者たちがはさみで花形を切って集め、その上から
ステッチをしたキルトです。皆で作った花畑。なんと美しい花畑の造形でしょうか。すばらしいアイデアですね。
    
 松原の向こうは太平洋、本当にこの色彩を感じる眺めです。スラッシュキルトの手法で景色が見事にアブストラクト絵画
のように表現されています。右上はロンドンにいた御嬢さんに思いをはせてオリンピックの歓喜の鐘の響きまでも表現され
ている秀逸なデザインと思います。
    
 ピースド手法で里山の景色がよくまとまっています。右上は気仙沼からの出品で知らない強みでコットンと荒い織の穀物袋の
ような芯地でまとめています。"なぜだめなの?” まったくその通り。新しい試みはやってみること。新しいことは行動かから始まります。 
皆で学べるキルトコンテストです。 参加する人が試みている新しいムーブメントが始まっています。
楽しいコンテストの審査でした。参加してくださった皆さんありがとう。

2013年、砂浜美術館のキルトコンテストに集まれー!

砂浜美術館キルトコンテスト応募お問い合わせ
http://sunabi.com
tel:0880-43-4915
Email:nitari@sunabi.com     

    
    

 


ドーム キルトフェスティバル:針仕事で起きた日本の社会現象

2012-01-29 22:49:09 | キルト


大作を作り上げる誇りとエネルギー

 2012年のキルトフェスティバルはかつてないほどレベルが高く、やりだすと追従を許さない
日本人のキャラクターを観る思いだった。すごい!と思うほど技術的にはトップレベルをいっている。
 着物を作った日本人の伝統的技術とか、布地を愛する執着や扱い方、教えられなくても
日本人の身に浸み込んだ布地をいつくしむ感覚が伝わってくる。

 20年前の1990年、私がプロデュースしたキルト展 「アメリカが日本のキルトにに及ぼした影響展」 はアメリカの美術館三か所を巡回した。ニューヨーク、ジャパンソサエティのギャラリーで展示されたとき、ニューヨークタイムスは1ページに大きく取り上げてくれた。驚いたのは私よりもアメリカ人であった。
 どこの国でも同じ現象で無名のフォークアート、特に女性の針仕事などを新聞の記事にする人は少ないのが普通であった時代、ニューヨークタイムスばかりでなく殆どの週刊誌がコメントを書いてくれたのは脅威的な現象であった。
 ある週刊誌は 「アメリカ人の血の滲んだキルトが、ひとたび太平洋をわたるとアメリカ人を飛び越える。これからアメリカ人は何をするべきか考えさせられる展覧会である」と。
これは日本のキルターに捧げられた最大の賛辞である。


 私は日本のキルターに誇りをもち、それをアメリカに知らせたかったので、とても嬉しかった。あれから20年がたち、さらに作品
は練磨され、キルトの前で ”よくやりました!”と最敬礼をして頭を下げたい思いで眺めた。
皆が巧くなったのは先生たちの指導のたまものだと思う。
 日本の伝統デザインはすでに出来上がっていて、各自が無意識のうちに技の世界を重視しているのだろう。

 願わくばデザイン面でユニークさが表現されればともおもう。
伝統の浅いアメリカで、しかも隔離されていた村、ジーズベンドで作られたキルトを思い起こしてほしい。技を知らず、伝統も知らず、貧しい村で作られた彼らのキルトのデザインはまさにジャズと同じく、血が踊る即興的デザインで人々を感動させる。

 キルトのすばらしさは他の針仕事では感じることができないない、作者と見る人とのコミュニケイションがあることでないだろうか。キルトの平面とサイズはファインアートの100号ぐらいで、、平面とその大きさでも圧巻。展示,観賞でき得るのも、キルトのネーチャーによっている。

写真:アメリカの切手にもなったアメリカの誇り、ジーズベンドのキルト


 即興的に作られたこれらのキルトは私たちに、例え作り方が下手糞でも心楽しく、人々を立ち止まらせ、ハッピーにさせるパワーがあることを教えてくれる。そして上手下手の評価ではなく、楽しんで作るフォークアートの真髄をも伝わってくる。

 アートとは何か。 ”アートとは人々をハッピーにさせるもの” という一つの定義には同感である。2012年のキルトフェスティバルは、創造の素晴らしさを分かち合えた素晴らしく、そして楽しい展覧会であった。
作ってくれたキルターの皆さん有難う。


キルトに現わす社会意識

2011-05-03 21:02:57 | キルト

アメリカンコンセプト:協力と思いやり

 キルトに現わすコミュニティワークは最高の意思表示になります。
多くのキルターの虎の巻となった「アメリカンキルト事典」は1982年、文化出版局から出版されました。アメリカンキルトの歴史、生活文化を含めてアメリカのキルトの真髄を紹介した日本最初のキルトの総括本です。キルトに関する知識を網羅したキルター必読の座右の書だと自負していますがその後、やさしく作り方を解説した本がいろいろの作者により何百冊と出版されていることはご存じの通りです。
 そして現在何百万人という人がキルトに携わり、キルトインダストリーともいわれるような大ビジネスになったことは本当に結構なことだと思っています。

 最近、47年間住んだニューヨークをはなれ、日本に住むことになりました。展覧会の開催は重要ですが、針仕事をお見せするだけではあまり意味がありません。作り方はもう最高、頭が下がるほど上手です。しかし、何を伝えたいのかが重要です。

 4月24日付き読売新聞に、「キルトにつづる希望」と題して、大田区の主婦、米山幸子さんは沢山の人からメッセージが書き込まれた布地を集めた ”希望キルト”を東日本大震災者たちに贈りたいと制作中であるという記事が出ていました。
 
 ーなぜアメリカンキルトかー 事典を読んでいただければ理解できると思いますが、アメリカ人の血のにじんだクラフトと言われるのは、ほかの国と違うように発達し数限りなくアメリカ中で作られたことです。
 ベッドを温め、部屋を美しくするために作られたのは勿論、女性の発言の旗印に、また助け合いや歴史を刻む手段として、愛情をこめてキルトが作られたこと、しかもそれが社会現象となったこともアメリカだけなのです。移民たちが自由の女神をみて涙ぐむように、新世界で作られたキルトへの思いは、無名の女性たちの暮らしの
発言となっています。

 4分の1世紀を経て、自然現象として同じ様なムーブメントが日本で起きたことがとてもうれく思いました。何かを伝えたいとき、しかも広告代も出さずに心をこめて社会にアピールできる最大のクラフトがキルトです。このことはノーベル世界平和賞をノミネートされたエーズ撲滅キルトでもお分かりの通リです。エイズキルトプロジェクトはエイズ撲滅のパワーフルメッセージを込めた、最も大きいコミュニティ プロジェクトでキルトで世界に発言しました。
[草の根で社会を動かす針と布:アメリカンキルト」:(小林恵著 白水社 1999年 参照)

 日本のキルトフェスティバルで大木に付けた大量の葉っぱや、布地の草はらを布地で作ってみてもあまり意味がなさそうです。その時間を、四角だけでも良い、つなぎ合わせてキルトにメッセージを書き入れ世界の貧しい人たちに贈るアイデアのほうが役に立つのでないでしょうか。

 戦後の日本女性の針仕事でキルトのようにビジネスを確立できたものがあるでしょうか。
歴史に残る現象だと思います。女工哀史で知るように日本では悲しい社会に反抗も出来ず、女性が無視されていた時代、折からの産業革命でニューイングランドの女性織工たちは高給で雇用されていました。
彼女たちから奴隷が綿を摘み、私たちは布地を織って高給をもらうのはどこかがおかしい。これは不平等で社会悪だと、自発的に彼女たちから起した社会運動も一つの引き金となって南北戦争につながっていきました。アメリカ人は初期のころから女性たちの社会意識をキルトに示しました。

 このたびの東日本大震災で亡くなった方たちに心が痛みますが、いろいろの暮らしの原点を考えさせられたことは皆で襟を正す”時”なのでしょう。アメリカ生まれのキルトに日本の社会意識を書き込んだ草の根発言のキルトが出来つつあることを、知って歓声を上げずにはいられません。重要なことは積極的な自らの分かち合える行動だと思うからです。


癌患者への慰めの言葉、祈りを集めた励ましのアメリカン友情キルト(小林恵所有)

アメリカ8代の大統領のサインを集め、リンカーンと就任式にダンスをした人の作った署名キルト。(アメリカンキルト事典)
      
このキルトはフォークアート美術館の館長から所有者を紹介されインタビューもしました。
      19世紀のインテリ女性は職業もなく、せめて女性の社会意識をキルトに表現しました。     
 
      
NHKの「世界の手芸紀行」でも何度も放映され,現在はメトロポリタン美術館の所有です。

最近ニューヨークのアーモリーで600枚以上展示された赤白アンティックキルト。キルトが社会現象でいかにたくさんアメリカで作られたかおわかりのことと思います。 撮影・提供: 貴山宏美



   


「キルトと比べてフックド・ラグが面白い理由」

2009-04-11 22:55:11 | キルト

なぜフックド・ラグが面白いの?

誰でもどんなデザインでも再現することが出来ます。
  針と布があればキルトを作れます。しかし、針仕事をしたこと
  のない人にとってちょっと気が重たい。パッチをするにはある
  程度計画も必要になります。

  ラグはかぎ針と芯地、ウール布とフレーム(キルト枠またはラ
  グ専用のフレーム)
があればOK.しかも面白そう!と思った
  デザインをキルトよりもサイズが小さい理由もあり、早く出来上
  がります。

          
写真上:17世紀の本格的医学書のページ、「いろいろな虫たち」 
写真下:「虫の居場所マップ」

デザインソースはどこにでも転がっています

 九州国立博物館収蔵の17世記の医学書、「腹の虫」は織田信
長が活躍していた時代の医学書で、虫眼鏡もなかった時代の「虫
の知らせ」「虫が騒ぐ」「お邪魔虫」「疳の虫」[虫酸が走る」など体
中に住んでいる想像の害虫たちが病気を起こすと解説されていま
した。
アーサー ビナードが復元した痛快な「腹の虫たち」(フレー
ベル館)の本を見て、すぐ ラグを作ってみたいと思いました。

  好きなデザインを見つけたらそれをひょといただき!あとは自
分でデザインする。簡単でしょう?その時はどこからデザインソー
スを得たか必ず明確にしておきましょう。

写真:上のラグは「腹の虫」の絵本を見てすぐ作ったラグ「騒ぎ虫
たち」 制作:小林恵 


2)メッセージを伝達できる
伝えたいことを自由に書きとどめることが出来ます。
      

写真:「地球が泣いている。ストライプを持って手を繋ぎ、平和を作
っていこう」
制作:小林恵[写真撮影・高橋仁己」
写真左下:「平和の種まきをしよう」 「希望の種をまいていこう!」
「すぐ行動しよう」 などのメッセージを書き込んだラグ制作:小林恵

写真右上:「もったいない」世界語になった21世紀のコンセプト。
制作:伊藤恵子 写真:高橋仁己

写真左:アメリカの重商主義を代表するプライスコード、21世紀を
考える日米ラグ展へのメッセージ。 制作:Barbara Held
写真撮影:Linda Rae Coughlin
写真右:「まじりあう海流」制作:Tracy Jamer 100%コットンのTシ
ャツ リサイクル コットン材料は台所やお風呂のドアの前などに
適しています。写真撮影:Linda Rae Coughlin

3.やろうと思えばどんな材料でもOK。
 ウールはスチームアイロンで仕上げるとフエルト化してフックした
目がそろい見違えるほど美しくやわらかくなります。長持ちすること
なども考えれば100%ウールが一番理想ですが,芯地の裏から引
き上げることが可能な紐状であれば何でもフックすることが出来ま
す。実用でなく、作品として作るには荷造り紐、靴ひも、きょうぎ、紙、
革、化繊など何でもできます。
           
写真:「自由な縞模様」 NYタイムスの写真ページをストライプに切
り、また和紙でロープをフックした新しい試み。
制作:Liz Alpert Fay 写真撮影:Linda Rae Coughlin

4.デザインは簡単に芯地に写すことができます
  a.NHKのおしゃれ工房[1998年4月23日、24日放送)ホッ
  
クド・ラグのある暮らし:で実験しました。アイデアは「台所にあ
  るものからデザインしましょう」でした。デザインしたことがない
  人は始めはどうしたらよいかと、とまどう事でしょう。しかし簡単!
  例えば台所にあるナイフ、フォーク、スプーンなど何でも芯地の
  上にバランスよく置き、回りのアウトラインをサインペンできっち
  りとトレースします。アイデアを提案しただけで各自が工夫して
  自発的に作ったものでしたが、本当に楽しいものでした。

参考:NHKおしゃれ工房:1998年4月号「ホックド・ラグのあ
る暮らし」参照 お問い合わせ:0570-000-3218(販売)又は
NHK視聴者コールセンター 0570-066-066

  b.同様に花、葉など実物のアウトラインをちょっと厚い紙に写
  し取り、型紙を作ります。
  芯地の上でアレンジしてデザインします。又、同じ型紙を使って
  も作る人によりすべて変わる ところも面白いですね。
参照:アメリカンフックド・ラグ ページ64-65

 c.好きなようにアレンジしてみましょう。

「北斎の驚き」写真下、北斎の「神奈川沖浪」の版画からり紙でイ
メージをつくりかえたデザイン 制作:小林和子 
写真撮影:高橋仁己
      

5.リサイクルのセーターOK。
  山根基世さんはすべて自分の古着のリサイクルで最愛のネコち
ゃんを作りました。「アメリカンフックド・ラグ」の本をよく読めば誰でも
作れますというと彼女は早速実行したのが下のラグです。間違った
からだめということはありません。次の作品は必ずもっとうまくなるは
ずです。アートなーに?との問いに私は「人々を幸セにするもの」と
信じています。山根基世さんのラグを見てみな微笑みますね。

写真左:「ネコちゃん」処女作 制作:山根基世 
写真右:「春の川辺」制作:藤村菜穂子  撮影:高橋仁己

6.処女作でさえ人々の共感を呼ぶ
  最初の人は私に出来るのかしらと躊躇します。心配無用!ラ
グ展に処女作で参加した藤村菜穂子さんは初めて挑戦。”川辺
を散策していた時、太陽に輝く川面を見ているといろいろの色彩
が見えました。その色をノートに書き留めストライプで表現しまし
た”とコメントしています。素晴らしいアイデアと思いませんか?
  長年の経験を誇る技術も尊敬しますが、たとえ技術的にはい
まいちでもこういう”作り出す動機”と、”分かち合えるアイデア”
には感動しますね。

7.ファインアートの複製を作ってみよう。
  「油絵でファインアートの複製を作ってみてください」と言われ
ると、え?と手も足も出ません。しかしラグでは「ソックリサン」を
復元することができます。マネをするということでなく色彩の対比
とか作っているうちに天才はすごい!と学ぶことがあり、発見して
いきます。一度は試してみましょう。
  絵葉書であれば拡大し、さらに拡大して好きなサイズを決め複
写をそのまま型紙としてカットし、芯地に模写していきます。
   
ピカソ「ギター」の複製 写真下・ピカソ「女」制作:小林和子 
           

考:小林恵ホームページwww.ny-apple.comの中の ものつくり→
ラグ情報→ユニークなアイデアこそ価値がある。(大学のカリキュラム)

参考:「アメリカンフックド・ラグ」小林恵著 主婦と生活社
2002年

ラグ教室:ホームスパン(03-5738-3313)にお問い合わせ
ください。


「砂浜美術館のキルト展・・・7年間の審査を終えて」

2008-11-16 19:54:25 | キルト

「砂浜には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です」
館長は鯨さん。
 ユニークなコンセプトの自然美術館の松原でキルト公募展の審査を
始めてから7年の月日がたちました。
 東京から高知県の土佐の黒潮町への往復はニューヨークへ行く時
間と同じです。単線の小さな駅を降りると何十本もある屋根付広場の
柱に子供たちがペイントした駅前広場に出ます。ウワー可愛いらしい!
「こじゃんと巧いものが」あると立ち止まります。アンパンマンの汽車
も走る高知です。「好きなようにやればええがでー」と「巧くやろうと
思わんでええがよー」と言っているかのようです。
まづここでホットして疲れを忘れます。

広がる青い海のように、長く続く砂浜のように、可憐ならっようの花
のように、何かとてもユニークなものがありそうな所です。

 子供たちの創作力と地域意識を伸ばし、将来に役立つように、
2004年に「子供たちに教えるキルト指導要項」46ページのブックレ
ットを砂浜美術館のために書きました。株式会社凸版印刷のご好意
でパワーポイントで私が書いたブックレットを沢山印刷していただき、
砂浜美術館に寄付いたしました。その結果かどうかは分かりません
が審査で感じたことはキルトの概念にとらわれないで自由に作っ
ていると思います。伝統は学ばなければなりませんが、壊す事で進
歩があり、とらわれない事で新しいものを作っていきます。
 デザインは複雑で細かければよいと言う事でもありません。
発想のユニークさが一番大切なあなたらしになります。
2008年今年の審査の結果から感じ取る事が出来るでしょうか。

潮風大賞:「休魚」 植田壽子   潮風賞:「有難う」 西村静枝

ささやき賞:「満開」 比嘉好子  ささやき賞:「秋」 埜下鈴子 

ささやき賞:「思い出」山中志津香 らっきょうの花賞:「不思議な海」
                     中村幼稚園きく組

らっきょうの花賞:「橋」宮川真理子 らっきょうの花賞:「砂浜美術館」
                      小松和恵


らっきょうの花賞:「Tシャツアート展」らっきょうの花賞「深夜の合唱団
大方高校開放講座一同       柿内由美子

*指導要項をご希望の方は砂浜美術館にお問い合わせください。
 砂浜美術館事務局〒789-1911高知県幡多郡黒潮町浮鞭3573-5
 ℡:0880-43-4915 http://sunabi.com/  e-mail:nitari@ sunabi.com

 

 


 


「「キルトから学ぼう・誰でも出来る種まき・小さい事から始めよう」。」

2008-05-05 10:46:23 | キルト

夢を持とう!海の向こうには何があるのだろう。

 
竜馬の夢はこの海に続く桂浜の海の向こう,まだ見たことのない
世界
を考える事から始まりました。この海を毎日眺めれる子供たちが
実行したことは。

ユニークなものの見方を持つ「砂浜には美術館がありません。美しい
砂浜が美術館です」高知県黒潮町の美しい砂浜のキルト公募展です。
この小さな町でもう何年も続いている公募展。美術館、街の人たち、
そして遠くからも応募してくるファンの支えで続いています。
小さなキルト展ですが大賞は10万円です。川口小学校4年生の作った
キルトが大賞をとりました。

大金をどう使うかクラスで検討した結果、
植林と校庭のベンチを作ることに決定しました。いい話ですね。



PTA、父親たちが参加、協力してして大木からベンチを作りました。
子供たちの記念植林はすくすくと伸び、いつか2世たちが「この樹はね、
お父さんたちがキルトの賞金で植えたんだよ」「このベンチもそうだよ」
と。 
植えた樹は年輪をかさね、自然がちゃんと参加者の嬉しかった
思いまで伝えてくれることでしょう。

キルトを作った川口小学校・4年生 上岡かおり先生のクラスと父兄。

受け持ちの先生が実に心を込めて指導していることに、子供たちと
会話がしたいと一緒に来て下さった山根基世さんと共に感動しあい
ました。子供たちとの会話は種まきをして芽が出て、大木が育つ喜び
と同じでとても嬉しかったです。

それはもの作りをする女性たちのひと針にすぎませんが、キルトを一
枚に仕上げ、誰かを幸せにしたい願いと同じですね。私たちは小さい
ことから、とても大きなことを学びますね。ローテックからハイテックの
出来ない事を学ぶのは、手作りの素晴らしさですね。

2008年度の砂浜美術館のキルト公募展に参加しましょう。行ってみ
ると砂浜美術館に来てよかったと誰もが思うに違いありません。
大空と広がる海、美しい自然があなたを歓迎してくれます。
参加しましょう。行動しましょう。そして喜びを分かち合いましょう!

 


「第6回砂浜美術館キルト公募展」にあたって・2007年11月

2007-11-16 20:51:44 | キルト

  美しい自然と素朴な人たち

 
高知県黒潮町土佐入野の駅を降りると駅前広場の柱に子供たち
の可愛い絵が柱一杯に書き込まれていて思わず立ち止まります。
 
赤い柱、黄色い柱、鯨や魚やコーヒーカップまで書かれています。
創作の意欲とアイデア、協力して皆で作るもの、作り出す楽しさを指
導する土地の先生と子供たちのアイデアが長旅の疲れを癒します。
そしてこの町は面白そうという印象を旅人に与えます。
 「砂浜美術館は建物がありません。美しい砂浜が美術館です。館
長は鯨です」この砂浜美術館のコンセプトは其処に行ってみて初め
てこの意味が納得できます。
 
 私が「砂浜美術館の潮風のキルト公募展」の審査をしてから第6回
目を迎えました。 今年は天候にも恵まれ、遠路ほかの県からお越し
下さった方たちや子供たちも参加して賑わいました。満開のラッキョウ
の花畠を前に、風にそよぐキルト。バックは入野の松原、その後ろは
太平洋といつもながら舞台効果は満点でした。 アメリカンキルトがヨ
ーロッパと違うユニークなところは質実剛健さと地域の協力精神を代
表していることです。お互いに助けが必要であった開拓時代の相互扶
助がアメリカ精神の真髄です。村人が集まって作る納屋の棟上はキル
トのパターンになりましたし、地域の協力精神はキルトビー(集まって
働き蜂のように働くこと)に代表的なアメリカの地域社会を見ることが
出来ます。
 もう一つの大事なポイントは寝室を美しくすることですが、日本の
住宅事情は近代国家、経済大国にも関わらず、暮らしの中でも最悪
な状況です。キルトを飾る余裕もスペースもないのが実情でしょう。
にも関わらず、世界に誇れる日本のテキスタイルの伝統が、その伝統
を証明するかのようにキルト創作が浸透したことは本当に嬉しいことで
す。 そのよい例が中島三枝さんの魚のデザインキルトです。

 ミシンキルトですが日本の布地で魚の陰影、立体感を見事に表現
しています。図鑑にあるようなデザインですが見れば見るほど繊細で
日本人でこそという作品で、アメリカに帰ってから誇らしくアメリカのキ
ルターに見せたい思いの作品でした。 現代的なよいデザインもあり、
中でもが子供たちには教える人の意欲とセンスが作品に反映され、

教えることの大事さを教わります。子供たちの行動は指導する先生
次第で変わるものだと信じています。
 このたびは巧さよりもキルトビーを子供たちから発信できる事を願っ
て、また皆で子供たちを見守るための意味を込めて子供の作品に
大賞がいきました。賞金の使用はまったく自由ですが、子供たちの
反応から大人が子供たちの社会意識を育てていけたらと願っていま
す。  キルトの公募はファインアートの公募と違います。暮らしのエッ
センスを網羅したキルトへの表現は無限で、限りない可能性が潜んで
いるところが人々の心に触れるのでしょうか。 2008年は砂浜美術
館の20周年だそうです。関わる皆さんの熱意で継続することの素晴
らしさをニューヨークにつながる太平洋を見ながら思うことも人生の幸
せと感ぜずにはいられません。

参考:砂浜美術館  http://sunabi.com/
        凸版印刷       http://www.toppan.co.jp

        ペンテル        http://www.pentel.co.jp

  


「価値観を変えたアフリカン アメリカン キルト」

2007-08-03 00:21:48 | キルト

ジェラシー訴訟が円満解決・民主的ファンデーションが誕生!
ジーズ べンド(Gee's Bend) のキルト        
写真:切手

 
大衆のステレオ意識を変えるには長い時間とショックセラピーが必
要である。
 1972年、ジョナサン・ホールスタインがキルトの中からアブストラ
クトデザインを発見し、ウイットニー美術館で開催したキルト展はセン
セーションを巻き起こした。それまで誰も評価しなかった名もないア
ウトサイダーの作ったキルトがアートとして展示されたことはアメリカ
人も驚愕し、以来キルトムーブメントが世界中に浸透し、歴史の新し
いページが開かれた。
 しかし60年代に起こったポップアート アーチストたちはすでにキル
ト デザインの並列を試みている。アンディ・ワーホルはコカコーラの瓶
やキャンベルスープ缶を並べたてている。

 地図にもなかったアラバマ州の貧しい奴隷の末裔が住むジーズ 
ベンドで、アフリカン アメリカンたちが作ったキルトが美術館に展示さ
れ、世に紹介されたのは2,002年。ビル・アーネット(Bill Arnett)の
プロモートにより一躍有名になった。


 暮らしの必需品として作られた彼女たちのキルトは、がたがたベ
ッドの敷布団になり、古くなると蚊の退治用に煙と消えていった。
貧しくて布地も買えず、修繕された布地をそのまま使ったり、常識で
はマッ
チしないコーデュロイと化繊を混ぜたり、布地次第で作ったキ
ルトである。そこには気取りのない彼女たちの暮らしの詩と色彩、リ
ズムが躍動し、規制観念を持たないアブストラクト アートそのもので
あった。
 展示は大成功し、複製キルト、ライセンシー、出版物など大ビジネ
スに発展した。しかし、キルトはアーネットが購入したものだがロイヤ
リティをめぐって訴訟問題になった。

 その結果、700人の村民たちはファンデーションを作り、50%はキ
ルターに、後はコミュニティに還元することにした。室内装飾用品に
われたデザインのライセンシーで得た収入はそのロイヤリティで作
れなくなった年老いたキルターたちをも助け、50%はファンデーション
の収入になる。現在15万ドルに達している。(ニューヨークタイムス)

 ”黒人はデザインのセンスもなく不器用だ”  ”汚いボロではキルト
は作れない” ”針目が大きく踊り、曲がり、よくもあんなものが・・・”
など・・ すべて厄介な規制観念がデザインを邪魔していることを、本
当に大事なことは自分らしさ、のびのびとした表現力、創作力
という事を、彼女たちから教えられる。

 「キングが私たちをコットン畑から解放してくれました。アーネットは
敷布団から美術館の壁に展示してくれました。私たちにとってキルト
はお金以上のものなのです
」と、キルターたちは語っている。

 参考:The Quilts of Gee's Bend   
         http://www.quiltsofgeesbend.com/news

 

 


 
 
 
 

 


 


「キルトを通してアメリカを見よう」

2007-02-04 04:38:13 | キルト

ものの背後を学び可能性をクリエイトして行こう。
無言の発言 「涙のキルト」



背伸びをしないで出来ることを世の中に還元していきましょう!
 ベトナムの友人タンツーさんはベトナムのロイヤーですが、時間の
許す限りボランティアでベトナムの枯葉剤犠牲者のために世論を画
期しています。写真のキルトはいまだに身体障害者が生まれている
ベトナム戦争の枯葉剤犠牲者の悲しみを訴えているキルトです。
 上手下手でなくキルトは社会の矛盾に対して発言の旗印にもなり、
また公共のための資
金を調達していったアメリカのエネルギーも読み
取れます。
キルトの背後から学ぶ大切なポイントなのです。
 写真はワシントンのデモ。マイノリティで資金もなく、政治的発言も
少ない国はこのキルトばかりでなく、深く考えさせられてしまいます。
 しかし、人々の心を打ち次の動機を作っていきます。

 資金調達のキルト



 あるときたずねたニューヨーク郊外のコミュニティの教会バザー
で展示されていたキルトです。解説には「皆さんの協力でこの教会
は祝福され、皆さんのために設立されています。よいアイデアを募っ
ています」と書いてありました。
 特別に素晴らしいキルトでもありませんでしたが、アメリカン気質が
継続されていて、心が温まりました。私たちのような普通の人々の
心を打つことがどんなに大切なことであることかを学びます。
 小さくてもよい。世の中を良くし、変えていく原動力になることを針
を動かすだけでなくみなで考えていきましょう。
 


 


「キルトディーラーのブース」

2007-01-31 12:56:16 | キルト

アンティック ショーにて




 キルトはアメリカの宝になりました。キルトの専門店でなく、どこの
アンティック屋にもキルトが置かれてあったのは昔の話。
 マンハッタンには専門のキルト屋は数軒になり、しかもアポイントメ
ントが必要です。高価になったのでウインドーショッピングで買う人が 
いなくなり店を維持していけません。現在購入する多くの人は
インテ
リアデザイナーとか、ヨーロッパのコレクターが多いそうです。
あとはディーラーからディーラーへと、たらい回しになりその都度値段
が上がっていきます。
 歴史的に重要なものは殆ど姿を消しました。署名があったり歴史を
証明できる特別のキルトはオークションに出すチャンスが訪れるまで
コレクターのところで眠っているのでしょう。
 私の著書「アメリカン パッチワーク キルト事典」1983年
(文化出版局)
に掲載されましたキルトの写真の殆どは現在アメリカの美術館所有に
なっています。
上の写真でお分かりのようにつまれているキルトは極普通のものです。
 それでも100年から150年前に作られたものです。なぜ作ったのか。
展示のために作ったものではありません。基本的には暮らしを美しくす
るために、ベッドを飾るために作られました。ベッドルームが100年以
上も前から美しくキルトで飾られていた暮らしのスタイルをぜひ想像し
てみてください。アメリカの暮らしの文化を知る第一歩です。