小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

芸大祭 vs ニューヨークのパレード

2015-09-05 20:24:48 | 暮らしのジャーナル

私は大のパレード好き

  ニューヨークにいて一番面白いことは人々の反応です。美術館でも同じ位置で作品を見ている人と目が合うと
何も話さなくてもうなずき合う。こういうことつて嬉しくありませんか?

 私はパレードやお祭りを見るのが大好きです。日本のお祭りはすごい!集団となると俄然元気が出るらしい。
このエネルギーはすごい!皆生き生きしていて祭りの本髄、無条件に楽しい。こんなに皆が楽しそうにハッスルものって
ほかにあるだろうか。かっこいいとは日本の祭りとおもう・終わると普通のおじさんおばさんになってしまうのも
とても不思議。
 20年以上続いているという芸大の「神輿パレード」を見た。散歩道なので帰国後これで2度目。


  
  
        
  蛸が断然面白かった。意味が違うかもしれないけれど人為的建造物に絡まる大蛸は迫カばかりでなく現代を嘲笑し、
  未来的でさすが藝大生のやることと思った。卵から出てくる怪獣も素晴らしい。ただでかいだけでなく発想が愉快だ。
  一つだけ残念に思ったことは、制作に力尽きたのか、担ぐ人たちがただ歩いているだけでハッスルしていなかったのは
  不思議。作品と歩く人たちの掛け声も見る人々の拍手も「ワーオ!!」という人もなく冷めたものだったのは残念!
  グループ別に特製ハッピを着ていても感情がなければロボットだっていいことになる。未来を担うアーチストたちよ。
  尊敬しながら見ているんです。作者たちはもっと高揚してください。

   ニューヨークのパレードは見ている人たちの反応を見るだけでも面白い。
  周りの空気に色がつくと言ったらいいのかしら。
目の前にやってくると大人も子供も騒ぐ。
  子供が飛び出てきて行進について行ったりして、微笑ましい。芸大生も芸を見せるだけでなく創作を心から誇り高く声を
  上げ
た方がいいと思った。こんなすばらしい、ものつくりができるのに生徒が冷めているのは惜しい!
  祭りは作る人、見る人たちのコミュニケイションで
ないかしら?作る人はもっと興奮して創作した喜びを体で表現してほしい。

  下の写真はニューヨークで80年以上も続くメシーズ百貨店の
感謝祭
パレード。
   
   
  


 

 


"わが道を行く”猫ちゃんと歩み寄りの試み

2015-05-17 09:40:45 | 暮らしのジャーナル

     今私の小さな庭の椿の垣根の下には猫侵入防止の針むしろのパネルが並べてあります。ひどいと思うけれど、うんちにやってきてキチンと土を
     かぶせていきますが堂々とやってくるので、棘付パネルに至りました。野良猫は運命で捨てられたので可哀想。谷中には土がないので行き場所がない
     のです。棘付パネルもない谷中霊園だって土がないのです。猫は集団的自衛権を行使もできないので捨てた人の責任を誰かが守らなければならない。
     猫を守るNPOもあり毎日朝と晩の食事を届けている人たちがいます。病気の猫がいれば病院に連れて行き、大雨が降れば隠れているところまで
     ご飯を届けています。
     外国人のおじさんが餌をあげていました。「この猫にだけあげているの?」 
     「なぜかこの猫だけ寄ってくるんだよ」
     「どうしてあなたがきたことわかるの?」
     「いつもこの場所だし、多分時間だと思う」
     「猫言語で縄張りがあるのかもしれないわね」 というと
     アメリカ人らしい彼はウインクしながら 「僕を好きなんじゃない?」 といいました。
     

     生徒たちとフックド・ラグで猫ちゃんを作っています。帰国して谷中に住み始め猫が多いのに驚きました。縫いぐるみでもなくウールでフックした猫は自然
     と共に生きている猫とも会話が出来るんです。
     猫も勝手だけれど、ひっかいたりしないし、完全に無視。そこがいい。よその領域まで出かけてご飯も盗まないし、集団を作って噛み付きもしない。
     これはきわめて共存している平和な光景です。 

     
     集団お好きな男性たちの集団的自衛権なんて平和を守ろうとしていない人の発想じゃないの?その前に仲良くできる集団的世界平和条約が出来ると
     いいわね。
                 
     
                   どうせ死ぬなら平和裡に死にたいと誰もが願います。何百年も平和に眠る人々の声を聞きましょう。
            
                                        なんといっても平和が一番!
                     

                 

     

        

 

 

            

          


ニューヨークの犬

2015-04-20 21:07:41 | 暮らしのジャーナル

       誇り高い犬

             悠々と、堂々と犬の持ち主は犬と誇らしげに歩くのがニューヨークスタイル。
       急いでもあまり進まないような細かい犬の持ち主に男性は声をかけないので、散歩用の貸し犬屋が若い子にもてる。どの犬と散歩すれば
       イカス男性に声をかけられるか、友人の娘たちの話を聞いているとボーイハントのスタイルも変わってきている。
勿論犬種により貸出料も違う。

       デラックスアパートには大きい犬の持ち主は入居できないことになっている。もちろんどこに行くのにも放し飼いはできない。公園に
       ドッグランがあり、そこでも友人が出来る。ドッグランでは犬の種類にかかわらず、小さい犬、大きい犬一緒に走りまわっている。

       外出する猫は少ないのであまり外には出てこない。たまにおじさんの頭の上の載っている猫や首巻状におじさんの首巻になっている猫もいる。
       猫を見世物に歩いているのはなぜか男性に限っている。

       
       犬の散歩専門トレイナーがいてとこ時満ちでであるが壮観!それぞれが誇らしげに歩いている。
       
       猫はブス猫もかわいいけれど、立派な犬は
       褒めてもにゃんとも言わないし、寄り添い難く、私はやはり猫派でーす。NYに住んでいたとき写した写真は数え切れず、さしあたりの写真です。

 


富岡製糸工場(1872年)vs:マサチュウセッツ・ローエルの産業革命(1825年)

2014-07-15 17:19:13 | 暮らしのジャーナル

 どの時代でも日本の普通の人が身に付けた技術は素晴らしい。アメリカはアイデアがすごい。しかし体制が崩れるとどうなるか。世界が共有する悩みである

明治時代の産業革命の遺産、1872年、近代日本の基礎を築いた富岡製糸工場、上流社会の子女も女工になり、施設の中には高級で雇われた外国人のワインセラーもあり、豪華な住宅がついていた。しかし、産業化される前は普通の人は蚕から糸を紡ぎ、絹織物を織っていた。しかも地域的にも様々なデザインがあるのもすごいことだ。 

着るということ、織物の重要性は衣・食・住とあるように重要性の割には織る人、その技術や社会的地位は長い間疎んじられてきた。しかし、日本人の着物の歴史が織物を知らない人でも両袖を引っ張るとピンと着物姿が美しくなる。織物は幾何学的な思考が必要だ。美しいものを作りたいと考える能力は日本の伝統に育まれれていると信じている。

一方アメリカでは50年以上先駆けて1825年、マサチュウセッツ州のローエルがアメリカのモデル工業地区となった。ハーバート大学卒業のフランシス カボット ローエルは1817年、テキスタイルの産業化を考えクラスメイトに投資を依頼したとき、「よろしい。素晴らしいアイデアだ」と皆がそれぞれ500ドルを投資。「もしも失敗したら返金は無用。成功したら利益の半分をいただこう」といった。

利益は労働者に還元したいというローエルの民主的理想は彼の死で友人たちが引き受け、1823年マリメック河の水力を利用し、一大産業地区を確立し、テキスタイルによる産業革命が始まった。ニューイングランド知らずしてアメリカを語るなかれと言われるように、そのスケールには感動させられる。ほとんどが農民であった女工たちは高給で雇用され、教育も受けた。雇い主が女工たちと信仰と自由民主の精神を共有し、レクチャーにリンカーン、エマーソン、ホーソンなど有名な知識人たちが講演に出かけている。

驚くことは女工たちが5年間にわたり雑誌を刊行していたこと。南部の奴隷たちが摘んだコットンで布地を織り、自分たちだけが高給をとるのはどこかがおかしいと労働問題まで関心を持ち発言していたことだ。

のち筍のように林立した工場の大量生産と価格競争が始まり。労働人口として移民を歓迎したため貧富の差が生じ、現在南部のコットン畑は大豆畑となりコットンは中国に委ねだれている。

ニューイングランドには今でも網の目のように繋がるカナルと150年前の5階建て建物がいたるところにあり、地下室にある1本の太い心棒が水力で回り、ベルトで調節し各階の機械別にエネルギーを送っていた。歯車はすべて鉄と木の手製である。

現在はアートギャラリーやスタジオに利用されている。



東京オリンピック1964年、その時のアメリカは?

2013-09-20 15:38:45 | 暮らしのジャーナル

佐藤テルさん
 ニューヨークでは佐藤テルさんとご一緒だった。私より2廻りも年上の大先輩。私は愚図のほうではないけれど彼女が ”15分あるわ。ロビーで会いましょう。お着物を着てらしてね。”
着たこともない着物を15分で着て大急ぎでロビーに行くとテルさんは涼しい顔してきちんとお着物を召して私を待っていた。テルさんは元ワコールのデザイナーでご主人は日本自転車協会長。子供もなく、当時でも知る人ぞ知る
リーダータイプの方だった。ニューヨークで会いましょうと東京のアパートに訪ねてきたときは ”そうね。 あなたなら大丈夫だわ” といった。1週間彼女にふりまわされたけれども多くのことを学び、開眼させられた。

ニューヨーク、ニューヨーク
 街に出ると面白いことばかり。ウルワースという今の100円ストアのような店が街の角角にあり、ショーウインドーにはビートルズの音楽と人形であふれていた。英語の歌詞は全くわからず I Want To Hold Your Hand に
耳を傾けても, 「アイウオントホーリョーハーンド」となんのことかわからなかった。 ビートルズ、初めてNY着。若者が押し寄せ卒倒する人がニュースになっていた。レキシントン45丁目にあったYWCAのモーガンホールに
泊まっていた。1週間朝食と夕食付で40ドル。
 世界博覧会開催中。当時の大統領はケネディの後で選出されたジョンソン。民権運動、貧困者への生活サポート、ベトナム戦争。新聞は見出ししか読めなかったのであまり詳しいことは理解できなかった。
 当時の年間収入平均6,000ドル。車のガス、1ガロン30セント。新車が平均3,500ドル、初めて売られるフォードのマスタングが宣伝されていた。アパートの平均賃貸115ドル、映画1,25セント、コーヒー10セント、ドーナツ
5セント、アイスクリーム3つ重ねのてんこ盛りが25セント。
 ブロードウエイでは ”ハロードーリー” ”ファニーガール” ”屋根の上のバイオリン弾き” をみた。途中で大声を出して泣く女性がいたので驚いた。ユダヤ人粛清の話を後で聞いて初めて人種問題について考えさせらた。

黒人で最初のオスカーがシドニー・ポイチエが獲り大ニュースだった。黒人をリンチして殺したククルス クランの事件、黒人問題など日本では考えたこともない問題に直面し、エクサイティングな日々だった。
隣の部屋には高校を卒業したばかりのニューイングランドから来た可愛い子ちゃんが住んでいた。同年配とおもわれ、ディスコに誘われたりモンキースのダンスを教えてくれ、ダンスの帰りにはアイスクリームをご馳走してくれた。
私がキャッシャーに行くとふっ飛んできて、「いいのいいの。私働いているから」 と三つ重ねのアイスクリームを嬉しそうにおごってくれた。

 ドライブをすると初めて見るハイウエイの巨大なビルボードにはバーバラストレイサンドのレコードの宣伝。どえらく大きい。数年後彼女の帽子を5番街の高級デパートメント、バーグドーフに届けに行ったなどとは考えるすべもな
かった。 右端はコインセルフサービスレストラン、ホーン&ハーダー。すべて窓から見える陳列食品にコインを入れると扉があく。もっともアメリカ的プラクティカルなアイデアだと感動した。興奮の日々であった。

当時のバーバラ・ストレイサンド

 

 


1964年のオリンピック:私のセンチメンタル ジャーニー

2013-09-08 20:48:08 | 暮らしのジャーナル

1964年6月24日、日本脱出。憧れの世界へ飛び出す。

 日本では大京町、新宿御苑行幸用の扉の向かい側、慶応病院の坂下、有名人?が多く住んでいた傑作なアパートに住んでいた。毎日神宮外苑の競技場の屋根葺きが始まり、
カーン、カーンとその槌音を聞きながら日本を後にした。オリンピックの年。初めてツーリズムが4月に解放され、すぐビザを取った。13か国を6か月で回る予定。
予備知識皆目なし。大雪山連峰を見ながら、あの山の向こうに行きたいと夢見て育った。当時は帽子デザイナーで、夢中で働いていたので昔のお客様に会うととても恥ずかしい。

 大勢の友人が羽田に見送りに来てくださlった。タラップを降り、階段を上り、バンザイの声に送られてプロペラ機がとびたったときはわれながら感動した。
”私はひとり” 初めて一人きりになった。
素晴らしい冒険の旅が待っていた。途中で寄ったデンバーの友人、勤めていた麹町のベルモードのモデルをしていたフエイス・カークの美しい暮らしぶりに心から感動した。
デンバ―をたつとき彼女が言った。「ニューヨークには普通のアメリカ人でさえ中々いけないのにあなたは本当に勇気があるわ。アメリカの家があると思っていつでも帰ってきてね」
とハグしてくれた優しさは今でも忘れない。思えば長く、そして短いく楽しいニューヨーク生活だった。

 ニューヨークのアメリカの魅力に取りつかれて47年間,振り向かず自分に負けすに生きてきた。
偶然のチャンスで即刻決定して谷中に住むことになり、
2度目のオンピックを日本で迎えることになり、感慨無量である。

感動を分かち合って

 オリンピックのプレゼンをテレビで見た。高円宮妃 久子様が特に一番素敵だった。テレビの映像を駆使して完成予定未来図をみせ、[既にスポンサーの資金がこれだけ集まっています] と大画面に
スポンサーの名前が出て知事が説明た時、勝負が決まった瞬間だったと思う。その時スペインもブラジルもトルコも負けたことを自覚したと思う。
 帰国して驚いたことはみながお金の話を平気で話題するのにいつも恥ずかしいと思っていた。お金を稼げない人はプロとは言えないともいわれた。価値観が変わってしまった日本を寂しくおもっていた。

 しかし企業がこぞってスポンサーになりうる日本はやはりすごーい!

 オープニングの企画は宮崎駿がやってくれるといいなーと思う。アニメや映画はもう作らないというけれどもたぶんそれ以上のことを考えているに違いない。
ディスニーのおとぎの国はもう古い。想像力を駆使した夢の国、ディスニーを超える世界規模の未来に遊ぶ「科学館」を彼が作ったら世界中のマグネットになれるのでないかしら。

 メイン州から来た最後に残されたシェーカーの老婦人の講演会がフォークアート美術館であったとき、(たぶん彼女は今の私より若かったと思う) 彼女が言った。
「私を醜いと思ってくださっても結構です。皺だらけと思ってくださっても結構です。
しかし年寄りだとは言わないでください」と。

お金でオリンピックを用意できるのもすばらしい。しかしそれだけではない。震災の経験で団結した精神力の勝利ではないだろうか。やはり働き続けた精神力のほうに価値がある。

昔から育まれた日本人が誇る日本の精神力でないだろうか。「たそがれ清兵衛」さんを今の日本に連れ戻してきてあげたい。

こぞって心から応援しよう。外国で暮らすと愛国心が高まる。母国がよくなることは本当に誇らしいことだ。帰国してよかったと日本に心から感謝している。

人生は楽しい。夢見るのは楽しい。夢中になれるのも楽しい。小さくてもいい。そこそこでもいい。休みたいとは思ってはいけない。

 

 


震災後、それぞれが意思を表現しているのは素晴らしい

2013-05-05 16:30:38 | 暮らしのジャーナル

 外国から日本を見た時

長い間のニューヨーク滞在中、日本に帰国したときいつも感じたことは、一般に即刻意見を言う人が少ない。
思慮深いからか、まわりを気にするからか、知らない人の前ですぐ意見を言う人が少ないように思えた。

私の間違いかもしれないけれど・・・

しかし最近はフエイスブックやツイッターの影響か、テレビの突然の質問にもみなきちんと答えている。
特に震災後のショックからだろうか、あまり人の前で心の内面を話さない人もこれからどうするかを語る人が多いのは
気持ちを分かち合えて、学ぶことが多く、日本人は変わってきたとおもう。

 日本のお寺の樹の枝に祈りごとを書いて、白い紙が木の枝に結んであるのはとても優しい風景だ。
みな何を書くのだろうかと立ち止まる。
たぶんよいことがありますように、またはやすらかにお休みください、また会う日まで、といったものだろうか。

 ニューヨークのダウンタウン(235 ブロードウエイ)にちょっとベースを蹴飛ばして垂直に積ん箱が左右に動いたような
ニュー美術館が出来たのは1999年のころだった。伝統的で有名でないと展示できない今までの美術館コンセプトを
破り、10年以内に制作された新作をアーチストたちに美術館を解放しようとい画期的アイデアからであった。

 新しいアイデア:一般参加型民主的美術館 NYC NEW MUSEUM

 

 コンペで二人の日本人女性の建築家が選ばれた。各階とも柱のない広々とした印象的スペースである。
パブリックプログラムは美術館と展示側とでオーガナイズする民主的なものである。


    
                                        

皆が何を希望しているかのリストを作り、各色のリボンに希望を書いたリボンをそれぞれが選択して壁に
かけていく。
人々に開放した、ある意味で美しいインスタレーションでアメリカならではの企画であった。

”アフガニスタンに平和がきますように”
”アメリカに新時代がきますように”
”人々が学びながら暮らせますように”
”USAはほかの国と戦争をしませんように”
”HIVが世の中から消えますように”
”地球のどこでも住めるように移民という言葉がなくなりますように”
”どこでも暮らせるように独立心をもちたい”
”何処かにより素敵な緑があることを望むのはやめたわ”
”NYで暮らすことができますように”
”NYで成功できますように”

 1930年ごろまで、ジャズや劇場のあったニューヨークのメッカ、歓楽街バワリーストリート。現在は中国人の経営する厨房用専門店のストリート。チャイナタウンからこのビルが目立つ。ダウンタウンに権威主義を無視した新しい美術館があるのも楽しい。

 

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お知らせ

小林恵のラグ フッキング スクール 初級クラス募集

初級クラス:7月~12月まで。月1度。午前クラス;10時半より12時半まで。
                       午後クラス:2時より4時まで。
期日;7月、8月、9月、11月は第4火曜日。10月は第5火曜日、12月は第3火曜日。
定員;18名。申し込み順

中級クラスは水曜日午前午後とも空き席がありますので、中級にはいりたい経験者はお問い合わせください。


場所;教室、渋谷区富ヶ谷1-16-3 最寄り駅;千代田線、代々木公園出口2、徒歩数分
お問い合わせ;ホームスパン  office@homspun.com  注)homspunスペルにご注意願います。homeのeなしです。
                                                      ℡;03-5738-3310  原恵子   または
                   
 小林恵;keikobayashiny@gmail.com

 

                        
 

 

 

 


アメリカン フォークアート美術館の破産 vt., ニューヨーク近代美術館

2013-04-29 10:12:02 | 暮らしのジャーナル

  お金にものを言わせるアートの世界・何処かがおかしい.

 1964年、日本で初めてツーリズムが解放されたとき、プロペラ機でアメリカに行った。
6か月の休暇を取り世界13か国のビザを取り、まっしぐらニューヨークへ。

 今のように情報がなかった時代、何もかも面白く3か月間、毎日マンハッタンをくまなく歩いた。
なかでも53丁目、MOMAの数件西側のブラウンストーンのアパートの1階に1961年発足し、1963年9月、
開館したばかりのアメリカン フォークアート美術館があった。
 摩天楼の中につつましく開拓時代からの名もない人たちが手にハートをこめて作った暮らしのアートを展示していた。
歩くたびにきしむ床。展示品は必要から工夫されたもので、どれも心が温まるものばかりだった。

 私は近くまで行くと必ずそこによっていた。館長はロバート・ビショップ氏。ハーバードで博士号を取ったアイデアが
未来に向かっている楽しい人だった。
その後、彼とプロジェクトを何度か一緒にすることになった。彼はアメリカ人もなかなか自国のフォークアートに関心を
寄せないのに日本人のあなたがと、いつも私の企画に即刻反応してくださった。将来はNYにアメリカンフォークアート
の建造物を建てたいのが夢だった。

 その後、2リンカーンスクエア コロンバスにできた高層建築の1階の広場を、無料で公共に公開することを条件に
100年間1ドルでニューヨーク市から譲り受け分室として使用できるようになったのも彼の貢献によるものだった。

 ビショップ氏の活躍のおかげで、念願の美術館がMOMAの数件西側にテッド・ウイリアム(Ted William)とビリー・ツエン
(Billie Tsien)の外観がブロンズ合板の美しい美術館が出来上がった。2003年世界、国立、ニューヨーク市からの最高
建築家賞を獲得し、ミッドタウン ニューヨークのユニークなアイコン的存在であった。

 しかし建物の借財32ミリオンの負債を返済できず、土地をMOMAが$31.2ミリオンで購入、12年の生命を閉じ、
ショッキングなことに建造物が取り壊されることになった。


 MOMAは隣のパーキング場も購入し、2017年~1018年には拡張工事が完成するという。MOMAは展示場の拡張と
第1級高級レストランとショップを拡張するという。

 ニューヨークタイムスには
「NYCで起こった恥ずべき行為で、MOMAは恥を知るべきである。MOMAは文化を無視したエゴイスティックなアイデアで
頭を殴られているような思いだ。」

その他、建築工事に携わった人の意見や、その他多くの人々から、喧々諤々MOMAが批判されている。

何とも寂しい話である。

 

 

 ◎ お知らせ;        ”Labors of Love" 小林恵のラグスクール
             貴方の手で100年も持つ遺産、アメリカンフックド・ラグを作りましょう。

            7月~12月までの6か月・(月1度クラス)初級クラス募集
                      日程:7月、8月、9月、11月
 は第3火曜日:10月は第5火曜日、12月は第3火曜日。
                   

                    ラグのことならwww.ny-apple.com の中のラグ情報をご覧ください。

                      問い合わせ:小林恵 
keikobayashiny@gmail.com
                              ホームスパンhara@homespun.com

 

 


 

 

 


 

 


”今日は何の日?” 4月15日、リンカーン大統領が暗殺された日

2013-04-15 21:50:56 | 暮らしのジャーナル

リンカーンの人民の人民による人民のための政治、奴隷解放宣言してから約1世紀半

1865年、、148年前の本日、4年間アメリカ人同士で最大の血を流した南北戦争が北軍の勝利で終結、リンカーンが観劇中、
南部出身のイケメン俳優ブースにより暗殺された。


ブースは逃亡中射殺された。暗殺者たちに計画の場所を提供した唯一の女性Mary Sturrattも”卵をかえす巣つくりを
した罰で絞首刑にされた。発見者には10万ドルの報奨金がついた。

アメリカに住み始めた時この写真を見てショックをうけた。さらに1930年ごろ売り出されていたリンチを笑ってみている群衆の絵葉書
写真まであった。かたちが変わっても憎しみは変わらず、大量の殺戮が考案されている。人間は何をしているのだろう。
自然破壊だけでもムンクの絵、”叫び”のように叫んでも叫び足りない世の中。 しかし美しい花も咲く。


街並みは街路樹と街燈で少ないお金で美しく変えられる

2013-03-07 13:15:03 | 暮らしのジャーナル

  日本には優秀な建築家がたくさんいる。一般の市民には高値の華。どこかがおかしい。

美しい日本はいたるところにあるのは嬉しい。しかし計画のない街作り、美しい日本とは言えないところが多いのはとても不思議に思います。

 どうしてこうも醜くい家ができるのだろうかと疑いたくなる通りが多いのはどうしたことでしょうか。
余算がないばかりではなく、建てる人、住む人の美的感覚または関心が欠けているような気もします。
 施工者、建築家の予算のせいばかりではなさそうです。

  ある日散歩していた墨田川べりに建てられたホームレスのバラックの屋根の上には墨田川で釣った?数匹の子魚がざるに入れて干してあり、
入口には花の鉢植えもあり、靴もそろえてありました。立ち止まって眺め、こういう楽しさは日本だけで、外国のスラムでは見られない光景です。
ほとんどの世界中のスラムはひたすら不潔です。貧乏と不潔はイコールでないハズです。

 日本人は土地を買うと自分の自由、玄関もあちら向き、こちら向き、建築材もなるべくお隣に迷惑をかけないように美観を考えないのもないのも残念なことです。
フランスのように壁の色も許可がないと好きな色には塗れない規約がある国。文化大臣がマルローだったりする国柄です。
イギリスの近所の庭の花々はうるさいほど公共の感心ごととしてみなが注意していますし、オランダでは窓のガラスが汚いと近所の人が注意をするほどです。
しかし窓は誰でもすぐ磨けるように窓ガラスは上下が回転式になっています。建築規制があるのだと聞きました。

 どうも日本は規制がうるさくてとみなさん言いますが、個人の暮らし向きにはそうでなく、自由のはき違えではないかと思われる日本の摩訶不思議の一つです。
コンサルタントを雇って教えられるより、独立精神と自由には何事も責任があることを子供の時から教える必要があります。

ニューヨークでは美しい街燈と街路樹は市とコミュニティ、その通りに住む人たちのヴォランティアと寄付でマネージしています。
春になると一斉にその通りの街路樹のまわりに同じ花が植えられ、その通りを歩く人をハツピーにいてくれます。
しかしすべての通りがそうでなく、リーダーシップと住民の心意気、協力の関心度を示しています。    


ニューヨークセントラルパークの街燈                              ユニオン スクエア(マンハッタン14丁目とブロードウエイの交差スクエア)

マンハッタン、ダウンタウンハドソン河沿いにつながるが街燈。             マンハッタン ウエスト、ハドソン河沿いに続く街燈

 
谷中、富士見坂のチャーミングな街燈

 谷中がどういうところか、富士見坂も知らずに住みはじめまいたが、富士見坂の街燈や文豪の町と書いた街燈があるうれしい街です。中野通りの街路樹や東京のところどころにある
街路樹は人々をハッピーにさせてくれます。街燈の間隔が短いほうが町の個性を印象づけてくれます。
公だけでなく市民の協力で街路樹や美しい電燈がずらりと並べられれば、醜い家も少しは美しく見えると思います。
 衣、食、住は原始時代から続いたアイデアで近代では住,衣、食、または住、食、衣が幸せを作る条件でないでしょうか。
誰でもそう思っても、経済大国と思っている日本人の普通の人たちの住まいが貧しいのは文化国家の人には信じられないことでしょう。
「ウサギ小屋に住んでいる日本人」とフランス人に言われたとき、ほとんどの日本人は、自分の努力ではできないので傷つきましたが、50年たった今も大半の人はスペースの余裕が
なく暮らしています。
 独立精神、自己形成は考える住まいの空間と自然空間が必要条件だと信じています。それが政治に反映されないのは寂しいどころか摩訶不思議と思うのです。

 

 


発言しない日本の市民

2013-02-17 07:45:32 | 暮らしのジャーナル

いじめを見て知らん顔する人にも責任があると思う。

 日本に帰ってきていじめられ自殺をする子が多く、なぜ周りの人が黙っているのか摩訶不思議で心が痛む。
自分は関係ない、巻き込まれたくないことに黙っているのも社会性のなさではないだろうか。
 グループの人も、クラスの人も、家族の誰かも死に至るまで知らなかったわけがないと思う。

日常の社会生活でも社会に迷惑をかけた人に注意をすると、逆に危害をこうむったりする。
 
これが飛行機の中だと皆が危険をこうむるので協力を惜しまないけれど、自分に関係ないことは見ぬふりをする日本人。

校長は頭を下げて謝る。謝って解決する問題ではない。そしてこれからはいじめを正すコンサルタントを起用すという。何処かがくるっていはいないか。

 東日本大震災で人を思いやり、それを表現したり、語ったりするのも日本で起こった精神的ルネッサンスでかつて
親しい友人以外に心の中を語り、皆で悲しむことは少なかった。よい意味ではショック療法だったと思う。

 国会でも非難するときは大きい声で個人攻撃まで平気でする。公の時間だ。その前により良い自分の意見を発表すべきでないだろうか。

 いじめはいつの時代でもあった。私が小学生だった時、受け持ちの先生は癇癪を起すと生徒の後ろから頭を机の押し、音の出るほど強く
額を打った。また生徒を授業中立たせたりした。私は級長だったので皆で相談し、全員で教室を移動し、誰もいなくなった教室に授業
に来た先生を驚愕させた。私は職員室によばれ「なぜそういううことをするのか?」としごかれたとき、もし「先生が頭を打たれたらどう思いますか?
もうクラスの人を突然たたいたりしないでください。見ているのも悲しいです。言葉で注意するようにしてください」と抗議した。
 考えてみるとその時の先生は21歳ぐらいの女性教師だった。10歳ぐらいの生徒に何であれ痛みを与えるなど今考えても信じがたい。が起こっていた。

親の責任、グループの責任、クラスの責任、指導者の責任、社会全体の責任を各自が自覚しない限り、どこかで起きた誰かの事件で葬られる。

皆で発言していこう。

 


1日の始まり・ラジオ体操の効用

2013-02-09 11:48:59 | 暮らしのジャーナル

年中無休・谷中 諏訪神社境内のラジオ体操とニューヨークのヨガ

 富士見坂を上り左に折れたところに文安年間(1444年~1499年)太田道灌が神領を寄贈し、寛永12年(1633年)社殿を現在のところに移した。
1945年戦災を受け、昭和27年に復興した神社だ。
 諏訪神社は
谷中の総鎮守でかつては日暮らしの里と言われた江戸でも有数な景勝地として名をはせていた。
現在は手入れもされず寂しいところで「ひつたくりに注意!」の札が下がっている。しかしお正月や豆まき、など年中行事には大勢の人があつまる。

 富士見坂をのぼった諏訪通りの奥で、、私のところから数分のところにあり、境内では年中朝のラジオ体操をしている。
     
 寒い冬は高台なので特に寒く、夏は谷中名物、黒いいやーな蚊に集中攻撃を受けるので残念ながら快適なところではない。

起床5時半。ラジオの体操が始まるまで暖房をつけ暖かくなるまでベッドにもぐりニュースを聞く。アメリカでは部屋が寒いことがないので慣れるまで
大変だ。体操が始まる前にベッドをきちんと整えるのが1日の始まりだ。ベッド掛けはキルト。アメリカ人の血のにじんだキルトはベッドを簡単に美しくする
楽しみながらきれいにすることができる暮らしの恵みの一つになっている。

 夏になるとニューヨークのヨガが始まるのが懐かしい。公園にそれぞれがマットを持っていきヴォランティアの先生の指導で誰でも無料で受けられる。
トドのように起き上がれない人もいるけれど大抵姿は見えなくなる。しかし、アメリカ人の健康意識はその人の知性でもあるので、ジョッギング、散歩、
サイクリングなど公園はどこもスポーツで彩っている。ハドソン河畔もダウンタウンからジョージワシントン橋まで散歩道が続くので車の通らない散歩道は
どこにでもある。



リンカーンセンターの裏側、ハドソン河まで長い間ホームレスの巣でもあり、ゴミ山であったところをトランプ,ニューヨークのティファニーの隣りのトランプタワー
のオーナー、億万長者が道を作り公園を作り開発するとの約束でニューヨーク市の土地オークションで市から土地を1ドルで落札した。
5年かかりで整地し、出来た高層
アパートも住人もトランプも開発したことで10年間無税であった。

この辺はイサム野口と建築家ルイス・カーン(Louis Kahn)とで一大公園を企画したことがあったが実現しなかった。

対岸はニュージャージイ州で落日が特に美しい。ニューヨークを旅行する人に心が洗われる都会のオアシスを感じてもらいたいとおもう。

水辺にある横浜とニューヨークは、ある点で地形が似ているので、横浜から視察に来た議員たちを案内した時お連れした。
興味がないらしく車の中ではゴルフの話ばかりしていたので、”坂を下りて河畔のベンチに1分でも座ってみると、市民がどれほど感謝しているかわかりますよ” 
と誘ってみたが車から降りず ”わかりました” と道路脇に車を止めてちょっと見ただけであった。

                                                                         



 

 


 

 

 

 

 

 


祈ること

2012-09-30 13:31:45 | 暮らしのジャーナル

世界中に祈る人がいるーしかし憎しみを繰り返しおもいだす人もいるー

 貧しい国を旅行して、みちばたの小さなイオリに手を合わせ熱心祈っている人をよく見かける。
 「ああ人間の善意っていいものだなー」と立ち止まって眺める。

 誰かがそこで亡くなったのかも知れない。奇跡が起こった場所かも知れない。または教会やお寺を建てることが出来なかった市井の人が、
感謝して作ったのかも知れない。偶然に町に、またはその人に繁栄をもたらしたお猿さやん狐さんかもしれない。
 谷中の街角に今も小さなお地蔵様が祀られ、いつも誰かがお花を添えている。ときどき手を合わせている人を見かける。
戦争中、焼夷弾を避けて防空後に逃げこんだ人たちの真上に焼夷弾が落ちて全員がなくなったという。

 理由はなんであり、守ってあげたい。 生きた証を伝えていきたいと願う人間共通の善意や祈りは美しいとおもう。
日本では山路に立つお地蔵さんは亡くなった人の菩薩像だったり、外国では聖母マリアだったり、その土地で生まれた聖人であったりする。

 子供のころ、「感謝する時はどこでも,誰がい居なくても手をあわせるものですよ」 と母が言った。
あまり手をあわせない不肖な娘だけれど母の言葉は忘れてはいない。

メキシコで貧しい姿のインディオがすべてが金張りの豪華絢爛バロックデザインの教会の祭壇の前でひざまずいて静かに祈っている。
権威にひざまずいているようで、それを見るのは切ない光景だ。

 人様の国の建物を叩き壊し盗みをするもの、悪いリーダーに先導されるもの、そして法の力で守るというもの。
土地は神様からの贈り物で売るものではないというアメリカン インディアンの思想はマンハッタンを25ドルで売ったその時から滅亡の道をたどった。
マンハッタンは世界の繁栄のシンボルとなり、土地売買は常識となっている。これからどこに向かったらいいのだろうか。


子供のころ、漢文の時間で子曰くといろいろな人生の名言を習った。

孔子様、どうぞあなたの叡智でさまよえる羊たちに教えてください。
                 
                    
               谷中のこんこんさま                   谷中の庵。 防空壕でなくなった人の名前が奉納されている。
               
               ギリシャの小さな島の草庵
               
                  

 

 

 

 


夏の終わり

2012-09-14 22:56:16 | 暮らしのジャーナル

蒸し風呂日本

 9月の半ばだというのにまだ暑い。10日ほど前まで蝉がまるで断末魔の叫びのようにミンミン鳴いていた。
死にたくないと叫んでいるのだろうか。または夏は素晴らしいと精一杯うたっているのだろうか。
炎天下の蝉の鳴き声はなんだか切ない。

しかし、数日で蝉は急にいなくなり、今は鈴虫が鳴いている。
小さな谷中のお寺の庭に萩が咲きはじめ、ススキが揺れ、 満月に映えて、コオロギが鳴いている。日本には静止した美しさがどこにでもある。どうしてだろうか。外国だって美しいところはどこにもあるけれども、日本人の血が立ち止まらせるのだろう。

人生の半分以上をニューヨークで暮らし、日本には絶対ない風景にも立ちどまされたけれども「うん!よかった」と
汗を拭きながら額縁の中の小さな日本の風景も楽しんでいる。

写真を整理した。脳裡に焼き付いているギリシャの美しい夏の終わりの風景を懐かしみながら・・・

     
      
   

 

 

 


空間をデザインする・彫刻家・篠田守男

2012-09-03 22:24:34 | 暮らしのジャーナル

空中庭園

 地球の引力から解き放され空間をデザインする彫刻家。
1993年の美の朝、山根基世さんの篠田守男インタビューを youtubeでみた。
アルミニューム、真鍮の彫刻をワイヤーで結ぶ「張力と圧力」の計算された空間世界。
しかし、
機械的な冷たさの中にユーモアもある。金属を正確にコンピューターで削り空間に作品を作り上げる。

このバランス、張力と圧力の世界を「篠田尺」というのだそうだ。

抽象彫刻を通して空間の問題を研究している彫刻家、篠田守男の
彫刻展を縁あって数日前、横浜に見に行った。
会場は若者たち、ファンらしい人たちでにぎわっていた。金属の塊を空中にワイヤーで固定させた夢の彫刻の周りには若者たちが取り巻きその様子は不思議な楽しい世界であった。

たぶんテキサスの荒原にこの巨大な彫刻があれば、またその下に裸の女性が横たわり、UFOから来た作曲家が
シンフォニーを指揮すれば、シュールな舞台は出来上がるのだろう。

81歳。病で倒れ、いつも大作を作っていた彼は、「小さいもの、今できるものを作くればいいのだ」と思うことでリラックスできたという。
今までになく小さいサイズの彫刻を小さな画廊のために5か月かけて制作したという感動的な展覧会であった。
ひと月1キロ痩せ、5か月で5キロ痩せたという。篠田守男の昔の映像では、いつもくわえたばこ。
現実はたばこの煙の中での制作でたぶん人間臭い人かもしれない。

バックミンスター フラーの
アイデアから構造の仕組みを学んだという。
数年前、ニューヨークのウイットニー美術館でみた1930年代に制作したフラーの宇宙世界の展覧会は新鮮な感動であった。

フラーの富の概念はお金ではなく人間の生命を維持し、保護、成長させるものであった。
「自分の時間をより有効な研究に投資すれば、自分の富を増やすことになる」と言っている。
彼のアイデアはいつも新しすぎて建築材料など、たくさんとったパテントも有効ではなかった。
1967年、フラーのモントリオール万博のアメリカ館

 

 「地球上にない彫刻を作りたい」と作り続ける篠田守男。

ものつくり、創造の世界、アーチストは素晴らしいとつくずく思う。