小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

エミー 加藤さん・アメリカ生れが日本人の忘れものを発掘

2012-04-29 06:51:34 | ものつくり

名もない人たちの日本人の味方

 エミー加藤さん、ハーヴァード大学に留学していた加藤さんと結婚して日本で暮らし、麻布に日本の民芸を中心にしたブルー&ホワイトというお店を経営するエミーさん。
開店した頃お店にいってみると昔の家にはどこにもあった男性用トイレをきれいに洗って、傘が差してありました。
 
見方の違い、発想の違いに驚きましたた。商品選択はエミーさんの好きなものばかり、選択が日本の民芸店にあるものとちょっと違う味わいがありました。使用されていた頃を知らない現代の若者は気がつかないけれど、エミーさんは美しい染付のデザインに 「こんな美しいものを!」 と捨てられる運命に命を与えていました。
 
日本のツーリストがベッドの下に置いてあった蓋つきのアメリカのオマルをステキといって食器として使ったという話に似ています。(ちょっと上下が違うけれども(●^o^●))

 エミーさんは 日本人があまり評価しない日本の暮らしの文化、貧しかった農民の暮らしの知恵から、生き方の精神までも理解し、忘れかけた私たちに教えてくれます。

 最近、エミーさんのコレクション、ぼろぼろになった農民の野良着を展示しました。
                       

 「ボロはなんでもない物を美しいものに変える地方の女性たちの無言の独白であり、精神を知る窓口 でもあります。極貧の生活、忍耐、わずかな希望の光が針目からみえ、名もなき手作りの手と、それを享受して着ていた人たちの魂に答えたいと思います。美しい布の彫刻でもあり、計りしれない美しさと哀感を感じる布地の日記帳でもあり、女たちの無言の独白で日本の精神を知る窓口だと思います。」とエミーさん。

 貧しい農家の古着は気持ちが悪い、触りたくもない、貧乏のあかしで日本人にとって恥の記録として押しやられ、捨てられ、燃やされました。


 一針一針を縫いこんだボロの中に女たちの祈りの声を聞くエミーさん。
 「縫い目は踊り、つぎはぎが歌います。祈りが流れ、そこには作為や飾りが微塵もない素の自分を演じる舞台なのです」と。
 貧しさの中の美を見出し、日本を理解し、これほど愛情を込めて見つめてくださる外国人がいるでしょうか。
使用していない倉庫で開いたエミーさんの「ボロ展」
 重ねられ補強されたボロは「布地の彫刻」の様だというエミーさん。
私たちはエミーさんに教えられます。心から感謝をこめてエミーさんの見識眼に最敬礼です。


 


谷中散歩:谷中の洗濯物/太陽の恵み

2012-04-20 20:39:29 | 暮らしのジャーナル

            暮らしの歌:空を見上げりゃ洗濯物

 最後に残された江戸の庶民の街、谷中に住んで1年が過ぎ去った。路地には琵琶、お箏、三味線、詩吟、日本舞踊などのお師匠さんの看板があったり、凝った好き者だけが知る古本屋さん、特殊専門的筆やさん、石屋さんはもとより畳やさん、襖やさん、風呂桶やさん、べっ甲屋などがあり、和菓子屋さんも売れるだけ作っている様なお店、その奥に住まいがあるような、分相応に腕一本で誇りを持って生きている自立した人たちの好む町と覗える。
 
 地域雑誌をつくり、自ら取材、編集、自転車に乗ってお店に売り歩いた森あゆみさんの”谷根千”のオリジナル精神が生きている街だ。帰国して谷中に住むようになり最初に読んだ本が森あゆみさんの谷根千。いたく感激して電話をかけまわり ”素晴らしい本だよ!”と言うと知らないのは私だけだったことを知った。そんなわけでニューヨークから移り住んだ時はここが谷根千の中であることも知らなかった。偶然友人の推薦で住む家が気にいり、考えもしなかった帰国を決心した。
 何も知らないでニューヨークから移り住んだ時、最初に読んだ本、森あゆみさんの谷根千は引っ越ししたことに間違いなかったと未来?(すくない!)が明るかった。1年間を経た本日も発見が多く、おおむね良好の日々である。

 東京芸大~日暮里~西日暮里の高台から坂下の不忍通りまでの坂の街、地形的には谷の中なので谷中というそうだ。不忍通りからは本郷、東大の方へ坂をまた登る扇状の地形をしている
 扇状の地形には谷下に走る縦の三崎通りと言問通りがある。横走りの通りは、諏訪台通り~初音通り~芸術通りを経る(西日暮里道灌山通りから芸大まで)、と 同じく道灌山通りから六阿弥陀通りという上野まで抜けられる道と、よみせ通り~蛇道(川を埋め立てた蛇状の道)をまっすぐ行くと上野の動物園に出る道が谷中の横を走っている。不忍通りは地下鉄千駄木と根津までJRとの間の 扇状地形で荒川区、文京区、台東区、が含まれる山手線の内側の坂の街である。
 ここまで説明できるのに1年かかり、殆どを歩いてみた。

 この間に小さなお寺が100ほどある。お寺だけでも100回は立ち止まらなければならないので
谷中の散歩は立ち止まるところが多く、門を見たり屋根を見たり歴史の説明を読んだりお墓を見たりで散歩は退屈するときがない。

 狭い路地には鉢植えの花々、3分の1は誇らしく美しく手入れされていて、また立ち止まる。
ヨーロッパでは町を美しくする御目つけ役がいて、町なみの連帯観、共同体、町のPRのため競って美しくしている。

 今、日本で”絆”が再認識されているけれども うーん、去年の枯れた鉢が転がっていたり、土地がないために致し方なく公共にあるべきでないものが軒下にも置いてあるところも多い。

 空を見上げれば狭い路地のいたるところに洗濯物が干してある。乾燥機があり、ビルの窓があかない(飛び降りないように頭を出せない間隔のみ開けることができる)ニューヨークでは干し物をみることはあまりない。
 谷中に太陽がでると軒先にひらひら風に揺れる干しものから、生活がよみとれ、これがまた退屈しない楽しくて愉快だ。

 ニューヨークの下町で向かいのビルと物干し線を共有しレールがついている2本の物干し線を、お向かい同志で共有し通行人は干しものの下を歩く愉快な時代もあったが、家族単位も少なくなり現在はあまり見かけない。

 箱の中におさまらない谷中の暮らしは庶民的で、庶民の生活の知恵が彷彿としている。





 


谷中の塀

2012-04-13 14:14:53 | 暮らしのジャーナル

  谷中の塀

 たくさんある谷中のお寺の周りには塀がまわしてある。塀の中はびっしりとお墓が並び、檀家が古くなるとお墓はひっそりとしている。
 
狭い路地に面した塀は時代を経てまわりにしっくりとなじみ、谷中に趣きを加えている。

       
            




 

           
       

 


谷中の桜

2012-04-06 21:31:22 | 暮らしのジャーナル

         春爛マン・日暮らしの里

 ああ美しい。私の住まいの周りは江戸時代「日暮らしの里」と言われ江戸近郊の花見処だったといわれています。花見寺、萩寺、月見寺など風流な名前がついています。17世紀、18世紀建造の古いお寺がたくさんあり、谷中には100位のお寺があります。朝は読経と鳥の声でめざめます。すぐそばの東京で唯一富士山が見えるという富士見坂の両側はその昔桜並木だったそうです。今は伐採されアパートになっています。
 毎日の様にサクラ前線がニュースで知らせられる国。
セントラルパークにも桜がたくさんあり、ニュージャージーにも豪華なしだれ桜の桜公園があり、ワシントンの桜などあるけれど、国中の話題にはならない。
 桜の話題で、皆うきうきし、 国中がハッピーになるのも日本ならではのこと。桜さくら桜。ああ日本。日本に帰ってきて良かったとそのチャンスに感謝している倖せサーモンです。

     
     
    
  寒い春でした。やっと暖かな4月、急に桜が咲きました。お地蔵さんも嬉しそう。
        
       
毎日の様にサクラ前線がニュースで知らせられる国。
セントラルパークにも桜がたくさんあり、ニュージャージーにも豪華なしだれ桜の桜公園があり、ワシントンの桜などあるけれど、国中の話題にはならない。桜の話題で、皆うきうきし、 国中がハッピーになるのも日本ならではのこと。桜さくら桜。ああ日本。倖せサーモンです。
       
       
                   

 有名な谷中の墓地の桜並木。去年は3・11の災害でお花見が自粛され ました。何時もはひっそりのこの道も
満員。亡くなった人も生きている人も桜を愛でる嬉しい日曜の午後でした。美しいにつけ、楽しいにつけ、飲めや騒ぎは日本のつきものですが両側の桜の木の下は華やいだうたげの人びとで埋まっていました。