小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

「太め」

2006-06-30 02:55:30 | ニューヨーク暮らしの日々

 

 

戦わない女相撲さん
体重
超過、肥満(Obesity)はアメリカの社会問題になっていいる。
毎年30万人の人々が太りすぎが原因で死亡している。ニューヨー
ク市には比較的地方より太め人口が少ない。しかし驚くほど気の毒
な太りすぎが多い。病的な人には申し訳なくてとてもカメラを向けられ
ず、いつもチャンスをなくしてしまう。
精神的フラストレーションから安いジャンクフードを食べだし、殆ど中
毒になる。そしてお腹一杯食べることになる。飼育されている家畜類、
鶏も牛、豚も狭いところで運動をさせず、どんどん食べて太らせ、利益
本位に生産し、市場に送られる。消費者は肉の分析など分からずに
食べさせられている。企業の責任が問われているが、何事も選択は
個人の責任で厳しい時代である。
結論は食文化の浅さなのだろう。健康な食文化が大衆文化として各
自の頭の中に沁みこませるには、先人が残してくれた長い間に培った
伝統がものをいう。中国人のディナーに招待された時、食事の終わり
ごろ、キャベツをさっと炒めたものが追加された。そして「今日はこれが
たりなかったわ」といった。中国では子供の時から食べ物全体のバラン
ス、温食品と冷食品のバランスを教えられているという。食文化は一日
にして成らずと感じいった。
アメリカにも健康食品がたくさんある。どれが重要か、選択を親もわか
らず、子供の時に頭の中に食文化がしみ込んでいないのが問題なのだ
ろう。オリエンタルのフードが長寿だと見直されてきても、東洋人の倍食
べれば同じことだ。食料の豊富なアメリカでは大山盛りがおもてなしの
条件になり、レストランのポーションコントロール(盛り付ける量)は太め
を標準にして決める。腹8分めはビジネスを提供する側ではご法度。分
量と値段のバランスはレストランが人気を取る重要な鍵となる。ファース
トコースからお腹が一杯になるほど量が多すぎる。
支払った分は食べるぞと・・・アメリカ人の胃はどんどん大きくなっている。

参考文献: 「マンハッタンは皿の上」小林恵著 朝日新聞社 1989年


「ゲイ パレード」

2006-06-28 10:19:44 | ニューヨーク暮らしの日々

クローゼットはオープン


5番街の56丁目からから、クリストファー通りまでゲイ パレードが続
き、真夜中までゲイ フェスティバルでゲイ バーやゲイ レストランが
にぎあう。パレードに参加した人は35万人。36回目のパレードであ
る。教会でも受け入れられないため結婚して子供もいるゲイや、ひた
すら隠しいるゲイが、やっと市民権を得た。結婚を認める州が出始め、
ゲイであって「それがどうしたの?」とあまり問題にしなくなったこのご
ろである。
 
社会の陰で暮らし、家族からさえ締め出されていたたゲイたちが、ク
ローゼットから飛び出し抗議をし続けた。社会の偏見を破るには長い
長い月日が必要なのは歴史が証明している。
 
性を男と女に分けたことが法律を作った人間社会のミステイクだ。ホ
モという言葉にもいまだに偏見がある。意識を替え、社会の偏見をな
くすには本当に気の遠くなるような月日と努力と繰り返し繰り返しの
抗議が必要である。

ゲイパレードをかきま見て、なんと明るいことか。見る人もパレードに
参加している人もみな楽しんでいる。開放された性は明るくて愉快だ。
しかし、男性でも女性でもセックスを強調するのはいただけない。過
渡期にはいろいろの感慨があるのだろう。ストレートの人がストレート
パレードをしないように
将来ゲイ パレードがなくなる日がやってくる
だろうか。

参考:
http://www.hopinc.org/

 

 

 


「ウインドーボックス」

2006-06-21 00:06:40 | ニューヨーク暮らしの日々

花のあるアパートの窓

  
 

 
ヨーロッパの窓々は競って美しいが、ニューヨークのアパートの窓にフ
ラワーボックスをおいて楽しむ人は以外と少ない。つつましいピューリ
タンの影響なのか、みな忙しくて花どころでないのか。眼をうばうような
豪華なフラワーボックスは少ない。古い錬が作りのアパートや石の壁
にマッチした花で飾ったチャーミングな窓を見ながら歩くのは楽しい暮
らしのスパイスになる。霜が降りる10月の末まで楽しみは続く。
高層建築のアパート、マッチ箱通りを歩くのは本当に寂しい。

 


「国際人権擁護記録映画祭」

2006-06-18 22:44:58 | ニューヨーク暮らしの日々

ヒューマンライト ウオッチ (人権見守り)
今、ニューヨークでフイルムソサエティがオーガナイズしているヒュ
ーマンライト ウオッチの記録映画祭がリンカーンセンターで開催され
ている。移民問題が一般の暮らしに影響を及ぼしていない日本では、
人様の基本的人権について考えるチャンスは多くはない。又、ヒュー
マンライトについて考える動機も少ないと思う。
いったいヒューマンライトの定義ってなーに?辞書によると
ヒューマンライトとは人間の尊厳を守り、人間として生きる権利、人
間として生まれた報いを受ける価値が誰にでもあるという人権のこと。
(参考:
www.hrweb.org・・ヒューマンライトのウエブサイト)1948年、
人権を守る人権宣言が国連で確立した。しかし半世紀以上もたった
今も人間の尊厳が守られるどころか、殺戮が続き餓死している人たち
が大勢いる。権力や利益がからみ、統治する者の責任が問われる問
題が多い時、記録映画は無視できない問題となって皆に問いかける。
記録映画は殆どが独立したフイルムメーカーで、少ない予算で制作し
ているが問題提起は大きい。 映画の後は毎日考えさせられるテーマ
であった。暮らしの中で人間の価値観、人間について考えるチャンス
が多いことはアメリカが多民族国家だからだろうか。
アフリカの移民が
必死で英語を学び、疲れた合間に
ーあなたの愛は私のくすりー とアフリカの言葉で歌う歌に胸が詰まる。
アメリカに来たばかりのアフリカ移民がハンバーグを買う。カウンターで
袋入りハンバーガーを “3ドル50セント!” といって差し出されると 
”中身を見せないでお金を請求するのはおかしい” という。そこで映画
を観ているアメリカ人はどっと笑う。
違う文化の中で暮らすことは誰であ
っても大変なことだ。

問題の多いアメリカだが困った人を助け、滅私奉公の美徳を実践する人
が後をたたない。国を追われ、差別を経験しているユダヤ人の中にヒュ
ーマニストが特に多い。

地球中の人種が移動している今、一人一人が人間とは?国家とは?人
間愛とは何か、考えさせられる日々である。

 

 

 

 


「街のショーウインドー」

2006-06-16 23:06:46 | ニューヨーク暮らしの日々

アイデア次第で小さなディスプレイでも客を引く



 
豪華なディスプレイよりも、面白いアイデアの方が足を
とめさせる。お金をかけず、お客を印象づけるには、良い
アイデア次第。アイデアが資源となる。特別の店でなく、
近所の小さなブティック、ワイン屋、本屋ウインドーの宣
伝など例えテクニックがなくとも、「あ!おもしろい」と
思わせるアイデアは次のアイデアを生む原動力となる。

ューヨークの街の面白さ、暮らしのスパイスの一つである。

 


「アメリカ人と魚」

2006-06-03 01:24:09 | ニューヨーク暮らしの日々

魚は臭いものという印象を持っているアメリカ人

アメリカ人には魚屋でどの魚が新鮮で古いかを判別するのは易しい
ことではないようだ。無理もない。半分以上の魚は三枚におろした
フイレ身で売っている。目玉も見れず皮も見れず、氷の上に載せられ、
水を打ってあれば、一見新鮮に見える。
数日前のニューヨークタイムスのダイニングのページ一面に「聖なる
さば」のタイトルでさばの大写し写真が載った。もっと魚を食べようと
魚の効用をプロモートしている。しかし、さばの眼の回リが真っ赤で
新鮮さを欠いていて驚いた。エディトリアルも写真家も目の周りが赤
くて色彩的にきれいと思うのだろうか。クレイムがつかないのは不思
議なことだ。ぱりぱり光る鰯を見るのはラッキーな時で大抵血がにじ
んでいる。74丁目ブロードウエイの魚専門店新鮮さを誇るチッタレー
ラでさえ日本では考えられないような数日経った魚がおいてあるとき
がある。とりすぎ、産業汚染で魚が少なくなったとはいえ、かなりの
種類がある。
フイッシー(Fishy)という言葉がある。魚臭いという意味のほか「怪し
い」または「信用できない」という意味だが日本で「魚臭い」が同じ意
味にはならないから、文化の違いは面白い。折から寿司ブームで魚
に関心を持つアメリカ人が多くなった。ステーキをおなか一杯食べる
ことは出来てもお魚を満腹するまで食べる人はいない。叡智ある文
化を持つ国には超太目人間がいないということなのか。
ニューヨークの河口地帯で無尽蔵に取れたオイスターはいまや昔の
話、チェサピーク河口地帯でもいまや絶滅状態である。その昔キャビ
アはニューヨークのバーのつき出しであった。オイスターは食べ放題
が6セント。すべてのつけは今、私たちに回ってきている。
今封切られている元副大統領のアル ゴアの環境汚染ドキュメンタ
リー映画は考えさせられる。魚がなくなるときがやってくる。誰かを責
めているときでなく、私たちが出来ることをするときは今なのだと警鐘
を鳴らしている。人残らず参加するときだと思う。是非是非、観てもらい
たいドキュメンタリーである。