小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

ああ美しい!日本の旗は

2016-09-14 17:41:00 | 暮らしのジャーナル

日の丸の旗

「白地に赤く日の丸染めてああ美しい!日本の旗は!」 
シンプルなデザイン、白と赤の対比の美しさは格別。オリンピックでほかの国と比較しても日本の旗は美しい。

しかしこれは公平な意見ではなく、それぞれの人が自分の国に込める愛国心が加わる。
デザインの美意識だけで はない。アメリカの国旗大好きの長くアメリカに住んでいた日本の友人がベッドにアメリカの国旗
を掛けたら アメリカの友人はむっとし、「なぜアメリカの国旗がベッド掛けなんだ!日本の国旗を使えばいいのに」と言った。

好き嫌いでなくその国に対する敬意が大事な事。

              
縦が横の2/3の長方形、日の丸の直径は縦の3/5,中心が旗の中心。この対比も美しさ!このデザインへの感嘆は
永久不変だ。それぞれの国民が自国の国旗が美しいと思うのかと思うとそうでもなかった。デザインを超えて大議論になった。
 心地よい議論でなかったのは国の強さが根底にあるらしい。我々がデザインしたのでないからやめようと誰かが言った。
外国ではかなりセンシティブな話題となる。 

日本国旗の制定日は明治3年(1870年) 2月2日。紅花で染めた赤使用。アメリカの赤もコチニール赤係と決まっている。

日本の大漁旗も美しい。大漁!大漁!恋女房の待つ港へ風を切って帰る。理想的夫?女性たちは重労働で家を守った。
アメリカの漁師は船の中で妻へのお土産にフックド・ラグを作った。
夫は元気で留守がいいと言ったのは誰だろうか。

パラリンピックは本当に勇気をもらった。可能性と一生懸命は無条件に心を打つ!

      
 


 

 


カレル橋の思い出

2016-09-05 22:56:31 | 七夕東京

 1976年の夏、私はこの橋の上でニューヨークの友人に渡す秘密の手紙を託されました。

         
 チェスラフスカの死を悼んでジャーナリストの中森康友が撮影したプラハの春の写真です。当時中森さんが撮影した写真です。1964年東京オリンピック開催前に私はニューヨークから世界一周の旅に出ました。東京オリンピックでチェスラフスカは「オリンピックの名花」と称えられ金メタル3個もとり、その後チェコ民主化運動で活躍した人です。1976年この夏。アームストロングが月を歩いている写真に世界中がアッと驚き、ウイーンは号外新聞で沸いていました。

 私はウイーンでニュースを聞き、ウイーンからプラハ~オランダ~パリへと行く途中でした。まだ民主化されていないチェコは限定付きでチェコ内で250ドルを使用すること、所有外貨を点検する、指定のホテルに泊まることなど制限がありましたが検閲付きでツーリストは入国できました。ウイーン以後に回るヨーロッパで使うお金は靴下の中に入れ運動靴の紐をがっちりと結びました。当時国連に働いていた外交官夫妻と一緒に張りめぐされた鉄条網の中で牙をむいた軍用犬がわんわん吠えている国境を通り,マリア テレシアがウイーンとプラハを往復したという美しい並木道を通って中世そのまま、夢のようなプラハに到着しました。そしてこのカレイ橋の上で友人と一緒にチェコの友人と会い、ニューヨークの友人に渡してほしいという住所の書いていない封筒を渡されました。手紙は皆検閲されている時代でした。美しいカレイ橋の上でスパイ映画のようなスリリングな経験をし、当時まだ貧しかった文化の街、プラハで分厚い熱々の揚げたグリエーチーズとビールが美味しかったことを覚えています。

 チェスラフスカはチェコの民主化運動を支持し、「プラハの春」はもう遠い昔の話になりましたが、中森康友さんの写真は歴史を物語り、昔を思いだし少し感傷的になった午後でした。

中森通信:mo.nakamori@wine.plala.or.jp をご覧ください。