王様のいない国, 庶民の暮らしの美
"アメリカに来てからアーリーアメリカンが好きになり、アーリーアメリ
カンの美を学び興味を持ちアーリーアメリカンを集める事になった" と
おっしゃる猪熊さん。我楽多まで好きとおっしゃる其の辺がとても共感
してしまう。
嫁入り道具を入れた箱 p.14 「画家のおもちゃ箱より」猪熊弦一郎著
写真:大倉舜二 文化出版局1984年
-「アーリーアメリカンのものでも、高級で貴族的なものと,庶民的で
プリミティブなものと2種類ある。もちろん私の好きなものは後者の方
で、手の切れるような美しいものもいいが、長い間使い古した、虚飾を
抜きにした人間らしいものの良さはどうしても見捨てがたいものがあっ
た。」
-「古い昔の教会を買って商品を並べていたおじさんの店で、ある
日そこで南北戦争時代の箱を買った。おじさん曰くこれは当時嫁入
り道具を入れた箱だとかで、両脇に皮の提げ手がついていた。
底には南北戦争当時の新聞が敷いてあって、内側にはペン字の練
習した薄い紙が貼ってあり,外側は当時の壁紙で仕上げられている。
さらに私の眼をとらえたのは、当時の雑誌か何かから切りとった、ファ
ッション絵の婦人像のある可愛いデコールが、ふたの裏に何のてら
いもなく貼られていて、実に美しいものであった。私はこの箱を求め
てコネティカットで買った小物やミューヨークで買った古い玩具など
のコレクションを入れることにした。」ー
-「私は静かに聞こえてくるこの箱の中に住んでいる南北戦争当時
のイメージとともに、コネティカットを訪ねた当時の懐かしい思いでの
香りが、次から次に私の頭の中に帰ってきて、本当に今日は一日幸せ
であった」-猪熊弦一郎 「画家のおもちゃ箱」より
私のガラクタ: 小さなアンティックの箱の引き出し
この引き出しの中には猪熊夫人が探して歩いたビー玉があってそ
れを改めてよく見るとガラスが早くまとめられず、スムースに巧く球に
ならず、そのあとがついていて、へたくそが何ともいえず可愛いらしい。
写真:私のガラクタ人形 単語を覚える子供用カード
私の部屋のどこかに汚れた日本人形が飾ってあったことが在り、そ
の日本人形を見て、「汚い人形ねー、恵さんお風呂に入れてあげなさ
いよ」 と叫んだ。明治時代の貧乏人の汚い人形はペンシルバニアの
アンティック屋で買っものだ。名前はうめちゃん。いかにも汚れていて、
人形を愛していた前の持ち主の望郷さえも感じさせるせつない人形だ。
写真の下の方にいる瀬戸物で出来た3センチぐらいの小さい人形は
フローズン シャーロットと言って南北戦争前のものだ。ウールの洋服
も風化して穴だらけ,ボロボロ洋服をまとっている。
25年ぐらい前で$25ドルもした。一緒にいたカメラマンが 「恵さんは殆
ど気狂いだなー」 とぼやいていた。
フローズン シャーロット(全身が陶器の人形の名前)
一番後ろのプラスティックの寄り眼人形は、まっくろによごれ、5歳位
の子供がフリーマーケットで、もう卒業したおもちゃを一人で売っていた。
[いくら?] と聞くと25セントと答えた。支払うとその子は25セントとを持
って近くにいた母親に突進し 「ママ!売れたよー」 と報告したのはほほ
えましかった。帰ってからすぐ全身を丸洗いしてあげた憎からぬ私の仲
間だ。
人形用乳母車にはプラントをいれて楽しんでいる。
まだまだ沢山愛らしい我楽多を持っているが、どこかの箱に眠っている。
時代の汚れも含めて私の大切な友達である。
6月28日付、朝日新聞のコラムに日本に初めて持ち込まれた乳母車
は福沢諭吉が渡米した1867年、自分の小さい子供に乳母車をお土産
に持ち帰った。その乳母車と同じものが私の「アメリカ人形」(1830年~
1930年までの100年間のアメリカ人形発展史)の中に含まれている。
何かのご縁を感じる。
その乳母車を1870年(明治3年)慶応義塾卒業の内田勘左衛門が諭
吉から何度も借りて、ほろをつけた人力車を考案。日本の人力車が通
行許可を得たとある。
来年から住むことになった日暮里の駅を降りると赤い車の人力車が
2台、昔の曳き車姿の車夫が客を待っていた。何かのご縁に違いない。
私の人生には不思議なご縁がたくさんある。
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