小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

猪熊さんの愛した石ころ(4)

2010-07-30 10:59:53 | ものつくり

                   自然の造形、石ころもアート

「画家のおもちゃ箱」猪熊弦一郎著 写真:大倉舜二 文化出版局
1984年

                               
                                写真:p.58 佐渡の丸石

 -私はただ丸い石が好きだし美しいとおもう。永い年月の間にお互
いに海の波や河の流れの中で、ぶつかりあって角はいつしかとれてし
まったものばかりだ。手のひらに抱き上げて見ていると、平和な温もり
が、静かに伝わってくるし、形としてもこれ以上シンプルな美はないよう
に思われる。 ー猪熊弦一郎

                          
                                  
写真:p.60 聖なる石

 -インドでは神として大切にいているに違いない。静かにみていると
何とも不思議な思いにつかれるのである。私は外側に細い針金乃網
を巻きつけて一つのオブジェとしてみた。
 他に並べた石も自然のもので日本中からやってきた丸い石である。
自然の水が永い永い年月を掛けて作った神さまの彫刻である。
- 猪熊弦一郎
 
                      
            
写真:p.112 オリーブの木と貝と石(左)、:三越の包装紙(右)

 -写真の前方にある石は三越の包装紙のデザインを頼まれた時、
その発想の素材として使ったものだ。銚子の海岸で見た石は一つ一
つがが異なった美しい型をして荒い波に打たれながら転がっていた。
  私はとっさに「これだ」と思った。日本の石、そして永い年月の間
にお互いに磨き合って角のとれた丸い石、このデザインにしようと思
いたった。-猪熊弦一郎
 
 
-永い年月の間に自然は立派な美しい彫刻に作りかえてしまった
のである。これ以上美しい形はこの世にないとおもわれるほど、そし
て一つとしても同じ形のない不思議な造形を、私はこの無言の中にか
んじる。-猪熊弦一郎

 
 思わぬときにどこかで聞いた話と同じ様な場面に違うところで出くわ
すことがある。また、同じ様に心に残っている視覚的イメージがぴたり
とあうことを経験する。地中海旅行で、出会った美しい丸い石たち。
 
 
      
写真:14cごろの砦の中, 丸い石の舗道:チュニジアにて

 丸い石が延々と敷かれた舗道。どこから持ってきた石だろうか。誰が、
どんな風にして運んできたのだろうか。石を踏みながら素晴らしい造形
に立ち止まっては眺め、振り向いては眺めた。何世紀も経ているのに
歯抜けはわずか。びっしりと組まれていることにも感動しながら歩いた。
石たちがお互いに離れまいと、石をひきつめた奴隷たちの精神さえもら
感じられるような舗道であった。

 転がっている石が、アーチスト、猪熊弦一郎の眼に触れて素晴らしい
創造のアイデアや霊感さえも伝えることが出来る事を教わる。
 ものつくりには創造の眼が必要だ。アイデアは動機を得たチャンス
から生れるのだろうか。

 
”なんでもないものから価値を見つける。”
「画家のおもちゃ箱」からそんな暮らし方を教わる。よく見るとなんでも
ないものが本当に好きになり、よくよく見るともっと教わることが多い。
 こんな上等の本を作った当時の編集部長、今井田勳さんの心意気
さえも感じさせられる嬉しい本である。

 


 


猪熊さんの愛したなんでもない宝物(3)

2010-07-25 10:02:19 | ものつくり

                             鉄製鋳物ーキャスト アイロン

 猪熊さんの「画家のおもちゃ箱」猪熊弦一郎著:大倉舜二写真
(文化出版局1984年)をよく見ていると面白そうなものがページの
いたるところにある。

-作られたものは生きていて、人々の愛情を求めつつ毎日を生きて
いる。-猪熊弦一郎
 

 猪熊さんの眼にとまり、猪熊さんの手でとりあげられ、愛されて一緒
に生きることになった小物たち。耳を澄せばその会話が聞こえてくる
ようだ。私はページの隅々までよーく見て楽しんでいる。
                            
写真;「画家のおもちゃ箱」p. 48 オルゴールのバックになっている手作り鋳物のマッチ
ホールダーはパリで買ったもので、アメリカの専門家に聞いてみたがアメリカでは見た
ことがないそうだ。多分、たばこがファッションだった時パリのサロンで使われたのかも。

   猪熊さんのお好きなアーリーアメリカンのキャストアイロンのおもちゃたち。
           

写真:毎日楽しんでいる私の好きな19c.のキャストアイロン。 左は鉄製バンク。蓋を
あけると油絵でばらの花が書いてある。プラントを入れると楽しい。右は計り。赤色で
線模様があり、メモリのマークもいかにも手作り的。丸いおもりが楽しい。

 アーリーアメリカンのキャストアイロンは1642年イギリスの移民に
よってマサチュウセッツ州のサンガス アイロン ワーク(Sangus Iron
Works)で作られた。

 アメリカには木材が豊富で、生産された鉄はイギリスが輸入して、高
額な利益を得ていた。アメリカは独立を熱望し、独立戦争では市民が
自発的に鉄鍋まで溶かして弾丸を作った。

 鉄製品は家具(ベッドのフレーム、椅子、家具の部分)、)建築物、
フェンス、ドア ノブ、ドア、暖炉の薪置き(Andiron), 台所用品、おもちゃ、
汽車は勿論のこと、ストーブなどに使われている。キャストアイロンの
デザイナーは高級で雇われ、鉄製品は大人気になった。
 その多くは鍛冶屋の手仕事であったので個性があり、ニューヨーク
の街中で、ユニークな鉄製品が暮らしの中で溶け込み、150年以上
たった今もどこでも見られる美しい風景である。
 手にハートを込めて作ったものは時代を経ても心をとらえるのは、
お手当の言葉通り、鉄といえども人々の心を和ませてくれている。

窓の鉄格子はさまざまなデザインがある。タウンハウスの入口、鉄製プラント花壺、アパ
ートの入口の鉄門。珍しいものでなくニューヨークの19世紀建造物の一部になっている。

 
昔のタウンハウスは半地下がキッチン、又は仕事場、通りから階段を上がるとリビング、
応接間、ダイニングルームになっている。現在はほとんどがアパートに改造されている。
 
ニューヨーク  ダコタ前のキャストアイロン フェンス。70年代は盗まれて歯抜けになった
もあった。現在は復製されいる。右はセントラルパークの鉄製陸橋、50以上ある立体
交差の鉄製陸橋のデザインは同じものがない。手製だから出来たことなのか、デザイ
ナーの心意気なのか。両方に違いない。


ビルディングの外側に付けられた火災用階段は、19c.
の終わりごろ被服工場が火事
になり、何百人の女性たちが死亡した。その後階段は義務付けられている。現在は消防
車が10階まで伸びるので、子供にいる人は10階以上には住みたがらないそうだ。
ソーホーのアイロンビルディング地域には豪華なビルが軒並みに建つ。
家内工業用に建てられたが現在は改造されアパートやデザインルームになっている。

参考ブログ:小林恵のNY通信 「マンホール」2006/01/31
        小林恵のNY通信 「
キャスト アイロン ビルディング」
                 2006/02/21


 

 


猪熊さんの愛したアーリーアメリカンの鄙びた美しさ(2)

2010-07-19 07:57:15 | ものつくり

                                  リンゴ皮むき機
                             
 写真:大倉舜二、 猪熊弦一郎著 {画家のおもちゃ箱」 文化出版局 1984より

 ー「ニューヨークの郊外の小さなアンティック ショップで不思議な機械
を発見した。ハンドルがついていて、廻すと不思議な動きをする。
 初めは何か分からなかったが、やがてそれが子供時代に考えていた、
リンゴの皮剥きであることに気がついた。」

 「たくさんの皮を剥く時には便利だし、当時は大変重宝な発明であっ
たと思う。今考えると、そのファンクションの面白さもさることながら、
何ともいえぬ古い形の不思議さにひかれたのだと思う。」ー猪熊弦一郎

「画家のおもちゃ箱」猪熊弦一郎著 文化出版局 1984年 ”リンゴの皮むき機”P.104
より抜粋

 
 私がやっとアメリカの生活に慣れ始めた1970年頃、アーリーアメリ
カンのコレクションをたくさん所有するヴァーモント州にあるシェルバー
ン美術館を訪ねた。
 シェルバーン美術館は数少ないアーリーアメリカン美術館で創設者
はエレクトラ ハブマイヤー ウエブ (Electra Havemeyer Webb)である。
 父親は19世紀末、アメリカで億万長者が出現した時、砂糖王と言わ
れた億万長者の一人である。
  砂糖は当時までシュガーローフと言って硬い塊だったものを,
現在の
ように精錬して富を築いた。母親は世界最大の印象派絵画コレクター
で死後すべてをメトロポリタン美術館に寄付したことで有名である。

 数年後私はアメリカンスタディのツアを企画し、「アメリカの生活文化
を訪ねる旅」を年2回10年間も続け、日本から何百人もの人が参加
している。”百聞は一見にしかず” でシェルバーンの広大な土地で夢
を実現させようとしたニューイングランダーの精神に触れるとき、誰もが
可能性の大きさに感動させられる。

 リンゴの皮むき機が発明されてから、改良を重ね鋳物で出来た数
多いコレクションをシェルバーン美術館で見た時、19世紀の初めから
パテントをとっていた、アメリカ人の実行力と発明の才能に感動させら
れた。まさしく、
 「ニューイングランドを知らずしてアメリカを語ることはできない」
とは、かつてライシャワー博士がおっしゃっていた言葉だ。

 庶民が生んだエネルギー、移民たちは自国の暮らしのアイデアを更
に改良してベターライフを築こうと努力した伝統なしの新世界なのだ。
 ニューイングランドを旅して分かることだが、人里離れた山間の自給
自足の農家の暮らしが、19世紀初めの日本の農家と比較して想像も
つかない程の大きな暮らしの差に歴史を背負う悲哀を感じさせられる
のは私だけではないだろうと思う。
 アイデアをお上に進言するだけでも切腹させられれる封建時代の日
本と、個人の才能を公共と分かち合うために競争出来る新大陸の可能
性、なんと明るいアメリカン ドリーム
であることか。

          写真:改良されていったリンゴの皮むき機の数々

 実際にリンゴの皮むき機を発明した人は1803年、ペンシルバニ
ア州のモーゼス コーテス (Moses Coates)。 しかし、手製の原始的
なものであった。改良を重ね1864年ニューハンプシャー州のデビッド
H.グッデル(David H.Goodell)  が、機能的なリンゴの皮むき機を発明、
最初のマスプロダクションの台所用品となった。ニューヨークタイムス
に ”電光リンゴ皮むき機”(The Lightning Apple  Peeler)
と広告を出
し、2カ年間に2,400個 完売,その後彼自身で行商し、一カ月以内に
24.000個を売った。1875年には雇用人150人、1915年には250人
の雇用人を持つ会社になり、のちニューハンプシャー州の共和党議
員になっている。

 当時は鉄製鋳物、(キャストアイロン)で思考錯誤して金型を作り、改
良に改良を重ねた。現在は電気スイッチであっと言う間に皮がむける文
字通り ”電光リンゴ皮むき機” が出回っている。
 
 せつないほど思いを込めて模索した初期のリンゴ皮むき機からアー
リーアメリカンの心意気
がしのばれる。猪熊さんが愛したのはこの
素朴な創作の心意気だと思う。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


 

 

 

 

 

 


猪熊さんから学んだアーリーアメリカンの鄙びた美しさ。(1)

2010-07-12 12:47:57 | ものつくり

猪熊さんの丸いマーブル(Marble) と私の好きな丸いもの

 1964年、ニューヨークに到着した数日後、「友人から紹介されたも
のです」 と猪熊さんにお電話をすると 「日本のお話も伺いたいし、今
夜、夕食にいらっしゃい!」 と即刻弾んだ声が返ってきた。

 レキシントンの95丁目、マンハッタンのレキシントン通りは90丁目あ
たりからアップタウンに向かって、なだらかに降りる坂道になっている。
95丁目を東に曲がり、数軒目のアップタウンサイド、
19世紀の終りごろ
建てられた5階建てのブラウンストンのビルディング、その2階が猪熊
ご夫妻のお住まいだった。
               
   写真は「画家のおもちゃ箱」文化出版局より p.23 マーボロ(Marble)

 そこにいることがまるで家族の仲間ように、住まいの中にに溶け込
んでいる古い瓶に入れられたビー玉。ワイヤーで作られた小さな
オブジェ。わっぱで作られた古い箱。鉄製のおもちゃなど階段の隅や
棚の上から新客に 「見て!見て!」と語りかけてくる。

 樫の木目が美しく、部厚い使いこなした大きなテーブル。その横に
ガラスの代わりにチキンワイヤーを張った赤い戸棚があった。
 「美しい戸棚ですねえ」 というと、
猪熊さんは
 「ぼくが塗ったんですよ」とニコニコしていた。

 バスでアメリカ大陸を横断してきた時、ひと気のない草原の中に、ぽ
つんと建っている赤く塗られた納屋のドアと同じ様な赤色だった。
コチニールの虫で染めた鄙びた深い味わいのある美しい赤に似ている。
            
写真/左は私が巡り合った鉄製のアーリーアメリカンの金庫。球は独立戦争の時の鉄製
弾丸。
 写真/右は 鉄製お皿 ラック 。木製の球、鉄製弾丸、鉄製レースに糸玉を入れて
つるし、下の穴から糸がするするとでてくる
 。
昔の荒物屋の天井にぶら下がっていたもの。 
         
 
当時は何も知らなかったが、冷蔵庫もないアーリーアメリカンのパイ
セーフという戸棚であることが、のちになって分かった。パイを冷ます
ために、また蠅をよけるためにガラスの代用にチキンワイヤーを使っ
たものだ。

 文子夫人のおもてなしにも心がこもっていて、人を歓待する真髄を教

わった気がする。ニューヨークで個人のお宅の夕食に初めてのお誘い
でもあり、46年後の今もはっきり覚えている。人生をも教えられた忘れ
がたい夕べであった。

 猪熊ご夫妻の暮らしぶりを見て、私もニューヨークに住んでみたい
なーと思った。

 この6月、東京で谷川俊太郎の絵本から生まれた 「猪熊弦一郎展・
いのくまさん」 の展覧会を見た。東京オペラシティ アート ギャラリーの
天井の高さも美しさを強調していたが、猪熊さんの詩の世界はとても、
ほのぼのとして見る人を幸せにしてくれた。

 [芸術は一部の人のものでなく、すべての人間が楽しむべきです」とい
う猪熊さん。
 セントラルパークがオレンジ色のカーテンに埋まったクリストフのカー
テンの道を歩きながら、皆がアート、アートと話していたからなのだろう。
パパの肩車に乗った小さな子が
 「パパ、アートってなーに?」と聞いたとき、そのパパは
 「皆を幸せにしてくれるものがアートなんだよ」と答えた。

 その真実をいつも忘れないで暮らしていきたいと願っている。

 そして今ニューヨークで、ミセスの編集者・関直子さんから出版され
た時贈呈された美しい本、文化出版局版、「画家のおもちゃ箱」猪熊
弦一郎 写真・大蔵舜二の本を改めてめくっていて気がついたことが
ある。

 猪熊ご夫妻にあってから46年もの月日がたった。
ページをめくると、私も同じ系統のものを無意識に集めていることに気
がついた。

 本の中でも猪熊さんがおっしゃっているように 「誰かのコレクションを
初めて見て未知の世界に引き込まれることがある。」と。
猪熊さんはコネチカットに住むミミさんの別荘のアーリーアメリカンのコレ
クションの美しさに興味を持つようになったという。

 猪熊さんのセンスはやはりアーチストのものだ。
思いがけずもニューヨークに長く住み、めぐり合いで集めた私の好き
なものは、人々に使いこなされ、昔の暮らし方が彷彿としているアー
リーアメリカンのものである。
 割れたコップの土台を利用して作った針刺しなど、豊かではなかった
開拓時代、アメリカ人たちが手にハートを込めて作りだした、愛さぜず
にはいられない暮らしのアイデアである。アーリーアメリカンの素朴さか
はらユーモアと楽観、未来へのアメリカの夢さえもが伝わってくる。
               
       
写真:「画家のおもちゃ箱より」 p.97 廃物利用の針刺し

続く。

参考:「画家のおもちゃ箱 猪熊弦一郎」著 写真 大倉舜二 文化出版局 
1984年
参考:「手にハートを」 小林恵著 文化出版局 1996年