我慢のアート(The Art of Gaman)
ー 人はものを作る。作らずにはいられない。生きる証としてものを作る ー
何年か前にニューヨークで巣鴨に収容されていた戦犯たちがの死刑前に独房で作った手創りの品々を集めた展覧会がありました。
巣鴨刑務所を監視していたGIが死刑囚たちが処刑された後、部屋に残されたものをアメリカに持ち帰り、忘れ去られていたものを彼の息子が発見し展覧会を開催したものでした。
自分の死を目前にして、差し入れられた煙草の空き箱、ライフマガジンや新聞のページから紙縒りを作り、バスケットや箱を入念に作った戦犯処刑囚たちの最後に作られたものたちの展覧会でした。
が打たれ、切ない思いのする展覧会でした。
作りたい、作られずにはいられない、ものつくりの意味を、そして作った人たちの静かな声が聞こえてくるような戦争の無意味さをも考えさせられたことでした。
今から70年前、アメリカに移民した日系アメリカ人が、真珠湾の報復としてアメリカ政府によって全財産を没収され、強制収容所に12万人もの人たちが過酷な条件で戦争が終わるまで隔離されました。市民権のあるアメリカ人を大統領命令で隔離されるという憲法に違反するアメリカ人の過去を1988年になって初めてアメリカ政府が謝罪し、「過ちは2度と繰り返さない」と、スミソニアンに特設展示場が設けられました。私はわざわざニューヨークからワシントンDCにこの展覧会を見に行き、時代の変遷に感慨を深くしました。
”私はアメリカに生まれ毎日胸に手をあててアメリカに忠誠を誓って大きくなりました。あの収容所で私たちは何を信じて暮らせばよいのでしょうかと苦しみました。”
”青年たちは収容所に行かず徴収され、第一線の航空隊に送られ戦死しました。”
展覧会のビデオから流れてくる声は日本人として胸をつき、同時に発表したアメリカ政府の間違ったことを間違いましたと謝罪したことは遅すぎたとはいえ、少し救われた思いでした。
多くの日本人がこの収容所で亡くなった. ジャップは白人社会からでていけ。真珠湾攻撃の報復。 理由もわからず、どこかに連れて行かれる。両親は日本人でもアメリカ生まれは憲法でアメリカ人であった。
年頃も同じ、何だか私に似ていて胸が詰まる。
数十年ののち、現在芸大で当時の日本人の生活の記録、手創りの我慢アート、「尊厳の芸術展」が開催されています。
すべてが手創りで胸を打ちます。仏壇を作り、毎日手を合わせ、算盤まで作りました。手描きのコイコイまで作ってしいま
す。
ナイフ一本で彫り、ガラスの破片で磨きをかけたという彫刻。 砂地を深く掘って発見された貝殻で作ったブローチの数数。
すべてがアートを学んだことのなかった日系一世たちの作品です。 つらい思い出と共に多くは捨てられましたが、これらのものは伝統の誇りでもあり、彼達の不屈な精神の証でしょう。
”従う以外仕方がなかった” 悲惨な戦争犠牲者の無言のプロテストとして心を打ちます。
同時にものつくりの安らぎを共有することができる一見に値す展覧会でした。