友人がロスで割烹修行している店が、明治屋と名乗る店で。
「阿倍野の明治屋は元気ですか?」とメールもらい、慌ててネット情報を見ると
10月28日だかで休業に入ってしまっていた。
閉店に間に合わなんだ。ガ~ン…
したがって、これは今年春に撮った写真。
その後も阿倍野に出る用事があり、対岸から姿を見ては「まだ元気だ」と勝手に安心していたのに。
ついに閉める時が来るとは。 そういえば、娘さんが10月頃とか言ってた。
ここを教えてくれた、師匠に顔向けできない。
最初はここの玄関に仁王立ちで、強制代執行の際には、一歩たりとも役人を入れるもんか・・・と
勝手に思ってたが、粛々とその日を迎えたようである。
店側はずっと大人だった。こっちが一人でいきり立ったってどうにもなるまい。
カウンターであるとか、銅の燗付け器であるとか、できるだけ、来春開店予定の
新しい店舗の方に持っていくつもりだと人づてに聞いた。
いいことである。
古けりゃいいってもんぢゃないが、新しいのは尚更いけない。
日々是好日・・・淡々とした日々のくりかえしが歴史となり、カウンターの角を丸くし、
酒飲みにはたまらない魅力が備わってくる。
お初天神の「北サンボア」は、太秦の映画美術までが協力し、壁の焼け具合、漆喰のヒビまで再現、
昔のままの店内を出現させた。
明治屋さんも、どうかそれを倣って、今までの店をそのまんまビルに入れたの?と
思えるようにしてもらいたいものだ。
阿倍野の街殺しが始まってずいぶん経つが、無機質な高層ビル群になるのだろうたぶん。
そこを利用したひとの歴史も考えた方がよかったんぢゃないのかね、近鉄さん。
どんなに逆立ちしたって庶民的な街なのですよ。そこを忘れて近未来的な街を築こうったって無理がある。
こういう店をそのまま残して、大資本でバックアップしてもらえりゃ、閉める必要ないのだ。
こういうしもた屋の良さがアンタたちには判んないのだろうけどね。
古い酒場のよさは、そこで一人杯を傾けているだけで、昔からの既に彼岸にいる酒飲みたちの
先輩たちの霊と一緒に飲んでる気がするのである。
もっとも連れと一緒だったりすると彼らは気配を隠す。
彼らは先輩風吹かせたりしないし、平等に酔わせてくれる。
店の空気感を大事にしながら飲んでいると、みんなニコニコと見守ってくれているのだ。
だから酒場は一人でも寂しくなんかないのである。
ひとまず、さらば、明治屋。 さよならだけが人生だ・・・。
空気はのん兵衛たちが何十年かかって作り出してきたもの…大しぇ~かいですね。店側がどう醸し出そうとしても出るもんぢゃないですね。
昼間集まる常連たちは、みんないい歳してあっちこっちガタ来て、飲めなくなってる人多いからなぁ。でも再生する方にアタシは5000点!
半年前に行っておいてよかった。でももう一回行きたかったなあ。
カウンターと燗付け器持って行って再開かあ、一先ず安心。暖簾と看板もそのまま再登場してほしい。
一部でもそういった昔からのものが残っているに越したことはないが、何十年も飲兵衛たちが作り出してきた空気というのはやはり再現は難しいから、残念ですわ。